さようなら3年間
はじめに
わたしが去年の12月27日にXにポストした記事です。
思いを風化させないために、
noteに写しておきます。
本文
障がい者雇用で入った会社に、契約期間満了を告げられたあの日。 失業手当もつかい切った。 「ヤバい」会社を恨んだ。 最低賃金の障がい者雇用。 貯金を切り崩しての生活。 うつでの不安定なメンタル。 すべてを恨んだ。 「なんでもいいのでとにかく、仕事を探しなさい。」
ハローワークで出会った精神保健福祉士の方は電話で叫んだ。 私は、転職サイトに複数登録し。 かたっぱしから応募した。 「何とか、仕事をみつけなきゃ。」 2件面接に進んだ。 2つとも内定。 妻は、 「システム業界でうつになったんでしょ、エンジニアは止めなよ。」と言った。
だけど、生活がかかっていた。 このままでは破綻する。 精神保健福祉士のおばちゃんに電話した。 「今すぐ、その内定の会社に入りなさい、3ヶ月で辞めたらいいわ、そしたら 、失業手当が着くから、その後にゆっくり探すといい。」
私は、2つのうち、1つを選び入社した全く興味がない会社だった。 メンタル不安定でのうつ病を隠しての仕事。 上手くいかなかった。 何回も契約を切られた。 会社からは 「もう、うちにはあなたに紹介できるお客様先はない。別の会社を紹介するので移ったら」 と言われた。 だけど、最後に1つだけ案件があった。
私はその案件に入るしかなかった。 それは、その地域のエンジニアなら誰でも知っているブラック案件だった。 過酷だった。 お客様の鶴の一声で、設計が気軽に変更され、要件さえも途中で変わる。 だけど、スケジュールは変わらない。 過酷な残業の日々。
「このままでは、うつ病がひどくなる」
危機感を覚えたわたしは、副業を探した。もう転職はこりごりだと思ってた。 副業で稼ぎ、フリーランスへ転向する。 これしかないと思った。 結果はダメ 必死に耐えた。 耐えた。 そのストレスは尋常ではなかった。 うつの時は激やせだったが、 10キロ太った。 喘息になった。
骨を2回折り、骨粗しょうしょうと言われた。 不眠は一向に治らなかった。 何回も人生を終わりにしたいと思った。 子供の為にと踏みとどまった。
モンスタークライアントに振り回され、スケジュールの期限は変わらないのに、設計でも、開発でも、テストでも、鶴の一声で要件が変わり、設計を変え、プログラムを変え、テストを何度もやり直した。
「お客様のために、何とか残業や休日出勤で、スケジュールどおりに終わらせましょう」とプロジェクトリーダーは言った。 プロジェクトメンバーは、みんな心のなかでは「バカか」と叫んでいた。
わたしは最下請け。発言の権利はなかった。 我慢して、 我慢して、 我慢した。 いつ死んでもいいと思った。 すべてに興味がなかった。 だけど、何とか抜け出したいと思い。 副業を頑張った。 でも稼げなかった。 絶望の毎日 辛かった。
今日、そのプロジェクトからやっと卒業できます。3年間の我慢 辛かった。 人生最大の苦しみ 「さようなら」 副業でも稼げるようになって来たし、 これからは好きな人生を生きたいな。 誰かの幸せの為に生きたいな。