映画監督の鎌仲がなぜ移住して民宿✖️農業をはじめたのか_そもそも編
この記事は、ぶんぶんフィルムズの鎌仲ひとみ監督のコラムを、ぶんサポスタッフが掲載しています。大事な情報です。こちらのリンクのシェア大歓迎です
↓↓↓
Letter from 辰野 そもそも編
2020年6月に辰野町に移住し、まるっと3年が経ちました。
コロナのこともあり、世の中が大きく転換する時期に
長野の山の中で過ごせたことはとても良かったな、と感じています。
辰野町で農業生産法人なないろ畑株式会社が所有する古民家に出会い、
2020年になないろ畑の片柳社長が急逝し、私たちも様々な
決断を迫られながら今日まで来ました。
もともと、Community Supported Agriculture の先駆けとして
知られたなないろ畑は社会的な取り組みにとても意識の高い
集団だったと思います。それもひとえに片柳社長のお人柄でした。
2017年に「小さき声のカノン」を上映してくれたことで
私たちは直接、つながりました。このつながりもぶんぶんフィルムズサポーターズの事務局代表、砂子さんがつないでくれたご縁でした。
映画の上映料と私の講演料が払えないから、野菜で払わせてくれ、と
言われ、二つ返事で引き受けました。
すると、なんと、当時世田谷にあったぶんぶんの事務所に毎週、
有機野菜の段ボール箱が一年間も届けられることとなりました。
当時、なないろ畑は会員の会費で運営されており、
野菜を毎週もらえる会費は月あたり5000円。
それが40回以上も届いたので、カメラの岩田とこれはちょっと
もらいすぎでしょう、となないろ畑の出荷場にもういいですよ、と
言いに行きました。2018年1月8日のことでした。
昔から、カメラの岩田は農業にとても興味があり、この時、
片柳社長と意気投合。岩田は片柳さんに弟子入りすることとなったのです。
ボランティアで朝から晩まで二年間、岩田はなないろ畑で働き、
いつの間にか主力のスタッフとなっていました。
一方、私は「インディペンデント リビング」の制作を田中監督と
進めており、尚且つ、世田谷から町田の自宅へ事務所を移転する
計画も進めておりました。移住に向けてです。
というのも・・・不思議な話がありまして、これを書いてしまうと
???と思われる方も多いかもしれません。でも書いてみますね。
その元は「小さき声のカノン」の取材現場から始まりました。
当時、福島県内は除染作業が進んでおり、私たちは汚染マップを作成する
現場の撮影に福島県富成地区に出かけました。2013年秋のことです。
高性能のマップに放射線量を落とし込むことができる装置をつけて
自転車で走り、地域の放射線量を掲載したマップを作るプロジェクトでした。
その計測で、富成小学校の門柱付近が8マイクロシーベルト毎時だったのです。
衝撃でした。
学校には38人の生徒が通っていました。
多くの生徒たちは地域外に出たとも聞きました。逃げられない子供たちが
38人。なんとかしたい、、と私は感じました。
その後、私はとある院内集会で呼びかけました。
この子どもたちを保養させたい、誰か手伝ってくれませんか?
そこで手を挙げてくれたのが、Wさんでした。
彼女はもともと学校で虐待された子供たちの家族を支援する
活動をしていましたが、東日本大震災のあとは猪苗代湖に私財を投じて
保養のための家を借り、運営をしていました。
彼女と二人で38人の子供たちの保養プロジェクトが始まりました。
それは本当に感動的なものとなりました。
その保養の様子はまた次の記事で。
(ぶんぶんフィルムズ 鎌仲ひとみ)
↑↑↑
『いいね』していただけるととてもうれしいです。
応援よろしくお願いします。