「はじっこ」の話。
高校に通っていた3年間、私はずっと窓際の席に座っていました。学期の始まりとかに席替えのタイミングはあるはずなんですが、なぜか、毎度、窓際の席Aから窓際の席Bに移動することになるんです。
席替えの方法は、くじ引きだったり、名前順だったり、必ずしも生徒の希望が通るものではありません。それでも不思議と、私は教室のはじっこが発する磁場に吸い寄せられていました。
それで、はじっこに落ち着いた私は、教室の真ん中で輝いているイケている人たちをチラ見しつつ、いつも文庫本なんか読んじゃって。
無駄に真面目っぽい雰囲気を出していました。(本当はそこまで真面目じゃないのに)
あれから、十何年って月日が経ち、歳も取りましたが、私自身はいまだに「はじっこ」の空気を纏っていると思います。
というか、「はじっこ」が心地いいのです。
地味で目立たないかもしれないけれど、たまに、気持ち良いそよ風や若葉の匂いなんか感じたりもできますしね。
……で、何が言いたいのかというと、oitomaの珈琲の味わいにも、なんとなく「はじっこ」感があるんじゃないかと。
いま、
「なんとなく」
「『はじっこ』」
「感」
「んじゃないかと」
と言いました。
……全体的に、抽象的でぼやけたことを言っていますね。
やっば。
でも、抽象的でぼやけている感じが好きなんで、それでいいかって思いました。ぴとぴと。
窓際で飲んで落ち着く珈琲を作りたいです。
写真は、3年くらい前に行ったベトナムのホイアンのどっかのカフェです。趣味のフィルムカメラで撮りました。ぼやけてます。
#oitoma
#coffee
#filmphotography
2022.8.20
【追記2024.1.22】
高校の時、すでに無口だった自分が、はじっこにいようが、真ん中にいようが、たぶん誰も気にしていないはずだ。気にされているくらい存在感があったなら、多分もう少し友達が多かった。
高校の時の友達と、今繋がっている人はいない。いや、まぁ「頑張れば」LINEかなんかでやり取りできる人は何人かいるけれど、お互い「頑張れば」に費やすエネルギーを注ぐこともない。この5、6年間、ほとんど連絡を取っていない。まぁその程度の関係の人ばかりだったのだろう。自分も別にまぁいいかなって思っている。
ただ、それなりにいい年になってきて、最近、新しい友達が欲しい欲が出てきた。人は変わる。