過去の発言

みなさんは「ネットタトゥー」という言葉をご存知だろうか。

ネット上に上げた過去の発信などは完全消去が難しく、いつまでも残り続けるコトをタトゥーに喩えた言葉だ。

私ももう十数年様々な媒体で自己発信を行ってきているので、現在の思想、思考からはかけ離れた過去のデータはそのまま残っている。

時々、わざとそれを出してきて冷やかしてくる知人がいるが、実にくだらないと呆れながら、過去の記事を消せない煩わしさに苛まれるコトもある。

私なんかは個人だからいいのだ。
コレが公人であったり、タレントであったりすると事態は非常に面倒くさい。

歳を重ね、経験を積むと、過去の思想、思考から変化する。それ自体はそんなにおかしくはない。

しかし、ネットに出された情報や第三者の記憶、印象はそのまんま変わらない。

自分の考えに合わなかった人間が自分と同じような考えになれば「何を今更」とか「ホントに分かってんのか」と批判したくなる。

逆に、昔は自分と同じ考えだった人間が自分とは違う考えを持ち始めても「裏切り者」とか「かぶれた」と批判する。

一切ブレない。
それもいいかもしれないが、ブレたっていいじゃないか。

ソコは寛容でありたい。
自分がそうであるように他人にも寛容でありたい。

まあ、そこは「人間だもの」である。
結局は人によるのだ。許せるも許せないも。
私もそれほど人間ができてはいないから、許せない人もいる。

けど。
改めてだが。
他人に寛容ではありたい。

思想、思考は変わってもいい。
たった一度の人生、そのくらいはいいではないか。

ほいたら、また。

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文野翔太
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