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人生百年、退職後の生き方、タイ国で半年暮らし3ヶ月のヨーロッパ旅行目指す

東南アジアで、半年間生活し貯金をして、3ヶ月のヨーロッパ旅行を目指す

退職後、3回のフランス旅行と骨董品購入で退職金がどんどん減ってゆき念願のヨーロッパ旅行を楽しめなくなりました。貯金を減らさず、年金だけで生活し、移住先探しのヨーロッパ旅行をする方法を考えました。

物価の安い東南アジアで6ヶ月の節約生活をして3ヶ月のヨーロッパ旅行をするというパターンを繰り返せば貯金を減らさずに済むと考えつきました。
そして2005年の5月末にタイ国に下見旅行に出かけたのです。
雨季に入って間もないころです。鮮やかの緑の中に燃えるような深紅色の火炎樹の花が咲き誇っているのが印象的でした。
火炎樹の花の時期に妻との出会いがあったのです。上の写真をご覧ください。

成人してから42年間未婚でいた理由、そして運命の糸に手繰り寄せられるようにしての結婚

成人してから42年間、結婚しなかったのです。たびたびの海外旅行等を楽しんでいる私の独身貴族ぶりを見て、周りの人々は、独身主義者だと思っていました。いろいろ世話になった兄夫婦でさえ、そのように思っていたのです。
しかし、私には結婚願望があり続けていたのです。社会科教師の私は,日本史資料集に載っている久隅守景の夕涼み図(夏の日の夕方、夫婦が庭の棚の下で休んでいる図)を見ては羨望の念に駆られ、ひそかに深い、深いため息をついていたことには誰も気が付きませんでした。
フランスの画家シャルダンが描く、家庭の主婦が幼い娘たちに食べさせている絵を見てはこのような温かい家庭の中に身を置くことはこれからもないだろうとため息をついたことも誰にも知られることがありませんでした。
30代後半のころ、私の母は熱心に結婚を薦め、見合いも何度かしたのですが、結婚したいと思う人に出会うことがなかったのです。
成人してから42年間、結婚願望がありながら未婚で過ごした理由は複数あるのですが、一番、大きな理由を一つあげておきます。私が結婚したいと思う女性のタイプは大変、限定されています。
しかも結婚適齢期を過ぎても妥協することはできません。
周りの人たちは結婚する気がないと思い込み、私自身も半ば以上結婚をあきらめかけていたのです。
ところが、一発大逆転、タイ国の地で私の夢が花開くことになったのです。

ランの花

62歳の時、タイ国に来て、知人の紹介で40歳年下のタイ人女性と見合いしたのです。この女性の外見は、まさに理想のタイプの人であったのです。
細身、細面で色白で目が大きい娘でした。小柄な女性で実際の年より3から4歳は若く見えたというか子供っぽっく見えたのです。
私が支えてあげなければという風な思いを抱かされる娘だったのです。
これが、結婚できる最後チャンスであると思い、私にできるせい一杯のアタックをしたのです。そして成功した。
30年前に、ほかの思惑を一切捨てて、好きな女性に向かって何も考えず猪突猛進しておればなあと考えました。
大学生になった19 歳の時、親元を離れ、一人の生活が始まったばかりのころホームシックになりました。夕方、住宅が立て込んだ小路を歩いていると食器の洗う音とか家族で話している音などが耳に入ってきます。たまらなく兄弟姉妹7人のにぎやかな我が家が恋しくなったのです。
「今、寂しいからと言って巣立ってきた温かい古巣に戻ることはできない。できるだけ早く自分の家庭を作ればよいのだ」と自分に言い聞かせたのをおぼえています。
その時から43年たってようやく、自分の家庭を築くことができたのです。
我ながら、あきれ返るほどの晩成ぶりです。
大器晩成ではなく。ようやく多くの他人と同じことを成し遂げたのですから中器晩成です。 





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