井坂勝之助 総集編(未完)
井坂勝之助 その1
見切り
浮きはぴくりとも動かない。
空気は澄み渡り、心地よい。
海は満潮時か川面は少し膨らんでいる。
「殿様・・・」
梅が徳利を掲げる。
「うむ」
梅は江戸では名の知れた料亭の娘である。
船梁に浅く腰を据えた井坂勝之助、梅の酌を受ける。
梅の頬は少し紅い。
化粧をしていないのである。
船頭のはからいで、徳利、お重を置く渡し板、梅の座る莚。
この船頭、なかなか気が利く。
名は竹蔵
数年来の付き合いである。
「旦那、そろそろ引き揚げますか」
「そうだな」勝之助にとって釣果などどうでもよいのである。
「露と落ち露と消えにし我が身かな、江戸の事も夢のまた夢・・・」
といった心境であろうか。
勝之助、竹蔵、梅と共に帰途につく。
「竹蔵、今夜は俺に付き合え」
「ヘえ」
勝之助、大身の旗本の次男坊、いわゆる部屋住みである。
だが、どうゆうわけか金に不自由したことは無い。
船留めから街までは、一里ほどか、急ぐこともなくゆるりと歩いていると、
「旦那、祠の前に・・・」
「うむ」
見ると、最近とみに増えた食い詰め浪人である。
通りかかった者から金品をゆすることを生業とする輩である。
「竹蔵、梅、うろたえるでないぞ。そのままでよい」
竹蔵は心得ている。勝之助から釣り竿、魚籠を即座に受け取る。
「旦那、三人です」
そのうち二人が、酔っているのか緩慢な動作で立ち上がる。
間合いは、十五間ほどか。
勝之助、丹田に力を込める、腰を据え、足の運びをやや緩める。
腰に帯びているのは、肥後同田貫正国、一振り。
間合い十間。
座ったままの浪人、刀は祠に立てかけ微動だにしない。しかし、視線は勝之助に据えて逸らすことは無い。
「こやつ、只者ではない・・・」と、勝之助。
このような状況での手加減は命取りになる。立ち上がった二人は、金のためなら何の躊躇いもなく人を斬ってきているであろう。
しかし勝之助にとっては、とるに足りない。問題は座ったままの浪人である。
殺気というよりも得体のしれない妖気のようなものを発している。
その浪人。
間合い五間ほどのところで、刀を掴み立ち上がる。
勝之助は、立ち止まり、眼を閉じる。大きく息を吸い、そして、ゆっくり長く吐く。
明鏡止水
勝之助が刀の束に手をかけようとした瞬間
件の浪人
「これは商売にならねえな」
浪人は、十五間先からの勝之助と立ち会っていた。
肩の盛り上がり、腰の座り、足の運び、一分の隙もない。
「一体どれほどの修行を積み、幾度の修羅場をくぐれば、このような凄みを帯びることができるのか・・・
とても己ごときが敵う相手ではない・・・」
と心の中で呟く。
「ご無礼仕った。ゆるされよ」と道を譲り、低頭する。
既に殺気は無い。
勝之助
「うむ・・・
いかが要なき楽しみを述べて、あたら時を過ぐさむ・・・」※
踵を返し、ゆっくりと立ち去る。
※方丈記 鴨長明
鎌倉時代の随筆、吉田兼好の「徒然草」、清少納言の「枕草子」とならぶ古典日本三大随筆
に数えられる。
「いかが要なき楽しみ・・・」は、
「どうして役にも立たない楽しみを述べて、大切な時を過ごすのであろうか?」
と言ったほどの意味であろうか。
井坂勝之助 その2
上杉信三
勝之助、竹蔵と二人、鍵屋の二階座敷で飲んでいる。
そこへ梅が
『殿さま、お客様が訪ねて来られてますが……』
『おいらを?名はなんと?』
『上杉信三様です』
『何やら、お見かけしたことがあるような……よく思い出せませんが…』
『うえすぎ……しんぞう…?』
『あまり覚えが無いが、お通ししてみてくれ』
『お見えです』と襖の外。
『ああ、お通ししろ』
梅が襖を開ける。
と、一人の浪人が平伏している。
勝之助
『まっ、入られよ』
『かたじけない』
浪人、襖の前に端座する。
「面をあげられよ」
『おや、そこもとは、いつぞや祠の前の路上で…』
『その節は、誠に申し訳もござりませぬ』
その折、剣技において劣り、それにもまして人間的に自分が卑小に感じられ、涙が止まらなかったという。
その後、勝之助の噂を聞くにつれ、ますます自分がいやになり、一時は自害も考えたらしい。
その後、禅寺に籠り座禅を組むうちに、勝之助へ、見栄も外聞もかなぐり捨て、弟子入りする覚悟を決めたという。
『おいらは剣術道場をやってるわけじゃねぇよ』
『勿論、存じ上げております』
人間として、弟子入りしたいらしい。
さらに、子分でも……と、
勝之助ほとほと困った。
聞いていた竹蔵、
『だんな、よろしいのでは?』と言う。
勝之助、上杉なる男を、じっと見つめる。
暫しの間の後
『あい、分かった』
上杉信三、『ははっ』
平伏する。
それから、数ヶ月。
上杉は、勝之助のはからいで、豪商堺屋の用心棒を兼ねた雑事を受け持っている。
余談であるが、この上杉、めっぽう達筆であり、学もあるという。
自然、堺屋主人の祐筆を務めるようになり、公文書の起草すらするようになっているという。
堺屋からは、この上ない方を紹介していただいたと、勝之助、大いに感謝されている。
聞けば、上杉は貧乏旗本の三男坊であったらしいが、無頼が過ぎて勘当され、あぶれ者のような生活を続けていたという。
『分からぬものだな竹蔵』
『拙者には分かっておりました』
『こやつ、言いおるわ』
『だんな、これでまた仕事がやり易くなりますな』
『うむ』
勝之助、腕組みをし黙考する。
竹蔵を通じて、将軍より勝之助に指示されることは、次第に難しいものになっている。
最初のうちこそ、幕閣の加工されたものではなく、良くも悪くも世情をそのままに報告するようなものだったが、それが次第に、『何とかならぬのか』になり、今では『何とか致せ』に変わってきている。
この時代日本は、今でいう社会主義国であり、当然のように官僚が賄賂により政治を壟断するようになる。
そうなれば、正義も何もあったものでは無い。
政治の中枢で正論など言おうものなら、失墜は目に見えている。
幕閣であり政治の中枢にいる勝之助の父、井坂直弼も頭をかかえるところである。
直弼、大器量の男でじたばたしない。
決して性急な手は打たず、じっと耐える。
葦の生えるだけの湿地帯であった関東の地を、日本一の城下町に作り上げた家康を思うのである。
『わしは権現様にくらぶれば、まだまだじゃ』が口癖である。
そんな直弼を、将軍は目にかけた。
将軍、直弼には多くを語らなかったが、『お主の次男坊に会ってみたい』
「な、何と仰せで・・・」
「直弼、ちと耳が遠なったか、ははは・・・」
井坂勝之助 その3
大望
江戸近郊に五万坪程、
『よきに、計らえ』
竹蔵と二人顔を見合わせたものである。
戦国の時代は既に遠い昔の話となり、江戸は、平和と繁栄を享受している。
しかし、幕府の外様大名に対する姿勢は、弛むこと無く、何かにつけて取り潰しの機会を窺うこと甚だしい。
必然的に、主家を失い流浪する武士が巷に溢れる。
幕府はその事に対して、冷たかった。
と言うより、むしろ再仕官を阻む姿勢さえ見せた。
それが、どのような結果になるかなどは、平和な時代に生まれ、戦を知らない幕臣は考えることすら無かった。
「小人閑居して不善をなす」
「窮鼠猫を噛む」
食い詰めた浪人が集まり、徒党を組めば、考え付くのはろくなことでは無い。
庶民が、平和と繁栄を享受すればするほど商業は発展し、富める者とそうでない者の二重構造の社会ができるのは歴史の必定である。
武家構造から弾き出された、生きることに不器用な浪人は後者に転落していく運命にある。
その数は、年を追う毎に増加する一途である。
勝之助は、父を通し、また直々に将軍に、その危機を言上し、勝之助なりの対処方法を進言した。
『そちの考えることを、やってみよ』
