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社員数3人から120人へ 10年間の軌跡2
マーケ部芳賀です。
文響社は、いまや120人のメンバーが働く会社になりました。
が、どんな会社も、草創期というものがあると思います。
トヨタ自動車も、日清食品も、ヤクルトも、いまや誰もが知る大企業にだって、どんな会社にも草創期と呼ばれる時期があったはずです。
私は、ラッキーなことに、文響社の草創期(社員数3人の時代)から、現在(社員数120人)までの軌跡に立ち会うことができています。
もちろん、まだまだ夢の途中で、この会社が成し遂げたいことは、まだまだたくさんありすぎるくらいです。
が、途中経過として、
「夢をかなえるゾウ」を売る出版社として、
「夢」しかなかった、昔の時代を振り返ってみたいと思います。
まず、私が入社したのは
2012年7月、ビルの1室で、社長含め、たった4人で働いていた頃でした。
社長1人、プログラマー1人、総務1人のところに、営業の1人めとして飛び込んだのです。
ご縁あり、入社となりましたが、
当時23歳、新卒で別の出版社で働く1年めの私としては、色々と「分からない会社」に、飛び込んで良いものか、
営業を知る上司もいないどころか、社長もプログラマーも、総務も、
誰ひとりとして、出版業界を全く知らない、そんな会社だったのです。
そんなところに、営業で入ったら、苦労間違いなし!!
人生を仕事に捧げて終わるのだろうと思っておりました笑
田舎の父母からも、就職氷河期に、ようやく内定をもらった会社をたった1年そこらで辞めて、わけも分からぬ会社に転職するなんて!と、とても心配されたものです。さらに、「夢をかなえるゾウ」の水野敬也さんの本を売ることができるんだよ!と鼻息あらく説明する私に、母は、「でも…このブログ書いている人でしょ。。?」と、下記のリンクを送り、尚のこと、心配は募る一方なのでした・・・笑
https://ameblo.jp/mizunokeiya/entry-10834470540.html
そんな家族の心配も押し切って、私は文響社に入社します。
当時、転職することを相談すると全員が全員、しんっけんな顔をして否定的なアドバイスをくれました。悩みに悩んで1か月で5キロくらい痩せました。(実話)
こんなに反対されるのだから、やっぱり辞めておいた方がいいのだろうか。。何度もそう思いました。
でも
文響社の社長の言葉と夢を語る顔には、
あらゆる反対意見や心配をぜ~~~んぶ吹き飛ばすほどの威力がありました。
当時の私は「敷かれたレール」から「自ら外れてみる」という初めての経験をしたのでした。そして、それは選んだ道を正解にしていくんだ!という初めての覚悟でもありました。
はじめのうちは、本もなかなかに難産で、売るものがない私は、当時の総務の人と「私たち、20年後くらいには大企業の専務あたりになっているかもね~」などと楽しく夢を語り合っていました。
ほどなくして、
が発売することになり、
全国を駆け回ることになりました。
当時、電話営業では、「文響社」の名前を出すと、「え?知らないなぁ、うちはいりませんよ」と名乗っただけで電話をクローズされるという流れに、四苦八苦。
電話を切られないために、開口一番
「「夢をかなえるゾウ」の水野敬也さんの新刊の件ですが~!!」と大ベストセラー「夢をかなえるゾウ」の看板を勝手に借りて電話をしていました。
そして、まだ社会人なりたてといえばなりたてで、ホヤホヤ甘かった私は、仕事に具体的な指示が欲しかったのですが、
実際には
「これ、100万部売ろうよ!」「芳賀ちゃん、売ろう!絶対売れる!」
そう、どうやって(売るのか)は、
この会社の誰もが答えを知らなかったのです。
この状況には苦労もしましたが、今となってはそれこそが、仕事なんだなぁと、思えるようになりました。
その他、真横で話しかけても全くいないかのようにスルーされるという初めての体験や、
大阪出張1泊2日の予定が、大阪→兵庫→岡山→広島→福岡といって、サドンデス的に静岡に行きそかけ、
身に付けるものを買い足したり、ホテルの洗面所で洗って干したりしながら出張で渡り歩いた思い出、いろいろな楽しいこと、大変なことを乗り越え、
「人生はワンチャンス!」がヒット、
「人生はニャンとかなる!」がNHK「あさイチ」に取り上げられたことから次々にメディアで話題になり、大ヒットを記録しました。
当時「神は細部に宿る」と社長はよく言っていましたが、
ミシン目で切り取れるこちらの本は何度も何度も製本屋さんとやり取りをし、実現させた本でした。(リアルに、何千枚と本を千切りまくりました)
人の情熱は、必ず、伝わる。と実感した出来事です。
そして、これほどの情熱をもって生み出された作品(文響社では本とは呼ばず、ひとつひとつを「作品」と呼んでいました)を
どうしたら、
著者や編集者の情熱を伝えられるのか、
どうしたら、
著者の考えを忠実に再現するために、努力した人々の熱意を伝えられるのか、
それを考えるのはとても難しく、でも、とてもやりがいを感じる毎日でした。
本は、著者、編集者、校正者、デザイナー、製作、営業、PRマン、取次会社、物流会社、倉庫管理者、書店員さん、実に多くの人の情熱を与えられ、愛を加えられながら、出来上がっていき、
書店に並んでいます。
その思いを、改めて、再確認しながら日々の仕事をしていきたいです。
今日はここまで。