マサのギャンブルデビュー
「④来たやん。お金は?」
「あほ。もう1個当たってへんから一銭にも
ならんわ」
中2の冬、マサが初めてギャンブルで負けた日の父との会話。
父はごくたまにパチンコ屋に行くぐらいでギャンブルはほとんどしなかったが、なぜか、ダービーと天皇賞、そして有馬記念だけは、祇園の場外馬券売り場まで出向き特券数枚を買い続けていた。
1987年の年の瀬、いつものように馬券を買いに行く直前、初めて父が「おい、お前の好きな数字2つ言ってみろ」と。
それまで父の馬券が当たったところを見たことがなかったので、おそらくやけくそで中学生の息子に聞いたんだろう。
「①と④」
今となっては、なぜこの2つの数字を言ったのか覚えていない
数時間後、父は①-④枠連の特券とおそらく本命サイドの馬券を数枚買い、家に帰って来て、リビングのこたつで競馬中継を見始める。
「①-④来たら好きなもん何でも買うたる」
ただ、レースが始まった瞬間、父の本命馬券は紙くずになったようで、残りの期待はマサの当てずっぽうの万馬券のみという残念な展開になったらしい。
当時のマサにはレース展開は分からなかったが、青い帽子の馬が1着でゴールしたのだけはわかった。メジロデュレンとユーワジェームスの1、2着。枠連④-④で万馬券。惜しくも1枠ハシケンエルドは、ハナ差の3着。
で、冒頭のやり取り。
2着も当てないとハズレ。惜しくても紙くず。
マサのギャンブルデビューは今も続く「惜しいヒモ抜け」で始まった。