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【本】門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」感想・レビュー・解説

これは、日本を「最悪」から救った男たちの物語だ。


著者は、本書のスタンスをこう書いている。

『本書は、原発の是非を問うものではない。あえて原発に賛成か、反対か、といった是非論には踏み込まない。なぜなら、原発に「賛成」か「反対」か、というイデオロギーからの視点では、彼らが死を賭して闘った「人として」の意味が、逆に見えにくくなるからである。
私はあの時、ただ何が起き、現場が何を思い、どう闘ったか、その事実だけを描きたいと思う。原発に反対の人にも、逆に賛成の人にも、あの巨大震災と大津波のな中で、「何があったのか」を是非、知っていただきたいと思う。』

本書は、「いつ、どこで、誰が、何を、どんな風にしていたのか」が、それが徹底的に語られていく。


しかし、無味乾燥な「事実の羅列」なわけではもちろんない。「時系列に沿って何が起こっていたのか」は、もちろん詳細に扱われる。しかしそれ以上に、福島第一原発という「死の淵」に踏みとどまり、そこで闘い続けた人間たちの「極限の姿」が多く描かれていく。


僕はこれまでにも、震災や原発に関する本をそれなりには読んできたつもりだ。そういう本を読むと、やっぱりこういうことは「知っておかなくてはいけない」と感じる。日本人として、知らないで過ごすわけにはいかないだろうな、と感じることがとても多いのだ。


だからそういう本の感想にも僕は、そういうようなことを書く。「日本人として、知っておかなくてはいけない事実なのだから読みましょう」というようなことを。


本書は、もう少し違う薦め方が出来る。


それは、「信頼力」を身につけることが出来る、というものだ。


僕は震災当時も今も関東に住んでいて、福島第一原発のことはテレビやネットの情報などで断片的に知っていただけだった。


あの当時、本当に色んな人が、色んなことを言っていた。


これは危険じゃないのか?本当に安全なのか?これこれはどうなっているんだ?何故これはこうではない?…


テレビでも、色んなことをやっていた。遠くから見える僅かな変化と、大量の憶測で、色んなことを言っていた。


もちろんそれは、不安で仕方がなかったからだ。誰もが不安で、その不安を抑えきれなかったし、その不安を解消してもらいたくて色んな人に聞くし、そういう要望があるならテレビでも不安を取り除こうとする説明をしようとする。だから、そういうことが悪いわけじゃない。


でも、もっと「信頼」してもいいのだと、本書を読んで改めて思った。


現場は、凄いぞ。


僕らは結局、テレビやネットで流れた情報しか知らない。本書でもちょっと触れられているのだけど、福島第一原発で二人作業員が行方不明になった時に、「その二人は福島第一原発から逃げたんだ」というデマがネット上で流れたらしい。何を考えてそんな嘘を言えるのかはよく分からないのだけど、まあでも、そういうデマがある程度真実味を帯びて拡散されてしまうほどには、皆「信頼」していなかっただろうと思う。


僕もそうだったかもしれない。


当時は情報が混乱していただろうし、国民に情報を伝える立場の人間が情報をほとんど持っていないということが非常に多かった。僕らには、結局そこしか見えない。そこしか見えないから不安になって、そうやってどんどん雰囲気が悪くなっていく。


本書を読むと、現場の凄さが分かる。僕らの視界には入っていなかったとは言え、この人達のことを「信頼」していなかったのかと思うと恥ずかしい気持ちになるほどに、現場は凄い。


彼らは本当に、自分の命を賭けて「日本を守った」のだ。


本書を読めばわかるが、吉田昌郎所長を始め、数多くの人間の冷静な決断と、勇気ある行動と、プロフェッショナルな知識と、そして「死ぬ覚悟」が結集して、どうにか「チェルノブイリ×10以上」という、最低最悪の事態は回避することが出来た。


彼らが、どんな思いでそこを目指し、そしてどれだけボロボロになりながらそこにたどり着いたのか。


もちろん僕も、本書を読むまで知らなかった。誰かがやったのだろうという、「顔も名前も見えない誰か」の奮闘ぶりをぼんやりと想像することぐらいしかしていなかったと思う。


でも本書を読んで、顔はともかく、あの当時誰が一体何をしたのかということが詳細にわかる。そして、その一つ一つの凄さが改めて理解することが出来る。


これからも、災害を始めとして様々な事態に襲われるだろう。その時きっと僕らはまた、無知故に不安になり、その不安を解消しようとして全体を悪循環に巻き込んでしまうことだろう。


だから、本書を読んで、現場を「信頼する」力を身につけてほしい。僕が本書を読んでほしい一番の理由は、そこにある。


何かがあった時、直接それに関わっていない人間には、ほとんど情報が届かないことだろう。僕らに見える範囲にいる人達が、酷い有様であることもきっと多いだろう。それでも、現場の人間だけは信じよう。事態が起こっている最中、僕らにはその現場の人間の姿を見ることは出来ないし、現場がどうなっているのかも知り得ないけど、それでも、現場の人間だけは信じよう。そう、強く思うことが出来る作品です。


内容については、出来るだけ具体的には触れないことにしよう。出来事の経緯は、日本中の人間が知っていることだ。そして、事態がどう展開したのか、その時誰がどんな想いでいたのかというのは、やはり読んでほしい。凄いとしか言いようがない。


