【映画】「1941 モスクワ攻防戦80年目の真実」感想・レビュー・解説

とても良い物語だった。
だからこそ、どう受け取るべきか難しい。

それは、私が抱く「ロシア」という国への偏見が関係している。

ロシアには、どの程度「表現の自由」があるのだろう?

私は、ドキュメンタリーや実話を基にした映画をよく観る。そしてその度に、「よくこんな話を映画化したものだ」と感じさせられる。

映画によってはその驚きは、「自国の恥さえも明るみに出している」という事実に対しても向けられる。戦争・政治・デモ・社会問題など、国の恥部をその国のクリエイターたちが映画にする。そのような「表現の自由」を目にする度に、良い時代に生きているなと感じる。

ただ、ロシアや中国に対しては、「表現の自由が確保されているのか?」という点に対する信頼を持つことがなかなか難しい。

この映画は冒頭で、

【本作は実話を基にしている】

と表記される。なので、物語の大枠は事実なのだろう。将来の指揮官を育成する士官学校の生徒が、訓練を終える前に前線に駆り出され、多数の死者を出しながらドイツ軍に対して防衛を果たしたという、「モスクワ攻防戦」。その基本的な事実は正しいはずだ。

さて、公式HPにはこう書かれている。

【当時の戦いを正確に描くため、近年ロシア国防省が機密解除した文書・資料に基づき脚本を作成。圧巻なのは、激戦の地イリンスコエ前線のあった地に、村、道路、橋、人工の川といったレプリカが、当時の航空写真に基づいて正確に復元されたのだ。さらに、ソ連・ドイツ両軍の戦車、装甲車、大砲、航空機等の兵器は、博物館に保管されている本物が使用されている。】

この文章は、この映画の「信頼性」を高めるものだと思うが、しかし一方でその「信頼性」を疑わせるものでもある、と感じる。

何故なら、博物館に保管されている本物を使用しているということは、明らかに国の支援が存在するだろうし、ロシアという国の正確を考えれば、「国の支援を受けた映画で、『ロシアにとって都合の悪い描写』をすることは難しいだろう」と想像できるからだ。

もちろん、仮に「検閲」的なことが行われているのだとしても、「事実と異なること」を描くことまではさすがにしないだろう。しかし、「事実の程度」を調整することはできる。

そして、どこまでその「調整」がなされているのか、僕には当然判断できない。だから、この映画をどこまで「映し出された通り」に受け取っていいものか分からない。

ただ、そういうことを抜きにした時に、物語も映像のスケールも凄まじいと感じさせられた。戦闘や爆破のシーンなどは、物凄く臨場感を抱かせるし、戦場の実際を知らないながらも「リアル」だと感じさせられた。

物語も、映画全体のトーンは明らかに「戦争は悲惨なものだ」というメッセージを込めたものになっているので、そういう点でも良い。また、「たくさんの人が死んでいく戦争」という現実を描きつつも、きちんと個人の物語を映し出してもいるので、物語としても惹き込ませるし、ウルっとさせる場面もある。

以下では、「『調整』はされているかもしれないが、基本的に描かれていることは事実」として感想を書いていくが、上述のような懸念は拭えないという気持ちもある。

とりあえず、内容の紹介をしよう。

1941年10月。ロシアに侵攻しているドイツ軍は、モスクワを目指して進撃を続けている。しかし映画の冒頭はしばらく、戦争からは遠く感じられる平和な描写が続く。
ポドリスクにある士官学校では、将来の士官候補生たちが訓練を行っている。大砲の撃ち方や弾の補充などを行う砲兵の中に、ラヴロフとディミトリがいる。彼らは親友だが、看護師として訓練を受けているマーシャに共に恋をしており、彼女を巡って殴り合いの喧嘩まで発展してしまう。2人は罰として5日間の独房入りを命じられたのだが、その間に状況は一変する。
ドイツ軍が予想よりも早く進撃を進めているのだ。
軍幹部は、まだ訓練を終えていないポドリスクの士官候補生たちを前線に送る決定をする。学校側は、彼らは未来の指揮官候補だと反対を訴えるが、モスクワが陥落すればすべて終わりであり、他に選択肢はないと押し切られてしまう。
まだまだ訓練が続くものだと考えていた士官候補生たち3500名が、イリンスコエの前線に送り込まれることとなった。
しかし、前線にたどり着いてみて指揮官は絶望する。防衛陣地がまったく完成していないのだ。塹壕も掘り終えておらず、装甲板もない。監督責任者は、毎日20時間女も年寄りも動員して作業を続けたがこれが限界だったと弁明する。つべこべ言ってもしかたない。増援がやってくるまでの数日間、なんとかドイツ軍を食い止めなければならない。
しかし、実戦経験のない若者たちにとって、その前線はあまりにも過酷極まりない戦場だった……。
というような話です。