の沙汰が、五万坪である。
勝之助の構想は、こうである。
小人を教育し志を持たせる。
閑居させずに、一所に居住せしめ、衣食住に困らぬようにする。
開墾をすすめ、田畑を耕し、農産物を市場に出す。
江戸川を活用し、流通から溢れた海産物を安く仕入れ、干物への加工、農産物の飼料を作る等々、微に入り細を穿つものであった。
これらは、勝之助の考えるところのほんの入口にしか過ぎない。
勝之助を慕い、尊敬の念さえ抱く、もと不逞の輩は勝之助の親しくする道場の門弟として、すでに五十人を超えている。
それぞれに、用心棒、道場師範代、寺子屋の先生等々、勝之助の計らいにより糊口を凌いでいる。
構想については、折につけ主だった者には説明しており、未来を持つことになる元不逞の輩のその意気たるや、満を持するものがある。
勝之助
『竹蔵、長屋は二棟ほど完成したか』
『はい、一棟五十人見当ですから百人は大丈夫です。』
『他に道場と納屋倉庫を建造中です』
『うむ、まずは予定通りか』
『名前はとりあえず、「井坂塾」とでもしておくか。塾頭もまずは、おいらでよかろう』
『田畑の開墾の方はどうだ』
『少しずつはじめております』
塾生は、元食い詰め浪人ばかりではない。博徒、町人、旗本奴、百姓、漁師、元刀工などもいるのである。
活動は、日の出と共に始まり、日の入りで終わる。
食事、風呂、掃除等々、各自役割分担を決めて、極めて手際が良い。
十人程度を一隊とし、各隊に隊長をすえる。現在七番隊まである。
塾が開講するまで、江戸市中あちこちで塾生が活躍し、勝之助の人望も相まって、商人などから多額の寄進があった。
勝之助は、それぞれに礼状を出し、寄進者の目録を作らせた。記録である。
将来、寄進が何かのはずみで、癒着の種にならぬよう利息を付けて返金するつもりである。
幕政の有り様を参考にしている。
塾生の目は生き生きとしており、井坂塾は上々の船出である。
井坂勝之助 その4
竹蔵
『如何なされましたか父上』
『うむ、どういう訳か上様が、お主に会いたいと……』
『う、上様が…』
ことに動じない勝之助も言葉に詰まった。
江戸城本丸御殿、広間に隣接する庭園に畏まる勝之助。
『井坂勝之助であるか』
『ははっ!』
顔は上げられない、両手をつき白州に平伏するのみである。
『苦しゅうない、近う寄れ』
『ははっ!』
形のみ近付く素振り、膝行する。
『勝之助、作法はもうよい。頭を上げて縁の前へ直れ』
勝之助、動けない。
『ええい、勝之助、予の言うことが聞こえぬか!』
勝之助、もうどうとでもなれ。
すっくと立ち上り縁の前まで進み平伏する。
将軍の近習並びに幕閣は、言葉が出ない。手打ちすら覚悟せねばならない状況である。
『皆の者、下がりおれ』
皆、意味が分からない。
『二度、言わすでない』
不気味な程の声音である。
近習、側近、幕閣一同、
『ははあぁー』
あり得ないことに、将軍と二人きりの状況である。
勝之助、額から汗が滴り落ちる。
『勝之助、そなた予の庭番を勤めよ』
後の八代将軍の時代に顕在化した、所謂公儀御庭番のようなものである。
『そなたに家来を授ける。
名は、竹蔵と申す。伊賀者である。柳生宗厳(石舟斎)の側近く仕えた者の末裔である』
『ははっ!』
勝之助、何を言っているのか分からない。
『これを』
勝之助、何やら文を授けられる……
将軍家直筆花押入りの書状である。
勝之助、諳じる程に読み返す。
『な何と言う……!将軍家の直臣?
旗本以上苦しからず…』
勝之助、どう理解していいのか分からない。
側に控えていた竹蔵、読んでの通りにございます。
『これより、上様からの御沙汰は竹蔵が文にて仕つりまする』
『金銭用立て、いかほどにても苦しからず……』
『とりあえず、百両預かり候う』
と、竹蔵。
以来、三年の歳月が流れる。
井坂勝之助 その5
梅
江戸、小料理の店、鍵屋。
その娘、菊、百合姉妹。
頼山陽風にいえば、
『諸国大名、弓矢で殺す、姉は十七、妹十五、鍵屋の娘は目で殺す』
と云われる程の美人であった。
その姉、菊の美貌が将軍家にも聞こえ、大奥への出仕を命ぜられる。
将軍家の寵愛一方ならず、ほどなく一子をもうける。
女児であった。慣例により菊の実家である鍵屋に預けられる。
名を梅と命名された。
菊は、その後も将軍の寵愛を受け続け、現在では豪商堺屋の後妻におさまり、なに不自由なく暮らしている。
鍵屋夫婦の梅に対する態度は、姫君に対するそれであり、梅はそれが少し窮屈なのである。
それゆえ梅は、鍵屋夫婦も安心している勝之助に付いて回っているのである。
勝之助も何かにつけて気のきく梅が、気に入っているが、その生い立ちまでは知らない。
鍵屋といい、その時代の豪商の主の情報収集能力、胆力、決断力は戦国大名のそれであると勝之助は思う。北条早雲、斉藤道三が重なるのである。
もっと言えば、機を見るに敏という意味では、戦国大名以上と言えるのではないか。
戦国の世が終わり、商いという戦国時代が幕を開けているのかもしれない。
井坂勝之助 その6
示現流
勝之助、いつものように、梅、竹蔵を従えて川遊びをした帰路である。
陽は西に傾いているが、まだ明るい。
今日は珍しく釣果があり、馴染みの料理屋でそれを捌いてもらうべく歩いている。
すると、何やら前方が騒がしい。
見ると、数人の旗本奴が、芸妓数人と道いっぱいに広がり練り歩いている。
折しも、その向こうから歩いてくる武士が一人。
「おうっ、そこの田舎侍、邪魔だ!どけどけ!」
武士は何も言わずに真っ直ぐ歩いて来る。
「聞こえねえのか、この田舎侍!」
言い放った旗本奴、女物のような派手な着物に、鮮やかな緑色の鞘、刀装は螺鈿の細工が施してある。
「天下の大道にござるゆえ、御免被る」
旗本奴の間を通り抜けようとする。
「待ちやがれ!」と、肩口を掴もうとした手を鮮やかに捻り上げる。
旗本奴たまらず一回転して地面にたたきつけられる。
「見事な関節技・・・」
勝之助、感心して見ている。
残りの旗本奴四人が、一人の武士を取囲み、刀の柄に手をかける。
芸妓たちは、悲鳴をあげ脇にある屋敷の白壁に張り付く。
旗本奴の中でも、腕のたちそうな男が、
「お主、我等が何者か知っての狼藉か!」
「存ぜぬ、また狼藉でもござらん」
「うーぬ、言わせておけば・・・」
勝之助、この旗本奴に見覚えがある。
と、その旗本奴、抜刀の構えをみせる。
件の侍は、数歩さがり、腰を沈める。
「この男、先ほどから江戸の言葉使いだが、ややなまりがある。そしてこの構え・・・
示現流・・・薩摩か」
薩摩といえば、外様中の外様である。
旗本相手となれば、どう転んでも良い結果にはならない。
それにしても、この男かなりの使い手のようである。
※示現流
薩摩古太刀術である。
溜め込んだ闘気を「ちぇーっ」という怪鳥のような声と共に斬撃する。
一撃必殺剣である。
これを、生半可に刀で受けようものなら、刀ごと頭蓋を割られる。
旗本奴、刀に手をかけたものの動けない。多少、剣術をかじっているため、酔いが醒めるにつれ、相手の尋常ならざる殺気に気圧される。
こんなはずではなかった。
これまでは十人が十人、皆、道を譲り難を逃れるようにしてきた。
「一体、何者なのだ、この男は・・・」
あたりは、町人をはじめ野次馬が集まり始めている。
喚き声は出るが、身体は硬直して動かない・・・
とその時、
「もう、そのくらいにしたら如何かな、水野殿」
思わず振り返ると、井坂勝之助がニタニタ笑いながら立っている。
「い、いさか・・・ど・の・・・」
江戸侍の間で、この名前を知らない者は、ほぼ居ない。
剣術の腕前は勿論、その豪胆さは江戸市中に知れ渡っている。
