マサのギャンブルデビュー③
「こんなもん八百長やろ」
大工一家の母方の叔父が騒ぎ出した。
マサ高校2年の年末のこと、この年は親戚一同が集まって餅つきながらの有馬記念テレビ観戦。
ファン投票1位で出走するオグリキャップを切るかどうかでオッズは割れていた。
地方競馬の笠松から中央競馬へ。一躍スターダムにのし上がったオグリキャップ。
世代的にハイセイコーブームは知らない田舎育ちのマサにとっては、オグリこそが成り上がりの代名詞のような存在。ロマンを感じる馬だった。
ただこの年の秋のオグリは惨敗続き。
引退レースとはいえ、夢と銭は別もので、冒頭の叔父もおそらく別の馬から勝負していたと思われる。
最後の直線、大川さんの「ライアン、ライアン」と絞り出すような声も虚しく、花道を飾ったオグリ。
その直後に叔父は「こんなもん、なんで単勝5.5倍もつくんや。勝たせるの内輪だけ分かってたんやろ」と。
だいたいバクチをやる連中は外れたら「八百長、八百長」と騒ぎ出すと相場は決まっている。
叔父がいくら突っ込んでいたかは分からないが、その年の餅つきが荒れたことだけは覚えている。
そんなこともあって、結局のところ何考えてるか分からない競走馬に夢を託したり、夢に銭を賭けたりといったことが、アホらしいことと未成年の頃から刷り込まれたマサ。
この何年か後に出てきたアブクマポーロやメイセイオぺラに心は動かされても、いわゆる「応援馬券」なるものを買うことはなかった。
年が明け、有馬記念のことなどすっかり忘れ、宝塚記念がどうのこうのと懲りない叔父が言い出した頃、思わぬところからマサにとって初めて競輪に触れるきっかけが。
人間が人間臭く走り、人間が人間臭く金を賭ける。夢を見るのではなく、展開を考え尽くす。ただそれも最後のゴール線で、はかなく消える。
マサが競輪にどハマりするきっかけ。
そのきっかけについては、ご要望があれば、次の機会にでも書きます。