【本】サイモン・シン「暗号解読」感想・レビュー・解説
僕はミステリが好きなので、そこでも暗号というのはよく使われる。その多くは、「ダイイングメッセージ」と呼ばれる形で作品の中で登場するのだ。
ダイイングメッセージとは、死ぬ間際に被害者が残す、犯人の手掛かりを込めたメッセージのことである。しかし、そのメッセージは大抵パッと見では分からない。被害者は既に死んでしまっているのだしそれがどんな意味なのかを聞くわけにもいかない。そこで探偵の登場となり、鮮やかにその暗号を解き明かすことで、犯人を指摘するのである。
こういう犯人当てのミステリというものはとかく批判されやすい対象であるのだけど、このダイイングメッセージというのもその対象に含まれる。つまりこういう批判にさらされるのである。何故被害者は死の間際に、助けを求める行動を取らずにわざわざ暗号を残すというような手間を掛けるのか。あるいは、何故もっと分かりやすい形でダイイングメッセージを残さないのか、というようなものだ。もちろん作家の方としてもこの疑問に答える形で作品を出すように努力はしているわけだけど、確かに何でもっと簡単にメッセージを残さないのかという疑問は僕も抱いたことがある。
でも、今でも覚えている鮮やかなダイイングメッセージがあるのだ。それは、何故もっと簡単に、という批判を完全に蹴散らすものだった。
そのダイイングメッセージはあの有名な古畑任三郎のドラマで使われていたのだけど、ある山荘の地下室に閉じ込められて死んだ被害者は、手に何も書かれていないただの真っ白な紙を握って死んでいたのである。もちろん、ペンがなかったわけではない。ペンがあったにも関わらず、被害者は紙に何も書かずに死んだのだ。
古畑は、その別荘の女主人が犯人であると確信して追い詰めるのであるが、最後にそのダイイングメッセージについても明かされるのだ。それは確かに、明確に女主人を指していたのだ。
被害者は死ぬ間際にこう考えたのだ。この別荘の主人は自分を殺した犯人であるし、死んだ自分の姿を一番初めに見つけるのもやはり女主人だろう。であれば、もし犯人の名前を紙に書いたりしたら第一発見者である女主人にそのダイイングメッセージを破棄されてしまうだろう。それは出来ない。であれば彼はこう考えたのだ。ペンがあるのに何も書かずに紙だけ握って死ぬことで、『紙に犯人の名前を書けばそれを処分できる人間こそが犯人だ。つまり第一発見者こそが犯人である』ということを伝えたかったのだ、と古畑は解くのである。なるほどなぁ、と思ったものである。
まあそういったわけで、形を変えてではあるが、多少なりとも日常のレベルでも暗号の存在を感じることはある。しかし暗号の主たる部分はやはり遠い存在である。何故なら、普通の人間には、厳重に暗号によって封をしてからでないと送ることの出来ない情報というのはあまりないからである。それは、軍や政府といった他国との情報合戦のさなかにあるようなところや、あるいは企業や研究所など重大な情報や研究結果などを秘匿しておきたいところにしか関係のない話だったはずである。
しかし、インターネットの爆発的な普及がその現状を変えたのだ。インターネットによって手軽にメールのやり取りをすることが出来るようになったが、それはすなわち、簡単に情報を盗み出すことが容易になったということだ。もちろん僕ら一般の人間には、どうしても隠さなくてはいけない重大な情報は持っていない。しかし、やはりプライベートを覗き見されるのはいい気分ではない。それを防ぐ唯一の手段が暗号なのである。
しかし僕らは、暗号についての知識がまるでないだろう。その歴史はもちろんのことながら、現在広く使われている暗号の仕組みについてもまったく知らないはずだ。僕も、暗号に素因数分解が使われている、といことは知っていたのだけど、それ以上のことは全然知らなかった。
暗号というのは、考えてみると面白いものである。
つまるところそれは、ある人には読めて、ある人には読めない文章ということである。それは、何らかの規則性によって変換されていて、その変換方法を知らなくては暗号を読むことが出来ないということなのだ。
しかし古来、新しい暗号は生み出され、その度に暗号は破られてきた。
暗号の歴史はなかなか古いものだが、以前は暗号解読に必要なのは言語学者であった。何故ならば、それまでの暗号解読に必要なテクニックの大部分は、「頻度分析」と呼ばれるものであるからだ。
頻度分析というのはつまり、ある言語においてどの文字がどのくらいの頻度で登場するかというものである。英語であれば、これはよく知られた事実だろうが、ある文章の中に「e」が出てくる頻度が最も高い。つまり何らかのやり方で変換された暗号の中で頻繁に使われている文字があれば、それは「e」を変換したものではないのか、と推測できるということだ。このテクニックを使うことで、大抵の暗号は解読することが出来る。頻度分析は絶対であって、どれほど新しい暗号が生み出されても、ありとあらゆるテクニックの組み合わせと頻度分析の応用により、ほとんどの暗号は解読可能だったのである。以前であれば、暗号製作者と暗号解読者では、暗号解読者の方に軍配が上がっていたのだ。
