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母のアルバムと"親孝行"

祖母が危篤になってから告別式が終わるまでの5日間、母は家に帰らなかった。
その間、私は毎日父親と共に病院から片道1時間半かけて家と往復した。


家の片隅にある小さな棚を開けると、そこにはいつもたくさんの
アルバムが詰まっている。一際目を引くのは大きな分厚いアルバムに
大きな字で書かれた「ハネムーン旅行」。
私はそのアルバムを、母親がいない間に何度も見返した。
決して初めてではなかった。
過去に一度、母親と一緒に見返したことがある。
"アイドルになれたのに"と思うようなとびきりの美少女と、
めちゃくちゃに格好をつけた絶妙にダサい男が相変わらずそこにいた。


「ママ、なんでお父さんと結婚したのさ」
無慈悲にそう言い放った娘を見ながら母はゲラゲラ笑った。
「本当だよねえ」



昔はこれ以上の思考はなかった。
母は母だったし、父は父だった。
アルバムとは、母の若い頃が映ったちょっと不思議なもので、
それ以上でも、それ以下でもなかった。



祖母の通夜が終わった夜、家に着いたのは23:00頃だった。
身体は限界を超えていて一歩足を進めるのにも気が重かった。
部屋に向かう途中にある小さな棚。
ふと足が止まった。水色の大きく分厚いアルバム。
表面の保護フィルムはもうビリビリになっていた。
父と母が仲良く話している場面はほとんど記憶に残っていない。
3人で出かける時は無意識に私が仲を取り持っている。
それなのに、なぜあのアルバムはあんなにビリビリになっているのだろう。
ソファまで移れない私はアルバムを引っ掴んで真下に座り込んだ。


何も変わらない写真。
ありとあらゆる写真はもう既に何度か見たことのある写真たちだ。
けれども私は、アルバムを開いたその瞬間に気がついたのだ。
"そうか。母は、決して「母親」ではないのだ"と。
会社の同僚たちと映る写真。
父と母(私からは祖父と祖母)と映る写真。
新婚旅行での楽しそうな写真。
そこに映る一人の女性の人生の中に自分は存在しているのだと。


子供にとって、母親は母親だ。
その認識になるのは仕方のないことだろう。
生まれてからずっと、母と子として関係してきたのだ。
自分には自分の人生があるように、母にも母の人生がある。
それをもっと早くに気づいた人はごまんといるのだろう。
私は30歳になるまで全く、全く気が付かなかった。
一人の人生の中に、自分が存在しているということを
体感的に感じることができるかどうか。
それによって親との関係性は変わってくるのかもしれない。


決して良好とは言えなかった親子関係だが、
母親が残してきたアルバムを見て「親孝行とは何か」という
問いかけにほんの少しだけ答えを見出すことができた気がする。


親のルーツを知ること。
親が最初から親だったわけではないのだと、頭ではなく感覚で理解すること。
それがいつになるのかは人によるのだろう。
私は30歳の時だった。
自分も相応に歳をとって、親の命が永遠ではないと感じ始める頃。
祖母の告別式にて、母と祖母(つまり、母子関係)を第三者として間近に見たこと。
そして母のアルバム。
この3つがあって私は母という存在を再認識し、
親子関係を再定義し直すことができたのだろう。



正直母とは根本的に合わないと感じていたことが多かったけれども、
自分ができる範囲で自分なりの親孝行をしていけそうな気がした。

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