生成方法の確立
原料の事をいっつも考えていて、ずっと試したかった生成方法がある。
「とにかく精製しない」
コレ。
私の器作りにおいて、石そのものが純粋であるという考えが先ずありそもそも「精製」する必要がない。
私が欲しいのは磨きぬかれた有田の
「純米大吟醸」ではない
米そのものの味「純米」いや、それよりもっと...そう
「どぶろく」なのだ。
何も引かない足さない濾さない米と水だけのお酒。
石そのものを形にしたいから手間暇かけてこんな事をやっている。
焼物において「どぶろく」の方が「純米大吟醸」より手間暇かかる不思議。
石そのものを器にする難しさがそこに隠されている。粘土作りだけで見れば、粘土屋さんの特上粘土などその極みでとてつもない労力と精製技術の上に成り立つ究極の粘土で、私の粘土など...。ただ、その後の工程と仕上がりに求めるものの違いが、純白の器なのか私の器のように濁っているのか。陶石の中には確かに焼物に不向きな成分も混ざっている。そういうのを取り除いていけば作りやすくもなるし歩留まり(成功率)も良くなる。色も白くなるしピンとする。しかしどうだろう?そうやって取り除かれた成分は何かに利用されるのだろうか?私の知るところでは「ナイ」その成分のものを別で利用出来る形にする為には膨大なコストもかかるしCO2も増える。そこまでして再利用をするべきなのかは分からない。でもそうやって取り除かれる成分は通常、元の原料に対して3~4割になるだろう。3~4割棄てるなんて考えられないじゃないですか。そんな事。それが嫌だからなんとか石の全てを形にしたいそうする事で大変になることはわかってはいるものの。
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