街はずれに数十人が屯する無法者の巣窟に一人で切り込んだ・・・という逸話の主。
まして、その父親は井坂直弼、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの幕閣である。
旗本奴などが関われる相手ではない。
「そこもとが、一言謝れば済む話ではないのか?」
と言った勝之助の眼は、水野を射すくめるに充分なものだった。
水野は憑物から解放されたように、
「ゆ、許されよ・・・」
言い終わらぬうちに「おうっ、行くぞ」と、逃げるようにその場を立ち去る。
勝之助
「余計なことでありましたか」
「いえ、助かりました。それがしも少し強情すぎました」
「いや、さもあらん。あのような傾き者に虚勢を張られて、武士の面目を潰されては・・・」
「拙者、島津家江戸詰め、東郷平二と申します。失礼ながら、先生のお名前は?」
「これは参った、先生ですか・・・」
「井坂勝之助と申す」
井坂勝之助 その7
武士の本分
「塾頭、宜しいでしょうか?」
「うむ、入れ」
「失礼仕ります。只今、長州毛利家江戸家老、高松俊作殿が是非お目通りをと・・・」
「通せ」
因みに、この時代何々藩という呼称は使われていない。学者、幕府の一部で認知はされていたが一般的ではない。
時代劇などで多用されるのは現代人に解り易く理解してもらうためである。
「拙者、長州毛利家・・・」
「委細承知しております。で、ご用件は?」
「実は、昨今の干ばつで米の不作は目を覆うばかりでございます。他の農産物も同様で、当家の財政は逼迫を極め、その上、百姓共が不穏な動きを見せております。
井坂塾の御高名は、かねてより耳にしており、誠にもって恥ずかしい限りでござるが、この状況なんとかならないものか、ご教示を賜りたく参上した次第にござりまする。」と平伏する。
勝之助、黙って話を聴いている。
「まっ、粗茶でも・・・」
「はっ、恐れ入りまする」
「高松殿は、いつも羽織袴をお召しで?」
「はっ?・・それは、武士のたしなみにござりますれば左様に・・・」
「御家中の方々もご同様で?」
「いかにも・・・それが何か?」
「少し外を歩きながら話をさせていただいても宜しいですか」
川沿いに建ち並んだ蔵、道を隔てた向かい側には同じような長屋が数十棟、他に軒を連ねる店舗がかなりの数見受けられる。
「うーむ、聞きしに勝るとはこのことか・・・」高松呆然と眺めるばかりである。
足早に歩を進める勝之助の後を、まるで異国を目にするような思いで高松はついて行く。
やがて広大な田畑が開ける。
「ほーっ、見事なものだ。百姓がかなりの数働いておりますな」
「いえ、一人もおりません」
「えっ?しかし・・・あのように・・・」
勝之助、返事をせずにじっと遠くを見やる。
「ん?あれは、もしや髷を下ろし後ろに束ねた武士でござるか?」
「いかにも、一番手前が薩州御家中、その右側が上州松平御家中・・・」
「な、何と、毎日あのように百姓のまねごとを?」
「高松殿は、そもそも武士は百姓であったことをご存じか?」
「武士が百姓?勝之助殿お戯れを・・・」
無理も無い、当時の学問と言えば孔孟の教え、儒教を学ぶ程度であった。
現代の歴史学などという学問は無いのである。あくまでも為政者としての武士の正当性を学ぶといったものである。
「高松殿、武士とは武装した百姓でござるよ。
一所懸命
武士は一族郎党を養うため田畑(一所)を守ることに命を懸けたそうです。
各御家中の方々は今、身をもってそれを学んでおられるのです。
戦国期、長曾我部氏の一領具足でござる」
高松は言葉が無かった。ただ、目の前の光景を見つめ続け・・・
「勝之助殿、ぶ、武士とはかくあるべきと申されるか・・・」
思えば、十年一日、同じような日々を送り、単に禄を食んできただけではないか。
その禄とて百姓が日照り、野分、雪と格闘しながら我らに上納してきたものではなかったか・・・
武士は御恩と奉公という。
この平和な時代に外敵が攻めてくることまずは無い。
弓鉄砲、命を賭して領民を守るという武士本来の責務も無ければ、万一に備えての軍事訓練といったものも遠い過去の話である。
それどころかそのような事をしようものなら謀反の疑いありとして、お家取り潰しの憂き目にあうことになる。
懸命に奉公をしつづけている百姓に、我等は何か恩を与えているのか・・・
これでは百姓の奉公一辺倒ではないか・・・
高松は頭が混乱してきた。お家大事、主君に尽くすことが武士の本分・・・
「何か間違えていたのか・・・」
目の前の光景が、何故か曇る・・・涙が止まらないのである。
「高松殿、もはや何も話すことは無いようですね。
多くの大名家の高官が来られました。今も、こうして励んでおられます。そして納得された時に帰られます。私は多くを語る必要がないのです。
それらの大名家の財政は健全化していると、丁寧な書状を頂いております」
高松は返す言葉がなかった。
武士の本分・・・高松、心の中で反芻するのである。
井坂勝之助 その8
反乱
「竹蔵、それは誠か?」
「へぇ、手の者に一月ほど探索させましたので間違いありません」
「山鹿流軍学者・・・涌井庄雨か・・・門弟他浪人共を千人・・・」
「それが、浪人のみならず、貧乏旗本、地方の小大名なども呼応し、幕府の転覆を企んでいるやに、半年以内には江戸に結集し蜂起するのではないかと・・・」
との報告にございます。
「竹蔵、涌井なる者に会いに行くぞ。委細段取りを付けろ」
「旦那お一人で?・・・」
勝之助、ニヤリと笑い
「無論だ!」
竹蔵「ははっ」
渋谷村のはずれに結構大きな古寺がある。そこに涌井一統が結集しているという。
その人数はまだ百人足らずらしい。門弟他、主だった幹部であろう。
話は竹蔵がつけてある。勝之助、いつもと変わらず着流しに黒漆の豊後刀一振りの落とし差し。単身乗り込んだ。
「御貴殿が、涌井殿にござるか」
「いかにも涌井庄雨でござる」
年の頃は六十歳前後か、白髪交じりの総髪、痩せてはいるが眼光は鋭い。
涌井を守るように、両脇に各々三名、屈強そうな武士が居並んでいる。
若く血気盛んな様子が見て取れる。流石に刀は右側外向きに置いてはいるものの殺気は隠せない。
「井坂勝之助でござる」
「ははは、御高名はよく存じ上げております。
その井坂殿がまた如何なる御用で・・・」
「単刀直入に申し上げます」
涌井、無言で頷く。
「御貴殿の計画を断念していただきたい」
「ほっほー、これはまた・・・」涌井左右を見渡し大仰に驚く。
「さてもさても、一体何のことやら・・・」
勝之助、全く動ずることなくさらりと、
「不平不満の分子を糾合し、決起なされるやに聞き及んでおります」
「これはまた穏やかならず・・・
まるでみどもが幕府転覆を企てているかのように聞こえまするな・・・」
「違いますかな?」
「もしそうだとしたら、井坂殿、無事にここを出られませぬぞ」
「もとより承知」
「さすが聞きしにまさりますな」
涌井、居ずまいをただし、
「井坂殿ほどのお方ならご存知の事だと思うが、幕政はもはや腐りきっておりまする。
このような状態が続けば賄賂が大手を振ってまかり通り、悪徳官僚とそれを取り巻く悪徳商人・役人の天下となり、まっとうに生きている者が報われませぬ。
全国の外様大名は勿論、百姓・町人も我慢の限界に達しております。
我々は捨て石になっても、幕政の改革、出来ることなれば、幕政を壟断する幕閣を一掃し、我らが上様をお支え申す覚悟でござる」
「幕府を武力討伐なさるおつもりか」
「江戸城を急襲し籠城して一戦仕ります。そのうちに全国から呼応する者が次から次へと現れましょう」
「僅か数千人集めたところで、そのような大それたことが可能ですかな?
