小説学校犬タロー物語,総集編
前書き
ノンフィクションの「皐月タロー物語」と、フィクションの「小説学校犬タロー物語」について
このサイトの管理者である私にはノンフィクションの著書があります。2004年に松本市の郷土出版刊行の「皐月タロー物語」です。私は学校犬タローの世話係を7年間続け、生徒たちから「タローのお父さん」と呼ばれていました。
教員退職後に私は実家に寄寓していた時、郷土出版の神津社長にタローについての本の執筆を依頼されたのです。
執筆を依頼された理由
私が退職した2002年にタローは波乱に富んだ17年間の生涯の幕を閉じたのです。
学校では文化祭準備中のことでした。.「タロー死す」というニュースを受けた生徒会幹部の生徒たちは、動物病院から帰ってきたタローの遺体を体育館に安置し、生徒会葬を即座に実施したのです。
文化祭準備期間中で、学校は生徒会中心に動いていためもあり、生徒会葬を自主的に計画し、実施されたのです。
体育館入り口には葬儀委員長に相当する生徒会長をはじめとする幹部が並び,会葬者を迎えたのです。タローに最後の別れをするため数百人の生徒職員が訪れました。タローに別れを告げるために並んで列を作っていた中に校長先生もおられたのです。
生徒会葬の後、女生徒と学校犬のタローとの、温かい心の交流を知った石材店の主人がタローのお墓を寄付してくれたのです。
このことが新聞記事になり、郷土出版の神津社長さんが私のもとにいらっしゃって、私に執筆を依頼なさったのです。
「小説学校犬タロー物語」を書くことにした理由
①ノンフィクションの「皐月タロー物語」は事実ををもとにしたもので、いわば骨格だけの本と言えます。タローの生涯の中で明瞭でない部分に、私の想像力を駆使して肉付けすることによって類まれな生涯を送った犬、タローの実像に近付くことができると考えたのです。
想像力を駆使すると言っても、タローの性格、行動様式を熟知している私ですから、大きな間違いはないと思っています。
②「皐月タロー物語」は私の体験談、タローについて調べて明らかになった事実、生徒や私以外の教職員のタローについての思い出等をまとめた本です。時間系列にもなっておらず、学校関係者以外の人々にとってわかりずらい面もあったと思います。小説形式にしてタローの誕生から死に至るまでを解りやすく、すっきりした形で書きたい思っています。
③「皐月タロー物語」ではタローについての最も重要な部分を十分には描き切れなかったと、この17年間考え続けてきました。
もっとも重要な部分とは
タローが多数の生徒を受け入れたこと、
女生徒たちの心の中にタローという存在が深く入り込んだこと、
悩み多い時期の女生徒たちに癒しを与え、さらには変革をもたらしたことです。
女生徒たちの心の中の動きを描写するには小説という形式が最適です。見たり、聞いたりしたことだけを書き表すノンフィクションでは無理です。
女生徒たちの心の中の描写する部分は虚構の世界で実在の人物とは関係ありませんと、ここで特に記しておきます。
タローは勇気をもって一歩踏み出し飼い犬から野良犬になり、野良犬から女子高校の居候犬になり、居候犬から学校犬そしてアイドル犬になり、17年の幸福な生涯を送った稀有な犬です。
第1章タローの家出とその原因
1歳になったばかりのタローのある日の出来事を見てみましょう。飼い主の工場を後にして、何やら悲壮な顔つきをして歩き続けています。
よく遊びに行く小学校のプールのそばを通り抜けて行きます。体育授業中の仲良しの小学生が「 どこへいくの?」と声をかけてきます。無視してどんどん歩き続けます。
休耕中の水田のそばも通り抜けます。いつものようにカエルを追いかけて遊ぶこともしません。一心不乱に歩みつづけます。いつもは水遊びをする用水路も無視して歩き続けています。リンゴ園の中も通り抜けていきます。いつもは、地面に落ちているリンゴを一寸かじってみるのですが思いつめた顔をして歩き続けているのです。
タローはどうしたのでしょうか? 首輪には食いちぎった、残りの紐がぶら下がっています。ただ事ではない様子です。
もうお判りでしょうか。タローは 飼い主のもとから脱走しようとしているのです。
タローの生い立ちと家出の原因
タローが生まれた場所は人口約20万人の地方都市の郊外です。この地区は1960年代に純農村から住宅地として開発されつつあったのです。タローはそこの建設機械修理工場で生まれたのです。
タローの母犬はこの工場の番犬であるシロです。シロは社長さんと従業員たちが帰宅した後、夜は一匹だけで工場を守っていたのです。シロの犬種は柴犬です。タローの父犬は深夜、こっそりとシロのもとに訪れた求婚犬です。したがってタローの犬種は柴犬の血が多く入った雑種と言えます。
タローは元気いっぱいの活発な犬で、人なつこい犬です。社長さんや訪れたお客さんのもとに駆け付けて、可愛がってもらうために足元にじゃれつく子犬でした。工場の社長さんはタローの兄弟の四匹は他人にあげたのですが、お気に入りのタローは残しておいたのです。
この頃のタローの名前は「虎次郎」でした。ご主人が車で用事に出かけるとき。「トラ、トラ」と呼ぶと走ってきて、助手席にチョコンと座るのでした。
なぜ虎次郎かというと、朝ご飯を食べた後、どこかへ出かけ,お腹がすくと帰ってきて食べ、またどこかへ出かけるという放浪性のある犬であったからです。
タローの主なる行き先は工場の近くにある小学校でした。まだ幼犬であったころ、工場の前の道路で遊んでいると、通学途中の小学生に出会って、仲良しになったのです。
少し大きくなると小学生の後について行き、校庭で沢山の小学生たちと遊ぶようになったのです。この頃から、タローは学校犬になる準備をしていたことになります。
小学生の中にはいろいろな子供がいます。犬の好きな子と嫌いな子、やさしい子と意地悪な子、活発な子とおとなしい子、これらの子供たちと接したとき、適切な行動をとれるようになることを学んだのです。
また、子供たちは遊びの天才です。ボール遊び、鬼ごっこ、木登り等、次々に新しい遊びを考えだします。タローにとって毎日が新しい体験の連続です。
これらの体験の積み重ねによって、タローは人間及び人間社会と上手につきあえる能力を発達させていったのです。
1歳になったばかりの時、このような幸福な子犬時代が突然に終わったのです。母犬のシロが死んだのです。
シロが死ぬと、ご主人はタローを工場の番犬にするため放し飼いをやめて紐でつないだのです。子犬時代に自由気ままに生きてきたタローです。自由を奪われることには我慢できません。
通常の飼い犬ならば、定められた運命に従い、さんざ泣き喚いた後に、あきらめたことでしょう。
しかし、タローの場合は普通の飼い犬とは違っていたのです。ご主人はタローを可愛がってくれましたが、一日の半分しか工場にいません。ご主人の家族とのつながりもありません。おまけに自由な生活の楽しさを小学校での遊びで身についてしまっていたのです。
もともと自立心、冒険心が旺盛で、自由を求める心が強かったこともあげられます。
一日の多くの時間を小学校の生徒たちと遊び暮らし、普通の犬よりも飼い主以外の人間と多く親しんできたのです。飼い犬として暮らすこと以外の選択肢があることも感じていたのかもしれません。 これが脱走を企てた理由です。
第2章花子との幸運な出会い、飼い犬から自由犬に
果樹園を通り抜けると川幅約5メートルの中級河川にぶつかりました。ここからはタローの日常の行動範囲を超えた未知の領域です。
