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予想屋ではなくテレビ屋として

たまには当たらない予想屋という立場を離れて古いテレビ屋として書いてみます。

リアリティショーってなんだろうと。

どうやら既存のメディアに規制が多くて、本音の部分が描けてない。だからこそ新興メディアが若い視聴者にウケるものとして打ち出しているコンテンツになっているらしい。

でも違うだろ、と。

一昔前は、ドラマで悪女役をやってる女優さんが街中で「あんた酷いね、大嫌い」と言われて逆にいい演技ができてると誇れた時代があった。

これは作り物です。と、断った上でお客さんにとことん感情移入させる作品を作るのが、この業界にいる者の使命なはず。

もちろんドキュメンタリーもあるけど、ドキュメンタリーはドキュメンタリーで、対象者と心底向き合い、その上で時には対象者とケンカしながら作品を作る。

安易に若い世代に受けるからと、どちらの覚悟もなく作品を作る、作らせるアホども、作るアホどもが最悪の場合、人を死なせる。

ふざけんな、と。

人間の喜怒哀楽は大部分の場合、沈黙になると思います。怒れるときも悲しいときも、人はその感情など爆発させない。いわゆるテレビ的な分かりやすい行動なんてとらない。ただただ静かにその感情を受け入れる。そんなもんをテレビ的に見せるなんてかなりのスキルがいるはず。

それを安易にパッケージ化して、高みの見物をしながらコストかけずに作ろうとする根性が許せない。そして、仕事が欲しい若い出役さんを犠牲して、のうのうと売れっ子気取りになってる業界人もいなくなった方がいい。

いつまでも水戸黄門的な勧善懲悪の現代版みたいな作品を作ってお茶濁すんではなく、そろそろ芝居や演出で食ってるガチ勢は、今のこの風潮に真剣に立ち向かった方がいいと思う。黒澤明も小津安次郎も、俳優のプライベートをさらけ出した良い作品を作りましょう!なんて言ったことがあるかと。

マサは報道、情報畑で生きてきた人間だから、その自信も能力も足らないけど。

もう作るな、世に出すな。というつもりはない。ただ、これはフィクションです。と断った上で、本当に面白いものを作れる人間にだけ、リアリティショーなるものを作れる資格を与えないと。

そんなことを、若くして命を絶った女性の遺族の記事や、演劇に命をかけて志半ばに病気で亡くなった女優さんの遺作を見ながら、強く思いました。

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