文松考論
論理を中心とした論文としての文章体系
プロローグ自由・平等・倫理とは誰しもが聞いたことがあるごく当たり前のものであるが、我々は彼らに理想を求め、時にそれらを巡って大量の血が流されることもある。 しかし、誰一人として彼らを具象として見たことがない。それもその筈、彼らは実体を持たず事態としてのみ存在する概念なのだから。 そうは言っても彼らを侮れない、「自由・平等」は我々が生きる現代国家の礎であり、「倫理」は人間の歴史の流れを根底で動かしてきた動力そのものである。 勿論過去の偉大な学者や思想家は自由・平等・倫理について
高校時代から経営学の書籍を読み込み勉強してきたのだが、この際今までの知識を包括的な一般理論に落とし込めないか考えた しかし、どれだけ練っても一般理論化できないため、経営学というものを根底から考え直してみた 経営学とは人を動かし価値を最大化する因果を探求する学問→「状況に行動を与えて結果を得るフロー(F(c,a)=r)」で価値積最大化という結果を目的とする 価値積=単位価値量(製造品合計額)x効率x実現価値率(契約率)x持続性 経営の流れ:「cを明確にする」→「得られたc
*この論考の進行にあたっては「真理哲学論考」の理解を前提とするため、まだ「真理哲学論考」の理解が及ばない読者は下記リンクから参照していただきたい 序論真理現象学とは絶対を論考の基盤として現実を考察する学問体系である。 これによって初めて現実の絶対的な構造が我々の前に現れる。 現実とは時間領域と空間領域(空形)が絶対的に実在する世界と定義される。 つまり、像としてではなくそれ自体として実在する世界の素*1として時間と空間を認めるということである。 因果律時間とは事態の近接関
序おそらく本書は、ここに表されている思想をすでに自ら考えたことのある人だけに理解されるだろう。故に理解してくれたひとりの読者を喜ばしえたならば、目的は果たされた事になる。 私が信ずるところでは、哲学とは実に確かな論理体系の構築という壮大な野望を追い求める生きた理性の躍動であり、本書が全体として意義をもつために次のような絶対となる意義を確立する必要がある。世界は確かな基で思考されねばならない。 かくして、本書は絶対となる事実から確かな論理体系を構築する。つまり、本書が哲学を再設