少し迷った後に。タローは川沿いの農道を下流に向かって歩き続けました。
これが華麗な転身を遂げ、稀有な生涯をおくる道への第一歩となったのです。
やがて交通量が多い県道に到達したのです。川を挟んで二つの学校がありました。小学校で遊び暮らして育ったタローにとって学校は馴染み深いところです。
県道を渡りまっすぐ行き,右手の学校の校地内に数歩入ってみたところ、男子生徒の蛮声が聞こえてきたのです。怖くなり引き返しました。後で知ったのですが、ここは工業高等専門学校だったのです。
次に橋を渡り、左手の学校の方へ行ってみました。外から様子を探っていると、女の子のかん高い声が聞こえてきました。小学生と共通点がある声です。タローを安心させる声です。この声に魅かれて、校地内に入ろうとしていた時、一頭の雌犬が近づいてきたのです。
毛の色、大きさもタローと同じくらいの雌犬です。2頭は互いに相手を嗅ぎあって、初対面の挨拶をしました。どうやらお互いに気に入ったようです。この雌犬が後にタローの妻となる花子なのです。
花子は慣れた足取りで,トコトコと校舎の方へ歩いていきます。少し進んだところで花子は足を止めて後ろを振り返ってタローを見たのです。
花子が「私の後についておいでに」と言ったようにタローは思ったのです。そこでタローは花子の後について行きました。
タローと花子、女子高校で大歓迎を受ける
この学校は女子高校でした。学校は昼休みの時間でした。バラ園に面した日当たりのよいテラスで女生徒たちが、楽し気におしゃべりをしながら弁当を食べていたのです。
そこへ即席カップルの花子とタローが寄り添って現れたのです。いつもは花子が昼休み時に弁当のおかずのおすそ分けをもらいに一匹で来るのですが、今日はカップルで現れたのです。
青春の気に満ち溢れたハイティーンの少女たちが大歓迎しないはずはありません。
「見て!見て!花子が恋人を連れてきたよ!」と一人の少女が大声で叫んだのです。
大歓声が沸き起こり、花子とタローの前にソーセージ、卵焼き等が並べられたのです。
まだ幼な顔が残るタローに対して、「あんた、名前はなんというの?」という質問が集中したのです。少女たちの一人が「花子の恋人だから名前はタローにしよう!」と叫ぶと、みんな同意したのです。
こうして工場の飼い犬だったころの「虎次郎」という名前は「タロー」に変えられたのです。ここからタローの波乱に富んだ生活が幕開けしたのです。
この大さわぎの中で2匹の即席カップルの間のきずなが深まっていったのです。花子は2匹で訪問する方が大歓迎されると考え、タローは小学生と遊ぶのは楽しかったが少女たちにチヤホヤされ、弁当のおかずを沢山もらえることに、よりいっそうの魅力を感じていたのです。
昼休み終了のチャイムが鳴ると、生徒たちは一斉に教室に入り、花子とタローはバラ園の中に取り残されました。バラの花の甘い香りの中で花子とタローは改めて互いに見つめ合い、好みのタイプであることを確信したのです。
特に、2-3歳年上の花子について行くことによって、鎖につながれた境遇から脱出できて、新たな生活が展開しそうだとタローが感じたとしても不思議ではありません。
この後、二頭は校庭の方角へ向かって走っていき、校庭の隅の方の草原になっている所でじゃれあって遊び、疲れると柳の大木のもとで休息したのです。
さらには花子の案内に従って校地内を一巡りしたのです。
校地内を探検し,また校庭に戻って遊んでいるうちに夕方になりました。お腹もすいてきました。すっかり仲良しになった二匹です。花子が飼い主の家に向かうとタローも当然のように,その後について行ったのです。
花子の家は学校とは反対側の県道沿いにあったのです。花子の夕食の半分をもらって食べました。
花子の飼い主の川田家の奥さんが見知らぬ犬が庭に入り込んでいるのを見てタローを追い出したのです。
タローは川田家の裏に広がっている畑に向かって行きました。畑の中に作業小屋がりました。
中に入ると農作業用の道具や藁の山があったのです。そこに野良猫が眠っていました。
タローも藁の山の上で眠りについたのです。
朝には悲痛な気持ちで脱走してきたのですが、花子と出会い、女子高校生に大歓迎され、家出しても食料問題は何とか なりそうです。
眠る場所も見つけました。家出は成功しそうです。自由犬として生きる道が開けそうです。タローは安心して眠ることができました。
第3章女子高校と川田家の居候犬となったタローの縄張り経営
タロー自由犬としての地位を確立
タローは幸運と自己の才能、努力によって自由犬としての地位を獲得しました。
まるで、あらかじめ定められた運命の糸に操られて、花子との出会いによって安住の地を見つけたように見えるタローです。タローが幸運に恵まれていたことは確かです。
もしも、川の上流に向かって行き、安住の地を見いだせなかったなら、または工業高等専門学校に入り、乱暴な生徒に手痛い仕打ちを受けていたなら、飼い主の所に戻って、鎖につながれ、工場の番犬として、安全ではあるが自由のない平凡な生涯を送ったことでしょう。
確かにこれまでのところは運が良かったといえるでしょう。しかし、幸運で得たものを維持し、発展させるためには並み並みならぬ当事者の努力が必要です。
普通の飼い犬はご主人に尻尾さえ振っていれば、安全も食料も確保できます。
自由犬になったタローに、生涯にわたっての幸運が続くはずがありません。安全と食料は自力で確保しなければなりません。
この後。タローは持って生まれた能力と幼児犬の時に小学生と毎日遊んで身につけた後天的能力を生かして自らの力で運命を切り開いていったのです。自由犬として暮らすために必要な環境を自ら作り出して行ったのです。
花子の家の居候犬としての地位を獲得
川田家の奥さんは最初は見知らぬ犬が庭に入ってきているの見てびっくりしてタローを追い出しました。その後、二匹がいつも連れだって女子高校に向って行くのを何回も見たのです。もともと犬好きの奥さんのことです、タローが川田家に出入りするの許しただけでなく、花子のエサ入れにタローの分も加えてくれたのです。
花子の飼い主の川田家の奥さんの黙認を得て花子の家に出入りし、二匹は仲良く散歩しているのを見て、近所の人たちはタローを川田家の飼い犬だと思っていました。これにより野良犬として保健所に連絡される心配はなくなったのです。安全も確保したのです。
さらに、昼時に女子高校へ行って弁当のおかずを分けてもらいました。タローは童顔です。童顔でぬれたような目でじっと見つめられると支援せずにはいられなくなってしまいます。
これだけでは不十分です。花子の川田家の援助を永遠に受けることができる保障はありません。
タローが獲得した、その他の食料源
女子高校の方も土日曜および長期休みには弁当のおかずのおすそ分けはもらえません。他に、できるだけ多くの支援者、食料提供者を確保しておく必要があります。
花子の家と女子高校の次に三番目の食料提供者をタローは確保したのです。三番目の支援者とは女子高校近くの食堂の主人です。
昼頃、学校に出前にくる主人の後について行き、たびたびその食堂に訪問し、食べ物をねだったのです。夜、食堂を閉店する少し前に行くと残り物を沢山もらえることを知ったのです。
放課後、女生徒たちは学校のすぐ前のよろず屋店でパンや菓子を買うのですが、そこでもおすそ分けをねだったのです。
學校から少し離れた肉屋では揚げたてのコロッケも売っているのです。ここでコロッケを買って歩きながら食べている生徒にも、おすそ分けをねだったのです。
