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スナイパー

スナイパー

「ズーッ、ズーッ・・・」テーブルに置かれた携帯が震える。
画面に取引先Xと表示されている。
「もしもし」
「取材を頼む」
「いつだ?」
「来週にも日本を発ってくれ」
「わかった」
矢田淳二、俗にいう戦場カメラマンである。
政府の忠告を押し切って、敢えて危険地帯の取材を行う。

翌週、矢田はシリアの地方都市に降り立った。
そこで、現地案内人を雇い、目的地に向かう。
二時間ほど走った所で、案内人は降りてくれと言う。ここから先は危険すぎると言う。
どうやら臆病すぎる案内人を雇ってしまったようだ。矢田は仕方なく歩くことにした。
小一時間程歩いて、ようやく目的地に着く。
村民数十人の小さな村である。
「ん? 無人なのか・・・」
人の気配は無く閑散としている。連絡はまだ無い。
一軒の廃屋の軒下に腰を下ろし、バックパックの中から携帯食と水を取り出し、遅めの昼食をとる。周囲は風もなく物音ひとつしない。
矢田は、旅の強行軍に疲れた身体を休めるべく柱にもたれかかった。

「おい、起きろ!」
目を開けると、覆面に武装をしたイスラム原理主義者と思われる五~六人の男に取り囲まれている。
男達は口々に何やらまくし立て、そのうちの一人はスマホで矢田を撮影しているようである。危害を加えられることはなかったが、後ろ手に縛られ黒い袋を頭から被せられ、連行された。

米国国防総省の一角の部屋。
MQ1リーパー(無人偵察機)から送られてきた、矢田が拉致される一部始終の映像を見入っていた安全保障担当の女性官僚。
「これで、この男は何回目ですか?」
「三回目です。前回は水面下の交渉で日本政府が五億円出しています」
「今回は十億円程度を要求してくるでしょう。で、矢田に対するキックバックは五%程度なんですね」
「そうです。証拠も押さえています」
「もはや、目こぼし出来ません。日本政府には内密に実行してください」

翌日早朝、米軍基地から特殊部隊(デルタフォース)のスナイパー、観測手、助手三人編成の狙撃チームが中東へ向け飛び立った。

前回、数か月に渡る監禁期間の後、解放され帰国した矢田は記者会見の席上、別に日本政府に助けてもらいたいとは思っていなかったと語った。
国民からは、誰の税金で助けられたと思っているんだ、自己責任で行け!
と反発が出たが、マスコミは一貫して英雄視した報道に終始した。
政府の制止も聞かず、拉致されたうえ血税五億円が支払われたにも拘らずである。

今回の矢田の拉致シーンは、アルカイダ系過激派組織からネット上にアップされ世界に拡散された。
世界各国の報道機関もその映像をニュース番組の中で取り上げる。
日本のマスコミでも、テレビ、新聞で一斉に取り上げられた。
「弱者救済のため、危険を顧みない勇敢な報道カメラマン拉致される」というタイトルが付されて・・・

その頃、矢田は小奇麗な個室を与えられ、通信を制御されるだけで、さながらVIP待遇である。但し、次の撮影に備え髪を切ること、髭を剃ることを禁止され、あまり食べ過ぎないことなどをいつも通り指示される。
前回も牢獄のような部屋で、何週間も放置されていたかのように、入念にメイクアップされた上、撮影された映像が世界中に流された。

「これで、身代金が支払われれば五千万円か・・・まっ、悪くないな」
窓を開け胸のポケットから煙草とライターを取り出し、ロングサイズの一本を口にくわえ、
火をつけようとした瞬間、矢田は後方へ二メートルほど飛ばされた。
頭部を完璧に撃ち抜かれている。もちろん即死である。

その場所から約千五百メートル離れた小高い丘の上、狙撃チームが撤収を終えようとしていた。スナイパーと、風速・風向・湿度・気温等を考慮し修正値をスナイパーに伝える観測手、一部始終を録画記録する助手、勿論この男も万一に備えたスナイパーである。

数十分後、狙撃チームは極低音の高速ヘリの中にあった。
「これで、子供たちを含めた数百人の命を救うことになるになるな・・・」
「いや、金額的には数千人だろ」

数日後、ネット上には、解放交渉が成立せずテロ組織に殺害された模様。
といった記事が配信された。

                               完


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