わが青春想い出の記 34 妻よりの手紙

 東京を発つその日の早朝、航空便の速達で洋子から手紙が来た。
「今日届いた手紙が留学中の最後の手紙かと思っていました。それで「もう手紙も書けないし、つまんない」と言ったら、兄は「航空便ならまだ間に合うよ。船旅も長いし、船では退屈しているだろうからいくらか長いおのろけ手紙を書いても喜ぶだろうよ」と、言いました。少し癪にさわりましたが、やはり兄は利口だと思いました。そういうわけで、今日は、思う存分いろいろと書いてあなたをいっぱい悩まそうと思っています。
 
 写真を見るといくらか痩せたように見えますがもう大丈夫よ。私がついています。本当に丈夫でよかったわ。昨日も兄と母は私を前にして、結婚式のことをいろいろと話していました。
「式は簡単にするが、見劣りしないようにするぞ」などと話しておりました。私は赤い顔をして聞いていました。
「それでいいだろう」と、兄が言うので
「ええ、何でもお任せ致します」、と、言っておきました。すると兄は何と言ったと思います?。
「式の中味より早く逢いたいだろう?」だって。憎ったらしいのよ兄ったら。
 
 あなたのお父さんともそのことを話し合われているようです。あなたのお父さんもそのようなお考らしいのです。それで私は昨晩、結婚式当日のことを想像してみました。あなたはきっと気むずかしい顔をするだろう思いました。私はうつむいていることに決めました。それからあと、一緒にどこかへ行こうとも思いました。どこに行くかそれは知りません。あなたが連れて行くところなら何所でもかまいません。あなたに全てお任せします。よろしくお願い致します。
 
さて、私はもうすぐ佐々岡洋子から川島洋子になります。川島洋子と申します。どうぞ末永くよろしくお願い致します。あと5日ですね。あと5日で会える。そして私はあなたのものになる。早く、早くそうなりたい。こうなったら5日という日は一時間で過ぎて欲しいと思います。
 
 高校時代の先生がこの3月で定年退職されました。その謝恩会が3日前にあり、私も時間潰しに出て来ました。集まったクラスメートは23人。その内7人は結婚していました。その中の一人が私の所へ寄ってきてこう言いました。
「洋子結婚したの?」。
「いいえ、まだ」と、私は言いました。
「あなたは今でも独身主義?」と、そばにいた悦ちゃん(島尻悦子)が聞きました。
「ノー」と、済ました顔で言うと、周りの皆が笑い出しました。
「いい人がいるの?」と、聞くから、私が黙っていると
「川島さんでしよう?。私2人が一緒に楽しそうに歩いているところを見たわ」、と和ちゃん(国吉和子)が言いました。これにはさすがの私も困りましたが、そこはあっさりと
「ええ、もちよ」と言い返してやりました。すると
「川島さんって大学生でしょう?」野原節子が言ったのを皮切りに、
「わー、凄い」とか
「洋子は学士さん婦人になるんだ」とか
「お似合いねー」、「いつ結婚するの?」と言う者まで出てきたかと思うと
「何所で知り合ったの?」とか
「きっかけは?」
「誰からプロポーズしたの?」、
「何と言った?」
「いまどこにいるの?」
などなど、散々な目に会いました。
さらに隣のデーブルの輪でもその話題になり、
「川島って?」。
「あら、N高校でスポーツの出来た」
「あ!、知ってる、知ってる。えっ!、あの方と、すてきー、私、だーい好き」と、誰かが大声で言うと、会場のみんながどーっと大笑いした。おかげで私は愉快になりました。そしてあれこれ言われても、至って平静心でいられたのはそれだけ心臓が強くなったのね。これも誰かさんの影響ではないかと思いました。
実際、この頃の私は昔の私ではなくなって来たように感じるの。あなたはいつか、「洋子は僕にとって目の上のタンコブだった」と話したことがあったわね。それは私にとっても全く同じだったわ。私も、勉強、スポーツともあなただけが目標だったわ。あなたにだけは負けたくなかったわ。だからあなたが行きそうなところ、読みそうな本は何でも先に読もうと友人にも協力してもらいながら必死だったわ。
 
 洋裁も少し上手になってきています。先生も質がいいと言ってくれます。お世辞には違いありませんが、そのまま終るには惜しいと言ってくれます。もっとみっちりやると洋裁でご飯が食べられるそうです。しかし私はそううまくなりたいとは思いません。時間潰しにやっているだけだからです。この手紙を読む頃にはあなたは船の中でしょうね。船では退屈でしよう。船は少し位揺れてもいいから遅れないようにおたのみします。少しだけあなたを苦しめて上げたい。でもこれは嘘、嘘、嘘です。
私の大事な、大事なあなたを苦しめる者がいたら、私は天使となって、いつでも、どこへでも駆けて行ってその者と戦います。洋子は偉いでしょう。私はあなたがお帰りになれば、ほんとに明るく朗らかでいい女になると思います。私は何もかも幸福です。ただあなたがここにいないのがいけないのです。だがもう少しで帰ってくる。あと5日で帰ってくる。その日が一秒、一秒、一分、一分と近くなるのは事実です。うれしい。
 
私は那覇まで行って迎え、そして一緒に帰る時のことを考えています。船の中ではいくらお話してもつきないと思います。うるさい程お世話をやいてあげます。
私はそれを考えると自分ほど幸せ者はないように思います。ここまで書き終えると兄があなたからの手紙を持って来てくれました。私はお手紙を読んでうれしくなり、その手紙を懐にしまい込んで宙返りをやりました。そして胸のポケットから再び取り出してもう一度読み、うれしさのあまりまたまたでんぐり返しをしました。
バンザーイ。ねえー、どうして私のような者をあなたはそんなに愛して下さるの。私は本当に幸福よ。バチが当たらないかしらと怖いくらい幸せよ。
 
そうそう、この間、あなたのお母さまが私の年まわりをお調べになったら、今年の早いうち、それも盆の前に式をあげた方がいいそうで、そうしたいと思うが君の考えはどうかと兄に聞かれました。
「私には異存なんかありません、万事お任せします」
と、言いましたら、何でも皮肉を言わないとおさまらない兄は、
「いやにあっさりしているな、女はもっと気まりわるそうに、恥ずかしそうにするものだぞ」
と、言われました。
 
私はいよいよあなたの妻、お帰りをお待ちしております。この頃は那覇という字がいやに目につきます。ほんとに船が遅れないように、海が荒れないように、風が吹かないように、ただただ、それだけ祈っております。私、本当に幸せです。それでは那覇で会いましょうね。
   あなた様                        妻                                                  
 
 
 
 

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