齋藤飛鳥は様々な人たちからどう見られ、そして自身のことをどう見ているのか? 久々に齋藤飛鳥に関する記事を書く理由 さて、実に久しぶりに齋藤飛鳥についての記事を書いてみようと思う。前回は、2020年12月にUPした、「『浅草みどり』を経た先の齋藤飛鳥」という記事だった。もう4年以上前のことである。
そんなわけでまずは、「私が、齋藤飛鳥や乃木坂46のメンバーについての記事を書く理由」に少し触れておきたいと思う。
僕は何年か前に乃木坂46を箱推しするようになり、その後、まだアンダーを彷徨っていた齋藤飛鳥に興味を持つようになった。そこからずっと、齋藤飛鳥という個人のことは推し続けている。ただ僕は、ライブにも握手会にも行ったことがない。「齋藤飛鳥や乃木坂46のメンバーが出演しているテレビ番組・映画を観ること」がメインであり、さらにその上で、「齋藤飛鳥のインタビューが載っている雑誌を買って読む」のも推し活の一環として続けてきたのである。
そして私はこれまでずっと、齋藤飛鳥やメンバーの「インタビュー中の気になる発言」をすべてWordに打ち込んできた。最初は特に目的もなく、ただ「保存」をメインに考えていただけだが、しばらくしてそうしたインタビューの記述が溜まると、「これを使って記事を書いてみようか?」という考えが浮かぶようになる。こんな風にして、「メモしたインタビュー記事が溜まる度に記事を書く」というサイクルが生まれたのだ。
しかし齋藤飛鳥が乃木坂46を卒業して以降は、インタビュー記事が載ることは少なくなっていった。ファッションモデルとして写真は様々な媒体に載っているのだろうが、インタビューとなると、アイドル時代と比べれば激減という感じになってしまったのだ。そのため、私が書く記事の更新も散発的になっていくといったのである。
しかし今回、ドラマ・映画『推しの子』のプロモーションを兼ねてなのだろう、雑誌『SWITCH』と『Quick Japan』で齋藤飛鳥に関するかなり特大の特集が組まれた。そのため久々に「インタビュー中の気になる発言」が溜まり、こうして記事を書くという流れになったのである。
というわけで前置きが長くなったが、そろそろ記事本編に入ろうと思う。
多くの人が絶賛する「齋藤飛鳥」という才能 齋藤飛鳥は「ずば抜けた人物」である さてまずは、齋藤飛鳥自身の言葉ではなく、彼女の周りにいる人物による評価の話から始めていくことにしよう。雑誌『Quick Japan』では、スタイリストやヘアメイク、映像作家などのアーティストや乃木坂46のマネジメントに関わる人物など、齋藤飛鳥と関わりを持つ様々な人物にインタビューを行っている。そしてその中に、印象的な言葉がいくつかあった。
(※MVを撮るまで齋藤飛鳥についてほぼ知らなかったが、)ところが(乃木坂46の映像プロデューサー)金森孝宏さんから打診を受けたときに「齋藤飛鳥はバケモノのような子だよ」と言われたんです。
「Quick Japan Vol.175」 小林啓一 MV「ここにはないもの」監督 僕から言えるのは、「なかなかいないですよ、こういう人は」ということだけですね。
「Quick Japan Vol.175」 今野義雄 乃木坂46合同会社代表 「なかなかいないですよ、こういう人は」と齋藤飛鳥を評した今野義雄は、乃木坂46の立ち上げから関わってきた人物であり、1期生の最年少メンバーの1人だった齋藤飛鳥の加入を決めた人物でもある。まさに「齋藤飛鳥を見続けてきた」と言っていいだろう。そしてそんな彼は、さらに次のようにも話していた。
これまで坂道シリーズをすべて見てきて、多くの才能の塊に接してきた僕からしても、やっぱり飛鳥はずば抜けた人物のひとりなんです。
「Quick Japan Vol.175」 今野義雄 乃木坂46合同会社代表 大絶賛と言っていいだろう。というわけでこの記事ではまず、「齋藤飛鳥は何故ここまで評価されているのか?」について、様々な人たちの発言を引き合いに出しながら深堀りしていきたいと思う。
多くの人が口にしていた「画になる」という感覚 まず多くの人が口を揃えるのが、「画になる」という評価である。
会ってみるとどこにでもいそうな普通の20代で、偉そうなところもまったくない。ただカメラの前に立つと、すごく映えるんです。アングルを選ばず、どこをどう切り取っても画になる。細かい所作がカッコいいのはもちろん、表情ひとつ取ってもキレがある。俳優の場合は訓練によってそうした所作を会得していくこともあるのですが、彼女はどちらかといえば天性の資質なのかもしれないと思いました。特にカメラに振り向いたときの視線の強さ、佇まいの存在感は別格でした。
「Quick Japan Vol.175」 小林啓一 MV「ここにはないもの」監督 けっこうパンチの効いたモードな衣装での撮影だったんですが、齋藤さんはどんなシルエットの衣装でも、スッと体になじんでいました。アイドルの子たちってそれぞれ「ウエストが気になるから隠したい」とか「首をもっと見せたい」とか、自分のスタイルに合わせて衣装の希望があるんですけど、齋藤さんはそれがない。長袖も、ノースリーブも、首が開いていても、詰まっていても。CDジャケットでも、雑誌の撮影でも、どんな衣装でも着こなすんですよね。首が長いという身体的な特徴もあるんでしょうけど、それだけじゃない、本人の内側から出る表現力も理由なのかなと思います。
「Quick Japan Vol.175」 市野沢祐大 スタイリスト (※『Sing Out!』では初めてサビを使わないCMを作ったという話の中で)このときに初めて、踊り手としての彼女に驚かされたんです。ダンスのうまさって感覚的な部分もあるから何をもってうまいとするのかは難しいけれど、彼女のダンスは画としてすごく持つ。ミュージックビデオを作るプロデューサーの目線でいえば、これはものすごい武器になると思いました。(中略)この人は踊りで魅せられるんだ、という。
「Quick Japan Vol.175」 金森孝宏 乃木坂46映像プロデューサー 多くの人が様々な言い方で「画になる」という感覚を表現していたのが印象的だった。私には写真やビジュアル的なものへのセンスはないのでちゃんとは分からないが、やはり、単に「綺麗・可愛い」「顔が小さい」「身体のラインが美しい」みたいな話ではなさそうである。恐らく皆、「目に見えているモノ以上に惹きつける何かがある」みたいなことを言いたいのだろうと思う。
そういう意味で印象的だったのが、次の発言だ。
その4年後、東京国立博物館で開催した展覧会『春夏秋冬/フォーシーズンズ 乃木坂46』のキービジュアル撮影でお会いした時は、それまでとは異なる垢抜けたオーラを身にまとい始めているなと感じました。もちろん、もともと雑誌等でモデルの仕事は数多くやっていたわけだから、すごく画になる人ではありましたが。 ドレス姿のスタイリングやメイクを上品に作り込んでスチール撮影をしていくなかで、齋藤さんの撮影ではわりと大きく足を開いたようなポージングのカットも撮ったんですが、彼女がやるとそういう写真が下品にならないんです。正面からのきれいな絵だけではなく、”裏側”のおもしろさを作れる人になったんだなと思いました。あえて型を外すようなことをして、それでもきちんと画になるという。何かひとつ、高度なものを作っていける相手だなと感じましたね。
「Quick Japan Vol.175」 本信光理 『乃木坂46 Artworks だいたいぜんぶ展』『春夏秋冬/フォーシーズンズ 乃木坂46』企画・ディレクション 「目で見えているモノ」だけから判断すると、「足を大きく開くポーズ」はシンプルに「下品」に見えてしまうはずだ。しかし、齋藤飛鳥の場合はそうはならない。つまりそこには、「目で見えているモノ」ではない何らかの要素が存在していることになる。彼女は、そのような観点からもとても高く評価されているのだ。
「表現者」としてのレベルの高さ 「目で見えているモノ以上の何か」というのは「表現力」みたいな言葉でまとめられるんじゃないかと思うが、やはり多くの人が齋藤飛鳥の「表現力」を絶賛している。既に話題として出た写真やダンスについても、
被写体としての彼女は、いい意味で特定の軸足がない感じがします。アイドル、役者、ファッションモデル、タレントなどいろいろな分野がある中で、飛鳥はそのうちのどれでもあるし、どれでもない。たとえば、東京国立博物館での展覧会『春夏秋冬/フォーシーズンズ 乃木坂46』のキービジュアル。これまで僕が飛鳥と関わった中で個人的に一番好きな仕事なんですが、このときの飛鳥の写真はファッションの匂いもアートの匂いもするし、サブカルの匂いもする。しかも、それらのどの観点から見てもレベルが高くてかっこいいんです。それが可能になるのが、彼女の素敵なところですよね。
「Quick Japan Vol.175」 青木健輔 ソニー・ミュージックソリューションズ/乃木坂46アートワーク その後「Sing Out!」でセンターに立つことになり、その時に、いわゆるアイドルの振り付けじゃなくて、いろいろなダンスを踊らせてみたんです。そうしたら、踊りを通してどんどん彼女が様々な引き出しを持っていることに気付かされて。ダンスって踊る人の思考と深く結びついたもので、飛鳥ちゃんの踊りからは彼女が抱えてきたもの――人を想う気持ちやあたたかさ、彼女が抱える翳りや哀愁、そうしたものがすごく感じられたんです。それからこれは彼女の特徴でもあると思うんだけど、共感能力がすごく高いんです。相手の気持ちに共感して、わかるよ、それでいいんだよ、ってそっと言ってくれるような優しさを感じて。本当に様々な思いを抱えながらずっと生きてきたんだなって、その踊りから感じられました。
「SWITCH 2024年12月」 Seishiro Vaundy『風神』のMVでダンスを担当 あと、僕はMVで観る齋藤飛鳥の表現力がすごく好き。「Sing Out!」のソロダンスとか、「踊り」ではなく「表現」という感じがするんですよね。齋藤さんの卒業後はいろんなメンバーがこのダンスを踊っていますが、誰が踊っていても齋藤さんを彷彿とさせてしまう。それくらいのイメージを残している。だからこそ、現役メンバーがこの振りを踊ると、乃木坂の歴史を感じてグッとくるんです。
「Quick Japan Vol.175」 市野沢祐大 スタイリスト といったように、様々な人が齋藤飛鳥の「表現者」としてのレベルの高さに触れていた。そしてこれらは、単に「モデルとしてのポージングが凄い」とか「ダンススキルが高い」みたいな話ではなさそうである。何故なら、演技に関しても次のような指摘がなされるからだ。
齋藤さんの表現で印象に残っているのは、見せ場の芝居。撮影に入るまで、齋藤さんは感情を露わにするような芝居は苦手だと思っていたんですけど、ここが見せ場だというところではトップスピードで振り切るんです。叫んだり、泣いたり、長ゼリフをまくし立てたり、どんな場面でもこちらの想像を超えてきて、純粋に心を打たれました。全部指示通りにできたからって、心は動かされないんです。でも、齋藤さんは1から10に応えながら、さらに超えてくる。もう齋藤さんではなく浅草みどりにしか見えないし、私自身も齋藤飛鳥と話しているのではなく「浅草みどり」と話していた印象しかないですね(笑)。撮影中も、浅草の感情が見ている側の心に直接入ってくるというか、台本にあったことかどうかもわからなくなるぐらい、そのままの光景として見入ってしまうことが何度もありました。それはなかなかできることではないし、できる人の中でも頭ひとつ抜けている。そういうところが、表現者として天才的だと思いますね。
「Quick Japan Vol.175」 英勉 『映像研には手を出すな!』監督 もちろん、「モデル・ダンサー・役者としてそれぞれのスキルが高い」と受け取ることも可能なわけだが、それよりはむしろ、「最終的なアウトプットの形が何であれ関係なく、『表現すること』に対するレベルが高い」と捉える方が自然だと思う。しかもその「表現」は決して「齋藤飛鳥自身を表現する」わけではない。モデルであれば服や全体のコンセプト、ダンスであれば曲の世界観、演技であれば演じている人物のキャラクターというように、「自分とは違う何か」を「表現」として乗せているのである。
先ほど「被写体としての彼女は、いい意味で特定の軸足がない感じがします」という文章を引用したが、まさにそういうことなのだと思う。自分自身の色は消して「真っ白なキャンバス」みたいな状態にしておきつつ、そこにどう色を乗せていったら「自分に求められている表現」に近づけるのかを考えているのだろう。
僕は、何でもかんでも「SNSのせい」にする傾向があるのだが、今の時代はやはり、SNSがあることで「写真・映像・文章などで『いかに自分自身を表現するか』ばかり考えている人」がとても多いように感じる。それは別に悪いことではないのだが、「その方向はレッドオーシャンである」とは言えるはずだ。そういう中にあって、恐らく自身は「表現したいこと」など何もないだろう齋藤飛鳥が、「他者の想いを『表現』として完璧に出力する装置」として求められているということなのだと思う。
そんな「表現力」は、かなり早くから培われていたそうだ。
実は乃木坂46のセンターに立つ人たちが担わなければいけないものとして、ダンスという要素は大きいと思っています。ダンスの表現力が一定以上のレベルにないと、なかなかセンターを背負うのは厳しい。その点でいうと、齋藤飛鳥という人は初期からダンスの能力が高かったんです。冠番組『乃木坂って、どこ?』(テレビ東京)が開始してまだ間もないころ、ダンス選抜を決める企画でもすでに選出されていたくらい、早くからお姉さんメンバーを凌ぐ表現力を持っていた。おそらくあの子は、シングルの選抜に選ばれない日々でも、その武器を自分でどんどん進化させていたんでしょう。
「Quick Japan Vol.175」 今野義雄 乃木坂46合同会社代表 「センターはダンスを担わなければならない」という発言に対しても「なるほど、そうだったのか」と感じたのだが、齋藤飛鳥のダンスのレベルがそんな早い時期から高かったことにも驚かされた(『乃木坂って、どこ?』の開始直後ということは、私はその放送を観れてはいない)。確か彼女は、加入前にダンス経験はなかったはずだ。つまり独力で技術を磨いていったということなのだろう。
しかし齋藤飛鳥は、そんな「表現力」という武器を積極的に使おうとはしない。これもまた面白いポイントだと言っていいだろう。
でも、齋藤飛鳥はそんなに表現力があるのに全然やりたがらないんですよ(笑)。『映像研』も「本当にやるんですか?」なんて言って、作品に自分が参加することでどうなるかを慎重に考えている。でも、そんなスタンスだからこそ、何かを表現することにものすごく覚悟を持っているんだなと思いますね。