花子の家、女子高を起点とした、約半径500メートル以内の中に、これらの店や食堂があったのです。この500メートル以内の所が、いわばタローの縄張りであったのです。この時点でタローは飼い主に頼らず自由犬として生きて行くことができる地位をほぼ確立したのです。
第4章タローの家出した時期が良かった。タイ国の放し飼い 犬の状況からの考察
タローが家出した時期も、ちょうど良い時期で、この点でも幸運に恵まれていました。
放し飼いの犬が世間に受け入れられていた時期が終わろうとしていたが、身元がはっきりしていた放し飼いの犬は近所の人に受け入れられていた時期なのです。
タローが支援者、食料提供者を求め、行動範囲を拡大して行ったとき、ライバルの放し飼いの犬は少なくなっていたのです。
この時期より早ければ,他の放し飼いの犬の縄張りに入れば戦って、勝たなければならなかったでしょう。もう少し遅い時期で放し飼いの犬がほとんどいなくなった時であれば、保健所に連絡されて、捕獲される危険が高かったでしょう。
筆者がこのように考えるに至った根拠
筆者は定年退職後、タイ国の田舎の村で年金暮らしをしています。タイの田舎の飼い犬の9割以上は放し飼いにされています。放し飼いにされていても、意外なほど行動範囲が狭いのです。
飼い主の家の庭と、その前の道路のみが行動範囲です。近所の犬同士が仲良くなった場合でも、飼い主の家から100メートルもしくは200メートル以上離れると見知らぬ犬の行動範囲に入り込み、喧嘩になるのです。
ただし例外もあります。大きなたくましい、喧嘩に強い犬なら、吠えかけられても、無視して,堂々と通り抜け、数百メートル以上も 離れた目的地に達することができるのです。
具体例をあげてみます。私は毎朝、村の朝市に出かけ、その日に必要な食材を買うことを日課にしています。
朝市は放し飼いの犬にとって餌を手に入れるには絶好の場所です。
朝市の近所の犬は毎朝、数匹やってきて地面に落ちている食べ物や、犬好きの人が投げ与えてくれる食べ物を求め、市場内を徘徊しています。遠くから来て、このおいしい場所に新規の犬が入り込むのは困難です。
一匹だけ遠くから通ってくる犬がいるのです。この犬は大きく、たくましい犬です。
途中でほかの犬が「俺の縄張りに入るな」と吠えても無視して通り抜けるのです。市場の近所の犬もこの犬の出会うと避けて、遠のくのです。この強い大型犬さえ縄張りにすることができたのは市場という狭い範囲です。
成犬になったばかりの中型犬タローが女子高校を起点にして半径約500に及ぶ地域を縄張りにできたのは、放し飼いの犬がどんどん減ってきつつある時期で、しかもまだまだ放し飼いに犬に対し寛容でもあった時期です。
放し飼いの犬が9割以上のタイ国のようであったならタローがいくつもの食糧源を確保できなかったでしょう。現在の日本のように放し飼いの犬が絶無に近い状態なら自由犬として生きることは不可能であったことでしょう。この両方の中間状態であった当時の日本の地方都市の郊外住宅地の状況がタローにとって幸運であったといえましょう。
タイの田舎で放し飼いになっている犬の現状,田舎の村の道路事情
その行動範囲は意外に狭く、安全であるとは言えません。道路に寝そべっている犬が多いので交通事故にあいやすいのです。
バイクや車に足をひかれ、3本の足でピョンピョン歩いている犬が多いのです。平均寿命も日本より短いようです。
近所同士の人間が仲が良いと犬の行動範囲も広がります。
田舎の村の生活道路は生き物が沢山います。人間の社交の場だけではなく、犬たちの社交の場でもあります。鶏の親子の餌探しの場でもあります。ここに猫も登場します。
近所同士の付き合いが密なところでは、犬たちも近所の犬たちと仲良しになるのです。このような場合は犬の行動範囲も100メートルくらいまで広がります。
第4章花子の家への通い婚時代
タロー、花子の家の川田家の保護を受ける
タローは花子の家の近くの畑の中で寝泊まりし、しばしば花子の家にやってきて餌を分けてもらい、その後、二匹そろって、仲良く女子高校に出かけるという日々が続いたのです。
花子の飼い主である川田家の奥さんは動物好きです。仲良しの二匹の中を引き裂くようなことはしなかっただけではなく、タローの分の餌も用意してくれたのです。
しかし、タローは川田家に住み着いたわけではありません。時々、訪問するだけです。タローは飼い主に従属することを嫌う自由犬であり続けたわけです。
通い婚という形式で花子と夫婦になったわけです。やがて二匹の間に子供が生まれましたが、タローは自由犬という立場を貫き通したのです。
タローと花子の子供たち。川田家の庭にて。
別々に育った雄と雌の成犬同士が互いに好きになって、いつも連れ添って歩き回るという例は珍しいのではないのでしょうか。このころから、タローの行動パターンは普通の犬とは違っています。
エリザベス トーマスの著書「犬たちの隠された生活」によると、ミーシャとマリアという雄犬と雌犬は相思相愛の中で一夫一婦制を固く守っています。タローと花子の関係もミーシャとマリアと同じであったといえます。
濡れたようなタローのつぶらな瞳でジーと見つめられると、だれでも、面倒を見てあげたいと思うようになるのです。花子は姉さん女房ぶりを発揮して、タローを勝手知ったる女子高校に案内してあげたのです。女生徒から大歓迎を受け、もらえる食料も多くなりました。このことも二匹の間の結びつきを強めたのも確かです。
女子高校の校舎配置がタローにとって幸運だった
タローが花子と女子高校に出会ったことは幸運でした。もう一つの幸運はこの女子高校の古い校舎及びそれの配置の仕方がタローと花子にとって絶妙だったのです。
広い校地の中に最初は3階建ての校舎、1階建ての管理棟、そして体育館だけで新設されたのですが、生徒急増期にともない校舎が増築されたのです。1階建ての校舎等が必要が生じるごとに建てられたのです。入り組んだ配置で思いがけないところに中庭や空き地があったのです。
正面玄関から入って来た外来者が、校地の一番奥にある社会科図書室棟にたどり着くのは大変なのです。まるで迷路のようになっていたのです。
このことは校地内入り込みたい犬や猫にとって入りやすかったのです。
実際に、校地の一番隅にある卓球場及び卓球部室の近くでマイケルという名の野良猫が飼われていたことがあるのです。この猫が死ぬと卓球部員が自然石を置いただけのお墓まで作ったのです。このことを知っているのは、ごく一部の生徒、職員だけでした。時代の先端を行く機能的な校舎配置だったなら犬や猫が入り込む隙間はなかったことでしょう。
第5章タローと花子の7年間,そして花子の死
自由犬としてのタロー
1986年に家出したタローは1993年までの7年間、作業小屋で寝泊まりし、花子の家そして女子高校の支援を受けながら自由犬として暮らしました。
多くの支援者を獲得して安全と食料の心配がなく、人間社会と良好な関係を築いて暮らしたので野良犬とは呼ばず、自由犬と呼ぶことにします。食料と安全を確保し、花子と女子高校生からの愛情をいっぱいに受けたタローは愛想がよくて社交的、活動的な性格を失わずにすんだのです。
女子高校訪問中のタローと花子のカップル、1989年
若くて元気いっぱいのタローが最愛の花子と暮らしたこの7年間はタローの第一次黄金時代と言えます。そして、人生後半期の第二次黄金時代を築くための能力,資質を育成する時代であったのです。どのような能力、資質を磨いたかを箇条書きにあげてみます。
タローはどのようにして自由犬なるための資質、能力を磨いたか?