平和ぼけしているとは云え、旗本八万騎とは言いませぬが譜代・親藩関東周辺は将軍家の
親衛隊のようなものです。数万人の動員にさしたる時はかかりますまい。
憚りながら、我らが井坂塾の戦闘部隊は一騎当千の手練れの者が日々実戦を想定して訓練
しております。
幕府中枢とも密接に連携しておりますので沙汰があれば、先手を仕ります。
さらに我が部隊は、弓・鉄砲・槍・抜刀各部隊が、それぞれに騎馬隊を編成しております。
その数およそ八百騎。
我らだけでも千や二千の混成部隊であれば瞬く間に蹴散らしましょう。
涌井殿とて軍学者でござろう。彼我の差は歴然としております。
勝てますかな・・我らに・・・
いたずらに・・・国の行く末を憂う若者たちを死地へ赴かせまするか」
勝之助、穏やかな眼差しで涌井を見つめる。
涌井、暫くの沈黙の後、
「して、如何なされるおつもりじゃ」
勝之助、大きく頷き
「我らとても、今の世の有様につきましては、涌井殿同様危惧の念を抱いております。
同感と言ってもいいでしょう。しかし、無謀な決起には賛成致しかねます。
各々方ように革命的ではござらぬが、世の中を変えていく方法は他にもござる。
幕府とてまだまだ捨てたものではござらぬ。幕閣の中にも有能な人材はいるのです。
涌井殿が、先ほど危惧されていたことは、何を隠そう上様とて同じ思いなのです」
涌井、目を見開き、
「な、何、上様が・・・」
「いかにも」
これまで、目なじりを上げ、膝に置いた拳を握りしめていた者達の間に驚きの表情が浮かぶ。
堂内は変わらず静まり返ってはいるものの殺気は既に無い。
一同、勝之助の一言一句に聞き入っている。
涌井、
「このような男がまだ幕府にいたのか・・・」
己よりも遥かに若い勝之助の落ちつきように驚嘆する思いである。
「予の治世のうちに、天下万民の為の政治を取り戻すのじゃ。勝之助、そう心得よ!」
と仰せられておいでです。
「涌井殿、御一同、性急な行動は控えられ、上様の為にご尽力いただけぬか」
勝之助、座したまま、一尺ほど後ろへ下がり平伏した。
涌井は口を半開きにし、周りの者は呆然としている。
勝之助が頭をあげた時、一同我に返り、全員平伏するのである。
井坂勝之助 その9
町奴
侠客 幡随院長太郎
井坂塾の塾頭室で、資料に目を通していた勝之助のもとへ、
「失礼仕ります」
「うむ」
「只今、塾頭へ是非お目通り願いたいという親分さんがお見えでが・・・」
「名は何と?」
「塚本宇太郎、通り名を、幡随院長太郎と申しております」
「おお、長太郎か!通せ」
「ははっ」
「ご無沙汰いたしております」
この男、幡随院長太郎。
乱暴・狼藉の過ぎる旗本奴に対し、弱きを助け強きを挫く男伊達。
日本の侠客の祖とも後世云われる、町奴の総元締めである。
その侠気のためか勝之助とは少なからず親交がある。
「おうっ、今日はまた改まってどうした?」
「へぇ、実は・・・」
話は、こうである。
幕府は豊臣家滅亡後、江戸守護の為あらゆる手を尽くした。
最も大きなことは戦国時、全国に三千程もあったと云われる城郭を一国一城にするよう命じた。
その為、城の数は二百足らずまで激減したのである。
また、大きな河川に橋を架けることを禁じた。
関所の役割を果たすと共に、大兵力の移動を怖れたのである。
諸説あるが、江戸時代の主たる交通機関は水運である為、船の往来を優先させたのではないか、
また風水害の度に流される橋を架け直していては莫大な費用が必要になる。いっそ舟渡しに
した方が、はるかに経済効果は大きいではないかということである。
事情はどうあれ、大きな河川には渡し船、それを管理する為の施設が設けられ、水主、役人が常駐することになる。
そうなれば、悪天候による川留めの際の旅籠が軒を連ね、怪しげな飲食接待を生業とする店で賑わうのは当然の成り行きである。
その一つに相模川の厚木宿があり、一帯を取り仕切るやくざ者に蜘蛛切りの三左衛門という親分がいるという。
その三左衛門、財力にものを言わせて役人を篭絡し、徐々に勢力を拡大しているらしい。
また、その資金の一部は幕閣にも流れているのではないかとの憶測もあるという。
三左衛門に従う子分は三百人に何なんとするという風聞が江戸にも聞こえる。
しかしながら、これまで幕府はあたかも見て見ぬふりを決め込んでいるかのようであった。
そのような状況の中、当の三左衛門が長太郎のもとへ使いの者を寄越してきたという。
その口上によると、近々江戸に進出する旨、ついては自分に与力してもらえまいか。
早い話が配下になれということである。
無論、長太郎は「何を下らねえことをぬかしてやがる!」と一喝して追い返したらしいが、
その折、「ならば、三左衛門が百人からの子分を引き連れて出張って来ることになるが、それでいいのだな」と不敵な笑いを残して去ったという。
長太郎、そんなことは痛くも痒くもないのだが、その対応策を子分共と話し合ううちに、
騒ぎが大事になり、町人たちにも迷惑が及ぶことになるようでは、本意では無いと考えるに至り、ひとまず勝之助に相談に上がった次第だという。
じっと話を聴いていた勝之助は、暫しの瞑目の後、
「長太郎、この話、俺に預けろ」
「えっ?」
「実はな、親父殿からも内々にお達しが来ておるのじゃ。
三左衛門が狼藉、目に余るにつき、暫時対処の事。斬り捨て成敗苦しからず云々・・・とな」
実は、幕府もこの頃になると武断政治から文治主義へと舵をきり、本当の実力を持った治安維持のための軍隊は持っていないのである。島原の乱とて遠い昔のことである。
名ばかりの組織はあるが、そのような者たちを派遣して収拾がつかなくなれば、幕府の威信は
地に堕ちるのである。
井坂塾に広大な土地を与え、あらゆる事を自由に行わせているのも、井坂父子と将軍の内々たる深慮遠謀があってのことである。つまり、治安維持活動も含まれる。
一説によると、
一騎当千、少数精鋭の戦闘部隊の育成、表向き幕府は感知せず独立採算を旨とせよとある。
長太郎、
「で、どうなさるおつもりで・・・」
勝之助、
「そうさなぁ、長太郎、おめぇ三左衛門に文を書け」
「へぇ、どのように?」
「うむ、こうだ・・・」
それから七日後の早朝、長太郎は子分三十人を引き連れ戸塚原へ向かった。
戸塚原の手前半里、予定の古寺へ一行が着いたのは陽が落ちてからである。
最初から野営と決めており諸々の準備怠りない。
すぐさま斥候の者数名を現地に差し向ける。
一方、三左衛門の屋敷
「親分、幡随院の野郎、今夕、戸塚原の手前の古寺へ入りました」
「で、何人くらいだ?」
「それが、先発隊なのか三十人程らしいんです」
「八十人には程遠いではないか。わははは・・・
まあ、後続が来るにしても、せいぜい五十~六十人がいいところだろ」
「当方は予定通りで宜しいので・・・」
「ああ、江戸の虫けらどもを一気に蹴散らしてしまうのじゃ。人数は揃ったか?」
「へぇ、助っ人の先生方を入れて、ほぼ三百人がとこ集まっておりやす」
「いいか、野郎たちには敵は二百人はいると言っておけ。調子に乗って酒を飲みすぎては戦にならねえからな」
