国立歴史民俗博物館が怖すぎる①

ずいぶん前のこと。「40分だけ見てきていいよ」と言われて、千葉県にある国立歴史民俗博物館に放り出されたことがある。
その時の僕の記憶は、「ビリケン人形を観た」「なんか街並みがあった」程度のもの。ほとんど何も見ていないに等しい。覚えてない。
でも、その40分は強烈な衝動を僕に残した。

国立歴史民俗博物館を端から端まで堪能したい」という衝動を。

土曜の夜に突然歴史民俗博物館に行きたい衝動が首をもたげ、いてもたってもいられなくなった僕は、日曜の早朝に電車に飛び乗って、千葉県佐倉市へ向かった。自宅から佐倉市まではどんなに交通手段を駆使しても片道2時間はかかる。なので僕は文庫本を2冊、モバイルバッテリー、財布、そしてスマホを小さなショルダーバッグにねじ込んで行った。


JR佐倉駅にたどり着いた僕は、まずひとつの感慨にふけった。

ここが長嶋茂雄の誕生の地か~」と。

彼の年齢は歴史上の事件「二・二六事件」と同い年なのですぐ覚えられる。小さなころ、長嶋茂雄は左打ちの選手だと勘違いしていた僕は、祖父の遺した書籍を読み、彼が「天衣無縫のスーパーマン」だということを知り、年を経るごとに彼がどれだけ偉大だったかを痛感していくと同時に、史上初のルーキーにして3割30本30盗塁をベース踏み忘れで逃すような茶目っ気を持っているギャップにやられたものだが、彼の話はまた別の記事でやりたい

歴史民俗博物館に向かうバスの時刻を確認すると、30分ほど待つようだった。せっかく初めての佐倉観光なので、僕は駅から歩くことにした。

歩き始めて5分。斜度30度(当社比。厳密な計測は行っていない)越えの激坂を登らされる。それも、おそらく自治体がオフィシャルに案内する指示板に従って歩いていたら、だ。
交差点の度に「国立歴史民俗博物館 こっち→」みたいな看板が出ていて、明らかに大きめの権力の力によって建てられた頑丈なその看板は、初めて佐倉を訪れた僕に疲労を植え付けていく。ただでさえ2時間以上電車に揺られているし、朝早く出るために朝食をとっていなかった僕は、徐々に上がっていく気温と体温と反比例するようにテンションが下がっていった。

なんてことはない。佐倉駅から国立歴史民俗博物館までの道のりは非常におもしろかった。
駅前の通りに並ぶ謎の銅像たち。
すばらしい景色。
地元の人が大切にしているのがよくわかるお地蔵様
あまり見かけない、並び立つ武家屋敷

「歴史」を色濃く残すこの佐倉という街は、敢えて言うなら「ド田舎」である。駅前の空の広さは圧倒的だが、電車は頻繁に来るし、流れる空気はおだやか。東京駅から1時間でたどり着ける、気軽に味わえるド田舎(ここで暮らすとなると僕は死ぬかもしれない。書店が近くになさそうだし、映画を観に行くのも大変そうだ)。

駅から歩いて25分、植物館と池を通り過ぎて、僕が恋焦がれた国立歴史民俗博物館にたどり着いたのは開館直後、9時32分

無邪気にわくわくしてエントランスに向かう。どう見ても手動のドアが自動で開くことに興奮しながら入り口をくぐり、検温と手の消毒を行い、チケット売り場に向かう。

この時僕は、国立歴史民俗博物館というダンジョンの真の恐ろしさを理解していなかった。

思えば、違和感はあった。

でかすぎるエントランス。中野の民俗資料館の展示エリアが6つは収まりそうなほどでかい。広大な土地をふんだんに使った、すさまじいエントランス。何人も立つスタッフと警備員。

チケットを購入して正面のガラス戸から一度外に出て階段を一番下に降りてから企画展が見られるのだが、そのガラス戸が3枚ある。

もう、すべてが規格外にでかいのだ。

東京の博物館で威容を誇るといえば両国の「江戸東京博物館」だろうか。一度見たら忘れないシルエットの建物。
あるいは多摩六都科学館。フジテレビのあの丸いとこくらいインパクトのある見た目をしている。

そういった、個性的な外見をしていないからこそ、僕は油断した。国立歴史民俗博物館という場所は城跡に建っている。全体像が想像しづらく、建物の中をぐるぐると歩くうちに距離感も方向感覚も失う。

そうして、能天気に第1展示室を観終わった僕が時計を確認した時、その針は12時を指し示していたーーーー


②へ続く

以下写真たち


駅前の空の広さが心現れる


この日の僕と持ち物が完全一致してた謎の銅像


お地蔵様。めっちゃきれいにされてた


オフィシャル道案内はこの右に進ませた


この9文字を見た瞬間目的を達成した気がして一瞬帰りそうになった

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