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底なしの繁殖力で日本列島にも迫る危機!? 東大総長賞受賞の”アリハンター”研究者による『世界を支配するアリの生存戦略』から「はじめに」を公開

善良なる働き者から恐るべき害虫へ。「アリとキリギリス」のアリの牧歌的なイメージは今や昔、近年ではヒアリなど外来アリの侵入が日本列島を脅かしつつある。中でも圧倒的な繁殖力で知られるアルゼンチンアリ。地球を支配するその驚異の生態を”アリハンター”の著者が描いた『世界を支配するアリの生存戦略』。8月20日発売の本書より、「はじめに」を公開します!

変容するアリへの認識

 読者の皆様は「アリ」に対してどのようなイメージを持っているだろうか?  子供の頃、アリとキリギリスの童話を読んで、アリは働き者という良いイメージを抱いた人が多いのではないだろうか。野外で巣穴に水をかけたり、木の枝を差し込んだり、歩いているアリをつぶしたりして遊んだ人も多いだろう。こうしていじめられるアリは弱く、けなげな存在だ。小学校の自由研究で、つかまえたアリ数匹をケースに入れて巣を作らせ、行動を観察するというのも人気で、アリは他の昆虫にない知的な社会行動をする印象だ。一方、アリが家の中に入ってきて食べ物にたかり、アリの巣コロリなどを使って駆除した経験を一度や二度経験したことのある人もおられるだろう。しかしそれはしょっちゅうではない。そのため、基本的にアリは無害なイメージだろう。今から5年、10年前であれば、このようにアリは好感度の高い虫であった。
 しかしここ数年、日本の社会におけるアリの認識が変わってきている。インターネットの検索エンジンで「アリ ニュース」と入力すると、従来のようにアリの興味深い生態についての話題は約半数で、残り半分は海外からやってくる「外来アリ」の侵入や被害に関するものが上位を占めるようになっている。特に話題となったのは2017年に神戸港で発見されたヒアリで、このアリは人を刺す「殺人アリ」のように報道され、その後も新たな侵入が見つかったとか、関係閣僚会議が開かれた、別の新たな外来アリの侵入が見つかった、といったニュースが続いた。2022年には大阪伊丹空港へのアルゼンチンアリの侵入と近隣住宅地における家屋侵入・家電製品被害も話題となった。
 こうした情勢から、私たちのアリへのイメージは、善良なる働き者から恐るべき害虫へと変わってきている。アリとキリギリスの話で、餌を乞うキリギリスを門前払いするアリを冷たいな、と感じなかっただろうか。そう、アリは身内(巣の仲間)には優しいが、他の生物には冷酷無慈悲な生き物なのだ。そして外来アリは、働き者ではあるのだが、成功しすぎて大繁殖し、人間を含めた他の生物に対しこれでもかと容赦なく害をなす、悪い働き者なのである。その外来アリが、ニュースで取り上げられているように、我々の生活のすぐそばに迫ってきている。
 しかし、報道されることは、どうしても導入的なことや表面的なことにとどまってしまう。外来アリの何がすごいのかというと、じつは毒針ではない。アシナガバチやスズメバチの方がもっと強大な毒針を持っているし、より猛毒の危険生物は他にもっといる。しかし、これら危険生物は個体数が少なく、私たちの生活の中で遭遇頻度が比較的低いので、通常はそこまで問題にならない。
 外来アリのすごさは、普通のアリにはない社会性を進化させることによって得られた底なしの繁殖力にある。普通のアリは一つひとつの巣が独立したコロニーになっているのだが、外来アリは「スーパーコロニー」という無数の巣が相互に連携しあう巨大なコロニーを作り、超効率的な社会活動を行うのだ。また、外来アリは人工的な環境にもよく適応し、私たちの生活圏内に入り込んでくる。そしてその頂点を極めたといえるのが「アルゼンチンアリ」という種である。
 アルゼンチンアリは名前から想像される通り南米原産のアリで、数百、数千キロメートル規模に及ぶ世界最大のスーパーコロニーを作る社会性昆虫として知られる。すでに世界五大陸に侵入しており、世界の侵略的外来種ワースト100に数えられるほどの問題となっている(Lowe et al.2000)。外来アリの問題は日本ではようやく大きく報道されはじめるようになったところであるが、実はすでに日本にも侵入しており、2000年頃から一部地域で被害が顕在化して侵入地域の住民や行政機関、専門家を悩ませてきた。本種は毒針こそないものの、異常なまでの増殖力を持ち、帯状の行列で住宅まわりを包囲し、毎日のように屋内に侵入して食品に群がったり、寝ている人の体を這って安眠を妨害したり、電気製品に入り込んで不具合を起こしたりする。それはもう、被害地の住民がノイローゼになるぐらいに。
