わが青春想い出の記 9 演劇 川島智
当日はついにきた。各自の近況報告やら、将来の希望を語り合った後、余興が始まった。
歌を歌う人、踊りを踊る者、簡単な手品を披露する者があり、そのいずれもがどこで習ったのか、練習したのか上手だった。それらを見ると自分は洋子の出し物が近づくにつれ心臓がドキドキ騒ぎ出し、楽しみ処か苦しみになった。へんに恥ずかしくなり、余計なことを頼まなければ良かったと思ったりしていた。
いよいよ洋子の出番になった。自分は洋子から演出する劇の内容までは聞いてなかったが「お転婆娘」の題がつけてある。
開幕のブザーが鳴る。
幕が開くと、舞台中央にお母さん役の女性が一人お経をあげている。
ナンミョ・・・・・、ナンミョウ・・・・・。
すると奥の方でガタンと言う大きな音がした。
「また始まった。あんな困った娘はありやーしない」。
お母さんはそんなことを言いながらもお経をあげていると、すると今度は何か倒れたような大きな音がした。
「勝子や、勝子。、何をしたのです」
お母さんは大声で怒鳴った。
すると勝子役を演じる洋子が奥で、
「何もしませんよ、猫がネズミを追いかけ回っているよ」。
「今時分ネズミが騒ぎますか」
洋子が襖から顔をだして、
「それは騒ぐわ。お母さんがお経をあげるとネズミがよろこんで踊るのよ。それを猫が追い回す。不思議だわねー」。
洋子の顔は少し滑稽に作られていたが、それがまたへんに美しかった。
「馬鹿なことおっしゃい。それよりもう3時ですよ。お琴のおさらいおしなさい」
「はい」
勝子は傍らにある琴を弾き始める。仲々うまい。みんな感心して見ている。
するとお母さんは、
「私、ちょっと用があって出かけるから、留守の間、おとなしくしているのですよ。こないだのように私の留守に逆立ちしたり、デングリ返りしてはいけませんよ」
「はーい。ところがお母さん、私、来月の同窓会でお友達と逆立ち競争をしなければならなくなったの。負けた方が、ケーキと紅茶をおごらなければならないの」
「ケーキや紅茶なんかおごったって知れたものじゃーないか」
「ところが多勢におごらなければならないのよ」
「多勢って何人だい」
「40人」
お母さんはひっくりかえるように驚く。
「だってクラスの皆におごることに約束しちゃったの」
「そうかい。それだってお前は大丈夫勝つだろう」
「大丈夫勝つと思うのですが、敵もさるもので、逆立ちして50メートルも歩くのよ」
「お前は」
「私はせいぜい30メートル」
「それじゃーお前負けるじゃないか」
「ところが相手はデングリや宙返りが出来ないのよ。それで10メートルだけ私が歩くことになっているのよ」
「大丈夫かね」
「あぶないわ。相手の方はお母さんも逆立ちの名人だったので、毎日お母さんと練習しているそうよ。うちと反対よ。だから私、負けるかもしれないわ」
「それはたいへんだ。それなら琴のおさらいはどうでもいいから逆立ちのお稽古おしよ。40人じゃーたいへんだからね」
「いまから練習すれば大丈夫よ」
「それならもう練習おし。何をぐずぐずしている。早く始めなさい」
「ちょっと支度してくるわ」と退場。
母「40人、40人とはまたとんでもない約束をしたもんだ。こうしてはいられない」自分も鉢巻をする。
洋子はパジャマを着てくる。それがまた僕にはとても可愛らしく見えた。
皆も喜んで見ている。
しかしいざ逆立ち歩きをやるという時になるとへんな気持ちになったが、洋子は無邪気にやって歩き出した。
母は、「うまい、うまい」と拍手し、少し立ち止まったり、危なくなると「しっかり、しっかり」といった。皆も笑った。
友人の一人が、「あれはプロかい」と聞くから
「いや、素人」だと言った。
洋子は
「ああ、くたびれた」といった。
母は、
「大丈夫かね。負けては本当に困るよ」だが、馬鹿なことを約束したものだね。
「断ったらどうなのだい」
「だって女ですもの。女の一言、男の一言に負けては癪だわ」
「それならどうしてもやるのかい」
「やります」
どうせやるなら立派におやり」
「ええ、立派にやりますわ」
その人、デングリ返りは出来ないのかい」
「今、一生懸命に練習しているそうですから、出来るようになるかも知れないわ」
「それは大変だ。お前出来るのかい」
「出来ると思うわ。だけどいつかお母さんに怒られてからしてないからわからないわ」
「ひとつやってごらん」
「やってもいい?」
「いいとも」
「それならやるわ」
洋子がすばやくデングリ返りをする。
「うまい うまい」
母よろこんで手をたたく。
かくして小芝居は大喝采の中に終わった。