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【本】戸田真琴「人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても」感想・レビュー・解説
【今、5分かけて話したことは、一体何時間かけて考えたことなのか?ってのが話してておもしろい人とそうじゃない人の差だよね。5分考えたことを5分話す人と、100時間考えたことを5分話す人がいるんだもん。おもしろさが違ってあたりまえ。】(ちきりん「多眼思考」)
戸田真琴の文章は面白い。
何故なら彼女は、「100時間考えたことを5分話す側」の人だからだ。
【周りがこう言っているから自分もそうしよう、と多数派の示す流れに乗ってしまえるのならば、生きるということはもう少し楽だったのかもしれない。もちろん、マジョリティにはマジョリティとしての苦労もあると思うけれど、感覚を麻痺させてしまうことさえできれば、孤独感は忘れることができる】
僕が、ある時からずっと文章を書き続けているのは、自分がマジョリティにはなれないことに気がついてしまったからだ。気がついてしまった、というか、諦めた、というべきか。だから、文章を書くことにした。自分の考えていることの何が世間と違うのか。自分が正しいと思うことがどうして誰かとズレるのか。そして何より、「どうして自分は間違っている側だと思うのか」ということを考えたくて、たぶんずっと文章を書いているのだと思う。
【自分を出していくうちに、エッセイや文章の仕事が増えていった。でも「文章を書くのが好き」とはっきり言うには戸惑いがある。文章を書くことは、自分のなかの替えの利かない瞬間を残しておくためのただの手段に過ぎないのであって、それそのものが目的ではない】
「言葉にする」ということでしか見つけられない感情がある。頭の中でぐるぐるしているだけでは取り出せない感覚がある。そういう感覚が、僕を、そして彼女を、文章を書くことに向かわせる。
彼女は、言葉の強さを分かっている。
【言葉は、放たれたらもう言葉でしかない。
言葉は言葉そのもので、それ自体が持っている意味、それ自体が伝えたかったことだけでちゃんと伝わるべきだと私は思う】
その強さを、適切に捉えてほしいと願っている。
【私たちは、人に伝える・共有するというプロセスを重んじるあまり、「ただ感じる」ということの大切さを忘れてしまう。本当は、映画との出会いはいつもあなたと映画のふたりぼっちであるべきで、その中では、あなたが感じたことを言語化することができるかどうかなんて、たいして問題ではない。】
言葉を、祈りのようなものだと感じている。
【悲しみの中で書かれた言葉が、誰かの悲しみに触れる時、私の悲しみは、この世にあってよかったものだったんだと、そう思うことができた】
そして、その言葉で、誰かの支えになりたいと考えている。
【誰かひとりでも、同じ苦しみを背負っているけれど言語化できないせいで逃げ出すことができない状況にある人に、あなただけじゃないということ、そして逃げ出しても構わないのだと言うことをわかってもらえたらそれでよかった】
ここまで「言葉」を信頼している人の存在を知るのは、初めてではないかと思うくらいだ。
本書の文章は、どこを切り取っても印象的なのだけど、中でも印象的だった文章がある。
【世界で一番寂しい人は誰だろう、といつも探している。私は、まだ見ぬその人の味方をするために生まれてきた。なぜかずっと自分はそうするべきなのだと、わかっている】
この文章に「共感した」と書くのは、なんとなく恥ずかしいのだけど、僕にもほとんど同じような感覚があるな、と思う。自分と同じような感覚を持つこんな文章を、今まで目にした記憶がないから、なんだかビックリした。
友達や仲間がたくさんいるんだろうな、と感じる人には、どうにもあまり関心が持てない。たぶんそれは、「その人にとって、僕の存在は不要だ」と感じてしまうからだと思う。彼女と同じく僕も、【孤独であることに困ってもいない】から、自分の孤独を解消するために他人と関わる、という発想が、あんまりない。それよりは、僕が存在することで多少は何かが変わる、という人と関わる方がいいんじゃないか、と思ってしまう。そういう意味で、「寂しい人を探している」という感覚は、まさにその通りなのだ。
彼女は、徹底的に、「誰かのため」の言葉を紡いでいく。
【あなたが静かに、あなただけのために愛することができるものが、ひとつでも増えますように。誰かからの無自覚な意見で、あなた固有のまばゆさが、どうか奪われませんように。私は自分自身だけでなく、あなたの中の豊かさも、同じように肯定したいです】
