【映画】「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」感想・レビュー・解説
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いつも難しいなぁ、と思っている。
「本を売る」というのは。
僕は書店員をしていて、現場で本を売る仕事をずっと続けてきた。ある程度自分の最良で色んなチャレンジが出来る立場に長くいて、それなりに色んなことをやってきた。
理想としては、「その本を必要とする人に”だけ”、その本が届く」というのが最善だ。どんな本でもそれぞれ、それに見合った読者がいる。読者のレベルの話をしているのではない。痩せている人にはダイエット本は必要ないだろうし、人が死ぬ話を読みたくないという人には大半のミステリーは必要ない。
ただこれは、2つの意味で、非常に困難だ。
まず1つは、本の価値は、読み終わるまで分からない、という点にある。ある人がある本を読むよりも前に、その本が必要であるかどうかを判断する方法は存在しない。本というのは、最後まで読んでみて初めて、自分にとって必要か必要でないか判断できる。それを読む前の時点で正確に行うことは不可能だ。
ある程度は出来る。この本はこういう本ですよ、こういう人に合ってますよというようなことを、ざっくり射程を絞って提供することは出来る。しかしそれは、あくまでも”ざっくり”以上のものではない。どんなやり方をしても、その本が届くべきでない人のところにも届いてしまうし、それを防ぐ方法はほぼ存在しないと言っていいだろう。
もう1つは、上記の理由と重なる部分もあるのだが、人間の欲求はあらかじめ決まっているわけではない、ということだ。先程は「本そのものの価値」について触れたが、こちらは「それを読む人の欲求」の話だ。
本に限らずだが、自分がそれまでまったく触れたことのなかったジャンルに触れた時に、それに思わずハマってしまった、という経験は、きっと誰しもがあるだろう。これは、自分が意識出来ていない欲求が存在する、ということを意味する。であれば、ある本に対する欲求が、その本を読むことによって喚起される、ということもありうる。つまり、「必要だと”意識している人だけ”に届ける」ことには意味がない。大事なことは、「必要だと”結果的に意識することになった人”にも届ける」ということだ。そして、それを実現する方法は存在しない。1つ目の理由と同じく、それを読む前の時点で判断することは不可能だからだ。
この2つの理由から、僕は、「その本が本来持つ価値を明確に打ち出し、その価値をきちんと理解した人に届けること」ももちろん大事だが、「その本が本来持っているとは言えないかもしれない価値を感じさせて、その本がより多くの人に届きやすくする」ということも大事なのではないかと、長く書店で本を売り続けてきた経験から考えるようになった。僕の理屈としては、「どれほど素晴らしいやり方を考えたところで、その本が本来届くべきではない人に届いてしまうことは防げない。だったら、そのマイナスをゼロにすることに注力するよりも、そのマイナスが仮にさらに増えることになったとしても、プラスがさらに増える方法も模索すべきではないか」ということだ。
この考え方には、きっと異論はあるだろう。僕自身も、100%納得できているわけではない。やはり、本当に実現できるのであれば、「その本を必要とする人に”だけ”、その本が届く」やり方を見つけ出すべきかもしれない。AIが社会に組み込まれることで、いずれこれは実現するかもしれない。しかし、今はきっと無理だろう。だったら、よりマイナスを拡大することになったとしても、プラスも拡大するやり方をするしかないんじゃないかと思う。
モノが売れない時代になったとよく言われる。ここでは本の話をしたが、あらゆるエンタメやコンテンツが激しい競争の中にある。特に最近は、サブスクリプション的なビジネスモデルが主流なので、ますます「何かを買って所有する」という行為は減っていくだろうし、そうなればなるほど、今まで以上に何らかのコンテンツを広めていくことは難しくなるだろう。そうなった時、「広く届かせる手法」はますます必要とされる。