①普通の飼い犬なら今日の一日は昨日と同じで、明日もまた同じ一日になるでしょう。タローの場合は違います。日々新たな事柄に接して、これに対して適切な行動をとらないと生存が危うくなることもあるでしょう。
新しい事態に接したなら過去の体験を整理し、適切な行動をとるという場面は多数あったのです。
例えば、縄張りに侵入した犬を撃退すること、花子にプロポーズしてきた犬と戦うこと、新たな支援者食料供給者を獲得することなどです。交通事故対策も必要です。もう一つ、一番重要なことがあります。人間社会と友好、親密関係を築き、人々に安全な犬と思ってもらわないと、生存が危うくなります。
②子犬時代に小学校に通い、小学生と遊んで身につけた能力、資質をさらに磨いた。工場の飼い犬であった時、毎日、小学校へ遊びに行き、多くの時間を過ごしました。
小学生の中には乱暴な子供も、やさしい子供もいます.動物好きの子も、嫌いな子もをいます。タローはそれぞれの子供に対して適切な対応をとる必要に迫られたことでしょう。
また、子供は遊びの天才です。次々に子供たち考えだす新しい遊びにタローは加わったり,見たりすることで知的能力を発達させて行ったと考えて間違いないでしょう。
この子犬時代の経験が、自由犬になった時、生かされて行ったのです。また、多くの小学生から愛され、多数の人々を受け入れる資質も磨いていったのです。
③人間及び人間社会と最も深いところで関わっている動物は犬です。タローは犬が持っている特質を最大限に伸ばしていった稀有な犬であるといえます。
犬と類人猿との違い
脳の発達度、容量で言えば人類に最も近いのは類人猿です。しかし人間及び人間社会と最も深くかかわっているのは犬です。
あなたの周りに犬たちを注意深く見てください。犬たちは細心の注意を払って人間及び人間社会を観察しています。 人間に最も近い類人猿でさえ。この点では犬にかないません。
犬たちは約1万5千年におよぶ人間との付き合いの中で,人間と共に生きるための資質、能力を磨いてきたのです。これら犬族の中で特に優れた資質、能力を磨いた稀有な犬がタローであったのです.
花子、死す
タローは花子に出会い、幸福な7年間を過ごすことができたのです。しかし、花子の病死によって幸福な7年間は突然、終わってしまったのです。
タローはこれから、どのようにして生きて行くのでしょうか?花子と女子高校との出会いのような幸運を、また引き寄せることができるのでしょうか?
花子死後のタロー、校舎内に入り込む
花子の死後、タローは川田家での居候生活ができなくなってしまいました。その分だけ女子高校にいる時間が次第に多くなってきたのです。
寒さを避けたり、より多くの餌をもらうため校舎内に入り込むようになったのです。
昼休みに教室内に入り込み,餌をねだったり、授業中に教室内の隅に入り込み、おとなしく座り込んだりしたのです。
これは明らかにルール違反です。しかし、タローはおとなしい犬で害を与えるような犬でないことを諸先生方は知っていたので大目に見られ、許されていました。野良犬といっても通常の野良犬とは違います。女子高校と花子の家の居候犬として7年間暮らす間に生徒たちの
しかし、ついにある日、事件が生じたのです。
新しく転任してきた数学の先生が教室内に犬が入り込んでいるを見てびっくりして追い出そうとしたのです。
タローは教室内を逃げ回り大騒ぎになったのです。
第6章野良犬タローの最大の危機、職員会の議題になる
花子死後のタロー、校舎内に入り込む
花子の死後、タローは川田家での居候生活ができなくなってしまいました。その分だけ女子高校にいる時間が次第に多くなってきたのです。
寒さを避けたり、より多くの餌をもらうため校舎内に入り込むようになったのです。昼休みに教室内に入り込み,餌をねだったり、授業中に教室内の隅に入り込み、おとなしく座り込んだりしたのです。
これは明らかにルール違反です。しかし、タローはおとなしい犬で害を与えるような犬でないことを諸先生方は知っていたので大目に見られ、許されていました。
しかし、ついにある日、事件が生じたのです。新しく転任してきた数学の先生が教室内に犬が入り込んでいるを見てびっくりして追い出そうとしたのです。タローは教室内を逃げ回り大騒ぎになったのです。
タロー職員会の議題になる
司会の先生が「本日の予定されていた議題はすべて終わりました。緊急の議題がない限り、職員会を終わりにしたいと思います。よろしいでしょうか。」といういつもの口上を述べたのです。
その時、タローを教室から追い出そうとした数学科の町田先生が挙手をして発言を求めたのです。
「一つ議題として取り上げて欲しいことがあります」と述べて、タロー追い出し事件を説明したのです。
「野良犬が教室に入り込むということは大いに問題がります。ゼーゼーという咳もしており。病気持ちだと生徒に危険が及ぶこともあり得ます。この件についてのきちんとした対応策を望みます。」と述べたのです。
これに触発されて、家庭科の先生が発言したのです。
「タローの件について困っていることがあります。昼食時に教室に入ってきて、弁当のおかずのおすそ分けをねだるのです。犬嫌いの生徒は、教室から外に出て、ベランダで食べているのです。寒い時には可哀そうです」
この時、タローは危機が迫ってきていることを知る由もありません。畑の中の作業小屋でぐっすりと眠っていたのです。保健所に連絡されれば、命を失うかもしれないのです。
この時、タローを弁護する先生が出現したのです。国語科の松野先生です。
数学科の先生の多くは論理的で筋道を通そうとする人が多いのです。国語科の先生も論理的で理屈に合った議論を進めるのですが、そこに人情味が加味され、聞く人の心を動かす弁舌に優れています。その上、豊富な語彙を駆使するのも、お手の物です。
国語科の松野先生は校内屈指の論客で、職員会での発言数は一番多い先生です。タローに強力な味方が現れたのです。
松野先生が挙手して意見を述べます。
「私はタローを処分することには反対です。多くの生徒がタローを好いています。学校側が生徒に無断で処分すれば生徒の心を傷つけることになります。タローはおとなしい犬で生徒に害を与えるような犬ではありません。タロー大好きの生徒たちがタローを囲んで楽しそうにしている様子を私は度々目にしています。タローは生徒たちの心の中に深く入り込んでいるのです。タローを処分するということは生徒たちの心を傷つけることになります。」
つづいて商業科の大川先生がタロー弁護ために発言したのです。