【あなたが嫌いなあなたの部分を、誰かが親しく思うとき、誰かが愛してくれるとき、Dear,コンプレックス。きみが居てよかった。きみが纏わりついて歩きにくかった道の途中で、途方にくれる私でよかったね。と、思う。】
【フォロワーぜんぜんいなくても、友達ぜんぜんいなくても、町中でだれもあなたのことを知らなくても、「いいね」が一個もつかなくても、そんなことは、どうでもいい。あなた自身の価値は、あなた自身とあなたが大切にしている人たちの中で柔らかく、情けたっぷりに愛情加点たっぷりに下されるべきもので、それ以外は、べつにどうと思わなくてもいい。あなた自身の評価は、人生が終わった後にやっともらうくらいで丁度いい】
【誰かを好きになるということは、孤独を覚悟することだ。そうして、1000人のうちの1人だろうと、1万人のうちの1人だろうと、誰にでも同じファンサービスをしているんじゃないかと、同じ言葉をかけているんじゃないかと不安になろうと、相手と自分の間にだけ通じている交感があるのだと信じ切ることが、愛を達成することだ。
相手は謳ったり踊ったりという自分の仕事をまっとうして、何かを伝えようとしてくれているんだから、それを確かに受け取ることだけに集中することが、相手の望んでいることだと思うし、そこに世間も他人もない。むしろ、私のように超個人主義に生きて、世間も他人も忘れてしまえばいい。世間なんてものは、自分のなかにしかない】
読めばわかる。
彼女は、言葉で誰かを救うことが出来ると、100%の全力で信じている。
僕も、同じような信念を持ってはいる。
でもそれは、僕の100倍は強い。
【ただこの本に一行でもあなたと通じ合える要素が含まれていればと願うひとりの人間でしかありません】
【私は、どうしても私という存在よりも、私のつむいだ言葉のほうが大切なものに思えてならない。きっと言葉そのものだけで放つほうがずっと遠くに行けるから、欲を言えばいつか「AV女優・戸田真琴」の言葉だということを介さないで、誰かのもとへ飛んでいってほしい。今は私がAV女優であることさえも利用価値があるくらいまだまだ私は未熟だから、承知のうえで活動しているけれどいつか誰のものでもない言葉として、私の言葉が誰かのもとに届いたらいい】
かっこいいじゃねぇか。
彼女はもちろん、文章の無力さも知っている。【2時間かけて書いた6000字のブログよりも露出の激しい自撮り写真の方が何倍も「いいね」が付く世界】を生きているのだから当然だ。また、【「私が言っているせいで伝わらなくなってしまう言葉」が、この世にあることがとても悲しい】とも感じている。それは、彼女がAV女優である、ということだけではない。
【女性としてこの世界に生まれてしまうと、どうしても「性対象としての価値」という、他人から付けられる値札に翻弄されてしまう。それに合わせてしまう人も、合わせることができないことを不甲斐なく思う人も、抵抗し続けることに疲れてしまう人も、みんなそれぞれ、ぼろぼろになっている】
【若さはちょっと恥ずかしい魅力だから、私は歳を重ねることが好きだ】
それでも彼女は、闘い続けることを止められない。
【覚悟を決め、守るものもなくなって、人によっては当たり前のように見下されるけれど、それでもすり減らない何かが私を生かしている】
「それでもすり減らない何かが私を生かしている」って、凄く良い言葉だよなぁ。
本書は、戸田真琴の二作目のエッセイだ。デビュー作の「あなたの孤独は美しい」も読んだ。前作は非常に理性的な作品だと思った。彼女自身も、物事を理屈っぽく考えてしまうと書いているし、自分に起こったこと、考えてきたことなどを適切に並べて理屈を通していくような文章だったと思う。
一方本書は、非常に感性的な作品だ。理屈がないわけではない。ただ、理屈以上に、想いが先行する。「届いてほしい」という想いだ。前作ももちろん、誰かに届いてほしいという想いで書かれていたと思う。けど本作の方が、圧倒的にそれが強いと感じた。
彼女は、色んな願いを込めて文章を書く。その中でも、やはり根底に強くあるものは、「みんなと同じである必要はない」という想いだ。
【友達と映画を見た帰り道、相手の顔色を窺いながらこぼす感想も、SNSで検索をかけて「好評」と「不評」のバランスを見て、自分の感じ方が正常かどうかを測ることも、映画に対して失礼だ。大した言葉にならなくなって、それでもいい。無理に言葉にしないで、ずっと黙っていたっていい。みんなが感動した作品にひとつも感動しなくたって、みんながつまらないといっていた作品を大好きになったっていい】