「へぇ、承知しておりやす」
翌日、申の刻
敵の戦力を侮った三左衛門一党は、ゆるゆると戸塚原へ陣取った。
およそ五丁先に長太郎の布陣が見えた。
三左衛門は思い起こす。
長太郎からの文にはこうあった。
「三左が申し条、承って候
甚だ片腹痛く候
ついては、当方より、縄張り頂戴致すべく、
当月晦日申の刻、当方八十人、戸塚原に参上仕り候
よって件の如し
幡随院 長 」
三左衛門、これほどの屈辱を味わったことがない。
「うぬぬ、八つ裂きにしても足らぬわ・・・」
歯嚙みしたものである。
周囲の喧騒に、ふと我に返り前方を見やると、
「幡随院の野郎、あれじゃ三十人のままじゃねえか」
「親分、どうやら後続の部隊はいねえようで・・・」
「けっ、口ほどにもねぇ。一気に蹴散らして・・・」
「ん? な、何だぁ!あの音は」
「ドドドドッ・・・」地響きするような音が前方から聞こえてくる。
「な、な、なんだぁ!?」
「馬? いや騎馬武者だ、五十騎はいるんじゃねえか?」
長太郎一党が左右に展開をした、その時、
揃いの黒装束に白の襷掛け、白鉢巻の騎馬武者五十騎が後方から現れる。
けたたましく嘶き、激しく動き回る馬を巧みに操り横一線に整列する。
「野郎、二本差しに助っ人を頼みやがったな」
何のことは無い。人数は予定通り三百人対八十人なのだが、その迫力に
気圧され、狼狽え始めた。
「お、親分、これはまずいことに・・・」
「ええい、馬鹿野郎!人数では圧倒してるんだ!かまうことはねえ
かかれぇ!踏みつぶせぇ!」
我を取り戻した一党は再び勢い付き突進を開始する。
「ワーッ」
二丁も突進したであろうか、上方から雨のように矢が降り注ぐ。
騎馬軍団の弓隊十名による長弓の連射である。
場所は原野であり、身を隠す場所も無ければ、元より盾など準備していようはずもない。
戦国時代さながらの長弓の威力は、接近戦の火縄銃に匹敵する。
地面に屈みこむように、身を小さくするしかないのである。
やがて、降り注ぐ矢が止んだ。
恐る恐る一党立ち上がるが、七~八十人は倒れたままである。
「うーぬ、長太郎めが、野郎ども突っ込むんだあ!」
狂ったように、再び突撃を開始する。
長太郎一党の顔が認識出来るほどに迫った時、耳をつんざくような轟音が鳴り響いた。
と同時にバタバタと三左衛門配下の兵隊たちが倒れる。
「た、種子島かぁ?!」
しかし、今度は突っ伏せれば玉には当たらない。
やがて、静かになる。
下馬していた鉄砲隊が、長太郎一党に鉄砲を渡し再び騎乗する。
五十騎の騎馬武者が、馬に装着しておいた馬上刀を抜刀する。
※馬上刀、反りが深く刃渡り三尺程と長大であると云われる。
三左衛門の残党は二百人足らず。
やっと、立ち上がったところへ、怒涛の勢いで騎馬隊が突っ込んでくる、まさに息をもつかせず逃げる間もないのである。阿鼻叫喚の中で半数がバタバタと倒される。
駆け抜けた騎馬隊は、ゆっくりと下馬し懐紙で馬上刀の血を拭い鞘に収める。
そして、腰に差してあった刀を全員が抜き連ねる。
失敗は許されない。完膚なきまでに叩き潰さなければならないのである。
「各々方、宜しいか。
日頃の鍛錬の成果を存分に発揮されたい。
言うまでもないが、多勢に無勢、くれぐれも油断なきよう。
敵味方は装束にて分別。
斬り結ぶこと無く、駆け抜けざまに頭部、腕、下半身を斬り、刀の損傷を最小限にし、
相手の戦闘力を削ぐことに主眼を置かれよ。
重ねて言うがくれぐれも油断禁物、特に雑兵の竹槍、投石には注意されたし。それでは、参る!」
一同、残党めがけて鬼神の如く駆ける。
まだまだ数に勝る先方、何かにとり憑かれたように血走った形相で突っ込んでくるのである。
しかし・・・
違う。動きがまるで違うのである。
勝之助が選び抜き、日々鍛錬を重ね、血へどを吐くような時を過ごしてきた精鋭部隊。
戦う前は、ほぼ全員が武者震いをしたものであるが、いざ抜刀し駆ける途中で気付くのである。
俺達は、落ち着いている・・・それに、相手のゆっくりとした動きは何なのだ・・・
無理も無い。もともと剣術の覚えがあった人材を実戦形式で徹底的に鍛え上げているのである。
当の本人達も気付かぬうちに戦国時代でも最強軍団として通用するほどになっているのである。
勝之助の成せるところである。
先方、阿呆のように大きく振りかぶって斬りつけてくる。苦も無くかわし、すれ違いざまに、狙いすましたように首を斬る、腕を斬る。まさになで斬りである。
雇われ剣客に出くわしても、所詮、酒・博打・女に溺れ金で雇われた連中・・・である。戦闘力に差があり過ぎる。
枯れ木も山の賑わい、天秤棒、竹槍、長脇差、酒の勢いも借りて一党に加わった連中は、首が飛ぶ、腕が飛ぶのを目の当たりにして、口から泡を吹き、腰が抜けるようにして、散り散りに逃げていく。
勝負が決するのに半刻もかからなかった。
戸塚原に、死体、半死半生の者、手負いの者が二百人あまり、散り散りに逃げ去った者達が百人程度か。
勝之助の予備隊五十名、長太郎の子分、手配してあった役人等数百人で後始末し、その痕跡を残さぬようにした。
幕府よりの緘口令もあってか、この大きな出来事が人口に膾炙することは無かった。
その後に行われた残党狩りの折、戸塚原近くの雑木林で割腹した三左衛門の死体が見つかったとのことである。
この三左衛門、元は侍であったという風評がある。
井坂勝之助 その10
刺客
勝之助、菅笠を深めに被り、着流しに肥後同田貫の落とし差し、雪駄履き。
並みのごろつきは、近寄ることすら出来ない雰囲気を漂わせている。
しかし、この日は違った。
もうすぐ陽が落ちようとする刻限、勝之助は梅と竹蔵が待つ船宿へと急いでいた。
傍目には、とても急いでいるようには見えない。あくまでも泰然としたものである。
「ん?」
前方、およそ三十間、深編笠の旅僧が七~八人程無言で近づいて来る。
只の旅僧でないことは、既に知れている。腰に帯びているのは道中脇差しではなく長脇差しのうえ、殺気が尋常ではない。
間合い五間、全員を切り倒す絵は出来ている。
勝之助、刀の鯉口をきる。集団の右側をすり抜けるべく、足早になった。
先方、意表をつかれる。
通常、武士は刀の鞘の触れ合いを嫌い、左側通行である。
先方も刀の柄に手をかけている。
右側の男が、狼狽しつつも刀を抜こうとした時には、胴払い一閃、一人目、振り返りざまに右袈裟懸け、二人目、腰を屈め右上へ斬り上げる、三人目。
相手は混乱する、あまりの接近戦で何が起こっているのか分からないのである。
半狂乱になって刀を振り上げた正面の男の喉元を「ぴゅっ」と剣先が目にも止まらぬ速さで走る、四人目。
「は、早すぎる!ど、どうなってるのだ! 引け、引けー!」
全く、刀の動きが見えないうちに、仲間四人が斬り倒される。
先方にすれば、すれ違ったと同時に勝之助を取り囲み、全員で切り込むつもりでいたのだが、
この有様である。混乱を極めるのも無理からぬことであろう。
井坂塾で、勝之助が塾生に教えている刀法は、既存のあらゆる刀法に当てはまらない。
