見出し画像

でこぼこ

一般的な珈琲屋さんは、焙煎前と後に、欠損豆や形の悪い豆を徹底的に取り除いていると思う。
そうすることで雑味のないクリーンな味わいになる、と珈琲関連の書籍にも書かれていたりする。

oitomaでも、勿論腐ってる豆とかあまりにも欠けている豆なんかは取り除いている。ちゃんと、真面目に取り除いている。でも、あまり徹底的にやり過ぎないようにしている。

自分でも天の邪鬼だと思う。
「雑味のないクリーンな」っていうのが、なんというか、こう、ひっかかるのだ。
とても個人的な、情緒的な問題なんだけど。

いろんな形の、いろんな状態の豆が含まれていることで、深い味わいが生まれて面白いんじゃないかと、どこかで考えてしまっているのだ。
(科学的根拠はないので、異論はめちゃくちゃあると思う)

デコボコが多い方が、面白い。
珈琲も。そして、人間だって。

今期のTVドラマの中では、先日最終回をむかえた『リエゾン』が好きだった。

『リエゾン』の舞台は児童精神科。
ドラマの中で、発達系の特性のことは、「デコボコ」と表現されていた。

「デコボコ」があると、この世界はなにかと生きづらいんだけど、環境さえ良ければ、デコボコな人も、特性を生かした素敵な生き方ができるはずだ。

最近、「多様性」なんてことが叫ばれている。それを偉い人や真面目な大人は、肌の色や、宗教、主義、LGBTQとかと結びつけて、無駄にややこしくしがちだ。
(無駄にややこしい世界は、やっぱり生きづらい)

だけど、なんのことはない。

ややこしく考えず、
映画をみよう。
本を読もう。
音楽を聴こう。
珈琲を飲もう。

『リエゾン』で山崎育三郎さんが言っていた。

「あなたには、あなたにしかないものがある」
だから、きっと、大丈夫。

多様性とはなんぞやとうまく説明できなくても、大事な人に「あなたには、あなたにしかないものがある、大丈夫」と言って、救える人でありたいと思う。

フェリーニの『道』を観て、感動できる感性さえあれば、それでいい。

以上、珈琲豆から、多様性について想いを馳せてみました。こわかったですね。

(コーヒーの選別については、お店の人、それぞれに哲学があって、徹底的に欠損豆を取り除いている人もいると思う。そういう仕事も、また素敵だなーって思います。)

#coffee
#珈琲
#oitoma

2023.3.11


【追記2024.1.22】
今読み返すと、「いやいや、絶対に、珈琲豆は選別したほうがいいでしょう。(ある程度)」って、ツッコミを入れたくなる。変なこと書いちゃったな。反省。
一番デコボコしてるのは、自分だと思います。

いいなと思ったら応援しよう!