十万倍速の男 2
十万倍速の男2
あれから3ヶ月程経過したが、藤堂の周りには何も起こらず、淡々と時は経過していった。
「あれは、いったい何だったんだろうか‥
確かに世の中の時間が止まってしまったかのようだった・・・
まっ、その後何も無いんだから、白昼夢的なものか・・・
まさかボケの前兆なんてことは無いだろう」
日課の散歩から帰って来てコーヒーを入れ、テーブル横の椅子に腰をおろしたところである。
妻は買い物に出ている。
コーヒーを飲みながら、スマホを見る。
何かに誘導されるように盲目の天才ピアニストを検索する。
「あった‥これだ‥」
件のピアニストのヨーロッパ公演の動画である。
ちょうど、ヴェートーベンのピアノソナタ「月光」の演奏が始まるところだった。
あまりの心地よさにスマホをテーブルの上に置き、演奏に聞き入った。
目を瞑り脚をテーブルに乗せ寝ているような姿勢になる。
誰かに起こされるように目が覚める。
薄目を開ける‥
ぼんやりと周囲が見える。
「いつの間にか寝てしまったか・・・
それにしても何だ?景色が震えているぞ」
藤堂は眼鏡を外し、目をこする。
再び眼鏡をかける。
今度は鮮明に見える。
しかし、
「な、なんだ‥
やはり震えているぞ‥
地震?
いや、揺れてはいない」
藤堂は思わず立ち上がろうとした。
その時、コーヒーカップに触れてしまい、カップはテープルから落ちそうになった‥
「あ、危ない!」
手を出そうとして仰天した。
何とコーヒーカップが宙に浮いているのでる。
しかもコーヒーカップから飛び出たコーヒーも宙に浮いたままの状態である。
「・・・」
再び椅子にへたり込み、呆然とする。
じっとコーヒーカップとコーヒーを凝視する。
耳には「月光」が静かに流れている。
慌てることも無く、スマホに目を向ける。
スマホは通常の待受画面になっている。
さしたる違和感は無かった。
藤堂は宙に浮いたコーヒーカップを手に取り、まだ宙に浮いているコーヒーを丁寧にカップに受けテーブルに置いた。
その瞬間何かが閃いた。
「音楽・・・」
つづく