「Quick Japan Vol.175」 英勉 『映像研には手を出すな!』監督 「本当にやるんですか?」というのは、映画『映像研には手を出すな!』のキャストが決まった後の初顔合わせの際に、「本当に私が『浅草みどり』でいいんですか? 他にもっと適任がいるんじゃないですか?」と言われたというエピソードを指している。監督は「もう決まってるし!」と面食らったそうだが、同時に、「表現すること」に対する「覚悟」をそこに感じ取ったというわけだ。実に真摯なスタンスだと言っていいように思う。
「表現力」を下支えする、驚異の「勘の良さ」 さて、齋藤飛鳥は決して「自己表現」をしているわけではないので、「誰かしらが持っている『意図』」を汲み取る必要がある。そして多くの人が、その力も高く評価しているのだ。
飛鳥ちゃんは容姿がかわいいのはもちろんですが、表現者として本当に素晴らしい感性を持っているな、といつも感じています。特にクリエイティブチームが考える”ゴール”を、すぐに自分なりにしっかりと解釈して表現できる点。ヘアメイクでも、今日はリップにポイントがあったり、フェミニンなヘアにしたり、衣装とのバランスを大事にしたり……といった部分をあえて説明しなくても敏感に感じ取ってすぐに表現してくれる。今日はどんな表現で魅せてくれるのかと、毎回本当に楽しいです。 それに加えて、「特別な才能」を持っているとも思います。その才能とは、「表現者のとしての勘のよさ」。どんなテイストの世界観でもインスピレーションで自分の世界を創りつつ、けっして独りよがりではない表現でカメラの前に立てる。どんなテイストでもしっかりハマる。この才能は、飛鳥さんの今後の幅広い挑戦でさらに開花されていくと思うので、本当にこれからも活躍が楽しみです。
「Quick Japan Vol.175」 秋鹿裕子 ヘアメイク いざ撮影が始まると、さっきまで緊張していたとは思えないほど、すんなりと30分ぐらいで撮影することができました。きっと勘がいいんだと思います。こちらからポージングの指導をすると、すぐに意図を汲み取ってくれるんです。2回、3回と撮影のたびにポーズがうまくなるので驚きました。「家で練習してきたの?」と聞いたら恥ずかしそうに笑っていましたね。
「Quick Japan Vol.175」 山口真澄 雑誌『sweet』編集長 表現が難しいんですけど、何かが少し希薄というか、心にちょっと穴が空いている感じ。これはとてもいい意味で、なんですが。僕がこれまでお仕事でお会いした俳優の皆さんもそうで、心に何かを入れる余地というか、余白を残されているような感じを受けるんです。飛鳥さんもまさにそうで、撮影中も「ああ、そういうことね」「ここでこうすればいいんじゃない?」って感じでスッとやってしまう。ある種の余裕がある。それって結構大事なことで、音楽家でも俳優でもモデルさんでも、その場で起きたことや言われたことに対して変に気を遣わずに「ああ、こうでしょ?」ってやれる方って、本当に力のある方だと思うんです。今回の現場ではダンスをはじめ、かなり大変なことをお願いしたにもかかわらず、そんな飛鳥さんに本当に助けられました。
「SWITCH 2024年12月」 Vaundy 「自分がどうしてここに呼ばれているのか?」について常に考え、「それを実現するためにどうすべきなのか」を実践し続けていることが、周りにいる人たちにはっきり伝わっているというわけだ。さらに、「齋藤飛鳥は『勘が良い』から撮影が早く終わる」という話もとても印象的だった。
(※『裸足でSummer』のCDジャケットで自撮り企画を行った時のこと)自撮りって誰かと一緒に映ったほうが絵になりやすいから、ひとりで撮るのは簡単なように見えて実は難しい。でも、飛鳥が撮影を始めると、短時間でいい写真が撮れてしまったんですよ。初センターだからと気負っている様子もなければ、トライアンドエラーで試行錯誤するといったこともなく、飄々とした感じですぐに撮影を終えてしまった。すごく勘がいい子、うまい子だなという印象でしたね。それ以降の作品も含めてですが、飛鳥の撮影って打率が高いというか、すぐにいいものが撮れてしまうから終わるのが早いんです。
「Quick Japan Vol.175」 青木健輔 ソニー・ミュージックソリューションズ/乃木坂46アートワーク 飛鳥を撮っているときのカメラマンはみんな、「もっと撮っていたい」って言うんです。ほかでは見られない齋藤飛鳥を撮ってやろうという、クリエイティビティを刺激されるのかもしれない。クリエイターにとってはやっぱり、「齋藤飛鳥を自分の作品にする」ことが楽しいんじゃないですかね。でも、さっき言ったように彼女は打率が高いから短時間でいいものが撮れちゃうし、今野(義雄)さんも判断が早いから、すぐに「もう大丈夫でしょ」ってなっちゃう(笑)。『Sing Out!』のときも撮影時間が短すぎて、小宮山さんはちょっと消化不良だったんじゃないかな。だから今回の『Quick Japan』で小宮山さんが飛鳥をじっくり撮るのがすごく楽しみですね。
「Quick Japan Vol.175」 青木健輔 ソニー・ミュージックソリューションズ/乃木坂46アートワーク (※『春夏秋冬/フォーシーズンズ 乃木坂46』の撮影について)カメラマンの刈馬健太くんも、クリエイティブディレクターを担当した本信光理さんも細かいポージングまではディレクションしていないから、飛鳥が世界観を理解して自分でポージングしてくれているんだと思いますけど、本当にすぐ画になってしまう。だからこのときも、そんなにたくさん撮ってはいないんですよ。あまりディレクションがない分、彼女自身の考えたことが表れた写真になっているのかもしれない。すごくいい撮影だったのを覚えています。 (中略)そういえば、撮影時に小宮山さんがあまり飛鳥にディレクションをしないから、もっといろいろ指示してみていいですよと伝えたら、小宮山さんも「いや、あんまりディレクションいらないですよ、この人」と言っていましたね。
「Quick Japan Vol.175」 青木健輔 ソニー・ミュージックソリューションズ/乃木坂46アートワーク そういう「撮影の世界」のことに詳しくはないが、しかし、こういう言い方をするということはやはり、普通は「撮影中に『これ!』というカットが決まらないから、とりあえず色々撮っておいて後で選ぶ」みたいなことが多いんじゃないかと思う。しかし齋藤飛鳥の場合は、その持ち前の「勘の良さ」故に、「これ!」という1枚が早々に撮れてしまうそうなのだ。これもまた「才能」と言えるだろうと思う。
ちなみに、この「才能」もまた、若い頃から群を抜いていたそうだ。
「一を聞いて十を知る」的な理解力は、飛鳥は10代半ばごろから非常に高かったです。通常、僕らのようなおじさんの考え方をいくら語っても、10代くらいの子たちにはなかなか理解してもらえない。僕は仕事柄、若いメンバーたちに説明して理解してもらうことのプロフェッショナルではあるんですが、それでもうまくいかずに悩むことは多いんです。 けれど飛鳥の場合は昔から、少し話せばすぐに察してくれる。頭のよさ、と単純なひと言で言いきってしまうのも違う気がするんですが、物事の本質を素直に受け入れることができてしまうといえばいいでしょうか。普通はみな、自分なりの壁を作ってしまうものなんですけど、飛鳥はいわば無防備に、いったん自分の中に入れてしっかり咀嚼してみる。だから理解力や吸収力がとても優れているんです。
「Quick Japan Vol.175」 今野義雄 乃木坂46合同会社代表 この「無防備に、いったん自分の中に入れてしっかり咀嚼してみる」というのは、なるほどという表現に感じられた。確かに齋藤飛鳥という人は、「入口」の時点では考えや価値観を堰き止めていない印象がある。もちろん彼女は、自分のスタンスをかなりはっきり持っている人なので、最終的には多くの考え・価値観を受け入れないだろうが、それでも、「一旦は喉元を通してみる」という風にしているのだと思う。さらに、後でまた触れるつもりだが、彼女のこのような振る舞いは恐らく、様々な本を読んだことによって培われたに違いない。本ほど手軽に「様々な考え・価値観」に触れられるものはないからだ。
しかし、それだけで「勘の良さ」が身につくはずもないだろう。「理解する」という頭の話だけではなく、それを身体の表現として出力する必要があるからだ。では、齋藤飛鳥はどのようにして「勘の良さ」を手に入れていったのだろうか?
「求められることを実現したい」という意思と、「どう見られているのか?」についての把握の仕方 齋藤飛鳥はそもそも、「求められることを実現したい」という意思を強く持っている。
(※『MdN』での、「実験的にマンガ雑誌を作る」という企画における撮影でのこと)台の上から飛び降りながらの撮影など、ちょっと危険を伴う動きもあったんです。だけど、齋藤さんは「全然やります」と言って、何回も飛んでくれた。繰り返し飛んだりポーズを取ったりするなかで、徐々にでき上がっていく感じが印象に残っています。だから、そのときに感じたのはやっぱり、さっと器用にこなすというよりはすごく考えながら仕事をされているなということでした。
「Quick Japan Vol.175」 本信光理 『乃木坂46 Artworks だいたいぜんぶ展』『春夏秋冬/フォーシーズンズ 乃木坂46』企画・ディレクション そこから撮影に向けて何度も会ううちに、プロ意識が高い人という印象に変わっていって。というのも「ひとつの動きも、1から10まで指示してください。それを叶えるようにやりますから」と言ったんです。これまで多くの俳優を見てきましたけど、そこまではっきりと言った人は齋藤さんしかいません。だから、すごい宣言をしてきたなと驚いて、こちらも気が引き締まりましたね。(中略) 撮影に入ってからは、宣言されたとおりに1から10まで細かく演出していましたが、あるとき浅草として勝手に動き出した瞬間がありました。齋藤さんの中で何かをつかんだのか、無意識だったのかわかりませんが、それを見たときに「もう自分でふくらましていけるな」と。1から10までと言わず、少しのヒントでおもしろい芝居をするようになったんです。それでも、「ちゃんと指示してください」ってぴしゃりと言うんですけどね。齋藤さんはプロ意識が高いのにまわりに流されないんです。撮影の合間に話していてもなれ合う感じはなく、一緒に作品を作る”同志”でしかない。ちゃんと指示してくださいというのは、「私に任せずに気を抜くなよ」という意味もあったと思うし、それを言えるのもまた彼女らしいですよね。
「Quick Japan Vol.175」 英勉 『映像研には手を出すな!』監督 この記事では後で齋藤飛鳥自身の言葉に触れていくわけだが、彼女は様々な場面で「私にはやりたいことがない」みたいな主旨の発言をしている。特に仕事に関しては、「こういう仕事がしたい」という意思は皆無らしい。唯一「ライブ」だけは「やりたいと思えること」だったそうだが。
わたしはライブが一番好きでした。わたしは歌も得意じゃないし、聴くほうが好きなタイプだし、ダンスも褒めていただくことは多いけど、本当のところは基礎からちゃんと習ったわけでもないし、自分ですごく上手いとも思ってないし。なんだけど、やっぱり歌って踊っている姿が一番乃木坂だと思えたから。どんな役でお芝居するよりも、ステージに立ってる時のほうが……普段のわたしはこんなですけど(笑)、ちゃんとアイドルをやれるというか、ちゃんと乃木坂の一員になれる実感があったので。もし歌って踊っているだけでいいのなら、それしかやりたくなかったぐらい。バラエティ番組に出て喋る時も、たとえそれが自分たちの番組でも、やっぱり齋藤飛鳥が、自分の素が邪魔してきて……どこか本位じゃない感じがずっとあったというか。でもステージに立っている時は、その曲を歌って踊ることがすべてで、それだけをやればよかった。やり甲斐もあったし、楽しかったし、本当に好きな時間でした。
「SWITCH 2024年12月」 そんなわけで彼女は、「『求められること』がなければ、そもそも仕事として成立しない」という感じなのだと思う。自分から「こういうことがしたいです!」と声に出すことで仕事に結びつけていくみたいなタイプとは真逆で、常に「自分なんかで良ければやりますけど……」みたいな気分でいるのである。
そしてそういうスタンスをずっと持ち続けているからこそ、彼女は、「今自分は一体何を求められているのだろうか?」と考えることが多かったわけだし、さらに、「何か求めていただくこと」そのものが「仕事のモチベーション」に繋がっているというわけだ。
その上で彼女は、「自分がどう見られているか?」に対する感覚値がとても高いようである。
齋藤さんって、自分がどういう芝居をしたのかよくわかっている方なんですよね。興奮して演じると自分がどう立ち回ったのか覚えていない方も多いけど、齋藤さんは自分がどこで何を言ってどう体を動かしたのか、すべて把握している。あと、実際の彼女はすらっとしていますが、芝居を入れてカメラで撮ると不思議と浅草のようにこぢんまりとするんですよ。つまり、自分が何をすればどう映るのか理解してやっている。こちらが求めるものを叶えるという宣言の裏に、細やかな準備と表現技術があることがわかってきて、本当にすげえなと思うばかりでしたね。
「Quick Japan Vol.175」 英勉 『映像研には手を出すな!』監督 一般人の世界で生きていると、「人前に出る職業の人は皆、『自分がどう見られているか?』に対して敏感なのでは?」と勝手に考えてしまうが、やはりそうでもないようだ。というか、齋藤飛鳥はその能力が異常に高いということなのだろう。恐らく、「『自分を映し出すカメラ』のようなものが常に脳内に存在し、それをいつでも再生できる」みたいな感覚なのではないかと思う。
そしてこの点に関しては、乃木坂46の映像プロデューサーの金森孝宏が興味深い指摘をしていた。すべてを引用すると長いので、適宜僕なりの説明を混じえながら説明していこうと思う。
彼は齋藤飛鳥に対して、「グループ卒業直前に”スーパーアイドル化”していた」という認識を持っている。時期としては、2022年の『10th YEAR BIRTHDAY LIVE』やその後の夏の全国ツアーぐらいからだそうだ。彼はその時の齋藤飛鳥について、
そのころの飛鳥は、それまで何年もまわりのメンバーたちを見てきた上で「ほかの誰かのある部分をこうアップグレードさせればもっとよくなる」というかたちを発見しては、それを様々な場所で具現化しているように見えたんです。
「Quick Japan Vol.175」 金森孝宏 乃木坂46映像プロデューサー と言っている。要するに、「他のメンバーを見ながら、『この人の良さを自分に活かすには?』みたいな試行錯誤をしていた」というような理解でいいだろう。
この点に関して金森孝宏は、その能力の高さに対してももちろんだが、そもそものスタンスにも驚かされたそうだ。
勝手な見方ですが、若い人って「どこに行っても変わらない自分を見てほしい」「本当の私を好きになってほしい」という欲が強いよなと感じていました。自分もそうだった気がします。でも飛鳥は、それぞれの場所に合わせて最適解を見つけながら、自分をフィットさせて表現していく。ライブで輝く人、演技で輝く人、雑誌やテレビで輝く人といった適材適所があると思いますけど、飛鳥はそれを全部自分でこなして、ひとりであらゆる場所の“適材”になっていった。