普通では、有り得ない密着刀法である。
「死中に活あり」
身体ごと、ぶつかるようにして斬り上げ、切り下げ、払う、押し切る。場合によっては蹴り倒すこともある。
町道場程度の免許皆伝を受けた者からすれば邪剣であり対処出来ないのである。
しかし、勝之助に言わせれば、これが戦における刀法というものである。
泰平の世の、町道場の剣術などは戦場では何の役にも立たず、片腹痛いのである。
「やあやあ、我こそは・・・」などと名乗り合い、一対一で斬り合うことなど源平の合戦の頃ですら実際にあったかどうか分からない。
現実の死闘というものは前後左右どこから突かれ、斬りこまれるか分からないと勝之助は思うのである。
ある意味、幕末の新選組、近藤勇・土方歳三が用いた天然理心流は、このようなものでなかったろうか。
先方、あまりの出来事に戦意を喪失し、転がるように去って行く。
これは勝之助にとってさほど珍しい出来事ではない。
司馬遷 史記
燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや
勝之助の想いとはうらはらに、勝之助を嫉み、逆恨みをする輩は後を絶たないのである。
井坂勝之助 その11
刺客2
『お手前が、井坂殿か?』
鷹揚なもの言いである。
『いかにも』
『拙者、お手前には何の遺恨もござらぬが、故あって斬らねばならぬこととあいなった。お相手願いたい』
『ほほう、故あって?』
『当方には、何の故もござらぬ。失礼致す』
『待てい!』
『お主、旗本五千石、水野上総之守を知っておろう』
『それが何か?……
ははぁ、旗本奴の水野弥九郎に銭で雇われたか』
『これ以上の問答は無用であろう』
と言うや、抜刀する。
『是非も無い。竹蔵下がっておれ』
相手は正眼に構えたまま動かない。
いや、動こうにも動けないのである。
剣先を上下させ、唸り声を上げる。
勝之助、構えたまま微動だにしない。
一尺ほど引いてやる。
案の定、相手は上段に刀を上げる。
八相の構え。
間合いを詰め、一気に袈裟懸けに切り込んで来るはずである。
竹蔵、固唾を飲む。
張り詰めた緊張が頂点に達した瞬間『きぇーっ!』
上段から振り下ろす。
一瞬早く、勝之助、相手の胴を払う、『どん!』という音。
肋骨のニ~三本は砕かれている。
刀背打ちである。
倒れた相手に、勝之助容赦は無い。
剣先を相手の鼻先に突き付け、ゆっくりと振り上げる、一気に脳天に振り下ろす。皮膚一枚の寸止めである。
相手は、気絶する。
『これで、しばらくは刀を持つことすら出来まい』
竹蔵
『また、一人増えましたな』
勝之助
『うむ、上杉に引き渡すようにな』
『竹蔵、これで何人になる?』
竹蔵
『五十人目に御座りまする』
井坂塾
勝之助、幕府の外様大名取り潰し政策のため、世の中に溢れる浪人の救済に乗り出している。
将軍への直訴、父親への根回しにより、鐘ヶ淵の東北に、5万坪に及ぶ土地を確保し、長屋を建て連ね、浪人の収容施設を作りつつある。
田畑を切り開き、自給自足を基本に据え、各々の才を生かすべく、読み書き算盤をはじめ、剣術、陶芸諸々……
豊漁過ぎて、余ったイワシなどを譲り受け、天日干しの上、粉砕し土壌改良飼料、出汁の素等々に加工する。
江戸市中の料理屋に今や、引っ張りだこの出汁。
全国の貧しい藩からの土壌改良飼料の引合い。取りに来るのであれば、無償提供している。
諸藩からは、それでは申し訳ないと産物を持ち込む。
全国から見学、見物人が来る有様である。
井坂勝之助 その12
湯治
「キュン!」という音が聞こえた時には既に遅かった。
左肩に焼け火箸を押し付けられたような痛みがはしる。
勝之助は、矢の飛んできた方向を注視し、二の矢を警戒したがそれは無かった。
恐らく、すでにその場所には居ないであろう。矢を放った時点で己が居所を知られるのである。一矢必殺を期し狙いすましたものであったろうが矢は逸れた。
この頃になると、勝之助の身を案じ、遠巻きに警護する者が数名いる。
既に捕えられているのかも知れない。
「竹蔵、矢を切るのじゃ」
矢じりには鋭い返りがある為、むやみに抜くと危険である。
「旦那、大丈夫で?」
「うむ、大事ない。しかし、全く殺気に気付かなんだ」
時刻は暮れ六つ少し前、目視で標的を狙えるぎりぎりの刻限である。そこに勝之助ほどの者でも油断があったのかもしれない。
翌朝、塾頭室
「塾頭、失礼致します」
「おお、上杉か、入れ」
「何か分かったか?」
「はい、あの後、警護の者が刺客を取り囲み、捕えようとしましたが自害して果てました。申し訳ありません」
「うーん・・・ただの曲者ではないか・・・ で?」
「はい、昨日来死体を検分し、本日より本格的に背後関係を含めて探索するよう手配を致しております。何か分かり次第報告申し上げます」
「うむ、頼む」
「では失礼いたします」と言って上杉が退出してほどなく、
「旦那お加減は?」と竹蔵が縁側から上がって来る。
「なに矢の一本や二本、どうということもないわ」
「ところで、旦那、上杉様が塾頭は昨今多忙に過ぎる故、この際、箱根に湯治にでも出かけられては如何かと・・・」
「何?上杉が?そうか・・・
たった今、上杉が来ておったがそのようなことは一言もなかったな・・・」
「旦那、上杉様はかようなこと、面と向かって言えるような人ではありません」
「いかにもな」と言って二人で微笑む。
荒んでいた頃とはいえ、勝之助を斬ろうとした男である。
が当時の面影は今、微塵もない。
「よし、上杉の言葉にあまえよう。たしか塔ノ沢に手頃な宿があったな」
「委細承知、手配致しまする。
ところで昨夜の件がはっきりしてからのことで宜しゅうございますか?」
「まぁ、そう気にすることもなかろうが、矢傷も少し癒えてからのことだな」
それから半月ほど経過したが、事件の手がかりは何も無く、またこれと言った事も起こらなかった。しかしこれまでも、妬み逆恨み等で襲われることは珍しいことでは無かったので、さして勝之助は気にしてはいなかった。
それからさらに数日後
勝之助、長旅に耐えられる程度に回復したため、竹蔵と二人で旅立った。
梅がどうしてもついて来ると言うのを振り切るのにはほとほと手を焼いたものである。
また、上杉は船旅の方が疲れないのではと勧めたが、
「道中の世情も見てみたい故、ゆるゆると参る」と言い含めた。
大島はさらに
「せめて馬をお使い下され」と食い下がる。
勝之助は流石に苦笑いを浮かべ
「ならば、よろしく頼む」
竹蔵が轡を取り、日本橋を経て品川へと向かう道中、勝之助は馬上の人となっていた。
そのころ、上杉は井坂塾の精鋭十名を選抜し、勝之助に気付かれぬよう後を追わせた。
前方に小さな茶店が見える。
「竹蔵、しばし休息してゆくか」
二人して緋毛氈の敷かれた縁台に腰掛け、茶をすすりながら、街道を行き交う旅人を見るともなく眺める。
「竹蔵、あれを見てみろ」
竹蔵、勝之助が顎をしゃくる方に目を向ける。
「ほぅ、これはまた伊達者で・・・」