「私もタローを処分することには反対です」と述べ、動物飼育と命を大切する教育との関連や、学校教育における情操教育の 大切さ等について、長々と演説したのです。校内で校長の次に高齢の大川先生は、職員会で議論が高まった時、一段と広い視野から意見を述べる傾向があるのです。
ここでまた数学科の町田先生が挙手したのです。
「私は、なにも、タローを保健所に渡し処分せよと言っているわけではありません!野放しにしておくのではなくキチンと管理すべきだと言っているのです!」
町田先生は内職用の書類の束を両手で縦にして持ち、机の上でトントンと調子を整えながら述べたのです。この動作は町田先生の癖で、やや高まってきた感情を抑制する効果もあるようです。
解決の糸口をみつけてホットした司会の先生はこの機を逃さず、まとめにかかり始めたのです。
「タローを野放しにしておくのではなく、キチンと管理し,学校で飼うという方向で進めるということで大方の意見がまとまってきたと私は考えますが,それで宜しいでしょうか?」と述べ、異論がないのを確かめ、「では、誰が、どのようにして管理するかについてのご意見をお願いします」と進めていったのです。
生徒に対して、面倒見の良い国語科の松野先生です。犬のタローについても労をとることをいとわない松野先生が発言します。
「私がタローをしかるべきところにつなぎ、動物病院に連れて行き,診てもらい予防注射もしてもらいます。餌と散歩の世話も、タローを一番かわいがっている杉本先生と一緒にやります。杉本さん、、いいですね。」
昨年の春に、大学を卒業して赴任してきたばかりの理科の杉本先生、びっくりして「ハッ、はーい。いいです」
こうして、犬について、約60人の職員が約1時間にわたって審議した職員会が終わったのです。
後にタロパパ(生徒からタローのお父さんという呼び名をもらった) と呼ばれるようになった教員を紹介しておいた方がが良いでしょう。この後、学校犬タローと深くかかわってくる社会科の大町先生のことです。大町先生は50歳で、まだ独り者という少し変わった男です。
「今日は職員会が早めに終わりそうだ。夕食は久しぶりに居酒屋で、お銚子一本と魚定食にしようか?それともアパートの近くの中華食堂でホイコーロ定食で軽く済まそうか?」と考えていたところ、思いがけもなく、全く関心のない犬のことで職員会が長引いてしまいました。追放と決まろうが学校で飼うことに決まろうがどちらでも良い。とにかく早く、終わってほしいとのみ考えていたのです。
まさか。この後の7年間、土日も長期休みの時にも登校してタローの世話をすることになることなど考えもしませんでした。ましてや、教員生活終了が近づきつつあった時期にタローが大町さんに最大の喜びを与えてくれることなど思いもしませんでした。
第7章野良犬タローは学校犬となる、タロパパとの出会い
タロー学校犬となる
職員会終了後、国語科の松野先生と理科の杉本先生はタローに首輪をつけ、どこにつなぐかを相談したのです。
この頃、タローはいつもとおり、畑の中の作業小屋でぐっすり眠っていて危機が訪れていたことも、救われたことも、もちろん知りません。
社会科の大町先生も、この後まもなく、7年間、土日、長期休業の時も登校してタローの世話をすることなど、もちろん考えもしません。居酒屋でお銚子を一本,チビリチビリやりながら初夏の宵のひと時を楽しんでいたのは、まずは目出度いことでした。
松野先生と杉本先生は三つの案を検討していました。
①案 校長室、事務室、教務室のある管理棟近く。ここは外来のお客さんも通るので避ける。
②案 生徒昇降口前の広場。ここも人通りが多すぎるのでダメ。
③校地の一番奥の理科棟と社会科図書室棟との間の中庭。
この中庭は静かで生徒たちの憩いの場になっている。毎日、タローの世話をする杉本先生がいる理科職員室に近い。ここに決定ということになりました。
翌日、この池と藤棚のある中庭にタローは松野先生と杉本先生によってつながれたのです。
子犬の時、工場の番犬にされそうになって紐を噛み切って脱走したのですが、9歳になっていたこの時はおとなしく、されるがままにして逃げようとはしませんでした。
最初のころ、夕方、紐を外して散歩させてあげたのですが、1から2時間すると帰ってきて、つながれたのです。
古い教卓を利用して小屋を作ってもらいましたが、狭い囲まれた住処は気に入らず、いつも水飲み場の下をねぐらにしたのです。
タローがおとなしく紐でつながれた理由
工場の時とは違います。8年間も学校の居候犬として暮らしていましたし、生徒たちが休み時間にはタローのところに来て、遊んでくれます。タローの好物の食べ物も持ってきてくれます。
工場の飼い犬であった時は家出したのですが。今回は違います。女生徒たちとの結びつきは圧倒的に強くなっていたのです。
さらには、犬の9歳ということは人間でいうと初老の男ということです。2年後にはフィラリアにかかっていることが判明したのですが、この時すでに罹病していたと思われるのです。
老年期に向かいつつあり、衰えを感じつつあったがゆえに、おとなしく学校犬になったのでしょう。
それに、放し飼いの犬に対する世間の目は次第に厳しくなりつつあったのです。花子は死亡の2年前から、近所の人達から苦情を受けて、つながれていたのです。タローも、もはや放し飼いが無理な時期に来ていたので
老年期に向いつつあるタローは自由気ままに生きる生き方を押し通すには無理がありました。職員会の議題になり学校犬になったのはちょうどよかったのです。
社会科の大町先生、タロパパ(タローのお父さん)になる
この時、タローが求めていた人間は次のような人物でした。
①タローの健康状態を見守って、少しでも異常があると動物病院に連れて行ってくれる人。
②土日、長期休業中も学校に出てきてくれる独身の教師。若い人は将来の人生計画もあり忙しいだろうから、庭いじりが好きな年配の独身者が望ましい。アパートで一人でくすぶっているより学校で過ごしたがっている独身者。
③一つの学校に赴任したら10年間は転任しないで面倒を見てくれる教師です。
タローにとっておあつらえ向きのこのような教師などいないと思うでしょう。ところがいたのです。タローが繋がれた所のすぐそばの社会科職員室にです。社会科教師の大町さんです。
③について(同一校に長期間勤務の教師): 大町さんの最初の赴任校に10年、二番目の赴任校には13年間、勤務していました。今の女子校に赴任して4年目です。後6年は残っています。