 外来種は侵入後20年ほど経つと指数関数的に分布が拡大していくという報告があるが、今まさにアルゼンチンアリはこの時期を迎え、上記の伊丹空港周辺をはじめ次々と新たな生息地が見つかっている。また、ヒアリが亜熱帯寄りの気候を好むのに対しアルゼンチンアリは地中海性、温帯性の気候を好むので、日本の多くの地域はアルゼンチンアリのどストライクゾーンなのだ。冷涼な北海道にも侵入事例があり、無関係ではない。そこで本書ではアルゼンチンアリを代表例としながら世界を席捲する外来アリの驚異的な生存戦略を解説する。
 筆者は昆虫学者である。2005年に大学の学部4年生として研究室に配属されたとき、アルゼンチンアリを研究対象に選んだ。国内外でスーパーコロニーの研究を行い、詳しくは第3章で述べるが、人間活動によって世界を放浪する運命となりながらも各地に適応して何十世代もかけて巨大な社会を築き上げてきた歴史を知り、悪者外来種というより1つの生命として畏敬の念を覚えた。
 しかし一方で、山口県岩国市にて防除法の研究も行い、現地の方々から大きなご期待と温かいご支援をいただいた。このことがきっかけで、自分の専門が誰かの役に立つ喜びを知り、2011年に博士号取得後、民間企業に就職して8年間、様々な生活害虫を対象に殺虫剤の研究開発に従事し、外来アリ関係では国のヒアリ対策にも貢献した。この間アルゼンチンアリへの興味は消えず、プライベートで生態調査のかわりに写真撮影を始め、その趣味が高じて大真面目に写真作家としての活動も行い、世界五大陸を旅して撮影したアルゼンチンアリの写真展を企画開催いただいたりもした。
 2019年からは森林総合研究所という研究機関に転職し、離島の樹上性外来アリ駆除剤を開発。この駆除剤が大変好評で、アルゼンチンアリへの展開のニーズを受けてアルゼンチンアリの学術研究に舞い戻ってきた。と思いきや2023年からは省庁に出向して行政施策の仕組みや社会問題への対応方法を学んでいる。世界を放浪するアルゼンチンアリのごとく転々としているが、アルゼンチンアリは筆者にとって生態、駆除の両面で関心が尽きず、産官学民どのような立場になっても半生をかけて追い続けてきた特別な存在である。
 以上から、本書の構成はこうである。
 まず、第1章の残り部分では代表的な外来アリの拡散状況と被害を概説する。次に第2章では、アリの社会性の進化について丁寧に解説した上で、外来アリがつくる社会の特徴と、成功者に共通する生態を示す。社会性の進化について、まだ教科書に載っておらず一般に知られていない、近年最も支持されている学説をしっかり説明する。そして第3章ではアルゼンチンアリの超巨大社会と日本への侵攻状況を具体的に紹介する。続く第4章では筆者が海外で実際に見てきたアルゼンチンアリの実態を、苦労話も交えながら紀行文的に紹介する。最後に、第5章では広い視点での外来種対策論から始まり、外来アリの具体的な防除方法までを解説する。特に、最近の革新技術である「ハイドロジェルベイト剤」や、業界を熟知した著者のオススメ薬剤といった踏み込んだ内容を盛り込み、難しいと言われる外来アリ防除に対しサステナブルな処方箋を提示している。

著者プロフィール
砂村 栄力
(すなむら・えいりき)
昆虫学者・写真作家。1982年東京生まれ。東京大学大学院にて外来種アルゼンチンアリの生態および駆除に関する研究を行い博士の学位を取得(東京大学総長賞受賞)。その後、住友化学株式会社での殺虫剤の研究開発を経て、現在は国立研究開発法人森林研究・整備機構 森林総合研究所にて害虫の駆除研究に従事(林野庁出向中)。アリやカミキリムシを専門とする外来生物などを材料に、生態の記録や美術作品の制作を行っている(田淵行男生写真作品公募 アサヒカメラ賞受賞)。日本自然科学写真協会会員。東京大学非常勤講師(昆虫系統分類学)。共著に『アルゼンチンアリ 史上最強の侵略的外来種』(東京大学出版会)、『アリの社会:小さな虫の大きな知恵』(東海大学出版部)などがある。本書が初の単著となる。


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