一丁ほど先に、揃いの道中合羽に三度笠、腰にはこれまた揃いの朱塗りの長脇差の渡世人風の男八人が足早に近づいて来る。
旅人が振り返り、また道を譲り、この粋な渡世人の一団に注目する中、
勝之助主従が休息している茶店に勢いよく入ろうとする。
先頭の男が縁台に座る勝之助を横目でちらと見たようであった。
ややあって、その男が勝之助の所へ戻って来る。
「ごめんなすって、井坂様ではござりませぬか?」
腰を屈めて右手を差し出し脇差を背後に回す。
「いかにも井坂でござるが・・・お主は?」
「へぇ、手前、駿州は富士川に産湯を云々・・・」
「よいよい、あい分かった。で、おいらに何の用だ?」
「へぇ、手前これより幡随院長太郎親分がところへ与力に参る道中にて・・・」
「ほう、長太郎が処へな。おいらも長く会ってはおらん。よろしく伝えておいてくれ」
「へぇ、御尊顔を拝しましたること、この上なき誉に存じます。」
「ご尊顔?
そんなたいそうな顔じゃねえよ」勝之助、思わず苦笑する。
この様子を離れた処から見ている修験者二人に、勝之助主従は気付いていない・・・
つづく
帯刀
苗字帯刀は武士の特権といわれているが、幕府は刀剣の所持について比較的鷹揚であったらしい。無論、二本差しとなれば話は別である。
旅人の道中脇差などはその典型であり、道中身を守るためのものである。
但し、刃渡りは二尺以下と定められている。渡世人等が帯刀しているものは長脇差と呼ばれている物で二尺以下であることは言うまでもない。
つい百年程前まで血で血を洗う戦国時代が終わったばかりで自分の身は自分で守るという戦国の風の名残りがあったものと思われる。
これは西部開拓時代、南北戦争を経た米国において未だに銃の所持が合法化されているのと無縁ではないのかもしれない。
また江戸時代になって世の中が平和になり、人口の急増や経済、文化が戦国期の反動で爆発的に発展したため、それらに対処する幕府の治安維持政策が追いつかなかったことが挙げられよう。
井坂勝之助 その13
江戸 幡随院長太郎邸宅
「えっ、それでは長太郎親分はご存知なかったので?」
「ああ、知らねぇ。てっきり井坂塾で静養されてるものと思ってたよ。
腕に矢傷を負ったと聞いて翌日見舞いに行ったんだが、大したことはねぇから心配するな、まあ飯でも食って行け‥と、それきり会ってもない」
「ふーむ、つれは竹蔵さん一人であったか‥そいつぁ物騒だな。勝之助様を射た奴は、警護の者と斬り合うこともせず自害しやがったので何も分からねえ。背後に何者かがいることは間違いねえことだ。
井坂塾でも、探索しているが、めぼしい成果は上がっちゃいねえ。
そこで、とりあえず関八州に情報網を持つ、辰五郎親分に助っ人を頼んだわけだ。
それが、まさか道中、勝之助様に会うとはな・・・」
「へぇ、そのような事情が分かっていたら、対処のしようもあったと思いますが‥申し訳ありません」
「いやいや仁吉さん、こっちも詳しい話は会ってからでもと思ってたからな、仕方ないことだ」
「へぇ、親分からは、おい仁吉、長太郎さんからの文では出入りでは無さそうだ。例によって何かしら情報が欲しいのだろう。
おめえ近隣の親分衆に声をかけて利け者を四〜五人集めてすぐにでも発て‥と」
「さすが辰五郎親分だ、察しがよいわ。
まっ、今日はゆっくりして酒でも酌み交わそう。
で、明日からでも、勝之助様を襲った男の背後を洗ってくれると有難い。
何しろ手がかりがあまり無い。よろしく頼む!」
「承知」
「そこで、これまで分かってることをかいつまんで・・・
その男、髪は総髪を後ろで括っていたらしい。
背丈はそうでもないが、筋骨はりゅうとして武士の体つきではなく手のひらは百姓よりごつごつとしていたとのこと、そして左の二の腕にカエデか八手の葉のような彫物があったらしい。」
「八手‥‥」
「どうかしたのかい?」
「いえ‥‥
分かりました。早速明朝より八方に散って探索してみます」
それから数日後、
「仁吉さん、もう何か掴めたのかい?」
「へい、左手の入れ墨ですが、少しひっかかることがあって、ずっと考えていたら思い出しました。
二年程前に、うちの若い者がよそ者と酒の上のいざこざで刃傷沙汰になったんですが、その時先方の一人が瀕死の状態になり、仕方なく当方で手当てをしてやったんですが、その男の腕にやはり八手らしきものの入れ墨があったんです。その時は、へえ珍しい彫物じゃねえかくらいであまり気にも留めませんでした。
その男は
「すまねぇ、酒の上とはいえ随分迷惑をかけてしまった。すまねぇがこれで水に流しちゃくれねえか」と言って五両もの銭を出しやした。
水に流すことは何でもねえが、この銭は受け取れねぇと突き返したんですが、野郎強引に銭を置いて出て行ったんです。
その時去り際に
「権現の仲間の所に早く戻らなきゃならねぇ‥」とか言ったような気が・・・
それで、すぐにその方面に詳しい連中にあたりましたら・・・
権現というのは箱根権現のことで、そのあたりの修験者集団で八手の彫り物を仲間の証としている連中がいるらしんです。
その者たちが、なにやら天狗党と名乗っていると・・・」
「箱根権現か・・・
関東における山岳信仰の一大霊場であったな。山伏など修験者も多かろう。
それにしても天狗党とはな・・・
こりゃ、一刻も早く勝之助様に伝えなくてはならんな」
井坂勝之助 その14
神奈川宿
「だんな、このあたりは日本橋界隈と何も変わりませぬな」
「いかにもな。竹蔵見てみろ。見事な竹細工じゃ。
このような路上で売るには惜しい代物じゃな」
「誠に手の込んだ立派なものですな。
はては府中宿あたりから来なすったか‥」
勝之助、興味ありげに近づき、
「ご老体、そこに立て掛けてあるのは、袋竹刀ではないようだが‥」
「これは、わしが手慰みに拵えたものじゃが、今では弟子たちがこれを使って剣術の稽古をしておるわ、ははは・・・
ただし、これは鉄芯を抜いてござる。よってかなり軽い」
「えっ、それでは普通は鉄芯が入っていると?‥」
「いかにも、真剣と同じ重さにしておる」
「かなり手のこんだものですな、四つ割りの竹を乾燥、研磨・・・剣尖、柄‥主要な部分は獣皮‥これは立派なもんだ‥」
「何、ここに並べてある竹工芸品に較べれば、何ということもないわ」
「御老体、差し支えなければ名を伺いたい。
拙者は井坂勝之助と申す者でござる」
「はは、名乗るほどの者でも無いが、竹狂斎とでも言っておこうか‥」
※竹刀 打突した時にしなる(しなう)ことから「しない」ちくとうと書き竹刀と読ませたという説が一般的とされている。
東海道府中宿の竹工芸は、江戸はおろか上方方面にまでその名が響いていた。
同所を流れる安倍川沿いは古来良質の竹が採れることで有名であり、付近の古代遺跡である登呂遺跡では、竹で編んだ籠などが発掘されている。
と、その竹細工売りの方へ、
ぞろぞろと地回りのごろつきが浪人体の男二人を従えて近付いて来る。
頭を剃り上げ、額に何やら蜘蛛らしき刺青をした大柄な男が、
「おう、てめぇ誰にことわってこんなところで物売りなどしてやがる!