「Quick Japan Vol.175」 金森孝宏 乃木坂46映像プロデューサー 多くの人が「自己表現」に突き進んでいくし、特に若い頃はそれが当たり前だと思うのだが、齋藤飛鳥は若くして既に「どんな場所にも適材する」という方向を目指し、実際にそれを実現させてしまった。「私を見て!」という承認欲求とは真逆で、むしろ「私を見せはしない!」という強い意思さえ感じさせるような振る舞いをしているというわけだ。
おそらく、乃木坂46に入った初期からずっと、ほかのメンバーを見ながら「もっとこうした方がいいんだろうな」というイメージを溜め込んでいったんだと思うんです。それを10年かけて自分の中に蓄積してきた。そしておそらく何年も、僕たちの気づかないところで実地試験もやってみているんですよ。この撮影ではこうやってうまくいかなかった、じゃあ今度はこうしてみようか、と。そうやって推敲に推敲を重ねた結果、あらゆる場所にフィットすることのできる自分を作っていったんだと思います。本人はそこまで全部計算しているわけではないとは思うけれど。 (中略)その場その場でどうしたらいいかという最適解を持ちすぎているぐらい持っているから、いろんな人達が夢中になるんでしょうね。カメラマンやスタイリストの人たちもみんな、飛鳥のことがすごく好きだと思いますけど、それはきっと彼女が自分に求められるものに対して、100%打ち返すことを徹底しているからだと思います。
「Quick Japan Vol.175」 金森孝宏 乃木坂46映像プロデューサー 彼のこの指摘も、齋藤飛鳥を捉える上はとてもしっくりくるように思う。というのも、齋藤飛鳥はどこにいても「恥ずかしい人」みたいな感じにはならないからだ。アイドルは特に、「未経験のことにも色々と挑戦させられる」だろうし、さらに、少なくとも日本においては「失敗すら可愛いと思ってもらえる」みたいな状況にあるわけで、「ちょっと上手く行かずに恥ずかしい感じになる」みたいなことは別に全然普通だと思う。けれど齋藤飛鳥の場合、そういう場面を目にすることはほとんどない。もちろんそれは「カットされているだけ」なのかもしれないが、ただ彼女の場合は、イメージとしてもやはり「その場の状況を外してしまっている」みたいな雰囲気が想像しにくいのだ。
また、金森孝宏はこんな風にも発言している。
かといって、飛鳥は隙をまったく見せないわけではないんですよ。けれど、その隙の見せ方すらもその場の最適解としてあえて出しているんじゃないかと、こちらが誇大妄想を広げてしまうくらいでした。見ていて、「すごいな」と心を動かされるんですけど、あまりに完成されていて「この人怖い」と思う瞬間もありました。「10年考え続けるとこんなスーパーな人ができ上がるんだ」って。この人はそれぞれの現場でいろんな解法を試して最適解を出す気持ちよさは感じているんだろうな……と思って見てました。そういう探究心と試す度胸が相当あったんだろうって気はしますね。
「Quick Japan Vol.175」 金森孝宏 乃木坂46映像プロデューサー そう、仮に「恥ずかしい感じ」になったとしても、「それさえも彼女の掌の上なのでは?」と思わせる雰囲気があるというわけだ。これも実にしっくり来る指摘だった。あらゆる領域に「適材」しているということはつまり、「失敗すること」にも「適材」していると言えるだろう。もちろん、実際のところ彼女の真意がどこにあるのかは分からないわけだが、しかし「受け取る側がそう感じてしまっている」という時点で、齋藤飛鳥にとっては「プラス」になっていると思う。それが意図的なのかという疑問が残るだけで、「齋藤飛鳥の見え方」は非常に高いレベルで洗練されているというわけだ。それが努力の積み重ねによるものでも、天性のものでも、いずれにしても「凄まじいな」と感じるし、「バケモノ」と表現したくなるのも分かるなと感じた。
自然体で気遣いの人 さて、そんな「最適解」の話に続けてこんなことを書くと少し意味が変わってしまう部分もあるかもしれないが、齋藤飛鳥に対しては「自然体」という捉え方も多くある。
これだけ長いこと連載を続けていても、飛鳥ちゃんはいい意味で変わらない。10代前半から芸能界の第一線で活動してきたのに、何もおごることなく、今でも最初に出会ったころと同じように自然体なところが彼女の魅力だと思います。
「Quick Japan Vol.175」 山口真澄 雑誌『sweet』編集長 仕事現場での齋藤さんは、いい意味で誰に対しても平等。いつもニコニコ笑っているんですが、愛想笑いとかじゃなく、みんなで楽しくチョケる感じです。年上に対しても遠慮なくイジるし、逆に年下からもイジられるし。年長メンバーになってからも、平和に乃木坂をまとめていた印象があります。「齋藤飛鳥が言うなら間違いない」みたいな感じで、齋藤さんの声で動く人も多かった気がしますね。
「Quick Japan Vol.175」 市野沢祐大 スタイリスト 「最適解」の話を踏まえれば、「『自然体』に見せているだけ」みたいな話にもなるわけだが、そんな指摘をどれだけしたところで結局真偽は分からないわけで、この記事では殊更にそういう捉え方はしない。何にせよ、彼女と一緒に働く人たちは、その佇まいに「自然体」を見出しているというわけだ。
さらに、フォトグラファーの三瓶康友は、『ドラゴンボール』の喩えを使ってこんな風に言っている。
「身勝手の極意」ってわかります? 『ドラゴンボール超』に出てくる、力まなくても身体が勝手に動く、孫悟空の一番強い状態のことなんですけど。飛鳥さんを撮影したとき、それを思い出したんですよね。自然体というよりは「脱力しているのに最強」みたいな。ものすごく高いレベルで自分のやるべきことを把握して、すべての動きが自然に見える。 写真を撮られるときは誰しも「自分をよく見せよう」という意識が働くと思うんですけど、飛鳥さんにはそれを感じないんですよね。笑顔の写真も「笑顔くださーい」って指示したわけじゃなくて、本当にくだらない話で笑っている。撮影中も、モニターを見せてほしいと言われた記憶がないんですよ。どんな大女優でもちょっとは「今の表情、大丈夫かな?」って気にするものなんですけどね。卒業タイミングの写真集だけど、本人には別に気負ったところもなくて。だから、なんというか……美しい自然を撮影している感覚なんですよね。いい感じの木があって、風にそよいできれいだなとか、そういう感覚に近い。
「Quick Japan Vol.175」 三瓶康友 フォトグラファー この話は、卒業のタイミングで発売された写真集の撮影でのことだが、「自身の写真集」であれば本来的には「自己表現」が求められるはずだと思う。しかし先述した通り、彼女の「表現力」は「他者の何かを表現する方向」にしか向かない。つまり、「『自己表現』が求められるはずの自身の写真集だからこそ、『どう見せよう』という意識もなく自然体でいられている」みたいな解釈も可能だろう。このように、「解釈の幅を感じさせる」という点もまた、齋藤飛鳥の奥深さに繋がっていると言えるのではないかと思う。
さらに、彼女の「気遣い」に言及する発言もあった。
そんなふうに気負わない人ですけど、実はすごく人情深い人でもあるんですよ、飛鳥さんは。僕も含めてまわりのスタッフのことをよく見ているなと感じたし、スタッフに対しての感謝の伝え方にもめちゃくちゃ人情味を感じます。だからグループの後輩たちに対してもそうだったんでしょうね。クールな印象を持たれがちだけど、めちゃくちゃ人情味にあふれる人なんです。
「Quick Japan Vol.175」 三瓶康友 フォトグラファー 彼女は「人前に出る人」としては珍しく、「自分にはやりたいことがない」とはっきり宣言するタイプであり、だからこそ、勝手な予想ではあるが、「周りの人に生かされている」という感覚をかなり強く持っているのではないかという気がする。そして乃木坂46を卒業したことによって、より一層その感覚が強まっているんじゃないだろうか。というのも、今までは「『乃木坂46』の一員として声が掛かった」という捉え方も可能だったわけだが、卒業後はそうはならないからだ。もちろん、在籍中から周囲に対する気遣いを意識していたとは思うが、グループから離れたことでよりその強くそう感じられるようになったのかもしれない。
さて、「在籍中の気遣いのエピソード」については、本信光理が非常に興味深いエピソードを2つ紹介していた。
そもそも彼は、齋藤飛鳥に対して次のような印象を抱いているという。
僕の中では、齋藤さんはしゃべらないでいても平気な相手。僕は気を遣わなくちゃいけない仕事相手だと、逆にたくさんしゃべるんですよ。でも齋藤さんに関しては、今日の機嫌はどうだろうかとか、そういうことを深読みしなくてもいい。話す言葉がたぶん、本当のことしかないので。忖度のない相手だからこそ、逆にコミュニケーションが少なくても大丈夫。
「Quick Japan Vol.175」 本信光理 『乃木坂46 Artworks だいたいぜんぶ展』『春夏秋冬/フォーシーズンズ 乃木坂46』企画・ディレクション 彼はまた、「自分と同じぐらい”不器用”に思えた人が芸能界の第一線をサバイブしていること」に対して「恩義を感じている」という発言もしており、ある種の「同志」的な捉え方をしているようである。その辺りの話も面白いのだが、この記事では特に触れないことにしよう。
それで、彼が挙げていたエピソードの1つ目は、雑誌の特集で乃木坂46メンバー全員にアンケートを書いてもらった時の話である。その時は、制作時間が少なく大変だったようなのだが、それでも、「一律に同じ質問をしても面白くない」と考え、全員に違ったアンケートを作成したのだそうだ。
戻ってきたアンケートを見ていたら、齋藤さんがすごくしっかり回答してくれているんですけど、欄外に「一人ひとり違う質問にしてくださったことによって、『書くぞ』という意欲を掻き立てられました。ありがとうございます」と書いてくれていて。(中略)タレントさんなのに、裏方のこんな地味な頑張りにまで気づく人なんだなと。
「Quick Japan Vol.175」 本信光理 『乃木坂46 Artworks だいたいぜんぶ展』『春夏秋冬/フォーシーズンズ 乃木坂46』企画・ディレクション これは嬉しかっただろうなと思う。そもそも「アンケート項目が違うこと」に気づいてくれたというだけでも嬉しいし、さらに「『それに気づいた』という事実を伝えてくれたこと」も嬉しい。こういう人とは「また一緒に仕事をしたい」と感じるだろうな、きっと。
齋藤飛鳥が上手いなと思うのは(「上手いな」という表現を使うとまた違う意味が滲み出てくるが)、「みんなに同じことをしているわけじゃないだろう」と思わせる点だと思う。例えばアンケートの話で言えば、自分が関わるすべてのアンケートに、「スタッフの皆さん、お疲れ様です!」みたいに書く人もいるだろう。別にそれが悪いとは思わないが、ただ受け取る側には、「みんなに同じことをしてるんだろうなぁ」という情報もしっかり伝わってしまうだろうと思う。
一方齋藤飛鳥は、「自分の振る舞いが、そういう情報と共に伝わってしまいそうな場面」では、むしろ何もしないような気がする。そして、「ここぞ」という時にだけ「気遣い」として発揮されるんじゃないかと思う。
さて、もう1つ紹介するエピソードも、そういうタイプの話に近い。本信光理がディレクションした『乃木坂46 Artworks だいたいぜんぶ展』で、彼はグッズデザインにも関わっていたのだが、そのことを知っていた齋藤飛鳥と次のようなやり取りをしたという話である。
メンバーの記者会見前の舞台裏で、齋藤さんから「本信さん的には、どのグッズがおすすめなんですか」って聞かれたんです。そこでおすすめを伝えたところ、記者会見本番で齋藤さんは僕が言ったおすすめグッズを挙げてくれたんですよね。実は齋藤さんは、そういう気遣いをすごくしてくれている。
「Quick Japan Vol.175」 本信光理 『乃木坂46 Artworks だいたいぜんぶ展』『春夏秋冬/フォーシーズンズ 乃木坂46』企画・ディレクション このエピソードもいいなと思うし、これもやはり「自己表現」の話に少し関係してくるような気がする。この話は細部についての説明がなかったのだが、齋藤飛鳥は恐らく記者会見で、「グッズデザインに関わった人のオススメはこれです」ではなく「私のオススメはこれです」と言ったのだと思う。それは、実際には齋藤飛鳥自身のオススメなわけではない。けれども彼女は、「それが自分のオススメとして受け取られること」を良しとしているわけだし、さらに、「それで自分の周りの誰かが喜んでくれるなら問題ない」と考えているのだと思う。
齋藤飛鳥は映画『推しの子』の舞台挨拶で「最近ついた嘘は?」と聞かれて、フリップに「26年の嘘」と書いた。これは、「これまで生きてきた26年間、ずっと嘘をつき続けている」という意味なのだが、彼女が言う「嘘」というのは、まさにこの「グッズのオススメ」みたいな話なんじゃないかと思う。もちろん、「特段意味のない嘘」もつくだろうが、それよりも「自分が嘘をつくことで、誰かにとってプラスがもたらされるような嘘」の方が多い気がしている。
まあ実際のところはどうか分からないわけだが、いずれにせよ、齋藤飛鳥は「自然体の人」であり「気遣いの人」でもあり、そしてそれ故に、周りにいる多くの人から慕われているというわけだ。「やりたいことは何もない」と言ってのける、ある意味で「消極的すぎるスタンス」でありながら、話題作への出演や印象を残すような仕事に関われているのは、彼女のこのような資質があってのことなのだろうと思う。
齋藤飛鳥は自身のことをどのように語っているのか? さて、ここまででも既に相当長い記事だが、ここで一旦「齋藤飛鳥について語る人たちの話」は終えることにしよう。そしてここからは、齋藤飛鳥自身の言葉を中心に、乃木坂46卒業後の彼女のスタンスやあり方などに迫っていきたいと思う。
今回多くの引用をさせていただいている雑誌『SWITCH』『Quick Japan』では共に、メインの話題がドラマ&映画『推しの子』なので、まずは「演技・役者」などに関する話から始めていき、そこからさらに彼女の内面に向かっていくような構成で進めていくつもりである。
「演技は苦手」と言い続ける齋藤飛鳥 ―俳優活動としては乃木坂46在籍時代から、ドラマや映画など数々の作品に出演されてきましたが、芝居に対してはどのような思いがありますか? お芝居は昔も今も全然得意じゃないです。ああ、お芝居って楽しいな、好きだな、と思う瞬間はこれまでもありましたけど、”心からお芝居が本当に好きです”とは言えないかな。
