最初の備えは「よきホームドクター」〜文春新書『ペットロス いつか来る「その日」のために』より① 伊藤秀倫〜
グリーフケアを知るホームドクターの重要性
「私はよく獣医の皆さんに、ペットが亡くなった後でも『病院においでください』と言える動物病院であってほしい、とお願いするんです」
そう語るのは「動物医療グリーフケアアドバイザー」として、全国の動物病院の医療関係者を対象にグリーフケアの講習などを行っている阿部美奈子氏だ。獣医師でもある阿部氏は、ペットを亡くした人が最初にその悲しみを打ち明ける第一候補者として、そのペットが最後にかかっていた動物病院の獣医師や愛玩動物看護師が理想的、と話す。
「飼い主さんに亡くなったペットを病院に連れて来てもらって、獣医師や看護師が『待ってたよ』と声をかけて優しくブラッシングをしながら、綺麗にしていく。それだけでも飼い主さんはだいぶ救われます。ただ現実には、そこまでやっている動物病院は多いとは言えないし、中にはグリーフケアについてほとんど勉強していない獣医さんもいます」
ほとんどの場合、ペットが亡くなる直前は、動物病院に通い詰めることになる。私自身も経験したが、この段階から「本当にこの子がこのまま亡くなっちゃったら、自分はどうなっちゃうんだろう」とペットロスの予兆を明確に感じるようになる。
「それを『予期グリーフ』と言います。これはペットと暮らす限り、常に付きまとうもの。それでもペットが元気なうちは、彼らが幸せそうに生きている姿を見るだけで『ああ、大丈夫だ』と飼い主も自然と癒されます。つまりペットによってグリーフケアされるんですね。ところがペットが病気になったりすると、ペットからのグリーフケアが受けられなくなり、予期グリーフがどんどん大きくなってしまう。これを一人で抱えてしまうと“沈没”してしまいます。だからホームドクターの存在が重要になってくるんです」
よきホームドクターを見つけることは、ペットが生きているうちにできるペットロスに対する最初の“備え”と言えるだろう。
ペットを「病気ちゃん」にしてはいけない
では、その「よきホームドクター」をどうやって見つければいいのだろうか。
「もっとも重要なことは、その動物病院に飼い主さんとペットのグリーフをキャッチしてくれる人がいるかどうか。獣医師はもちろん、看護師でも受付係でもいいので、“この人は本当に動物が好きなんだな”という人材がいれば、その動物病院は単に病気を診てもらうだけではなく、生きるパワーをもらえる場所になります。逆に、病気は診るけど、飼い主さんやペットの心の状態には気付かないようなドクターは避けるべきだと思います」
「飼い主さんにとって、その子は『〇〇ちゃん』という唯一無二の存在であるはずなのに、いったん病気のレッテルが貼られると、飼い主さんの中で知らぬ間に『病気ちゃん』へとすり替わってしまうことが非常に多いんです。そうなると、とにかく病気を治すために、点滴してあげなきゃ、嫌がっても薬をあげなきゃ、ごはんをあげなきゃと獣医の指示を守るのに必死になって、その子が本当に望んでいることからかけ離れたことばかりしてしまう。いつしか飼い主さんから笑顔が消え、そのネガティブな空気は、その子にも必ず伝わります。するとペットは『自分が何か悪いことをしているのではないか』と考えて、落ちこみます。これは飼い主さんとペットの双方にとって不幸な状態ですよね」
言うまでもないことだが、ペット自身は身体の不調は感じていても、病名や治療方針などは知るはずもない。これまでできたことができなくなり、客観的には死へと向かっていても、それを受け入れながら、最期の瞬間までまっすぐポジティブに生きていく。
「ペットにとって飼い主さんと暮らす家(ホーム)は、安心してリラックスした日常を送ることができる場所なんです。ですから特に終末期における治療は、その変わらない日常を送るために妨げになるもの、痛みだったり、不快感とかを鎮痛剤や鎮静剤でとってあげるだけでいい。ホームでぐっすり寝れるようにしてあげることが一番大事なんです」
ペットロスが重くなりやすい人
