「自分のことが好き」という感覚
わたしはこれまでずっと、「自分のことが好き」「自分を大切にする」という感覚がわからなかった。
「めっちゃすきー!までいかなくても、これでいいんだ、って思えばいいんだよ」とか、「こんな自分でもいいじゃん」「とにかく自分を第一に考えるんだよ」とか、いろんな人からいろんなアドバイスももらったけど、それでもなかなか腑に落ちることはなく。
みんなができていることができない自分は劣っていると思ってたし、そういうところがまた自分を好きになれない理由でもあった。
最近メンタルのことを学ぶようになって、そういう自分が徐々に変化してきていた。
自分の感情を俯瞰する習慣を身につけたら、自分を縛っていた価値観の存在が見えてきた。
いろんなひとと話して、その価値観が思い込みであること、別の見方ができることを教えてもらうようになり、自分でも意識的に自分の性格や性質の捉え直しをするようにした。
すると、自分への見方が少しずつ変わり始めてきた。
「こんな自分じゃだめだ…」
から、
「まあまあいいとこあるよね。」
くらいには、自分に対して優しい気持ちを向けられるようになってきていた。
そして今朝、
「あ、わたし自分の繊細なところが好きだな」
という気持ちが自分の中にふわっと生まれでた感覚があった。
というよりむしろ、気がついたらそこにあったという感覚の方が近いかも。
繊細さは、ずっとわたしにとって持っていたくないもの、できればなくなってほしいものだった。
すぐ傷つくし、落ち込むし、ストレスにめっぽう弱い。
人の感情にも敏感で、顔色を気にせずにはいられない。怒られたりすると、絶望的な気持ちになる。
日常生活を送るだけで疲れ果ててしまって、仕事も続けることができなくて。
新しいことをするにも、不安や恐れでいっぱいになる。
そんなネガティブな感情ばかり私に連れてくる、自分の繊細さがいやでいやで仕方なかった。
もっと鈍くなりたい、普通になりたい。そう思っていた。
でも、これまでとは違う角度から自分を見る練習を続けていたら、真逆の捉え方ができると気がついた。
この繊細さがあるからこそ、いろんなことに敏感に気づけるからこそ、些細なものごとからも深く学んで自分の世界を広げることができる。
人の嫌な面も見えるけど、いい面にも気づけるから、その人のことを好きになれる。その人に伝えて、笑顔になってもらうこともできる。
自分にとって心地いい環境にいられる時は、そのよさを深く味わって、存分に吸収できる。
その結果エネルギーが溢れてきて、自分が人にエネルギーを与えることもできるようになる。
そういう経験をもたらしてくれる自分の繊細さを、好きだなと思った。
というより、好きだと思っていいんだなとわかった。
これまでの私は、「自分のことを好きかどうか」よりも、「自分にはいいところ・人に誇れるところがあるかどうか」で自分を判断していた。
人から見て好きになってもらえるかどうか、という基準で考えていた。人から見て好きになれるようなところなら、自分も好きになっていいところなんじゃないか、みたいな。
だけど、自分のことを好きかどうかは、自分で感じで、自分で決めていいんだよね。
わたしの繊細なところは、人から見たら面倒で治した方がいいところに見えるかもしれないし、自分でもしんどくなるときがある。
その一方で、幸せな気持ちもたくさん運んできてくれる。繊細さがなかったら出会えなかった素晴らしい出来事にもたくさん出会えた。
そういうところが自分にあってくれてうれしい。大切にしたい。守りたい。
こういう気持ちが、自分のことを好きだっていうことなんじゃないかな。
そして、自分を大切にするっていうのは、その気持ちに正直に生きること。
自分が好き、大切だと思う気持ちを自分自身で肯定し、守ること。
自分のなかでこういう風に言語化し、感覚を味わえたことがとてもうれしい。