【みんなが当たり前だと言うことがあったなら、一呼吸おいて、心の中で「本当にそうだろうか?」と問いかけてみる。それからもう一度探すのなら、きっとより自分にとって正しさに近い答えが見つかるような気がしたのだ】
彼女は、高校で生徒会に入るが、そこで「お前には自分」というものがない」と責められたのだという。どっちの意見にも良いところと悪いところがあるから決められない、と言い張っていたというが、その感覚の根底にある考え方について、こんな風に書いている。
【思えばいつも、シーソーの浮いている方にわざと乗ってみては、バランスを取ろうとするような人間だった】
僕もそうだなぁ、と思う。「一番寂しい人を探す」というのと近い話だが、いつだって僕は、そして彼女も、人が少ない方に進んでしまう。「バランスを取ろうとする」というのはまさにその通りで、僕が少数派の方に動いてしまうのは、全体のバランスが悪いように見えてしまうからだ。
もちろん、自分に確固たる意見がある時に、それを敢えて曲げるようなことはしない。ただ、自分の中で正しいかどうか判断しがたい複数の意見・価値観がある時には、一番推されていないところに進んでしまう。その方が、どうしても「正しい」ように感じられてしまうのだ。
彼女は、あらゆる言葉を尽くして、「みんなと違ったっていい、っていうかそれが当たり前だ」ということを訴え続ける。その切実さが、なんだか愛しい。
「消費されること」に関する彼女の考え方も、とても興味深い。この考えが最終的に、「AV女優になった理由」の一角を占める、という点も。
【人が、消費されていく。代わりがいくらでもいるとでも言わんばかりに、目まぐるしく「世間」の登場人物は変わっていって、居なくなった人のことを誰も思い出さなくなる。それは、この世界ではあたり前のことのようだった。私にはそれを受け入れることが出来なかった。だって、このやり方で世界が回っていくのなら、「自分が好きな自分でいる」ということが、できなくなる人がたくさんいる。私の本当の望みは、そんな世界を変えることなのかもしれない。なんだかずっと、それを感づいているような人生だった】
【何よりも私は、この「消費」という命題に対して、目をそらすことがどうしてもできないのだ。それは自分自身が一番知っている。この、「消費」のサイクルに、反抗し得る何かを生み出さなければ、私はきっと生きている理由がわからなきうなってしまうのだと思うから。
「いっそ、限界まで値踏みされてみよう。徹底的に”消費”されてみよう」
そう思った。】
【AV女優という仕事は、そういった、「よそからの価値観に翻弄されて自らをぼろぼろにしていく」サイクルをもっとも誰からも見える場所で、くりかえしていく破壊的な仕事でもある。だけれど、人前で裸にならなくたって、つねに誰かから価値を推し量られるようなこの暮らしに疲れ果てている人はいくらでもいるはずで、私はそんなあなたと、一緒に戦いたいし、慰めあいたい、耐え抜きたい、本当は誰にもばれない逃げ道を探したい】
彼女の闘い方は、ちょっと変わっている気もするけど、明確な信念を持って「消費」に立ち向かおうとしているし、その最前線に立とうとしてAV女優になった。もちろん彼女は、自分を良く見せすぎない。
【掃除と洗濯が苦手で、洗い立ての洗濯物を干している時なんか苦痛で顔が歪んでしまう。生活能力が著しく低い。いつまでも上手に大人になることができないから、AV女優という極端な仕事はどこか気が楽なのだった】
【シンプルに社会不適合者】と自らを評する彼女は、自分がなんとか踏ん張って立ち続けられる世界が闘える場所であるために、今日も奮闘する。
【こんなふうに思いや覚悟を伝える場所が、いつまでもあるとも限らない。それでも居場所がなくなる前に、「私」が使い尽くされる前に、一歩でも遠くへ行かなくちゃ、と思うから今も必死で探している】
【1分1秒と移り変わっていく、チョコボールのように後ろから次々と新しい女の子をデビューさせ、常に居場所を揺るがされる世界、性欲ベースの冷静ではない評価が明日の居場所を左右する世界で、痺れるように、「今私は何をするべきなのだろう」と、じぶんに問い続けることができる】
彼女の言葉は、「戸田真琴」という”装飾”を剥ぎ取っても自立するだけの強さがある。そこに、僕は惹かれる。
【私が知っている中で一番奥が深くセクシーなのは私の頭の中だった。それを好きになる人が、ひとりでもいるのなら、それが私の価値なのだ】
彼女の言葉が、誰かに正しく届いてほしいと願う。
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