ここは一文字一家の縄張だってことを知らねえのか!」
竹狂斎
「ここは、天下の往来ゆえ誰の認可も得てはおらん」
「なんだとぉ!こんなしょうも無いものを売りやがって‥」
持っていた棍棒で竹製品を叩こうとして振り上げた瞬間、勝之助がその腕を掴み逆手に捻り上げる。
「あっつつ、痛え!」
勝之助は構わず男をそのまま投げ飛ばす。
既に往来は人だかりが遠巻いている。
浪人者を含め七、八人のごろつきは、慌てて勝之助を取り囲む。
勝之助、一同をじろりと睨め付け、
「命が惜しけりゃやめておけ」
井坂勝之助 その15
「なんだとぉ、もう一度言ってみろ」
「聞こえなかったのか?
やめておけ、無駄なことだ‥‥」
「ふん、皆聞いたか、
てめぇ、どこのだれを相手にしてると思ってるんだ」
「知らねぇな、どこのだれであろうが命が惜しけりゃ止めておけ」
額に蜘蛛の刺青をした男が下卑た笑いを浮かべながら、首領格の浪人の顔を見る。
首領格の男、懐手にへらへら笑いながら、
「おめぇ、何人を相手にしてると思ってんだ」
「ごろごろといるようだが、数える気にもなれんな‥」
蜘蛛男、
「ぬぬっ、言わせておけば!
先生やっちまいましょう!」
「竹狂斎殿、先程の竹刀をお借りしてもようござるか?」
「存分に‥」
勝之助、竹刀を手に取り片手で上から下へ振り下ろす。空気を切る音が凄まじい。
ごろつき共は、一瞬怯み一歩下がったが、
先生と呼ばれた首領格の男、懐手をとき刀に手をかける。
鯉口を切り、すらりと抜き青眼に構える。
ジリっと、勝之助に迫る。
青眼に構えた刀身は、脂が浮きところどころ斑点がある。おそらく錆が出始めている。
勝之助
「おぬし、止めるなら今しかないぞ」
首領格
「何をほざいてやがる。てめぇが土下座して詫びを入れるのなら許してやってもよいぞ・・・フッフッフ‥」
勝之助、竹刀を右手に持ち真っ直ぐ首領格へ向ける。
首領格、一歩後ろへ下がり八相に構え直すが、まだ勝之助の力量は見極められていない。
しかし、斬りかかろうとしても動けない・・・。
勝之助の竹刀の剣尖が、一間程の間合いがあるにもかかわらず、すぐ目の前に見えるのである。
首領格、たまらず右へ回り込もうとする‥
が、剣尖はピタリと眼前に据えられたまま微動だにしない。
額に汗が滲み始め、味わったことのない恐怖が頭をもたげてくる。
野次馬は既に百人近くに増えている。
「相手は竹刀、こちらは真剣・・・
な、何をやってるんだ俺は・・・」
と思うのだが切り込めないのである。
「ええい、ままよ!」
「きえーっ!」
と斬りかかろうとした瞬間、
勝之助の剣尖が男の眉間にとぶ、
首領格の男は一瞬宙に浮くようにして一間程後方へ飛ばされる。
暫しの間、沈黙が続き、
やっと我に帰った野次馬から、わーっという歓声が上がる。
ごろつき共は互いに顔を見合わせ、何をどうしていいのか分からず呆然としている。
と、
「控え、控えーい!
馬のいななきと共に、役人と思しき襷掛けの侍が七〜八人近づいて来る。
井坂勝之助 その16
「その方ら、かような市中で何を致しておる!」
「静まれ、静まれ、控えおろう!」
群衆は、水を打ったように静まり返る。
何事もなかったように悠然と立つ勝之助をしばし見つめていた馬上の主。
「そこもと、もしや井坂勝之助殿では?・・・」
勝之助も暫しの沈黙の後、
「おお、米倉家ご家中の諏訪殿ではござらぬか!
いやいや、ずいぶんとお久しぶりでござる」
「い、いさかかつのすけ‥?
あの井坂? ま、まずい引け引けー」
ごろつき共は脱兎のように引き上げていく。
かろうじて、勝之助の一撃を食らった浪人だけは担いで行った。
「いやあ、何やらご面倒をおかけおしたようで誠に申し訳ござらん」
「何、江戸でも大して変わりはありませぬ」
「これは、これはお恥ずかしい」
「かように見回りは致しているのですが、なかなか手が回り申さん」
※この時代、治安を維持する警察のような組織はまだまだ整備されておらず、地元の狭客などに代用させている。当然の事ながら、その見返りは、多少のことは大目に見るという公儀の意向があり、悪を持って悪を制するということにも通ずる。
これは何もこの時代に限ったことではなく、現代においても敗戦後、警察組織の脆弱性から、やはり狭客を代用している。
関西において戦勝に奢る外国人の暴徒化、暴力的な労働組合の取締りなどにY組などは動員された。
また関東においても、海外からの貴賓の来日の際の治安維持に狭客が動員されていることなどは、あまり知られていない。
そのような事情を鑑みると、現在Y組などの広域暴力団の礎を作ったのは、案外国家なのかも知れない。
「拙者これより神奈川湊の見回りがござるゆえ、これにて失礼仕る。
今夜は是非とも陣屋の方へお泊り下され。
久しぶりに江戸の話などゆっくりお聞かせ頂きたい。では、これにて‥」
と足早に去って行く。
「竹蔵、このまま通り過ぎていくのもかえって失礼にあたるゆえ、諏訪殿の言葉にあまえるとするか」
「へい、かしこまって候」
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