「SWITCH 2024年12月」 乃木坂46は舞台『16人のプリンシパル』などを通じて、結成直後から芝居をさせるグループだったし、卒業したメンバーも映画・ドラマ・舞台などで活躍する役者になっている者が多い。そしてその中でも齋藤飛鳥は、地上波のドラマや映画の話題作など、「より多くの人の目に触れる環境」で演技をする機会が多いと言っていいと思う。もちろん、求められているからこそオファーが絶えないわけだが、本人としては「芝居に対する苦手意識」さえ持っているぐらい「得意ではない」という自己認識なのだそうだ。その感覚は、自身の「肩書き」にも及んでいる。
ただ、肩書きとしては――肩書きがなければいけないお仕事ではあるので、”俳優”とか”モデル”とか言われることが多いですけど、正直そんな肩書きはむず痒いというか ―居心地の悪さのようなものがある。 ずっとあります。それでも、以前はアイドルをやっていたから、”いやいや、ちょこっと呼んでもらえたからやってるだけですよ”という顔でいられたんですけど、今はもうアイドルでもなく、ただ俳優と呼ばれるしかないから、その言葉は聞こえないフリをしています(笑)。他にいい肩書きがあれば変えたいぐらいなので。これ、絶対に何か付けなきゃいけないのかな ―何かにつけて肩書きというのは求められるものなので。 いいです、ただの齋藤飛鳥で
「SWITCH 2024年12月」 アイドル時代であれば、「本業はアイドルなんですけど、すいません、ちょっとお邪魔します」みたいな感じでいられたが、乃木坂46を卒業した今はそうはいかないというわけだ。「モデル」という肩書きもあるわけだが、「モデル」と「俳優」は並列可能な印象があるから、「俳優」という肩書きは避けられない(「アイドル」と「モデル」「俳優」はちょっと並列しない印象が僕にはある)。まあそんなわけで「俳優」という肩書きを許容せざるを得ないわけだが、それに対しては「むず痒さ」しか感じられないというわけだ。個人的には、岡本太郎に倣って「肩書きは『人間』です」と言うのが良いんじゃないかと思うが、まあさすがに尖りすぎていて使いにくいか(笑)。
まあともかく、「芝居」に対しては常に苦手意識を持っているわけだが、それはそれとして、彼女には「役者としてのオファー」を受ける際の「動機」みたいなものがあるのだそうだ。
―今まさに進行中の作品と言えば、ドラマ『ライオンの隠れ家』ですが、本作への出演を決めた理由を教えてください。 『ライオンの隠れ家』に関しては、なぜ私にお声がけくださったのか正直よくわかっていなくて。そしていまだにその答えは見つけられていないんですけど、このオファーを受けるにあたってのすごく大きな理由は、柳楽優弥さんという人を見たかった、という ―一緒に仕事をしたかったではなく、見たかった? そう、シンプルに(笑)。本物の役者――常に第一線でひとつのことを突き詰めながら、しっかり結果も残されている俳優というのは一体どんな方なのか見てみたかったし、もちろんそんな方とお芝居してみたかった……というと僭越ですけど、対面してみたかった、この目で見てみたかった。そんな想いもあってお受けしました
「SWITCH 2024年12月」 齋藤飛鳥の中にはとにかく、「役者という存在への興味」があるのだそうだ。そしてその「興味」についても、彼女は次のように言語化している。
―そこには、柳楽さんとの仕事を通してもっとお芝居を学びたいという想いも? ……いや、ただのミーハーです。いつまでもこんなことを言っていると、どこかから絶対に怒られそうですけど、本当にお芝居のことはいまだに何もわからないので。でもやっぱり、これまでわたしが出させていただいた作品で共演した方々、佐々木蔵之介さんもそうですし、木村多江さんもそうですし、第一線で俳優として活躍されている方々は、皆さん共通してすごく穏やかで、人として完成されていて、そのうえでまだお芝居に関してすごく熱い思いをお持ちで、常に追求されている。柳楽優弥さんもきっとそうなんだろうなって。もちろん、どんなお芝居をされるんだろうっていうのも見たかったけど、それ以上にどんな感性の方なんだろうなとか、ひとりの人間としてどういうふうに生きているんだろうなっていうのが、すごく気になっていました ―そこには憧れのような気持ちもあるのでしょうか。柳楽優弥さんに限らず、長年にわたり芝居を追及されている俳優の方々に対しての。 ああ、そうですね。わたしはずっと演じることや歌うことに興味があったというよりも、ただ乃木坂が好きで、それは本当に嘘偽りない言葉なんです。デビューしてから約十一年、乃木坂というものを突き詰めてきた。それは自負があるんですけど、ただその突き詰める対象が乃木坂だったので、卒業してしまった以上はもう突き詰める必要もないじゃないですか。それで、その対象をお芝居や他の表現といったものにスムーズに移行することにわたしは失敗したので ―失敗したんですか? うん。特に突き詰めたいものも今はないし。ただ、十一年というのはわたしの人生からすれば長いですけど、もちろんそれ以上に長く、その倍も、何倍も続けられている役者さんも大勢いて、そんな方々がそれだけ長くエネルギーを持ち続けていること、蔵之介さんもそうですし柳楽さんもそうですけど、もう誰がどう見たってお芝居が上手なのに、それでもお芝居のことを毎日考えていて、このシーンはこうしたら良くなると思うとか、今の言葉はセリフとして使えるなとか、普段から熱くお話されている姿を見ると、どうやってその火を灯し続けているんだろうって思う。それは今の私にはない熱さなので、かっこいいなと思いますね
「SWITCH 2024年12月」 どんな仕事も同じだと言えばそのとおりではあるが、しかし「演技」ほど「終わりがない」ものもないんじゃないかと思う。僕は、役者・鈴木亮平の異常さについて以前誰かが話していた中で、「あるシーンが撮り終わった後も、ずっとそのシーンをやっている」みたいな話をしていたのを覚えている。この点について鈴木亮平は、「元々用意していた演技プランの内、リハを含めても全パターンは出し切れない。だから、結局出せなかった演技プランを、後で自分でやってみているんだ」みたいな話をしていた。突き詰めようと思えばどこまでも突き詰められる世界であり、だからこそ、その探究に対するモチベーションを持ち続けていなければ続けられない仕事なのだろう。
しかしこの点については、「隣の芝生は青く見える」みたいな話にすぎないと僕は考えている。というのも、齋藤飛鳥との対談の中で、柳楽優弥が次のように話していたからだ。
柳楽 だけど、”器”の大きさで言ったら、僕は飛鳥さんに対してものすごくそれを感じますけどね。 齋藤 えー。ないですよ、そんな。 柳楽 乃木坂46の卒業コンサートの動画とか、そのライブの密着動画とかを観て、すごいなと思っちゃって。当たり前だけど同じことは自分には絶対にできないですし、あの舞台でセンターに立ち、周りのすべてを自分に引き込んでいくという……それが”器”なんですよね。だから僕も飛鳥さんのことは本当に尊敬していますし、こうしてお会いできて幸せだなと思います。
「SWITCH 2024年12月」 確かに、「作品を作る・見てもらう」という意味で言えば他にも色々しなければいけないことはあるとは思うが、役者が向き合うべきは本質的には「役」であり、究極的には「独りで突き詰められる職業」と言えるだろう。しかしアイドルはそうではない。ソロのアイドルもいるだろうが、大抵はグループで活動しているし、また、「目の前にいるファン」を”扇動”し続ける必要もある。さらにその中で齋藤飛鳥は「乃木坂46という人気グループのセンター」という重責を担っていたのだ。柳楽優弥が「自分には絶対にできない」と考えるのも当然だし、だから結局「凄さの質が違うだけ」でしかないのである。
とはいえ、齋藤飛鳥が「役者は凄い」と感じているのであれば、別に他人がとやかく言うことではない。彼女は「演技の楽しさ」について聞かれて、「その場の空気感で、対面した俳優さんとすごく気持ちのいいラリーができたなあと感じたり」「齋藤飛鳥には見えなかったな、ちゃんとその役柄に見えてたなって自分で実感できる瞬間があれば」みたいに語っていた。そういう「楽しさ」を積み上げながらこれからも演技を続けていってほしいなと思う。
そしてそんな彼女に『推しの子』という作品へのオファーが、しかも「伝説のアイドル」という設定の「星野アイ」として声が掛かった。「そのオファーを一度断った」という話については後で触れるが、出演を決断した後もとにかく大変だったようだ。
―星野アイという役を演じるにあたり、齋藤さんはどんなアプローチを取られたのでしょうか? 役作りの仕方って、いろんな方法があると思うんです。たとえば台本に書かれていない過去を想像したり、最終的な目的や未来を想像したり。でも正直に言うと、わたしにオファーしていただいた意図や思いを理解しましたけど、台本を読んでも漫画を読んでも、アイに関してはよくわからなかったんです。だから自分を思いきりアイに寄せようとか、アイを憑依させようとか、そうした気持ちはありませんでした。
「SWITCH 2024年12月」 この辺りの話は正直、『推しの子』にまったく触れていない僕にはなんとも言えない部分ではあるのだが(ただ、この記事の公開直前に、『推しの子』の映画だけは観たので、以下にその感想をリンクしておく)、『推しの子』に馴染んでいる人には「アイに関してはよくわからなかった」という感覚は理解できるんじゃないかと思う。雑誌『SWITCH』では、『推しの子』の監督スミスとの対談もあるのだが、その中で彼は、「とりわけ星野アイは一番難しいというか、漫画や台本では”伝説のアイドル”と書かれているだけで、ほとんど非現実的な存在でもあるので、それをどう実現するのかと……」と、制作前の時点で捉えていたその難しさについて語っていた。
そういう中で齋藤飛鳥は最終的に、次のような考えに至ったそうだ。
それよりも乃木坂46の元メンバーが星野アイを演じるということに対する世間の見方――きっと齋藤飛鳥と星野アイを比べて考察したり解釈したりする方もいるだろうし、本当にいろいろな受け取り方をされるだろうなと思って。だから、わたしが無理にアイに近づこうとしなくてもこの作品はいいんじゃないかなって。それにアイはちょっと存在が特別過ぎるというか、【推しの子】ファンにとっても本当に思い入れのあるキャラクターなので、わたしがアイになりきろうとするよりも、この作品を生身の人間が演じることの意味や、実写ならではのリアリティといった部分に助けていただくほうが、中途半端なものにならないのかもと思っていました。
「SWITCH 2024年12月」 つまり、「マンガやアニメでならいくらでも『非現実的な存在』として描けるけれども、それを『実写で撮る』場合には、『生身の人間が演じる』という制約条件がどうしても出てくるのだから、その『境界』を『上限』だと思って演じよう」ということなのだと思う。まあ正直に言えば、齋藤飛鳥も一般的には「非現実的な存在」に受け取られているように思うのだが(「顔の小ささ」や「乃木坂46の絶対的エースとしての存在感」など)、彼女自身はそういう自己認識を持っていないはずだし、であればやはり「星野アイまでの距離は遠い」という感覚になるだろう。だから「実写の限界=演技の限界」と考えなければ、なかなか撮影に臨めなかったのだと思う。
また、実際に撮影に入ってからの感覚についても次のように語っていた。
―自分の演じる役=星野アイになりきらずに芝居をする、というのはどのような感覚なのでしょうか。 うーん、ずっと悩みながらやっていたところもありますけど……アイを演じている時は基本的になんとなく自分で見つけたポジションがあって、齋藤飛鳥と星野アイが半分半分の頭でいるような感じ。ただそれは素の自分というわけではなくて、世間が思う齋藤飛鳥のイメージと、世間が思う星野アイのイメージを、シーンによって塩梅を調整しながら演じていたという感じです。だから悪く言えばどっちつかずだったし……でも、アイというキャラクター自体、ニコニコしているけど心のうちはどうなんだろう、という人だから、それでいいのかもしれないなって。
「SWITCH 2024年12月」 かなり苦悩しながら演じていたことが伝わる発言だなと思う。
では、監督は齋藤飛鳥の演技をどのように捉えていたのだろうか?
もちろんお芝居は上手いんですけど、なんて言うのかな、ただ上手いともちょっと違う、すごくフラットにお芝居されるなと思っていて。それが今回のアイという役に合っていた。齋藤さん自身、どこか得体の知れないというか、日常が想像できないミステリアスな方なのですが、そのうえでお芝居にもまったく邪念がないというか、本当に空っぽのコップのような状態で、すべてを受け入れるようなお芝居なんです。そこが本当にすごいと感じました。正直、齋藤さんにはとても助けられたと思っています。
「SWITCH 2024年12月」 スミス 『推しの子』監督 ちなみに誌上では、齋藤飛鳥とスミスはこんなやり取りもしている。
齋藤 自分で「このシーン上手くいったな!」というのはひとつもなかったし、よくわからないままやっていました。別に誰も褒めてくれないし(笑) スミス いやいやいや。僕は……ちゃんと言いましたよ。 齋藤 えー、言われてないです。 スミス 褒めましたよ。何度か言いました、少なくとも二回は。 齋藤 ウソだ!(笑) スミス いや、僕だけじゃなくみなさん褒めてましたよ。ちょっと上手く言語化できなかったかもですけど。褒めるというか、「素晴らしいです!」という気持ちを伝えました。 齋藤 それは届いてないなあ(笑)
「SWITCH 2024年12月」 実に齋藤飛鳥らしいやり取りである。そんなわけで、齋藤飛鳥自身の認識はともかく、『推しの子』での星野アイの演技は素晴らしかったというわけだ。
仕事をどのように選んでいるのか? 先述した通り、齋藤飛鳥は「星野アイ」役でのオファーを一度断っている。
スミス ただその時点ではキャスティングは何も決まっていなくて、既に齋藤さんが他の取材でも話されていますけど、割と早い段階で齋藤さんに出演オファーをしたもののお断りされてしまって。「齋藤さんダメでした」「うーん、どうしよう……」みたいなムードになり。 齋藤 そうだったんですか?(笑) スミス まあ、どのみちそこは一番難しいと思っていたところなんです。アイドルとしての立ち居振る舞いを完璧にこなしたうえで、お芝居もしなければいけない。(中略)それで、齋藤さんにお断りされて頭を抱えていたら、「もしかしたら齋藤さんやっぱりいけるかも……」みたいな話が出てきて、プロデューサーに「どうにかしてください!」と。 齋藤 わたしがこのお話をお聞きした時は、既にアニメも大人気で、YOASOBIさんの「アイドル」もみんな踊っているような状況でした。なので、もちろん作品自体は知っていたんですけど、まだ漫画を読んだこともアニメを観たこともなくて。それで、このオファーをいただいてアニメの第一話を観て、なるほど、アイというのはこんなキャラクターなんだなと。それで、もう考える間もなく即答で「できません」と。 スミス ハハハハハ!