②について(休日にも登校したがる教師); 大町さんの前任校は山の分校でした。三食付きの宿坊旅館に下宿し、休みの日も分校に行き庭いじり、畑仕事をしていたのです。冬はスキー、春は山菜取り、夏は清流での釣り、秋はキノコ採りを楽しんでいるうちに、いつの間にか13年たってしまったというウッカリ者です。ふつうの教師なら若い時そして働き盛りの30代、40代の時に5-6年ごとに、いろいろな学校を経験し教員としてのキャリアを積むのですが、大町さんには全くその気がなかったのがタローには幸いでした。女子校に赴任して4年目、大町さんは休日にも登校し花壇作りをするということを始めつつあったのです。
①について(きめ細かく面倒見てくれる教師); 大町さんはある一つの事柄に取り組むまでは時間がかかりますが、いったん取り組み始めると徹底してやるという性格ですからこの点についても大丈夫です。
社会科の大町先生は社会科職員室と授業をする教室棟との間を一日に何回も往来します。そのたびに生徒たちがタローを取り囲んで遊んでいるのを目にしています。生徒たちに撫でられてタローは目を細め、目じりを下げて嬉しそうにしています。生徒たちも楽しそうです。
犬に全く無関心であった大町さんはタローと生徒たちの醸し出すなごやか雰囲気を見て、自身も楽しくなるのでした。
タローと大町さんの関係に決定的な変化が生じたのは夏休みのことです。
大町さんは乱雑なアパートの部屋で一人で過ごすことを好みません。
夏休みに花壇つくりや教材研究のため毎日,登校していた大町さんがタローのとりこになるのは時間の問題だったのです。生徒がいなくて寂しそうにしているタローの世話をするようになったのです。タローは大町さんの姿を見つけると全身で喜びを表して駆け寄ってくるようになったのです。いつしか、大町先生は女生徒たちからタロパパと呼ばれるようになったのです。
大町先生は後に、同僚教師に次のように語っています。
「犬に全く興味がなかった私が、なぜか、いつの間にかタローの世話をするようになったのです。気が付いてみたら、いつの間にかタロパパと呼ばれるようになっていたのです。」
どうも、大町先生はタローが敷設したレールの上に、いつの間にか載せられ、気が付いてみたらタローの虜になったようです。
タローは、休日にも学校に出てきて自分の周りをウロチョロしている大町先生を見て、これは、ものになりそうだと思って接近したのでしょう。
約1万5千年前に犬の祖先が人間に近づき、人間を犬の友達にしたようにです。この時、人間の方から犬に近づいたのではなく、人間の食べ残した骨を手に入れようとして犬の祖先の方から人間に近づいたと思われます。
大町先生がタローの友達になろうとして近づいたのではなく、タローのほうが大町先生を友達にしようとした言えます。これは、タローのこれまでの生き方を見れば、十分、考えられることです。
第8章タローの恩人松野先
生のこと
タロの恩人は職員会でタローを弁護した松野先生です。理科の杉本先生も恩人と言えます。
もう一人の恩人はタローのことを職員会の議題にしてくれた数学科の町田先生です。
タローは学校に住み着いているので野良犬とは言えない、さりとて学校の犬でもないというあやふやな状態であったのです。このような状態が続き、生徒に害を与えるような事件が起これば、学校から追い出されるか、保健所に連絡されるでしょう。町田先生が職員会の議題にしてくれたおかげで学校犬にしてもらい、手厚い保護を受け長生きすることができたのです。
ここでタローからしばらく離れて、タローの一番の恩人である松野先生と、ある生徒のことについて話すことします。
これから話すエピソードはタローを受け入れてくれた女子高校の校風と深く関係があるのです。
犬が職員会の議題に上り、校長先生をはじめとする全職員が『生徒の心を大切にする』ことに賛成したことに注目してほしいのです。
野良犬、野良猫が学校に入り込む例は数多くあることでしょう。たいていの場合は学校の管理を担当する係の段階で処分されてしまうのです。
タローを救ったのはこの女子高校の生徒の心を大切にするという温かな校風であったといえます。
松野先生と竹村さんのこと
松野先生と先生のクラスの生徒竹村さんのことを三つの場面に分けてお話しします。
場面①:松野先生、職員会で悪戦苦闘する
松野先生は、いつもの職員会では謡曲練習で鍛えた朗々たる声と独特の節回しで意見を述べ、多くの同僚教師の心をゆりうごかす雄弁家です。
しかし、今日はどうしたことでしょう? いつもとは違って、うつむき加減で、苦しそうにして同じ言葉を繰り返しているだけなのです。
今回の職員会は卒業を認定する成績会議です。体育科の先生たちが次ぎ、次ぎと大声で攻撃しています。松野先生が何か悪いことをしたのでしょうか? いや、そうではありません。
問題になっているのは松野先生がホームルーム担任をしているクラスの生徒の竹村さんなのです。
竹村さんは体育実技が苦手です。1年から2年に進級する時、2年から3年に進級するときも、怠けられるだけ怠け、放課後の特別補習授業をしてもらい何とか進級できたのです。卒業の時を迎えた今も同じことを繰り返しているのです。
「この子をこのまま認定しては、いくら怠けても最後には何とかしてくれると思ってしまいます。この子の将来にとってもよくありません」という意味の厳しい意見を体育科の先生たちが次ぎ、次と述べたのです。
そのたびに松野先生は「もう一度、機会を与えてください」と絞り出すような声で言うことしかできなかったのです。それでも体育科の先生は攻撃の手をゆるめません。松村先生も苦しみながらも教え子の弁護を必死になってしたのです。
最終的には松野先生の熱意にほだされて、体育科の先生たちはもう一度、特別補習授業してあげることに同意したのです。
場面②; 体育科職員室で竹村さん大泣きををする
担任の松野先生の必死のお願いで何とか特別補習授業をしてもらえることになった竹村さんですが相変わらず怠けて、体育科職員室に呼び出されて、お説教されています。
竹村さんのクラスの体育授業を担当してる先生の厳しい叱責も、竹村さんは心の中に自己を正当化する防壁を築き,ふてくれた顔つきをしてはねかえしています。
たまりかねて隣の席の女の先生が立ち上がりました。体育科の中で一番年配で、職員会議でも言いずらいこともズバッという先生です。感情を抑えきれない大声で言ったのです。
「あなたは担任の松野先生の気持ちを全然わかっていないのね!卒業認定の成績会議で松野先生がどんなに苦しい立場にいたか分かっていないでしょう!
次から次へとあなたを非難する意見が出たけれど担任の先生以外、誰一人あなたを弁護する人はいなかったのよ。誰一人もよ!
普段は職員会議で堂々と意見を述べて職員会議をリードするあの松野先生がうつむき加減になって苦しそうに『もう一度だけ機会を与えてください』と繰り返すだけだったのよ。あの松野先生がよ!!