冒頭でも書いた通り、とても良い映画だった。

僕が面白いと感じたのは、戦闘のシーンではない。映像的な迫力は凄いし、もちろんそういう部分も面白いのだけど、僕はあまりドンパチ的なことにワクワクするタイプではない。

僕が斬新だなと感じたのは、この物語に、女性が当たり前のように登場する、ということだ。

正直、「戦争映画」と呼ばれるものを見ていて、「戦場に女性がいるシーン」というのをほとんど見た記憶がない。

映画を観た後で調べてみると、日本でもアメリカでも「従軍看護婦」と呼ばれる存在はいたそうで、女性が看護婦として戦場にもいたそうだ。正直どういう状況だったのかよく知らないが、驚くのは、今まで観てきた「戦争映画」に、「女性の看護婦」みたいな存在が出てくるのを見たことがないという点だ。「衛生兵」と呼ばれる男性の兵士は出てくるが、戦場で女性が看護をする、という場面を、少なくとも僕は見た記憶がない。

なのでこの映画では、まずその点が非常に新鮮だった。

そして、これもどこまで事実に即した描写なのか分からないが、そういう「女性の看護師」と「男性の兵士」が、戦場でイチャイチャしているのだ。そしてそれを、周りも特別変なことと受け取るでもなく、当たり前のものとして見ている。

これが本当に、当時の戦争のリアルな描写だとしたら、ちょっと驚くなぁ、と思う。

日本軍だったらどうだろう、と考えてみる。従軍看護婦はいたのだろうし、もしかしたらその中で恋も芽生えたかもしれない。しかしそれを大っぴらに周囲に見せるのは無理だろう。僕がイメージする日本軍は、そういう色恋的なものをオープンにして許容されるような組織ではない。

また、これも本当に実際にあったことか分からないが、看護師長みたいな女性が指揮官に意見するような場面も描かれる。これもまた、僕がイメージする日本軍ではあり得ない光景だ。

僕としては、この映画のこのような描写が凄くいいなと思った。「戦争映画」をたくさん観ているわけではないので、戦場に女性がいるような「戦争映画」は他にも当たり前に存在するのかもしれないが、僕にとってはこの映画が初めてだった。また、女性看護師を描くとしても「こんな女性看護師が存在した」という風に主役として描かれるような気がするが、この映画では「女性看護師は当たり前にいる」ものとして描かれるのもよかった。

だからこの映画の女性看護師の存在や描写は、事実に即していてほしいなぁ、と思ってしまう。

さて、映画全体の「モスクワ攻防戦」について、公式HPには、

【この映画は、モスクワの戦いで起こったあまり知られていない出来事に焦点を当てています。】

【ポドルスクの若い士官候補生たちの偉業は、軍事史上、他に類を見ないものでした。】

と書かれている。「モスクワ攻防戦」そのものは有名だが、そこで士官候補生たちが戦闘に参加していた、という事実は、国内でもあまり知られていない。そんな偉業を知ってもらいたい、というのがこの映画が制作された動機の1つだろう。

同じくHPにはこうある。

【ポドルスクの士官候補生の名前を冠した通りや学校があり、彼らに捧げられた記念碑があり、博物館が彼らの物語を伝えているが、イリインスキー防衛線で戦死した若者たちのほとんどは、今日まで実際には「行方不明」とされている。彼らの子孫は、いまだに先祖の最期の地を知らない。士官候補生の多くは若くして家族を持ったため、何の遺産も残せなかったのだ。回収された遺体の身元が確認され、安置されるたびに、2~3人の遺体が名前を知らないままになっている。】

だからこそこの映画では、戦闘をリアルに描き出すことと同じくらい、その戦場を生きた若者たちの「生活」みたいなものも描き出すことに重点を置いたのだろうと思います。映画で描かれる彼らの「生活」がどこまで事実に即しているのか分からないが、1941年当時の本物の軍用装備を用意するほどこだわっているらしいので、「生活」もかなり忠実に再現したのだろう。士官学校での穏やかな日常、前線での地獄のような日々、負傷した者たちが集められる救護所に様子など、場面場面で異なる雰囲気が描かれる構成もいい。

看護師長が、「どうして未来ある若者が死ななければならないの」と訴える場面はグッときたし、まさにその言葉通り「戦争」の悲惨さを感じさせられる映画だ。

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長江貴士
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