「SWITCH 2024年12月」 さて、「『推しの子』のオファーを一度断った」という話が最初に出た時には、少し炎上っぽい感じになっていたようだ。「ようだ」というのは、それを伝えるネット記事をチラ見しただけだからである。「大して燃えているわけでもないのに、ネット記事が薪をくべるようにして火がどんどん大きくなる」みたいなことはよくあるはずなので、最初の段階での「批判」がどの程度のものだったのかよく分からないが、齋藤飛鳥の「オファーを一度断った」という話に対しては、「心の中に留めておいてほしかった」「作品に対して失礼」みたいな意見が出たのだという。
正直僕には、その感覚はまったく理解できない。「『推しの子』に対して思い入れが無いだけだろ?」みたいに感じるかもしれないが、そういう話ではないと思う。もちろん、「一度断った」というその理由が、例えば「オファーしてくれた相手の熱意を試すため」みたいなことだったら、「ちょっと好きになれないなぁ」という感覚になっただろう。しかし、齋藤飛鳥はそんな話をしていない。「自分には無理だと思ったから断った」と言っているだけだ。それの何が「炎上」に繋がるのか僕にはよく分からない。「星野アイという存在の凄さを理解しているからこそ断った」という話なのだろうし、それはむしろ「作品に対して愛がある」という解釈になってもおかしくないと思うのだが、どうしてそうはならないのだろう。もし、齋藤飛鳥の発言が本当に「炎上」を引き起こしていたのだとすれば、僕にはちょっと意味が分からなすぎるのだ。
まあそれはともかく、齋藤飛鳥はその後も熱心なオファーを受け、その中で様々な話をし、最終的に受けることに決めるのだが、その過程について次のように発言している。
齋藤 こういう理由で……とかじゃなくて、「これをわたしがやる意味がわかりません」ぐらいの気持ちでした。それでお断りさせていただいたのですが、その後も熱心にお声がけいただいて……。 スミス プロデューサーの井元(隆佑)さんが相当がんばってくれて。 齋藤 直接打ち合わせもさせていただいて、一生懸命いろんなお話をしてくださったんですけど、その中でちょっとわたしの中で気持ちが変わったのが、【推しの子】をドラマ化するにあたって、アイというのは伝説のアイドルであり、もちろんキラキラしている部分も描くけれど、それだけじゃなくてアイの持っている人間性、彼女の過去まで深堀りして描いていく作品だからこそ、生身の人間が演じる意味があるんだと。そして、アイは心の奥に陰を秘めた人だから、齋藤さんの中にある暗い部分を出してほしいと。結構どストレートに言われました(笑)。そこがアイとリンクするからお願いしているんです、と。 ―齋藤飛鳥という人も心に”暗い部分”を秘めている、という前提で。 齋藤 そう(笑)。ただ実際に乃木坂46というグループにしても、その中でのわたしの立ち位置にしても、当時は結構華やかなところにいさせていただけて、でもわたし自身はそれに対してどこかギャップがあるように感じてもいたので、そうした思いがこの役を演じることで昇華できるのかな、って。そこから少しずつ考えが変わっていって、最終的にお受けさせていただくことになりました。
「SWITCH 2024年12月」 この「あなたの『暗い部分』を出してもらうことで、星野アイに『人間味』が加わるんだ」という説得は、齋藤飛鳥の心を大きく動かしたことだろう。「陰のある人物だ」という事実は本人も別に隠しているわけではなく、彼女の発言などを追っていれば理解できることではあるが、やはり彼女のパブリックイメージとはズレがあるはずなので、「それこそが作品に必要なのだ」と熱弁されたことは、「パブリックイメージとは違う部分が評価された」という感覚をもたらしたはずだ。恐らくだが、単なるパブリックイメージを星野アイと重ねて見ているだけだったら、彼女がこのオファーを受けることはなかっただろう。
また、「とにかく熱意が凄かった」という主旨の発言を何度もしている。
―【推しの子】はいったん断った上で、再度オファーがあったんですよね。どこかのタイミングで納得ができたということですか? そうですね。【推しの子】は本当に決めるのもめちゃくちゃ難しかったし、今でも正解だったかどうかはわかっていないんですけども。でも、熱意がすごかったんですよね。【推しの子】というコンテンツを実写化することへの熱意も、一度お断りしたのに再度オファーしていただく熱意も。それで、なぜ齋藤飛鳥が星野アイを演じるのか、ちゃんとお話を伺って、そのお話に対して心が動いたといったら大げさですけど、それなら納得できるかもという要素がいくつかあったから、「じゃあやってみます」と。ただ「私は責任は持てません」とは言いました(笑)
「Quick Japan Vol.175」 とにかく、何度も諦めずにオファーをしていただいたプロデューサーの方をはじめ、この現場のスタッフの方たち皆さんが本当に【推しの子】という作品を愛していて、それゆえに難航した部分もあったけど、その愛情は撮影中ひしひしと伝わってきました。だからこそわたしとしては「もう煮るなり焼くなり好きにしてください」という感じですべてお任せしたというか。
「SWITCH 2024年12月」 どんな作品だって、作り手側は相応の熱意を持っているものだとは思うが、恐らく彼女は今回、普段にも増して“異常なほどの”熱意を感じたのだと思う。となれば、「演技について突き詰めて考え続ける役者」に対して興味を持っているように、「1つの作品にそこまで情熱を注ぐ制作陣」に対する関心が強まったなんて側面もあったのかもしれないし、そういう色んな要素が合わさって「齋藤飛鳥が演じる星野アイ」が実現したのだろう。
しかし仮定の話ではあるが、もし乃木坂46在籍中であればもっと違った反応(つまり、「意地でもオファーを受けない」など)になっていたかもしれない。というのも、卒業したことで「仕事を選ぶスタンス」が変わってきているからだ。
―個人としての活動になって、仕事に対するスタンスに変化はありましたか? うん、ありますね。グループのときには、それが個人としていただいたお仕事であったとしても、全体を通してグループ活動の中のお仕事だっていう気持ちで行くんです。私個人が何か花開かせたいというよりは、グループとしてという感覚のほうが強かった気がします。でも今は、以前だったらグループにとってプラスになるかわからないなと思っていたような仕事も、ひとりだからやれたりする。そういう意味では、仕事の幅は少し広がったのかもしれないですね。「元乃木坂」とは見られるかもしれないけど、現在のグループにはさして影響がないですし、評価は自分に対してだけ返ってくるから気楽にやれている気はします。 ―仕事の評価が自分だけに返ってくるというのは、怖さよりも気楽さのほうが大きいですか? うーん、どっちもですね。怖いことでもあるけれど、でもグループの何十人の未来とか結果を背負うよりは、そのプレッシャーも小さいんだろうし。 ―以前なら、齋藤さん個人の仕事の成果がグループ全体の評価になってしまう。 そうですね。お芝居や歌など技術的なことは、個人の実力でもあるからそこまで重く考えてはいないんですけど。それよりは、私きっかけで「なんか乃木坂とは仕事しづらいな」「乃木坂はもういいかな」と思わせてしまうのは絶対嫌だから、そちらのほうを強く意識していたかな。
「Quick Japan Vol.175」 彼女は様々な場面で「私には乃木坂しかない」「乃木坂として活動することが楽しかった」という主旨の発言をしており、人生における「乃木坂46」の占める割合がとにかく大きかったことが伝わってくる。そしてだからこそ、「どんな仕事も、『それは乃木坂のためになるのか?』という観点から考えていた」というわけだ。また、『推しの子』というのは恐らく、「アイドル」という職業の”悪い面”も描き出す作品なのではないかと思う。であれば、乃木坂46在籍中だったらオファーを引き受けなかった可能性もあるのではないだろうか。
ただ、別の場面では「グループの時は自分で何かを選択することはなくて、与えていただいたものに一所懸命返していくという環境だった」と言っているので、「乃木坂46在籍時の方がむしろオファーはスムーズだったかもしれない」という見方も可能ではある。ただ、「現役アイドルが星野アイを演じる」ことのリスクを考慮して、マネジメント側がNOを出した可能性もあるだろう。そういうことを色々考え合わせると、「『推しの子』の実写」という企画は、実に絶妙なタイミングだったと言えるのかもしれない。
いずれにせよ、グループ在籍時と大きく異なる点は、「オファーを受けるかどうかの決定権が、概ね齋藤飛鳥個人にある」ということだろう。
―オファーされた仕事を受けるかどうかに関しては、どんなことが基準になりますか? お仕事の種類にもよるし、本当にありとあらゆる要素を考えないといけなくて、私が常にすべてを決められるわけではないから、簡単にこうだとはもちろん言えないんですけど、でも基本的には、広告でも雑誌でもお芝居でもなんでも、自分が最後までちゃんとやりきる責任を持てる、とどこかのポイントで思えたらやらせていただくという感じです。今はグループでもなく齋藤飛鳥個人にオファーしていただくので、なんで自分なのかという意図や意味が明確であればあるほど、選択はしやすいですね。 ―今までの齋藤さんからはイメージしにくいものはやらない、というわけでもないですか? そうですね。場合にはよりますけど、イメージしにくいからやってみようというときもあるし、一方で、イメージしにくいし、双方に得があるのか不明だなと思ったら、【推しの子】のように一度お断りしたりはしますし。
「Quick Japan Vol.175」 では次は、この発言中の「双方に得がある」を掘り下げていこうと思う。
「求められることを実現したい」「誰かの幸せに繋がることをしたい」という希望 この記事でも既に何度も触れてきた話ではあるが、齋藤飛鳥は「自分のため」ではなく「誰かのため」というスタンスを強く持って日々を過ごしているし、周囲の人間にもそのことが伝わっている。彼女自身も次のように発言していたる。
なんか、人の期待に応えるというとすごく綺麗に聞こえてしまうというか、わたしが何か良いことをしたように聞こえますけど、全然そうじゃなくて。本当にお互いにとってプラスになるように、応援してくださる企業、お仕事の関係者の方にも得があって、わたしにも得があるのが一番いい。
「SWITCH 2024年12月」 自分がもう一段階さらに有名になりたいとか、人気者になりたいとか、バズリたいとかいう気持ちは、まったくないです。ただ、今はいただいたお話に対して自分が何か打ち返せるものがあれば、それをちゃんとお返ししていく、という ―オファーがあれば、そしてそれに自分が応えられるのであれば、応えていく。 そうですね。それは別にお仕事じゃなくても、自分の周りの人が楽しそうにしていたり、穏やかに過ごしてたりするのはわたしにとってすごく嬉しいことだし、好きなことなので、そういう景色が見られればいいなと思っています
「SWITCH 2024年12月」 こういう発言は「嘘っぽい」と感じられるかもしれない。それこそ、アイドルがよく言いそうなことだからだ。そして、自分の見せ方に長けている彼女はやはり、そう受け取られるだろうことも理解している。そのことは、槇原敬之『僕が一番欲しかったもの』が好きな理由を話す中での発言からも伝わってくるだろう。
昔はこの歌を聴いても「超、きれい事じゃん」って思っていたんですけどね。私の26年の人生の中で、乃木坂46がすごく大きくて。これから先、何をやっても乃木坂46で得たものを超えることはないと思っていて。26歳なんですけど、もう「余生じゃん」って思っているんです。でも、別に乃木坂46を卒業したから人生をどうでもいいやって思っているわけじゃなくて。これから先、どうやったら幸せになれるかな?って考えたときに、自分のやりたいことのために周りの人を巻き込んでガツガツやるよりも、自分も周りも幸せでいられる状況が私にとって一番理想だと思えた。 卒業して改めて、お仕事のことや生き方のことを考え直していくなかで、長生きしたい願望は特にないんですけど、26歳だからこの先何十年も人生は続いていくし、最後は幸せに死にたいなとは思っていて。幸せに死ぬためには、自分が贅沢して何かを得続けることじゃなくて、近くにいる人だけでも幸せでいてもらうことが大事だよなって。きれい事だし偽善的かもしれないけど、この先の人生でこれを目指してもいいんじゃないかって思えた。自分が得たものも人に与えられるようになったら、たぶん豊かな人生を送れるようになる気がします。
「Quick Japan Vol.175」 雑誌『Quick Japan』の特集では、「感性と言葉の原点 映画・文学・音楽」と題して、齋藤飛鳥が好きな映画・文学・音楽についてのインタビューも行っており、これはその中での発言である。彼女の中にはきっと、「アイドルとして、多くもらいすぎてしまった」みたいな感覚もあったりするのだと思う。以前読んだ「贈与論」に関する本によると、「多くもらいすぎてしまった」という感覚から「贈与」が始まるという話だったし、まさに彼女はその「起点」にいるような感覚なのだろう。
また、「乃木坂46在籍中にも考え方が少しずつ変わっていった」という発言もしている。
「みんなが楽しそうにしてるのが好き」っていうところは、もうずっと昔から、中学生の頃からずっと変わらないものとして根底にあって。そこで、昔はみんなが楽しそうにしているのを遠くで見ているのが好きだったけど、今はだんだんその距離が近づいてきた、っていう感覚ですかね。私は10年やってきて、もちろんこれからも頑張るし、新しいこともきっといろいろあると思うけど、そればっかりに目を向けるっていうよりは、どうやったらみんなが楽しいかなとか、みんなが活動をやりやすいかなとか、そっちを考えることのほうが多くなってきましたし、これからも多くなっていくんだと思いますね
「乃木坂46新聞 2021結成10周年記念号」 「みんなが楽しそうにしてるのが好き」という感覚はずっと持っていたけれども、昔は「離れたところからそれを見る」というスタンスだった。しかし、「乃木坂46の絶対的エース」としての役割を求められるようになったことで、少しずつ「その『楽しさ』が生まれる環境に、自分も関与しよう」という感じになっていったのだと思う。そのような様々な経験が積み上がっていったことで、「周りの人の幸せが自分の幸せだ」という実感に繋がっていったのだろうし、そういう感覚が今の彼女を穏やかに生かしているのだろうな、という気にもなれた。とても素敵な生き方だなと思う。
齋藤飛鳥は自身の「見せ方」をどう意識しているのだろうか? さて、この記事の前半の方で、乃木坂46映像プロデューサー・金森孝宏による「最適解」の話に触れた。「齋藤飛鳥は、あらゆる状況における自分の『見せ方』を最適化させまくり、すべての状況に対して適材した」という話である。では、この点について彼女自身がどのように認識しているのか、その辺りに触れていきたいと思う。
アイドルとしての活動を始めた頃については、「多くの人に見られること」に対して「普通に楽しかったと思います」と発言していた。しかし、次第に難しくなっていったそうだ。
ただ、やっぱり高校生くらいになると、素の自分と「乃木坂46の齋藤飛鳥」とはもちろん全然違うなかで、自分をどこまでどう出せばいいのかわからなくなったり、出している自分の姿が受け入れられていないのかもしれないと思うときもあって。見られるのって、けっこうしんどいんだなって思い始めましたね。 ―それこそ「”素の齋藤飛鳥”はこういう人だ」みたいな解釈まで含めて、さまざまに語られていく。それは当然、御本人の目や耳にも入ってきますよね。 私の場合は、人とコミュニケーションを取るのが全然上手じゃないし、得意じゃない。だから、画面に映るメンバーとのやりとりや、ファンの人と接している様子が切り取られて、「本当の齋藤飛鳥」の姿として語られたりすると、どうしていいかわからなかったりもしました。それは素の自分じゃない上に、得意でもないことをがんばってやっている姿だから。若いときにはちょっと難しいことでしたね。
「Quick Japan Vol.175」 アイドルである以上多少なりとも仕方ないことだとはいえ、「望んでいるのとは違う風に見られてしまう」ことは避けがたい(そもそも私が書いているこの記事もそれを助長するようなものだろうし)。というか齋藤飛鳥の場合は恐らく、「望んでいる見られ方」などそもそも無かったとは思うのだが、しかしそれでも、「これは違う」という感覚になってしまったのだろう。
だからこそ、「見られ方を調整する」という行為は彼女にとって、ある種「鎧」的な意味を持っていた。