暗号に機械が導入されたのは、あの有名なドイツの暗号機「エニグマ」からである。エニグマはありとあらゆる装置の組み合わせにより、より複雑な暗号を生み出すことに成功した。電気回路とそれを繋ぐ様々な配線の組み合わせによって、とてつもない数の組み合わせを生み出し、当時最強と呼ばれるまでになったのである。
しかしそのエニグマも、やはり解読不可能というわけではなかったのだ。エニグマは確かにすごい暗号機であったが、しかし地道な努力とあるスパイのお陰で、当時最強と言われたエニグマさえも攻略への道が開かれたのである。このエニグマの解読からは、人間の癖や無意識の繰り返し、あるいは僅かな油断でさえも、暗号解読の助けになってしまうことを雄弁に示しているのだ。
さてここで著者は一旦暗号から離れ、時空をさらに飛び越え、古代文明にまで遡る。つまり、発掘された古代文字の解読を暗号解読と結びつけ、その歴史について語るのである。
古代の文字というのは、規則性が保たれているはずなのに誰にも読めないという点で暗号と非常によく似ている。その古代文字の解読にも様々なドラマが隠されている。有名なロゼッタストーンのように手掛かりが僅かでも示されたものもあるが、一方でほぼ手掛かりがゼロという状況で解読にまで至った文字も存在する。未だに解読されていない古代文字がいくつもあるというのも、解読者には興味をそそられる話であろう。
そして話はようやく現代に戻ってくるのである。ここでようやく暗号は、言語学者の手から完全に数学者の手に渡ることになる。もちろんエニグマの時代も暗号に数学的な思考や手段が使われたりはしたのだが、しかし数学のみによって暗号が作られるようになったのは現代になってからである。つまり、もはや頻度分析という手段は封じられたのだ。
現代の暗号の最大の成果は、「公開鍵」という概念を導入したことにある。さてその発想に至る過程を追って行こう。
まず暗号には、これまでも長年に渡って付きまとってきたある問題が存在した。それが、「鍵配送問題」である。
暗号を作成する際に、何らかの「鍵」を設定する。その鍵さえあれば暗号を解くことが出来る。しかし暗号と共にその鍵も一緒に送らなくてはいけない。この「鍵を配送する」という手間が大きな問題になっていたのだ。何らかの形で鍵を「直接」届けなければならない。例えば、向こう一ヶ月先の鍵のデータを記したコードブックのようなものを定期的に配送しなくてはいけないのだ。この負担がかなり大きくなってきていた。
そこで、この「鍵配送問題」に取り組もうと考えた人がいた。しかしそれはなかなか困難であった。もちろんそうである。長い間誰も解決することの出来なかった問題である。
しかしある時その人物はある発想に至った。その発想を、アリスとボブという二人の人物に出てきてもらって説明をしようと思う。
まずこれまでの暗号はこうだった。まずアリスは、ボブに宛てて手紙を書きそれをある箱に入れその箱に鍵を掛ける。手紙の入った箱をボブに送るのだけど、しかしまだボブの手元には鍵がない。アリスは何らかの手段でボブに鍵を送らなくてはいけないのである。
しかしこんな発想をしたのだ。
アリスは先と同じように手紙を書き鍵を掛け、その箱をボブに送る。さてここからであるが、送られてきた箱にボブはまた自分で鍵を掛けてしまうのである。そうして二つの鍵がついた状態でさらにアリスに送り返す。アリスは、自分の方の鍵だけを外し、それをもう一度ボブに送り返す。
するとどうだろう。ボブの手元には、ボブの鍵だけがついた状態で箱が存在する。ボブは自分の鍵を持っているのだからその鍵で箱を開ければいい。かくして、お互いに鍵をやり取りせずに暗号を送ることが可能な仕組みが存在可能であるということが示されたのだ。
もちろんこれを実用化するには、上記で示したようなモデルを実現することが出来るような数学上のある手続きを見つけなくてはいけない。つまりある種の関数を見つけなくてはいけないということだが、最終的にそれは、モジュラーという特殊な関数と素因数分解の二つを組み合わせることで実現できた。これによって完成したのが、「公開鍵」という仕組みを取り入れた、現在広く使われている暗号である。この暗号はかなり完璧で、現在のコンピューターの処理速度では、ある一つのメッセージを解読するには、世界中のパソコンを同時に作動させたとしても、宇宙の年齢よりも遥かに長い時間が掛かると算出されているほどである。
しかし、この「現在のコンピューターの処理速度では」という部分が唯一のネックである。つまり、現在よりも圧倒的な処理速度を持つコンピューター、理想的には現在の10億倍くらいの処理速度を持つコンピューターが発明されれば、今使われている暗号はほとんど無効になってしまう。
それを実現できるかもしれないアイデアは、実際に存在する。