飼い主の中には終末期にさしかかったペットを「点滴も投薬も、家では何もしてあげられないから」と言って、ずっと動物病院に入院させておく人もいる。だが、これはペットのことを考えているようでいて、その子が本当に望んでいること──住み慣れたホームで飼い主と一緒に穏やかに過ごす──からは外れてしまっていると言わざるを得ない。「実は『飼い主としての責任感が強い人』ほど、ペットロスは重くなりやすい傾向があります。獣医に指示されたことを100パーセント実行しようと頑張っちゃう人ですね。もちろんすべては病気を治すためではあるのですが、どんなに頑張っても死は避けられません。そしてその子を亡くした後で蘇ってくる記憶が、その子の最期の苦しそうな光景──嫌がるのを押さえつけて点滴したとか、苦しそうだったのに無理やりご飯を食べさせたとか──ばかりだったというケースが少なくありません。『この病院を選んだのも治療を選んだのも自分だ。もっとこの子のことを考えてあげればよかった』と考えてしまい、さらにペットロスが長期化してしまうんです。ペットが本当に望んでいることを、コミュニケーションの中で引き出せるのは、飼い主さんだけ。獣医ではなく、自分こそがその子の世界一の理解者であることを忘れてはいけません」
それをサポートするのが、いいホームドクターの条件ということになる。
「いいドクターは、治療後にホームに戻ったその子が快適に過ごせているかどうかを一緒に考えてくれます。ともすると『病気ちゃん』目線に陥りがちな飼い主さんをそれとなく、本来あるべき『〇〇ちゃん』の目線に戻してあげる。飼い主さんにとっては、ドクターの指示で食事や投薬などを変えたとき、もしペットが嫌がったり抵抗したりするようなら、すぐに病院に戻って相談できるような関係性をドクターと築くことが大事です」
(ペットロスが重くなりやすい人の特徴や、最後の時間の大切さなど、獣医さんなど現場の方々へのインタビューが続いていきます。つづきはぜひ、本書を手にとってみていただけたら幸いです)
目次
第1章 「ペットロス」とは何か?
第2章 最初の〝備え〟は「よきホームドクター」
第3章 実録・私のペットロス
第4章 ペットロスアンケート 45人の「物語」
第5章 最後の〝備え〟は「お別れのセレモニー」
第6章 ペットを亡くしたら花を飾ろう
第7章 アメリカにおける「ペットロス」最前線
第8章 上沼恵美子さんの場合
第9章 壇蜜さんの場合
第10章 悲しみを和らげる方法はあるのか?
第11章 新しいペットを迎える
(プロローグ「号泣する準備はできていなかった」より)
ペットを飼っている人で、いつか来る「その日」のことを考えない人はいないだろう。自分もそうだった。だが、いざ「その日」を迎えてみると、予想していたはずの衝撃に、ほとんど何の備えもできていなかったことを思い知らされた。
ミントが亡くなって2日後のことだ。冷蔵庫を整理していた妻が「こんなの買ったっけ?」と手にした「カブ」を見て、反射的に涙が出た。それはあの日、スーパーで買ったカブだった。ミントの食欲が衰え始めたとき、犬用の自然食の製造・販売を手掛けている友人に相談したところ、「『カブのすりおろし』がいいんじゃないかな。そういう状態でも、それなら食べられるという子もいるから」と言っていたのを思い出して、カゴに放り込み、続いて精肉売り場で「大好きな鶏ナンコツなら食べられるかな。それとも目先をかえてラム肉にするか」などと考えていたときに、ミントは旅立ったのだ。この10分のロスのせいで、最期の瞬間に立ち会えなかった──。
カブを見て泣きながら、そんなことを一気に思い出した。思い出したから泣いたのではなく、身体が勝手に反応して涙が出た、という経験は初めてだった。四十すぎの男がカブを見て、しゃくりあげる姿に自分で戸惑いながら、「これはマズい」と思った。号泣する準備はできていなかったのだ。
これが「ペットロス」というものなのだとすれば、事前に思い描いていたものとは全く違う。何となく日常生活でミントの不在を感じるたびに寂しくなるのだろうと想像していたが、実際に我が身に起きた心と身体の反応は、自分で制御することが不可能なほど激烈で、空恐ろしい気すらした。
(略)
「ペットロス」とはいったい何なのだろうか。その衝撃を和らげる方法はあるのだろうか。そもそも「ペットロス」を乗り越えることは可能なのだろうか。
疑問は次々と湧いてくるが、インターネットで調べてみても、なかなか自分が必要としている情報には辿り着けなかった。この経験が本書の出発点である。
●伊藤秀倫(いとう・ひでのり)
1975年生まれ。東京大学文学部卒。1998年文藝春秋入社。「Sports Graphic Number」「文藝春秋」「週刊文春」編集部などを経て、2019年フリーに。ヒグマ問題やペットロスなど動物と人間の関わりをテーマに取材している。現在は札幌在住。
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