だから、一生懸命試行錯誤しながら、「じゃあこっちのキャラクターで行ってみよう」と、何度も変えてみたり、微調整したりしてたんじゃないかな。でも、そうすることがめちゃくちゃ嫌だとか、そのせいで辞めたいとかいうことじゃなくて。この仕事ってそういうものなんだろうなと思っていたし、そう思うしかなかったから。向き合っていかなきゃいけないんだろうなって考えていましたね。
「Quick Japan Vol.175」 僕にとって彼女のこの感覚は、「齋藤飛鳥のイメージ」として割と昔から持っていたものなので、特に意外ではない。しかし、次のような発言は僕のイメージにはなかった部分であり、ちょっと驚かされた。
それは、『あさひなぐ』の舞台で主演を務めていた時の話である。この時期、『いつかできるから今日できる』で西野七瀬とダブルセンターに選ばれていたのだが、その期間中に、舞台の本番だか稽古だかと被ったために、参加できなかった活動が1,2回あったという。そして、その時のことについてこんな発言をしている。
もちろん舞台は精一杯がんばるけど、わたしも一応ダブルセンターなんだけどな……って思ってしまって。そのあたりから、ただ自分がやりたい、やりたくないではなくて、グループでの自分の立ち位置はもちろん、他のメンバーはどんなことをしているかとか、自分は今どう動くべきなのかとか、事務所のスタッフの方と話をする時にどんなことを言えばいいのかとか、ものすごく細かいところまで考えるようになっていって。自分の気持ちも伝えたいし、自分もがんばりたいけど……どんな気持ちだったんだろう。すごく平たく言ったら、”もう一段売れたい”みたいな気持ちもあったのかな? それで、いろんなことをそれまで以上に分析して考えるようになっていきました。この新曲でこのミュージックビデオの内容ということは、こういうことを訴えたいんだな。これを訴えたいってことは、わたしはこういう佇まいでいたほうがいいんだろうな。その中で自分のポジションはここだからこんな表情をしよう、みたいなことをいつも考えていたと思います。
「SWITCH 2024年12月」 これを読んで僕は、「なるほど、そんな『売れるための戦略』みたいなことも考えてやっていたのか」と感じたし、僕の中のイメージになかったので驚かされてしまった。そして齋藤飛鳥は、そういう観点からも「自分の見られ方を調整する」という振る舞いを続けていたのである。この時のことについては、続けてさらにこんな風にも話していた。
そうやって俯瞰で見たり分析したりする冷静な頭があるのと同時に、当時はまだまだこどもちゃんで、もともと協調性のないタイプだったので。いろいろ上手くやれていたらよかったんですけど、わたしだけなんか周りと温度が違うなあ、とも感じていて。もちろん、メンバーみんなのことは変わらずずっと大好きでした。でも、わたしはそんなに器用なタイプでもないし、メンバーの前でも違う色を出しすぎて空気を乱してしまうというか、悪目立ちしちゃうようなところは、今思うとあったんだろうなと思います。みんな優しいから、そんなわたしとも変わらず仲良くしてくれましたけど。
「SWITCH 2024年12月」 恐らく齋藤飛鳥は、「こんな風にやっていこうよ」と自身が考えた「売れるための戦略」を周りのメンバーに説明したりしなかっただろうし、だから「周りと温度が違う」みたいな感じになっていったのだと思う。こういう”貪欲な”振る舞いについては、彼女のパブリックイメージとはちょっとズレるような印象もあって、だからこそ結構意外に感じられた。いや、とても良いことなのだけど。
さてそんな彼女は、『月曜日のユカ』という映画について次のように話していた。
だけど、きっとユカは自分の性格も考えもわかっていると思うんです。まわりからすれば予測不可能だけれど、本人はどう見られているのかわかっていて、受け入れている。そういうふうに周りを俯瞰で見ることは、私もグループ活動をする上で大事にしてきたので、どこかでこの作品の影響を受けていたのかもしれません。齋藤飛鳥に対してどんなイメージを持つのかは見る人に委ねるしかないし、アイドルという職業を選んだ以上、そこに応えながら活動することが正しいと私は思っていました。なので、時々自分の言動を振り返って、俯瞰で見て、正しいのか間違っているのか確認する時間を大事にしていたんです。自分で理想像を決めて行動する、いわゆるイメージ戦略みたいなものに、何度も失敗したので(笑)。そうじゃなくて、みなさんから聞こえてくる「齋藤飛鳥ってこうじゃない?」という声をキャッチして、間違えないように表現していました。 今の自分は、だいぶ変わりましたね。まわりからどう見られているのか意図的に見ないようにしていますし、キャッチする声も選びますし、正しさに囚われず自然体に近い自分の姿を見せられていると思います。
「Quick Japan Vol.175」 乃木坂46時代は「『みんなが思う齋藤飛鳥』を間違えないように振る舞う」というスタンスを強く意識していたそうだが、卒業後は大分楽にやれているようだ。それはこんな発言からも伝わってくるだろう。
―身近で一緒に働く人だと、メディアを通した姿とは違って、よりパーソナルな関わりになりますよね。「あのときの言い方はダメだったな」みたいな後悔もあると思います。 うんうん。「あの言い方は最悪だったな」「もうちょっと違う表情にすればよかったな」とか、そういう未熟なところはたくさんあります。だけど、そんなに取り繕える人間じゃないから、それで嫌われるならもうしょうがないし、お仕事ができなくなるならしょうがないしと、どこかで割り切ってはいます。 ―その割り切りもまた、難しいことではありますよね。 もちろん、誤解された場合だったりとか、訂正しなきゃいけない場合もたくさんあると思います。ただ、仕事で関わる人であれ、友達や家族に対してであれ、間違えたときにそれを訂正することが必ずしも正解じゃないんじゃないかなと思っていて。私は別に優れた人間性を持っているわけじゃないから、自分がよく思われたいための訂正なら必要ないし、ダメなところはダメだと見せるほうが私も楽だし。あんまりかっこつけられないから、ダサいところはダサいし、性格悪いとこは性格悪い。それはしょうがないと思っています。 ―そういう不完全さの自覚があると、他者に対しても寛容になれそうですよね。 でも私は、他人に厳しく自分に甘いので(笑)。人に対しては思っちゃうかもなぁ、時々(笑)。ただ、それも別に執着するようなことではないです。仮に極端に嫌なことを言われたとしても、遠ざければいいわけだし。なにより、自分の言葉で人を変えられると思っちゃいけないですしね。それはちょっと、傲慢だと思うから。だから同じように、私自身も執着されたくないし。あ、もちろん、常識的に見て絶対に直したほうがいい部分は努力します。
「Quick Japan Vol.175」 「仕事をどのように選んでいるのか?」の中で、「どう見られたところで、その評価は自分にしか返ってこない」みたいな引用をしたが、「見られ方」に関しても同じ感覚を持っているのだろうと思う。「単に自分が嫌われるだけなら、まあいいか」というわけだ。そういうスタンスが、「自然体」という印象をより強めているとも言えるかもしれない。
しかし、やはりグループ在籍時はなかなかそんな風には考えられなかったようだ。そのため彼女は結局、「本当の自分を表に出さない」というやり方で対処するしかなかったのである。
「本当の自分を表に出さない」というスタンスについて 乃木坂46在籍時について振り返る中で出てきた、齋藤飛鳥のこんな発言がとても印象的だった。
―研修が辛くて行きたくないとか、そうしたことはありませんでしたか。 ああ、でも当時は今よりも厳しかったですね。泣いている子も結構いましたし。でもわたし、本当に覚えてないんです、自分のこと。当時はレッスンも毎週あって、自分の好きな曲を先生の前で歌ったりするんですけど、みんながどんな曲を歌っていたかは覚えているのに、自分が何を歌ったのか全く覚えていなくて。オーディションも覚えてないし、レッスンのことも覚えてないっていうのは……たぶんこれは今のわたしにも続いているんですけど、常に本当に自分の好きなものを出してないからだと思うんです。オーディションにしてもレッスンにしても、本当に自分が好きな歌を歌ったなら絶対に覚えているはずなのに、まったく覚えていない。本当に好きなものは出さずにその場の空気を読んで、今はこの歌にしようとか、その時々でころころ変えていた。だから記憶にないんです。これを歌えば明るい子に見られそう、とか。そういうふうにして、自分が歌う曲にしても、何か訊かれて答える時にしても、幼いなりに意識しながら決めていたと思います
「SWITCH 2024年12月」 さすが「26年の嘘」と答えるだけのことはある。齋藤飛鳥が乃木坂46に加入したのは中学1年生、12歳の時のことだったはずだ。そしてその若さで既に、「自分が本当に好きだと思うものを表に出さない」という振る舞いをしていたのである。
その後、この発言についてさらに問われた彼女は、こんな風に答えていた。
うーん……たとえば、それは自分が本当に好きかどうかにかかわらず、相手がわたしが好きだろうと思っているものを好きだと言ったり、齋藤飛鳥ならこうするだろうなと思われていることをやったりすることが多かった、という話ですね。 ―自分の思いからではなく、周りに求められる発言や行動をとってきた。 そうですね。とはいえさすがに”0”を”1”にすることはできないですけど……たとえばみんなが思う”わたしの好きなもの”が、実際は100のうち1しか好きじゃないものだったとしても、その好きを20、30にして見せたり伝えたりすることはできる。そんな感覚です。
「SWITCH 2024年12月」 そしてやはりその根底にあるのは、「相手の期待に応えたい」という気持ちなのだそうだ。彼女は、「今日のお仕事はこれを求められているなと思ったら上手くそれに乗っかって、ファンの方は今こういうわたしを求めているなと思ったら、できるだけそれに近いものを返すようにすることが、自分の達成感にも繋がる」とも言っていた。つまり、「『これが望まれているんだろう』というものを『好きなもの』として表に出すことで、自分にも相手にも得があるようにしたい」というのが主たる動機なのである。
さらに、こういう振る舞いが「心を守る」ことにも繋がっていたのだという。
仮にそれで性格が悪いと言われても、そのイメージに乗っかってみたらそう言われたというだけだから、自分が落ち込む必要ないしとか、逃げ道は考えられていたかな。なんかちょっと、他人事っぽかったのかも。あんまりちゃんと自分のこととして認識すると、食らっちゃうし。
「Quick Japan Vol.175」 確かにこれはその通りだなと感じた。「本当の自分」を出した上で批判されたら、それは直接自分にダメージがきてしまう。しかし齋藤飛鳥は、「0ではないが100でもない」という範囲の中で、ずっと「偽りの自分」を表に出してきた。だから、その「偽りの自分」が批判されても、「ま、ホントの自分じゃないし」と思えるというわけだ。
また、「素の自分はあるか?」と聞かれた際にも、こんな風に答えている。
そう言われると、ないかもですね。素の自分といっても、いろんな表情があるだろうし。あと、「素の自分」の範囲から出た言葉であっても、一応、表に出す前に着色したり加工してから届けているものなので、それに対して何か言われたとしても、素を直接攻撃されているわけじゃないって思えるから傷つかない。もしくは、「素の自分」の枠を超えたような切り取りや解釈をもとに何か言われたとしても、それはそれで自分そのものではないから傷つかないし。「素」がそのまま直送されるんじゃなくて、手が加わる過程を経由して届けているものだから、それは私であって私ではないというか。
「Quick Japan Vol.175」 これはホントに、「SNSの存在を無視できない現代人が知っておくべき身の守り方」という感じがした。もちろん、人によってはSNSを「本当の自分を知ってほしい」という動機で使うだろうから、齋藤飛鳥の「加工してから出す」という話はしっくり来ないかもしれない。しかし、SNS上の誹謗中傷や炎上などで命を落としてしまう人さえいる時代だからこそ「身の守り方」は真剣に考えなければならないし、そういう意味では参考になるんじゃないかと思う。
また、これは「人前に出る仕事」だからこそという感じもするが、齋藤飛鳥は「批判」をこんな風に捉えていたそうだ。
そうですね。たとえば、わかりやすいキャラクターとして「毒舌」みたいなことをやっていたときには、賛否でいったら当初はたぶん否のほうが多かったし、いろんなことを言われたりもしました。でも、いろいろ言われることによって、こちらもさじ加減を調整することができるから、ありがたいといえばありがたいし。それに、何か言われたときでも、世の中全員が自分を否定しているような考え方になるのではなくて、たとえば自分の身近な大人の人たちはおもしろがってくれてるなとか、抜け道を探せていたと思うんですよ。
「Quick Japan Vol.175」 まずは、「批判」をそもそも「加工のさじ加減を調整するための参考」と捉えていた点が面白い。彼女は「自分の『本当』は加工してからじゃないと出さない」と決めているわけだが、「じゃあどれぐらい加工したらいいのか?」を判断するための要素として「批判」を捉えていたというわけだ。こういうメンタルはかなり「強か」という感じもするが、参考に出来る部分もあるんじゃないかと思う。それで思い出したのが、以前読んだ、クレームをよく受けるテレアポの人が書いた本に書かれていた、「クレームを1件受ける度に『クレームポイント』を加算し、それが一定まで溜まったら自分にご褒美として何か買う」と決めている人の話である。クレームはしんどいものだが、しかしその人はクレームが来る度に、「よし、これで1ポイント」と前向きに捉えられていたのだそうだ。ものは考えようというわけである。
さらに齋藤飛鳥は、「世間からは批判されているかもしれないが、身近な大人は面白がってくれている」みたいな意識も持っていたという。これもまた「身の守り方」としては適切であるように感じられた。
しかしやはり、「身の守り方」において最も重要だったのは、「本や映画などで様々な価値観に触れたこと」だったはずだ。
一定以上の年齢になってからは、一般的に「病む」という言葉で言われるようなことが、私はまったくなかったんです。でもそれは、そういう環境を糧にするとか、悔しくて負けたくないからがんばるとかともちょっと遠くて、フラットに受け止めていたような気がしています。 ―なぜそれが可能だったんでしょう? もちろん自然にできたわけじゃなくて。よかったのは、その時期にたくさん本を読んだり映画を観たり、人の話を聞いたりして、いろいろな価値観を見るようにしたこと。まあ、当時はだいぶひねくれていたので、よく「何事にも期待しない」みたいな言い方で表していたんですけど、それが身についたのは本を読んでいたからだと思います。そうやっていろんな価値観を広げてくうちに、あきらめたり受け入れたりするのって全然悪いことじゃないんだなと思うようになったんです。
「Quick Japan Vol.175」 中でも彼女は、「『逃げること』『諦めること』をネガティブに捉えずに済んだ」という点を強調している。それが伝わるのは、『PERFECT DAYS』『砂の女』『月曜日のユカ』という3作品を「好きな映画」として挙げた後のまとめとして口にしていた発言だろう。
昔から、「何かあれば逃げればいい」と思っているタイプだったので、あまり身を引いたりあきらめたりすることをカッコ悪いと思っていなかったんです。ネガティブな響きではあるけれど、あきらめることによってまた別の自分にとって大事なことを見つけられる、ってよく言うじゃないですか。だから、『砂の女』の教授や『月曜日のユカ』のユカみたいに不条理なものを受け入れることは悪いことだけじゃないっていうのは、10代のころからなんとなく感じ取っていた気がします。 グループ活動を初めたころは、落ち込みやすかったし、考え込んでしまうタイプでした。でも高校生になって、だんだんと後輩も増えていって、考え方も変わらざるを得ないところもあって……ちょうどこの2本の映画に出会ったのは、自分のグループの中での役割がちょっと変わっていった時期だったと思います。思い返せば、自分の中でいろいろ考えながら活動をしていて、その中でこういう映画に出会って。今でも私が人生においてかなり大事にしている「諦念」という考え、大げさですけど、あきらめの境地に達したときの美しさみたいなものに気がつくことができた、きっかけだったのかなと思います。
「Quick Japan Vol.175」 また、大江健三郎『死者の奢り・飼育』については、こんな風に話している。