いくつか印象的だった場面を抜書きするのと、吉田昌郎について書いて、感想は終えようと思う。

凄い場面は、本当にいくつもある。ギリギリの判断を迫られる場面、すべてを諦めたり受け入れたりする場面、思いもしなかった展開になる場面など、本当に山ほどある。


その中から、吉田昌郎の話を除いて、二つだけ抜き書きしよう。

一つ目は、中央制御室に詰めていた若い運転員が発したセリフから始まる。

『当直長、俺たちがここにいる意味があるんでしょうか』

すでに非常用の電源も落ち、作業自体は大幅に減っていた。しかも、原子炉内部に潜入しなくてはいけない『決死隊』には、若い人間は入れないと決められていた。中央制御室は、ただ待つしかないという硬直した時間に支配されていたのだ。


そこで、若い運転員が、若い世代を代表するような形でそんな発言をする。
それに対して、中央制御室の当直長であった伊沢は、絞りだすようにこう語る。

『ここから退避するということは、もうこの発電所の地域、まわりのところをみんな見放すことになる…
今、避難している地域の人たちは、われわれに何とかしてくれという気持ちで見てるんだ。
だから…だから、俺たちは、ここを出るわけにはいかない。
頼む。
君たちを危険なところに行かせはしない。そういう状況になったら、所長がなんと言おうと、俺の権限で君たちを退避させる。それまでは…
頼む。残ってくれ』

しかしそう発言する伊沢は、もう大分前から、若い人は避難させたいと思っている。思っているのだけど、立場上それを言うわけにはいかない。


原子炉の暴走と対処している福島第一原発の面々たちは、もちろん様々な数値や肉眼で見える範囲の変化を捉えようとしている。しかし同時に、これまでずっと一緒に働いてきた仲間に複雑な想いを抱いてもいる。上の立場の人間であればあるほど、自分はもうここに残るしかない、ここから出られないと感じている。しかしそれと同時に、自分以外の人間はどうにかして出してあげたいとも思っている。そういう場面は幾度もやってくるのだけど、この場面は印象的だった。


さらにもう一つ印象的だった場面が、吉田昌郎所長が「最少人数を残して退避」と告げ、技術を持つ人間と管理職以外の多くの人達が福島第一原発を去った後である。


残っている人間は全員、「死」を覚悟している。そんな中、先ほどの伊沢は、こんな風に思っていたという。

『それより、こいつまで殺しちゃうのか、と心配しなくちゃいけない人間はみんないなくなって、”死んでいい人間”だけになりましたから。悲壮感っていうよりも、どこか爽やかな感じがありました』

もちろん、残っていた全員がこういう感じだったのかはわからない。しかし、もう自分は死ぬと思っている状況の中で仲間のことを考えることが出来る、逃げてくれてよかったと思っている、そういう気持ちは本当に凄いと感じました。

さて、吉田昌郎所長についても書きましょう。
ある場面で、大熊町の元町長である志賀が、こんなことを言う。

『あの原発に吉田さんという所長がいたでしょう。東電の人が、あのひとが所長でなかったら、社員は動かなかったべっていうのを私はこの耳で聞きました。』

確かに、本書を読むだけでもそれは十分に伝わってくる。もし他の人が所長だったら…というifは考えても仕方ないけど、でももし吉田昌郎が所長じゃなければ、原子炉を抑えこむことは出来なかったかもしれない。


本当に凄い人です。


非常用電源が落ちたそのすぐ後ぐらいに、消防車を手配しなくてはと想像し、実際に手配の指示を出している。そして、早い段階でその指示を出していたことが、ギリギリのところで事故の拡大を止めることになったという。
とにかく、ないものはないままやるしかない、という考えの元、絶対に人を失わず、そして原子炉も守る、という執念で事態に当たっていた。采配はアイデアだけではなく、社員たちの精神的支柱としても、吉田昌郎という人物は非常に頼りにされていたのだなと感じさせる。


その吉田昌郎が関わる場面で、やはり一番衝撃的なのは、帯にも書かれているこの場面だ。

『私はあの時、自分と一緒に”死んでくれる”人間の顔を思い浮かべていた』

この場面は、本当に凄い。それまで決して諦めることのなかった吉田昌郎が、諦めの境地に片足を突っ込んだ場面だ。吉田昌郎という人物は、本書を読むだけでも、器が物凄い大きい大人物であることがわかる。その吉田昌郎でさえ、諦めかけてしまう。その現実の凄まじさみたいなものを、改めて実感させられました。


内容ではなく、本の造りに関して一点言いたいのは、巻末に二つ地図が掲載されているのだけど、これは巻頭に持ってきて欲しかったなということ。読み終わるまで、その存在に気づけませんでした。


凄いとしか言いようのない作品でした。あまりこういうことは書きたくないんだけど、最後の方はやっぱりどうしても涙が止まりませんでした。あとがきに、こんな文章がある。

『その時のことをきこうと取材で彼らに接触した時、私が最も驚いたのは、彼らがその行為を「当然のこと」と捉え、今もって敢えて話すほどでもないことだと思っていたことだ。』

そんな、「当然のこと」なわけないんです。彼らは、とんでもなく凄いことをやっています。だからこそ、彼らの勇気を知りましょう。そして、どんな状況であっても、その事態に最前線で対処している現場のことは「信頼」できるようになりましょう。そのために、是非本書を読んでください。


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