報道と自制のはざまで(ぶんサポ便り・第2回)
皆さんこんにちは。ぶんぶんサポーターズクラブ共同代表の武藤北斗です。鎌仲ひとみ監督の『HIBAKUSHA』を観てから人生観がガラッと変わり、気づけば20年以上が経過していることに驚きます。共同代表というよりは、好き勝手提案してヤイヤイしている係です。
さて、私は鎌仲ひとみ監督と同じくらい敬愛している方がおります。映画監督・作家である森達也さんです。私塾(森達也塾)にも参加していおり、11月の授業はジャーナリストの綿井健陽さんがゲストで、イラク戦争などに関する貴重なお話を聞きながら映像を見ることができました。
その際に深く考えこむことがあり、ぶんぶんフィルムズを応援してくださっている皆さんとも共有したいなと思い、私の個人的な有料マガジンでの文章をこちらでも紹介させて頂くことにしました。
早速本題に入りますが、映像の中にはたくさんの遺体がうつっていました。そしてもっとも凄惨な遺体は上半身がほとんどない状態でした。 僕は息を飲み、反射的に少しだけ目を閉じ、ぼやかしながら画面を見ていました。目を完全に閉じなかったのは、目を背けてはいけない事実だと認識した本能と、直視できない感情の葛藤の結果だったのだと思います。でも一瞬ではあるけれど、しっかりと見たのです。
20年ほど前にテレビで放送された時、この映像にモザイクはかかっていなかったそうです。 今だったらテレビを含めたメディアはどう報道するのだろうか。
皆さんはどう考えますか?
遺体はうつした方がいいのでしょうか、それともそこまで見せる必要はないのでしょうか。
何が正解か僕には分からないけども、今の自分が考えたこと、そして発した言葉をここに残しておきたいと思います。(授業で話したことと、それから考えたことが混ざっています)
今、私たちにとって人の死というものが以前よりも軽くなっているように感じています。自然に命をまっとうする死は尊いものだけど、人が人を傷つけたり、ましてや殺したりということは、本当はもっと重く苦しく怖いものであるはずです。ですが、事件や戦争で多くの人が亡くなっていることまでが、軽くなっていないかと不安に思っています。
映画や漫画やゲームの残虐なシーンが理由なのか、気軽に責任感もなく拡散できるSNSが理由なのか、思い当たる節は幾つかあります。 ですが今日の授業で遺体の映像をみて、そしてこうやって話をすることで一つ思うことがあります。
それは、もしかしたら『人間の残虐な事実を自制して伝えない』ことも原因の一つではないかということです。 私は今日の映像を直視できなかった。驚いたし息が乱れるほど苦しかった。けれど、人の命を真剣に考えたし、尊いものだと思ったし、それをこれからも考え続けると思う。
繰り返しになるけれど、今は加害性のある死への感覚が軽すぎると思う。
そう思うと気になってくることがあります。 日本は平和な世の中を軽く見ていないだろうか。戦争のない平和な社会を捨て去り、あまりにも人の命を軽く考え戦争できる国に進もうとする人がいるのではないかと。
もっとリアルに死や戦争を考える必要があるし、そのためには人の行いを直視する必要がある。そのためにはそれが残虐で凄惨なものであったとしても、しっかりと報道する必要があるのだと感じる。それが私の結論でした。
そして当然ながらそのような映像を本当は見たくない。であるからこそ、やるべきは目を背けることではないと思う。
* 来月のブンサポ頼り担当は先週のBS朝日『バトンタッチ』でも活躍を紹介された藤川まゆみさんです。相乗りくんという太陽光発電のプロジェクトを太陽並みのパワーで推し進める藤川さんはブンサポの共同代表でもあります。どんな話が飛び出すか楽しみにしていてください。
▪️BS朝日バトンタッチ 12月2日までTverで視聴できますhttp://tver.jp/episodes/eptm78duoi?p=1039