ただ一人であなたを守るために必死になってお願いしたのよ!それなのにあなたは、、、」
厳しい叱責も跳ね返した竹村さんの心の中の防壁が、思いがけない「担任の先生の愛情」という一撃に出会ってガラガラと崩れ去ったのでした。竹村さんの心の中で激しい感情が渦巻いて来ました。もう気持ちの整理ができません。泣くしかありません。
ふてくされていた顔がクシャクシャになったかと思うといきなり、ワァーワァーと泣き出したのです。赤ん坊のように大声で泣きだしたのです。強がりも恥ずかしさもすべて忘れ去り、涙でいっぱいの顔も隠そうともせずに泣いたのです。
竹村さんの心の中で何かが崩れ去り、新しい何かが生まれつつあったようです。
この後で竹村さんは補習授業を受け、課題をこなして無事、卒業したのでした。
そして3年後、松野先生は竹村さんから素敵な手紙を受け取ったのです
場面③; 3年後、入学式の後の学校説明会で松野先生が語る
入学式が終了後、新入生は担任の先生に引率されてホームルーム教室に入り、残った保護者は教務主任、生活指導主任、進路指導主任から学校生活全般の説明を受けるのです。
この時、生活指導主任になっていた松野先生が保護者に向って語ります。
「子供から大人になる15歳から18歳までの3年間は人生の中で最も不安定な時期です。あふれるような若いエネルギーが自己の成長につなげることができると良いのですが、中にはそれが上手にできなくて悩む子供もいます。そのような子供が内にこもると不登校等になり、外に出ると親や教師に対する反抗等の問題行動になるのです。このような時、慌てず、騒がずにどっしりと構えて大きな愛で包んでやってください。コミュニケーションをとれるようにして見守ってください。そうすれば決して暴走することはありません。この不安定な時期を過ぎれば、みんなよい奥さん、良いお母さんになるのです。
さて、私は最近、3年前に卒業した教え子から素敵な手紙をもらうことができました。この子は在学中、成績会議のたびごとに問題になった生徒です。これからその手紙を読みます。」と述べて竹村さんからの手紙を読み上げたのです。
「先生お久しぶりです。お元気ですか。私は昨年結婚し、今年赤ちゃんが生まれました。丈夫なかわいい赤ちゃんです。
子を持つ親の身になって思い出すのは、在学中、困った生徒であった私に注いでくださった先生の深い、深い愛情です。本当にお世話になりました。ありがとうございました。
それにつけても心配なのは先生のご健康のことです。また、かつての私のような困った生徒を受け持つことがあっても、どうかコンをつめすぎないでください。お体によくありません。
どうか、ご健康を害しない範囲内で面倒を見てあげてください。お願いします。先生のご健勝をお祈り申し上げます。お元気で。」
手紙を読み上げた後で「在学中に私に面倒をかけさせた生徒ですが、3年後にはこのように良いお母さんになっているのです。そればかりではなく私の健康のことまで心配してくれたのです」と松野先生が述べたのです。
松野先生が言い終わると同時に、保護者の間から笑いを含んだ軽いざわめきが起こりました。
良い御話を聞かせていただきましたというざわめきです。
さすがは松野先生です。通常、生活指導主任は校則を延々と説明し、あれをしてはいけない、これをしてはいけないと言って、保護者の協力を求めるのが一般的な生活指導主任の学校説明なのです。
松野先生と竹村さんのことを記憶していた同僚教師の多くは目がしらがジーンとして、涙がにじんでくるのを抑えることができなかったのです。
第9章学校犬としての3年間、タローは学校犬としての地位を確立し、タロパパの大町先生は教師として新境地を築く
タローアイドル犬への道を歩む
タローがつながれた中庭には池と藤棚と花壇があります。この中庭の両側には1階建ての理科棟と図書社会科棟があります。1階建てなので陽光がさんさんと降り注ぎ、風通しもよい中庭です。校地内の一番奥にある中庭は静かで、生徒そして職員のくつろぎの場でもあります。
また、タローにとっても、なじみのある中庭です。学校犬になる前のことです。理科の青年教師杉本先生が池の金魚に餌をやる5時ごろになると必ずタローが現れ、杉本先生から一掴みの金魚の餌をもらい食べたのです。
藤棚の花が満開の頃、生徒たちが帰宅した夕方から有志職員がこの中庭で花見パーティを毎年行っていました。その時、野良犬であったタローが必ず現れ、「お友達」の杉本先生からご馳走をもらうのでした。
タローが住み着く以前から、くつろぎの場であったこの中庭は、学校犬タローの住みかになってから、犬好きの生徒たちのたまり場になったのです。
タローファンの生徒たちはタローに会いたくなったら中庭に来れば、いつでも会えるようになったのです。
タローと生徒達のつながりは、今まで以上に深くなったのです。多くの人々を受け入れるというタローの特質はますます磨かれていったのです。
動物介在教育を実施している学校は全国に、いくつかあます。これらの学校では学校側の計画に基づいて動物と生徒たちのとの交流はが実施されて効果をあげているのです。
しかし、タローの場合、タローの方からじわじわと学校内に入り込み、生徒の心をひきつけ、教員の支援者も増やしていって学校犬という地位を獲得したのです。これは稀有な例と言えるでしょう。
これ以降も、タローファン、支援者を増大させていくとともに、タローファンにそれぞれに見合った恩恵をもたらしつづけた稀有な犬なのです。
花子が亡くなって川田家との縁が切れ、主なる食料獲得源は女子高校生徒の弁当のおすそ分けと学校近くの食堂のみとなりました。学校が休日の日にはひもじい思いをしたことが何回かあったことでしょう。学校犬になったことによって三食、毎日欠かさずもらえるようになりました。餌代は職員によるタロー募金で賄ったのです。タロパパがときどき肉缶詰、ソーセージ、骨を差し入れしてくれました。フィラリアに罹病していることが判明してから動物病院が処方してくれたクスリを毎日、もらえるようになったのです。これによりタローは長生きできて、多くの生徒たちを癒し、楽しみを与えたのです
学校犬として、1年そして2年暮らすうちにタローが養ってきた人間及び人間社会をよく観察し、快適な生活を獲得するという特技をますます磨きあげたのです。そん具体例を一つ、あげてみます。
放課後、仕事が一段落した後、大町先生はタローと散歩するというのを日課にしていました。1時間弱の散歩を終えた後、学校に戻り、生徒昇降口前の広場に到着した時のことです。タローが動こうとしません。無理動かそうとして強く引っ張ると、キャンキャンと悲鳴を上げるのです。するとタローファンの生徒たちが駆けつけて「タローちゃんどうしたの?」言いながら、タローを囲むのです。大町さんは仕方なく、タローが生徒たちと遊ぶのをそのまま見守っているのです。 タローは以下のごとく考え、行動したとタロパパは考えました。
「まだ、住みかの中庭に帰りたくない⇒昇降口近くで泣けば生徒たちが駆けつけてくる⇒タロパパは自分と生徒たちが楽しそうに遊んでいるのを見て喜んでいる⇒生徒たちが駆けつければタロパパは遊ばせてくれる⇒座り込み、泣いて、生徒たちと遊ぼう」