同じ本に収録されている「飼育」でも、主人公の男の子が捕虜の黒人兵に対して心を許して、どんどん身を委ねていく。でも、最後はその黒人兵に裏切られて襲われてしまうんですよね。そのシーンを読んだときに、こういう結末であってほしかったな、と思った。昔、何かで「人間が一番ストレスを感じるのは期待を裏切られる瞬間だ」という文章を読んだことがあって。その文章を読んだのはおそらく10代の若いときなんですけど、すごく印象に残っていたんです。「飼育」を読んで、「やっぱり期待は裏切られるものなんだ、裏切られるとこんなにストレスがかかるんだ」と妙に腑に落ちたんですよね。 その当時の私は、裏切られてストレスになるくらいなら最初から期待しないほうがいい、という考え方をしていたんです。でも、どうしてもまわりに期待してしまう気持ちは捨てられない。そのあいだの揺らぎもまた人間らしいな、と思ったというか。「期待しない」っていうのはずっと言い続けているんですけど、今は少し歳を重ねたので、まあ期待はしちゃうよね、っていう感じです(笑)。
「Quick Japan Vol.175」 先述した通り齋藤飛鳥は、乃木坂46に加入した時点で既に、「本当の自分を表に出さない」という振る舞いをしていた。それも恐らく、子どもの頃から本を読んでいたことで、「自分を受け入れてもらえないのは当たり前のことだし、そんな期待をするくらいなら、最初から本当のことなんて言わなくていい」みたいに考えていたということなのではないかと思う。やはり、実に興味深い存在だなと改めて感じさせられた。
齋藤飛鳥と「本」について さて、「本との関わり」という意味でも印象的だった記述がいくつかあるので、それについても触れていこうと思う。と言ってもこの話に関しては、齋藤飛鳥自身の言葉ではなく、他の人の発言の方が多くなるのだが。
齋藤飛鳥は、『死者の奢り・飼育』『殺人犯はそこにいる』『イン ザ・ミソスープ』『鳥人計画』『わたしたちが孤児だったころ』の5作を挙げた「好きな本」のまとめとして、こんなことを言っていた。
もともと小学校は全然行っていなかったし、母親と小さな家でずっと暮らしていて。お父さんは会社に行っているし、お兄ちゃんは学校に行っているけれど、自分は家にいるという生活でした。そのあと中学1年の夏にはメンバーになっているので、どこかで自分がズレているような感覚があったんですよね。まわりの大人と話していても、お姉さんメンバーには話してくれることも私には話してくれないんだ、とか。だから「もっとちゃんとした人間にならないと」という思いが強かったんです。 そのなかで戦争を描いた本や戦後の混沌とした社会が舞台の本をよく読むようになりました。戦争は人間が起こすもので、人間が考えていることを深く知りたいと思っていた当時の私にはすごく興味があったんです。乃木坂46の中では知り得ないことというか、最も遠いものを学びたいという意識もありました。嫌なものも、悪いものも、つらいものも、ちゃんと吸収しないといけないと思っていた気がします。 一番本を読んでいた時期は二十歳になる前なんですけど、そのときはイキっていたというか(笑)。本屋でも奥の本棚で自分の手で一冊ずつ探し出すような買い方をしていたので、自然と読む本も古い作品が多くなったんだと思います。 今振り返ると、そういう本をたくさん読むのもいいことばかりじゃないなと思いますね、ひねくれちゃったんで(笑)。でもその分いろんな名作も読めたし、本を通じていろんな部分を知ることができたので「たくさん勉強できたかな」って感じですね。
「Quick Japan Vol.175」 「齋藤飛鳥は小学校から不登校で、必要な知識はすべて本を読んで学んだ」みたいな話は、ファンならよく知っているだろうが、やはりそれは非常に特異な状況だなとも思う。また、彼女は別の箇所で、学校に行かなくなった経緯について次のように話していた。
で、わたしとしてもそこまで学校生活を一生懸命がんばらなくてもお母さんはそんなに怒らないし、それよりも人として明るくなってほしいとか、ちゃんと人と接することができるようになってほしいということをすごく言われていたから、そっちをがんばればいいのかなって。それでだんだん学校に行かなくなっていって、五、六年生の頃には、たまにしか行ってなかったと思います。覚えているのは、クリスマス近くに学校のクラスでお楽しみ回があったんですけど、それも途中で帰ったりしてました。その頃から協調性のない子供でしたね
「SWITCH 2024年12月」 その後彼女は、中学に上がる時に頑張ってキャラ変し、「中学デビュー」を果たしたという。友だちも出来、吹奏楽部にも入り部活も頑張っていこうという感じで上手くいっていたようなのだが、中学1年の夏前ぐらいに乃木坂46のオーディションを知り、そのまま加入することになった。なので、もしも乃木坂46に入らなければ、「中学デビュー後に、一般的な学生生活を送る」みたいな人生を歩んでいたかもしれない。ただ恐らくだが、乃木坂46のオーディションに落ちていたら、またどこかのタイミングで学校に通わない感じになっていたんじゃないかという気もする。
いずれにしても、「本を読むこと」が齋藤飛鳥を真っ当な人生へと導いていったわけで、本との出会いは彼女にとって僥倖だっただろうなと思う。
しかし一方で、彼女の周りにいた大人たちは心配していたようだ。
一方で、特に10代の頃って本を読めば読むほど自分の世界にばかり入っていってしまうから、ある意味で暗い人になってしまう危険性がある。だから、アイドルという職業で表に立つ人間としてはあまり読みすぎないほうがいいんじゃないかという話もした記憶はあります。ただ、同じ本読みとしてはほかにそんなメンバーもいなかったですから、おもしろい存在だなと思っていました。
「Quick Japan Vol.175」 金森孝宏 乃木坂46映像プロデューサー あるとき、彼女が読んでいる本をちらっと見たら、貫井徳郎『乱反射』だったんです。あのくらいの歳の子が読むにはえぐいところがある作品なので少し話を聞いてみたら、いろんな人の裏切りや汚い部分が見えてすごくおもしろいです、という返事でした。当時の年齢としては早熟でハードな内容のものを好んでいたので、影響されて彼女自身もどんどんブラックになったら、間違った方向に育ったりしないかと心配したりもしましたね。
「Quick Japan Vol.175」 今野義雄 乃木坂46合同会社代表 この2人は、「本を読む齋藤飛鳥」についてかなり深く言及している。金森孝宏はとにかく、『NHK紅白歌合戦』の舞台裏で大江健三郎を読んでいた彼女に驚かされたそうだ。
次に印象に残っているのが、2016年の『NHK紅白歌合戦』の舞台裏。その年の夏に「裸足でSummer」で飛鳥が初めてセンターになって活躍が目立ってきた頃ですね。紅白のリハーサルが終わったあと、まわりは年末のウキウキした空気感の中、飛鳥ひとりだけ本を読んでいたんですよ。そのときはたしか、大江健三郎を読んでいたのかな。 僕が若いころに比較的純文学をきちんと読むタイプだったので、17,18歳くらいの人が大江健三郎を読んでいるのがうれしくなってしまって。それで、ほかにはどんなものを読んでいるのか聞いたんですけど、こちらもやっぱり文学が好きでずっと読んできたから、話を全部合わせられて、飛鳥も意外と話してくれて。そのときに話に挙がったのは中上健次『十九歳の地図』だったかな。舞城王太郎の話も出たかもしれない。そこから飛鳥とは本の話をするようになりました。『十九歳の地図』がいけるんだったら、同じく中上健次の『枯木灘』もいいんじゃないかとか、三島由紀夫とかカズオ・イシグロなんかも薦めたりしました。
「Quick Japan Vol.175」 金森孝宏 乃木坂46映像プロデューサー 「18歳の女の子が大江健三郎を読んでいる」というだけでも正直なかなかのインパクトだが(僕は大江健三郎を読んだことがない)、さらにそれが『NHK紅白歌合戦』のリハ後だというのだから、驚くのも当然だろう。ちなみに彼は続けて、「飛鳥がドキュメンタリー映画『いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46』でスコットランドに行くことになったから、カズオ・イシグロに会わせたいと思ったけど実現しなかった」なんてことも言っていた。僕もカズオ・イシグロは結構好きなので、実現してほしかったなと思う。
また今野義雄は、ハードな内容の本を読みながらも齋藤飛鳥が真っ当に成長していったことについて、こんな指摘をしている。
ただ、実際にはそんな心配は必要なく、彼女は至って”普通の人”になっていくんです。あのぐらいの年代の子なら反抗期が来たりしても自然ですが、飛鳥には日常の行動や服装などに具体的な反抗期らしきものが見えなかった。あとになって思えばですが、彼女のそういうエネルギーは全部、読書などを通じて内面の冒険に注がれていたのかなという気がするんですよね。今っぽい言葉でいうと、飛鳥の中の仮想空間で、彼女の反抗期は進んでいったんじゃないかな。 むしろ、すでに中学生くらいでもう、達観し始めるんですよね。同じ年代の子たちがもうグループの顔になっていたから、ともすれば考え方がネガティブになったり、すれた感じになってもおかしくなかったはず。けれど、飛鳥はそうしたものからは少し自由だったように思います。さまざまな人間模様や複雑な心理状況を、既にさまざまな文学などを通じて自分の中で処理してしまっていたということなのかもしれない。本人に聞いていただかないと真相はわかりませんが、僕からの見え方はそんな感じでした。
「Quick Japan Vol.175」 今野義雄 乃木坂46合同会社代表 彼女にとっては、「様々な価値観に触れたこと」がほぼ「経験したこと」と同義だったのではないか。そして、実際の振る舞いとして「反抗期」が表に出ることはなかったわけだが、それらは内的世界の中で処理され”経験”となり、そういう”経験”を積み重ねて「普通の人」になったのではないか、というわけだ。本当に豊かな”経験”を積み重ねてきたのだと思うし、良い成長の仕方だなと感じた。
卒業後の生活や展望について 僕は齋藤飛鳥のインタビューをそれなりに追っているはずで、そんな僕の記憶では、雑誌『SWITCH』『Quick Japan』での今回のインタビューは、乃木坂46卒業後の初のロングインタビューであるように思う。乃木坂46在籍中に卒業後のことについて聞かれたりもしていたが、実際に卒業し、その日々を過ごした後のインタビューとしては、ここまでのボリュームのものは初めてのはずだ。
そんなわけで、「卒業後の生活」や「今後の展望」などに関するやり取りもかなり多かった。
やはり、何よりも大きく変わったのは生活スタイルだそうだ。
卒業してからありがたいことにお仕事のペースもわたしに合わせてくださっているし、基本的には常にひとりなので、ゆっくり考えごともできるし。急がなきゃいけない、がんばらなきゃいけない、何かを追いかけなきゃいけないみたいな、あせあせ、みたいな気持ちはなくなりました。
「SWITCH 2024年12月」 でもしいて言うなら今は、ひとりの人間として平和に暮らすにはどうしたらいいかということを日々突き詰めて考えて生きているので、それによって自分の人生がどう変わっていくのかは、まあ、楽しみではあります ―人として平和に暮らすというのは、自分の生活を大切にする、満たされたものにする、そういったことでしょうか。 そうですね ―それはたとえばどんな生活ですか。 うーん……そうだな、私はこれまですごく華やかな場所にいさせてもらっていたので、『その反動なんじゃない?』と言われたらそれまでですけど、本当に地味というか、静かな暮らしをしたいと思っています。何か小さなことで、ちゃんと幸せを感じられる人でありたいので。昔は、乃木坂にいた頃は、グループとして認められることや、わたし個人の働きがグループに還元されていると感じられることが自分にとっての幸せだったし、それしか考えてなかったです。でも今は何をするにしてもしないにしても評価は自分にしか返ってこないので、その評価を気にし続けるよりも、もっと、なんだろう、些細なことでいいから、日常の暮らしの中で楽しさを覚えたり幸せを覚えたりできる人でいたい。本当に何でもいいんです。朝、ウォーキングしていて太陽が気持ちいいな、でもいいし、初めて入ったラーメン屋さんが美味しかったな、でもいいし。ほんとその程度でいいので、そういうのを日々の中でいくつか見つけたり、作ったりしていくのが私の幸せ、でしょうか。
「SWITCH 2024年12月」 彼女は長いこと、「人生=乃木坂46」として生き続けてきた。それ自体はとても良い経験だったわけだが、卒業したことでその「生活の背骨」とでも言うべきものが失われてしまう。そのため、それまでとは真逆のような生活になっているのである。
彼女が今過ごしている(目指そうとしている)のは、まさに映画『PERFECT DAYS』の主人公・平山のような生活であり、同映画の感想の中でそのように言及している。
すごく端的に言ってしまえば「平山になりたい」と思いました。今年、映画館で観たんですけど、タイミングもよかったんです。私自身、乃木坂46を卒業してしばらく経った頃で、ちょうど自分のあり方や生き方を考えていた時期でした。平山は贅沢をしないし、持っている物も少なくて、部屋には昔から聴いているカセットや古本など好きなものしか置いていない。すごく地味な人間として描かれていたと思うんですけど、当時の私が一番求めていたものが平山だなって。アイドルとして華やかな世界を見させてもらって、その経験は自分にとって必要だった。けれど、地味というか平凡な、あまり大きな波風が立たない人生がいかに素敵かってことを、ちょうど考えていたのですごく響きました。毎朝、平山が仕事に向かうために準備をして、ドアを開けて、明け方の空を見てちょっと微笑む、それくらいの幸せでじゅうぶんだなって。
「Quick Japan Vol.175」 僕も、あの平山の生活については羨ましさを感じる部分もあって、気持ちは分かる。ただやはり、「完全に平山みたいな日々だったら、本当に『幸せ』だろうか?」と突き詰めて考えると、そこまでの自信はないなとも思う。しかし齋藤飛鳥には、「私には乃木坂46以上のものはない」という確固たる感覚がある。確かに「乃木坂46」は、特に彼女のような立ち位置であれば、そう断言しても言い過ぎではない存在だっただろう。そしてだからこそ(と繋げるのが適切かは分からないが)、齋藤飛鳥は平山のような生活を躊躇なく志向することが出来るのだと思う。
そういえば確か平山も、今でこそ渋谷区のトイレ掃除の仕事をしているが、どうやら元々は良い家系の生まれの人物であるようだ。ほとんど描かれはしないものの、若干そのような背景が示唆されていた。そしてだからこそ、「簡素な生活」に愛着を抱けるという側面もあったりするのだろう。そういう観点からも、彼女は平山に共感したのかもしれない。
さて、そんな齋藤飛鳥の「グループ在籍時は自分の生活のことなど考えていなかった」という発言が面白かった。
―日常生活を整える余裕も、なかなかなさそうですね。 昔は本当に、自分の生活をどうしたいかなんて考えたこともなかったんです。乃木坂の仕事をしていることも楽しかったし、好きだったし。おいしいご飯を食べる時間がなかろうと、誰かと遊びに行く時間がなかろうと、それを意識したことがまったくなくて。自分が11年以上乃木坂46として活動した日々を振り返っても、手前味噌かもしれないですけど、わりとちゃんと走り抜いたというか、気を抜かずにやりきったなっていう自負があったんですよね。だから、ひとりになって少し時間にも余裕ができてからは、そろそろ仕事ひと筋というよりは、人間としての生活を充実させて、それが仕事に活きればいいなとか、仕事と生活を同等、ないしは生活のほうをより豊かにしようと思えるようになりましたね。
「Quick Japan Vol.175」 もう少し大人の年齢で乃木坂46に加入したメンバーには「生活」と呼べる時間はあったかもしれないが、齋藤飛鳥は中学1年での加入である。しかも、小学校を不登校で通して家で本ばかり読んでいたのだ。つまり、「齋藤飛鳥は、『普通の生活』なんてものがない状態で乃木坂46に加入した」と言っていいのではないだろうか。であれば、「自分の生活をどうしたいかなんて考えたこともなかった」という話も納得出来るし、そのまま11年以上走りきったというわけだ。
では、今後彼女はどうしていきたいと思っているのだろうか? 「仕事」や「生活」といった具体的なことではないのだが、はっきりと宣言していたのが「ダサい人間にならないこと」である。
―この先、年齢を重ねていった齋藤飛鳥さん像みたいなものはどうイメージしていますか? 齋藤飛鳥像……。私はこんな感じなので、もう少し歳を重ねようと、いわゆる子どものときに思い描いていたような、かっこいい大人みたいなのにはちょっとなれないかなとは思うんですけど。でも、ダサい人間にならなければいいかな。30代、40代で仕事をしていようとしていなかろうと、生き方さえダサくならなければ、あとはまあなんでもいいかなって思いますね。早くに白髪が生えようが、激太りしようが激痩せしようが、生き方さえちゃんと、まっすぐ自分の芯を持ち続けられれば、それでいいかな。 ―ダサくなさというのは、仕事の有無や属性とは関係ない話ですよね。 うん、そうですね。仕事の種類にも仕事の有無にもかかわらず、人として恥ずかしくない生き方がいいですね。