いや、僕だって、エリックの手法を是としているつもりはない。つもりはないが、簡単に否とするのも難しいと思ってしまう。映画を見ながら、そんなことを考えていた。
内容に入ろうと思います。
本書は、世界的ベストセラーである「ダ・ヴィンチ・コード」シリーズの出版に際して実際にあった出来事を舞台設定として展開するミステリーだ。
世界的な大ベストセラーとなった「デダリュス」三部作の完結編の出版権を獲得したと、アングストローム出版のエリックは、ドイツのブックフェアの会場で高らかに宣言をする。作者のオスカル・ブラックは、誰もその正体を知らない謎めいた存在で、唯一エリックだけが彼とコンタクトを取ることができる。フランス語で出版された本シリーズは、多言語翻訳をし、それらを世界同時発売するとエリックは決断した。そのため、各国語の翻訳者9名が、フランスの洋館に集められた。この洋館には、持ち主であるロシアの大富豪が核戦争に備えて作ったという要塞のようなシェルターがあり、9人の翻訳者たちは2ヶ月間、そこで隔離されることとなった。室内プールやフィットネスクラブ、ボーリング場まである豪勢なシェルターだが、携帯電話やパソコンなどすべての通信機器が入り口で没収され、屈強な警備員の監視の下で作業することが求められた。彼らは様々な不満を持ちつつも、与えられた条件下で最大のパフォーマンスを発揮すべく努力する。
「デダリュス」の登場人物の一人であるレベッカの格好で現れたカテリーナ、全身に入れ墨のあるテルマ、スケボーをシェルターに持ち込むアレックス、エリックに接近しようとするダリオなど、個性の強い翻訳家の面々と、彼らのサポートをする、エリックに忠実な出版社社員であるローズマリーが、閉ざされた空間で上手くやっていこうと努力する中、エリックの元にとんでもないメールが届く。
「冒頭の10ページをネットに流出させた。24時間以内に50万ユーロ支払え。さもなくば、次の100ページも公開する」
怒りに打ち震えたエリックは、犯人が判明するまですべての作業を停止させ、食料などの供給をしないと決めた。犯人を見つけ出さなければ事態は進まないが、しかしエリックの想定外の出来事が次々に起こる。
果たして、完全な密室に囚われた面々は、いかにして「デダリュス」を流出させたのか?誰が、一体なんのために?
というような話です。
ホントに、よく出来た物語だなぁ、と思いました。メチャクチャ面白い。物語の展開と共に、どんどんと様相が入れ替わっていき、「問い」そのものが変転していく。この物語に対する「正しい問い」が何か分かった時、観客は度肝を抜かれることになる。
物語についてあれこれ書きたいところなのだけど、正直、何を書いてもネタバレになりそうな展開で、触れられることがほとんどない。これ以上内容に触れようとすると、書いちゃいけないことも書かざるを得なくなりそうなので、止めておこう。
冒頭に書いた「どう本を届けるか」という話も、作品の中核の一つではある。先程も少し書いたけど、エリックのやり方に不快感を抱く人もいるだろうし、正しくないと感じる人もいるだろう。僕自身も、エリックみたいな人間が近くにいれば、きっと不快感を抱くと思う。しかし、だからと言って、エリックの対極が正解、というわけでもない。ここははっきりさせた方がいい。エリックは極端に濃度が濃いだけであって、ベクトルそのものが間違っているわけではない、と僕は思う。というか、そう思わなければ間違えてしまうんじゃないか、と思う。あの場面におけるローズマリーの選択は、この物語においては正しいと思うけど、だからと言って、彼女のスタンスが常に正しく作用するとも限らない。その辺りのことを明確に意識していないと、結局は、エリックという虚像に振り回されてしまっている、という事になりかねないだろう。
物語上、色んなことが起こるから、犯人としては「完全勝利」と言い難いだろうと思うけど、ただ、最後のあの対峙しているシーンで、あのセリフを言えることは、きっと痛快だっただろうし、なんというのか、同じような瞬間を体験出来るものならやってみたいと思わされた。