というようなこと感覚的に悟り、行動したと考えられます。日曜日、生徒が誰もいないとき、昇降口前で座り込んだ時、タロパパが強く引っ張るとあきらめて、おとなしく住みかに帰るのです。
社会科の大町先生、タロパパとなり教師としての新境地を開く
大町さんは27年間の教員生活の中で特筆すべき業績のないごく平凡な教師でした。
50歳代の独身男性教師が女子高校に勤務するということに困難を感じていました。家庭を持っていれば「学校でのお父さん」的立場で生徒に接することもできるでしょう。
大町さんはそれもできません。この次、ホームルーム担任なったとき、うまくやっていけるか不安を感じていたのです。
ところがタロパパになることによって大変化が生じたのです。タローのお父さんになることによってタローファンの生徒達との交流は深まってきたのです。タローファンの生徒達は大好きなタローの世話している大町さんに感謝の念を持つようになったのです。
タローを散歩に連れて行くとき出会った生徒は「ご苦労様です」と挨拶してくれます。2階の窓から「タローのおじちゃん!」と、手を振ってくれる生徒もいます。
中庭では、授業を持っていない生徒達ともタローについての会話を楽しむこともできます。
後で詳しく述べますが、文化祭のステージに大町さんはタローと共に登場し約600人の女生徒の大喝采を浴びたり、生徒会誌の表紙にタローと共に登場したこともあるのです。大町さんはタローのおかげで校内の有名人になったのです。
生徒の意識の中での「50過ぎての独り者の男性教師」と「タローのお父さん」とでは大きく違います。後者の意識が強まると同時に「どうして結婚しないのだろう?」という疑問点は薄れていったようです。
タローのお父さんには安心して接してくるようになったのです。ある一つのクラスでは頼みごとをするときに、生徒が大町さんに「お父さん!」と呼びかけることも何回かあったのです。
大町さんが休みの日に街の通りを歩いている時、生徒から「あら、お父さん!」と呼びかけられたこともあります。この生徒のすぐ隣にいた本物のお父さんはさぞビックりしたことでしょう。
タロパパとタロパパクラスの35人の生徒達
大町さんはこの女子高校に赴任して5年目に、教員生活最後のクラスを担当することになりました。タロパパと呼ばれ、生徒たちと今までにはなかったほどの良好な関係を結ぶことができるようになったので、不安は減少しつつありました。
しかし、緊張していました。これまで27年間に教員生活の中でクラス運営が大成功だったということはありませんでした。
今度クラス担任になれば、これが教員生活最後のホームルーム担任になる可能性が大です。なんとか、一人の脱落者もなく、生徒も自分も毎日が楽しくてしょうがないという3年間を送りたい。そして卒業式の時には涙でのお別れにしたいと大町さんは願っていたのです。
まず第一には入学式の後の最初のホームルームでの学校説明と担任の方針演説をどのようなものにするか考え抜いていたのです。
この時期の大町さんが以前とは違っている点がいくつかあります。
第一はタローのお父さんになったことで、今までになく生徒との関係は良好になっています。良好であるというだけでなく、タローを通じて生徒がより身近な大切な存在に感じてきたのです。
第2にはこの女子高に来て4年たち、「生徒の心を大切にする」「一人ひとり生徒の存在が、かけがえのないほど大切である」という温かい校風が身にしみこんできていたことです。
松野先生の生徒を大切にする心と、その松野先生を応援した体育科の先生方のことを思い出して下さい。生徒の心を大切にするため、野良犬のため1時間近くも会議をしたことを思い出してください。
これらにより保護者をまじえての最初のホームルームでの学校説明、担任の方針演説は今までとは全く違うものになりました。
大町さんの入学式後の最初のホームルームでの担任挨拶
「本校は約百年の歴史を持つ伝統ある学校です。かつては実科高等女学校という校名で、普通科の高等女学校と共にこの地域の女子教育の双璧をなしていたのです。1学年3クラスの中規模校時代がが長く、教師と生徒の間が密接な温かみのある学校として知られていました。この伝統は現在も引き継がれています。入学式の時の同窓会長さんの挨拶にあったように温かな学校なのです。毎年、同窓会長さんは新入生にこの温かな学校にようこそ、と歓迎してくださるのです。
伝統というものは5年、10年では築きがたいものです。約百年続いた伝統ある学校の良さは入学後に感じ取ることができるでしょう。建物も伝統あるというか古いですが1階建ての木造校舎も多く温かみがあります。太陽の光と心地よいそよ風と花壇多い,いくつかの庭はくつろぎの場を提供してくれます。
本校が温かな学校であるという一例をあげてみます。生徒達と先生方が協力して野良犬であったタローという犬を救い出し、学校犬として飼っているのです。明日の校舎案内の時、皆さんにタローを紹介します。犬好きの人は楽しみにしていてください。ちなみに私、大町はタローの世話係を務めています。生徒たちは私をタロパパと呼んでいます。
皆さんが35人全部、一人の脱落者もなく毎日が楽しくてたまらない3年間の高校生活を送ってくれるようになることが担任の私の第一の願いであります。
ひとりひとり、育った環境も違い、好みの違いもありましょうが、同じ学校で同じクラスになったことを大切にして仲良く暮らしてほしいと思っています。私も縁あって3年間、クラス担任をすることになったことを大切にして楽しい学校生活を送れるよう、精一杯頑張ろうと思っています。」
大町さんのこれまでに行ってきたホームルーム担任としての最初の挨拶は「校則を説明しこれをしてはいけない、あれをしてはいけない」と言った傾向のものでした。今回の挨拶はこれまでのものと正反対のものであったのです。校則には一言も触れませんでした。
「生徒の心を大切にする」なら、生徒は入学当初の現在、どのような気持ちでいるか考えるべきでしょう。
この女子高校は定員割れをしています。第1志望の学校をあきらめ、不本意入学をしてきた生徒もいるのです。
大町さんは、まず、生徒達が入学してきた学校へのネガティブな感情を取り除きたかったのです。
また、この女子高校は進学校ではありません。学業についてよりも友達関係の善し悪しが学校生活を楽しいものにするか、憂鬱なものにするかという傾向が強いのです。クラス内に仲良しグループがいくつか作らるのですが、そこから外れてしまうと寂しい生活を送ることになります。また、グループ間の対立が生じるとこれまた、お互いに不幸です。
入学後の約1ヶ月間は新入生たちは仲の良い友達が作れるかどうか?自分のクラス内の位置づけはどうなるのか?ということが心配で緊張しています。
大町さんも緊張し、心配していました。そのため入学当初は用事もないの一日に3回くらいホームルーム教室に行き、生徒たちの顔を一渡り見回し、朝は「おはよう」、昼は「とくに、かわりはないかな?」、放課後は「さようなら、あしたまた」という一言、言うのでした。
こんなことは、これまでの27年間の教員生活の間になかったことです。
タローと出会い、そしてこの女子高校の校風がしみ込んだせいとしか考えられません。
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