それが、量子コンピューターというものである。これは、量子論という物理学の中でもかなり奇妙な振る舞いをする、しかし僕らの現在の生活にはなくてはならないほどの重大な理論を元に作られるコンピューターであり、もしこのコンピューターを実現することが出来れば、ありえないほどの処理速度を実現することが出来るといわれている。実際、まだ量子コンピューターは実現していないのに、、量子コンピューターのプログラムはいくつか組まれていて、その中には、現在の暗号システムを解読するプログラムも既に存在する。つまり、もし量子コンピューターが実現されれば、その瞬間から現在の暗号システムは無に帰すのである。
しかし心配することはない。暗号作成者はもう既に次の段階に入っているのである。
それが、「量子暗号」である。これも量子論の奇妙な振る舞いを利用した暗号であるのだが、この「量子暗号」は絶対に解読不可能な暗号なのだ。これまで、世界最強だとか絶対解読出来ないといわれてきた暗号もことごとく解読されてきた。しかしこの量子暗号だけは、理論的に解読することは不可能なのだ。もし何らかの手違いがあって量子暗号が解読されるようなことがあれば、それは物理学で既に確立されている量子論に何か欠陥があるということになり、大変なことになるだろう。とにかく、量子暗号は完璧であり、誰にも解読することは出来ない。
しかし実用上の問題はまだまだ多く残されており、現在のシステムに取り変わることはない。量子コンピューターが生み出されるのが先か、量子暗号が広く実用化されるのが先か。暗号の未来は今この二つのどちらかに絞られている。
最後に。暗号というのは科学の中でもかなり特殊な分野である。科学者であれば、自分が研究した成果は一刻も早く公表したいと願うことだろう。しかし暗号に関しては、秘匿ことが重要であるのだ。つまり、その仕組みを公表しないことで暗号としての安全性を守ることが出来るのだ。
だからこそこれまでも、最初にある暗号を見つけ出した人物の成果が知られることなく、別の人間にその手柄を奪われてしまうということが多々あった。そしてそれは、現在でもあるのだろう。もしかしたらどこかの国の暗号研究所で、既に量子暗号は実用化されているのかもしれない。あるいは量子コンピューターが完成しているかもしれない。しかしそれは長いこと公表されることはない。それによって不遇な人生を歩まざるおえなかった多くの暗号解読者、あるいは暗号作成者が多く存在する。著者は、そんな歴史に埋もれてしまった成果に対しても、本作の中できちんと光を与えているのである。
というわけで本作の流れを大体書いてみたのだけど、しかし面白い作品でした。さすがサイモン・シンという感じでした。
本作では暗号解読に関する様々な事柄を扱っていて、もちろんその部分もべらぼうに面白いのだけど、さらに本作では暗号に関わった人々についても焦点を当てているというところが非常にいいと思いました。
暗号の作成者や解読者はもちろん、歴史の影に隠れた知られざる成果を掘り出したり、あるいは歴史上暗号によって様々に人生を狂わされた人々の話や、あるいは古代文字の研究者など、様々な人の暗号との関わり方みたいなものも知ることが出来て非常に面白いと思いました。本作では、「ビール暗号」というものが取り上げられているのだけど、それに踊らされた人々の話も面白いと思いました。財宝のありかを暗号にして託された、という物語がついて存在するその暗号は、現在もまだ解かれていないようだし、恐らく財宝もまだ残ったままなのだろう。ロマンを追い求めたい人はやってみてはどうだろうか。
暗号の部分については、やっぱり現代に入ってからのものが格段に面白くなりました。それまでの暗号は、何らかの形で文字を入れ替えたり変換したりすることによって生み出されてきたものであり、それらは頻度分析などのテクニックを使うことで解かれてしまうわけです。でも現在では、完全なる数学の知識を元にして美しい理論の元に暗号というものが生み出されているわけです。しかもそれは「鍵配送問題」という古来よりも大問題すらも鮮やかに解決しているわけで、これは素晴らしいなと思いました。
暗号の未来は、「量子暗号」の登場によって終止符が打たれるわけですけど、しかしドラマはまだまだ続くのだろうなと思いました。
そういえば巻末に、史上最強の暗号という、サイモン・シンからの挑戦状がついています。懸賞金の掛けられた問題で、一番早く解いた人にあげるという企画だったわけですが、もちろんこの懸賞問題はハードカバー版にも載っていたわけで、既に解かれているようです。しかし本当に難しい問題だったようで、スウェーデンの5人組が約1年近くの年月を掛けてようやく解いたのだそうです。ご苦労様です、という感じですね。
本作は、後半は多少数学や物理の話が出てきますが、基本的に誰でも読めると思います。サイモン・シンというのは、数学や物理の話を非常に平易に文章にするのがうまい作家で、誰にでも分かりやすく理解することが出来るのではないかと思います。かなりいいと思います。是非読んでみてください。
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