「Quick Japan Vol.175」 これも凄くよく分かるなぁと感じた。僕も、仕事や住んでいる場所など、一般的には「人格的なもの」と同等に扱われがちな要素に対して「どうでもいい」という気持ちしかない。とにかく、自分で自分のことを「ダサっ!」と感じずに済むような生き方が出来ていれば十分だなと思う。まあそりゃあ、禿げたり太ったりしたくはないけど(笑)。
さらに、もう1つ強く共感してしまったのが「長生きしたくない」という感覚だ。
―齋藤さんご自身もまだこの先、ゼロから何かを始めるくらいの人生の長さはあるわけですよね。 うん、そうだなあ。自分についていうと、ちょっと人生は長すぎるなと思います。どう時間を埋めようかなって。 ―人生が長すぎるというその感慨は、以前からありました? どうしてその発想になったのかわからないんですけど、10代のときから長生きしたくないと思っていたんです。だから、もともと根本にはそういう考え方もあったのかもしれない。でも、今は当時のように、漠然とそう考えているのとはちょっと違って。乃木坂っていう大仕事をいったんやり終えちゃったけど、まだ26歳。それこそ、世間的にはまだ何かを始められる年齢じゃないですか。これがもう、今50歳とか60歳だったらよかったなというか、そのくらいの歳だったらもう余生を過ごせたのにな、って。どうしていったらいいんだろうな、みたいな気持ちのほうが強いですね、今は。 ―一般的には、壮年期と呼ばれる年齢はまだこれからですよね。どうしていきましょう。 そうなんですよねえ。……どうしよう。ね? どうするべきなんですかね。
「Quick Japan Vol.175」 この感覚も凄くよく分かる。僕も10代の頃から長生きしたくないと思っていたし、周りの人間にはよく「50歳で死にたい」みたいなことを言っていた。今41歳(もうすぐ42歳)なので、もう10年を切っている。まあ、今は別に「50歳で死にたい」とは思わないが、でも結果としてそうなってしまっても別にいい。特にやりたいこともないし、齋藤飛鳥と同じく「ちょっと人生は長すぎるな」という感覚が強いのだ。
まあ何にせよ人生は続いていくし、彼女は当然これからも仕事をしていくわけだが、「じゃあどんな仕事をしたいのか?」と聞かれて、こんな風に答えている。
歳を重ねることによって、お仕事の幅も広がりそうだなとは思いつつ、具体的に何ができるようになるのか、あまりわからなくて。お芝居なら役の幅が広がったりするのかもしれないけど、でもそれは年齢だけじゃなく実力も重ねていかないとできないことだろうし。歳を重ねて何をやっているのか、未知ですよね。わからないけど、来年になって急に歌いたいって思うかもしれないし、演技じゃなくてダンスがしたいって言うかもしれない。年齢自体っていうよりは、歳を重ねることによって力をつける場所を変えたり、視野を広げたり、それこそ見られ方に関して許容できる範囲が変わったりしていくのかな。
「Quick Japan Vol.175」 何事も明言しない齋藤飛鳥らしい返答だなと思う。
ちなみに、ソニー・ミュージックソリューションズ/乃木坂46アートワークの青木健輔はこんな風に言っていた。
もしこの先、飛鳥をソロで撮れるんだったら、さらに実験的でめちゃくちゃかっこよくなるような写真を撮ってみたいですね。アイドルって、年齢を重ねていくことをちょっとネガティブに捉えられたりすることもあるじゃないですか。でも、想像するに飛鳥は年を重ねることで絶対かっこよくなるし、被写体としてすごく魅力的になっていく予感がするんですよ。僕は演技のことは詳しくないですけど、たとえばロックミュージシャンの役も似合いそうじゃないですか。ロックミュージシャンも年を経るとかっこよさのジャンルが変わって、さらに説得力が出てきたりしますよね。年齢を重ねていくことで生まれるかっこよさを、飛鳥で表現してみたいですね。
「Quick Japan Vol.175」 青木健輔 ソニー・ミュージックソリューションズ/乃木坂46アートワーク 女性アイドルの場合は特に、「卒業」というシステムがあるため、そのまま芸能界を引退したり、ビジネスの方に進んだりして表に出なくなったりすることも多いが、小泉今日子や南野陽子など女優として第一線で活躍し続ける人もいる。齋藤飛鳥もたぶん、本人が望めばそんな風になっていくだろう。だから、長生きしてくれなくても別にいいので、生きているならなるべく表に出てきてほしいものだなと思う。
ちなみに、Mr.Children『Simple』の感想の中で、これまでの26年間の人生を振り返ったようなことが書かれているので、引用しておこう。
これは『PERFECT DAYS』とも近くて、歌詞のとおり、ほんとシンプルなことでいいんだな、こんな簡単なことだったんだ、っていうところに共感しました。私は10代を難しく生きてしまったので、大人になってからちょっとほぐれたような感覚で共感した歌ですね。考えて悩みまくった人生を数年間過ごして、今は環境も変わって「難しくしていたのは自分だったのか」って気づけた歌です。 10代は遠回りしたなと思いますし、たぶん行かなくていい道に行っちゃったと思うけれど、26歳まで生きてようやく、それもよかったと思えたというか。「遠回りした自分、かわいかったな」って、今はちゃんと愛おしく思える。もちろんストレートにきれいな道を選んでいく人もいるけど、まあ私には無理だったな、とも思うし。けっこう人間臭いこととか好きなので、失敗しまくったり嫌われまくったりもしたと思うけど、まあそれもいいか、みたいな感覚が今はありますね。
「Quick Japan Vol.175」 さてそんなわけで、長々と記事を書いてきたが、最後に、直近のインタビューで語られた「乃木坂46加入前」から「卒業の決断」までの話にざっくり触れて終わりにしようと思う。
「乃木坂46の齋藤飛鳥」としての来歴 乃木坂46加入前 乃木坂46に加入する前の齋藤飛鳥は、とにかく「人見知り」が酷かったそうだ。
―幼稚園や小学校ではどんなタイプでしたか? わたしは覚えてないんですけど、幼稚園の頃はその感じのまま、番長的なやんちゃな男の子も手なづけるくらい活発だったらしいです(笑)。そこまではよかったんですけど、小学校に上がる時に変わっちゃったというか、いつもお母さんの後ろに隠れて、あいさつもできないし、人の顔を見て話すのも恥ずかしい、そんな子供になって
「SWITCH 2024年12月」 そして、そんな状態が改善されたらと「母親からのものすごく強い勧め」があり、乃木坂46のオーディションを受けることになった。しかし、「母親の期待とは逆の結果になってしまった」と彼女は話している。
(※映画『映像研には手を出すな!』の浅草みどりと共感できる部分があるという話の流れで) スミス 内向きの性格は、アイドル活動を始めてからそうなっていったの? 齋藤 小学生の頃からその傾向はあったんですけど、アイドルになっていろんな人と関わるようになってから、さらに強くなっていった気がします スミス 内向的な性格を変えたくてアイドルを目指す子も多いと思うけど……。 齋藤 わたしは逆でしたね。母からしたら、内向きの性格が変わることを願って乃木坂のオーディションを受けさせたと思うんですけど、蓋を開けたら逆だったなって(笑)
「SWITCH 2024年12月」 さて、そんな齋藤飛鳥の「オーディションに関するある認識」が実に興味深い。彼女は、母親に言われるがままオーディションを受けに行っただけなので、正直やる気はなかった。しかしあることがきっかけで「悔しい」と感じるようになったそうだ。
全部で何次審査まであって、そのうちのいくつめだったのかは覚えてないですけど、わたし、ダンス審査かなにかの時に一度落とされたんです。今思えばそれも大人側の策略というか、敢えて一回落として反応を見る、みたいなことだったのかもしれないですけど。それで敗者復活みたいな感じで、もう一回やります、と。そんなことがあって、わたしは敗者復活で次の審査に進めたんです ―そうだったんですね。 まあ、子供ながらにそれはやっぱり悔しいし、そのあたりから、もうちょっとがんばろうという気持ちになっていったように思います。でもあれ、絶対わざとやってたと思うんだよなあ。まんまとやられたな、って思ってます(笑)
「SWITCH 2024年12月」 これは雑誌『SWITCH』のインタビューで語られた話であり、乃木坂46合同会社代表・今野義雄のインタビューが載っているのは雑誌『Quick Japan』の方なので、もし『Quick Japan』でこのインタビューがなされていたら、「今野義雄に確認してみる」みたいな流れがあったかもしれない。実に残念だなと思う。実際どうだったのか気になるところだが、しかし個人的には、齋藤飛鳥の考えすぎという感じもする。いずれ真相が明らかになることを期待したいところだ。
加入当初から飛躍の直前まで さて、そんな今野義雄は、新しいプロジェクトだった「乃木坂46」の最年少メンバーの1人として採用した齋藤飛鳥について、こんな風に語っている。
飛鳥は乃木坂46結成時の年少メンバーのひとりですが、彼女に限らず青春時代もまだ全然経験していない歳の子を預かるのは、事務所として相当な覚悟が必要なんです。人間的な中身も含めて、何かスーパーなものを持っていないと合格させられないですから、見極めるハードルも相当高くなります。坂道シリーズの最年少メンバーにしっかり者が多いのは、そんなところにも理由があるんですよね。オーディション当時の飛鳥はまだおぼこい少女でしたが、シルエット的には人並み外れて目を引くものがありましたし、あの世代としては図抜けた才能を持っているんじゃないかという予感もしていました。この子が成長してどんなふうに化けるのか、すごく見てみたかった。 もっとも、乃木坂46のデビュー当時、選抜の年少メンバーで中心的な人物だったのは生田絵梨花と星野みなみです。生田はパブリックイメージのとおり、我が道をストイックに追求するタイプ。星野は当初から度を超えた”かわいい”の天才で、そこにいるだけでものすごい存在感。その中でいえば、飛鳥はまだそれほどキャラクターが濃いわけではありませんでした。飛鳥本人も模索していた時期だと思いますし、まだほかのメンバーたちの妹のような感覚でしたよね。ごく初期のころ、レッスン後にお姉さんメンバーたちがリハーサルスタジオに残っておしゃべりに夢中になっていると、その近くで飛鳥もうんうんとうなずきながら話を聞いているんです。僕がそろそろ帰るように促すと、お姉さんたちから「飛鳥、あんたはちっちゃいんだから早く帰りな」と言われて、飛鳥は「やだやだ、私も混ぜてほしい」と食い下がっている。そんな光景を、今でもよく覚えています。
「Quick Japan Vol.175」 今野義雄 乃木坂46合同会社代表 確かに、「青春時代もまだ全然経験していない歳の子を預かるのは、事務所として相当な覚悟が必要」というのはその通りだろう。しかしそのような中でも、「この子が成長してどんなふうに化けるのか、すごく見てみたかった」と感じさせるだけの何かを見抜いたというわけだ。12歳の少女の一体何を見て判断するのかよく分からないが、凄い「眼力」だなと思う。
そんな風にして乃木坂46に加入した齋藤飛鳥は、「もう学校より圧倒的に楽しいし、男の子もいないから平和だし、超いいじゃん、と思ってました」と語るほど、しばらく楽しく過ごしていたという。しかしやはり、徐々に「選抜入りたいな、でも入ったとしても三列目で全然映らなくて悔しいな」と感じるようになっていったそうだ。
だんだん、もう無理だなあとか、楽しくないなあみたいな感じになっていって。当時、アンダーの活動は全然なかったので、アンダーメンバー同士で慰め合ったり励まし合ったりしてどうにかやっていたら、ある時突然”アンダーライブ”というのが決まったんです。それで一気にみんな『アンダーライブ、絶対がんばろうね』というムードになっていって。でも、その初めてのアンダーライブはお客さんも全然入らなくて、みんなで号泣して終わりました。みんな本当に悔しかったんだと思う。”わたしたち、もっとがんばらなきゃダメだよね”みたいなモードになっていきました。そこからアンダーライブがファンの方たちに認知されていくまで、みんな本当に必死でがんばって。わたしもがんばることは好きだったし、ありがたいことにアンダーでは一列目やセンターをやらせてもらうことも何回かあったので、腐ることもなく、しんどいけどとりあえずここでがんばろう、みたいな感じでやっていましたね
「SWITCH 2024年12月」 そしてこの当時のエピソードで印象的だったのが、乃木坂46映像プロデューサー・金森孝宏が語っていた話である。それは、渋谷のO-EASTでアンダーライブを行った2014年の出来事だ。彼は専属の映像プロデューサーとして、ライブ後には毎回「今どんなことを思っているのか」などメンバーにカメラを向けてインタビューしていた。当時は今ほど映像媒体が存在しなかったこともあり、撮影している時点では「使う当てのない素材」だったわけだが、それでも「いつかどこかで」という気持ちを持ちつつカメラを回していたのだという。
それで、アンダーライブのあとに飛鳥にインタビューしようとカメラを向けたら「いや、どうせこれ使わないでしょ。話さないよ」と言ったんです。それを聞いたときに腹が立ちました。どのシーンを使うか使わないかはその瞬間に判断することではないですし。けれど同時に、「この人、すごくおもしろいな」とも思いました。 カメラを前にすると、どんなに若い人だろうとちょっとそれ風に構えるというか、素材として使えるような振る舞いをするものなんです。どのメンバーもそうだった中で、当時15歳くらいの飛鳥が、どうせ使わないからしゃべる必要ない、みたいなことを言う。確かにその映像は実際には世に出ないんですけど、カメラが回っているところでそんなにむき出しの気持ちを見せる人はいなかったのですごくおもしろいなと思ったんですよね。
「Quick Japan Vol.175」 金森孝宏 乃木坂46映像プロデューサー 恐らくこの時期はまだ、「周囲の人のプラスになるように振る舞おう」みたいなマインドがはっきりと明確化される前だったのだと思う。今ならまず、そんな振る舞いをしたりはしないだろう。しかしそれにしても、「どうせ使わないんでしょ」なんて言っている姿は彼女のパブリックイメージからかなりかけ離れている感じがするので、新鮮で面白い。
さて、そこから4年後のエピソードもまた興味深かった。同じく金森孝宏が語っていた話で、「年末恒例のCM」についてである。乃木坂46は毎年年末になると、冠番組『乃木坂工事中』(テレビ東京)の放送中にその1年をまとめるようなCMを流すのだが、2018年はそのナレーションを齋藤飛鳥が担当したのだそうだ。
飛鳥がナレーションを担当した2018年のCMには、「変わることも変わらないこともすべて受け入れて、私たちは進む」というフレーズが登場します。その言葉は、CM制作会社に先立って飛鳥に一年を振り返ってもらった際に、彼女の口から出てきたものをそのまま使用しているんですよ。 10代や20代前半ぐらいの子って、普通に生活している学生だったとしても変化していくものだけれど、彼女たちはライブだったり、4ヶ月に1回くらいは選抜のアンダーの発表があったりと大きなイベントが頻繁にあって環境が急速に変わっていく。だから、それにつれて本人たちもどんどん変化していくんですよね。彼女たち自身は変わっていないと思っていても、周囲の大人目線として見ればやっぱりバンバン変わっている。 ただその一方で、仕事を続ける上での環境として「変えられない」ものもまたあるわけです。「ここは変わらないでほしい」という声があったり、過去の自分像を求められたりして、それもまた受け入れるしかない。当時二十歳くらいの彼女がそういうことをすべて認識した上で、変わるものも変わらないものも両方ひっくるめて私たちはどちらも受け入れていくんだよね、ということをしゃべっている。先ほどお話ししたアンダーライブのインタビューではあんなに剥き出しの感情を見せていた人が、何年か経ったらもうそこまでの受け入れ態勢になっていることに、少し恐ろしさを感じたのを覚えています。
「Quick Japan Vol.175」 金森孝宏 乃木坂46映像プロデューサー 確かに、4年前に「使わないだろうから話さないよ」と言っていた女の子が、「変わることも変わらないこともすべて受け入れて、私たちは進む」なんて口にするほど落ち着き払った振る舞いをしているというのは驚きだっただろう。しかも、齋藤飛鳥は間違いなく、「変わらない存在でいてほしい」というファンの声が存在することを認識した上でこういう発言をしているはずだ。つまり、ある意味では間接的に「いや、変わるけどね」とファンに向けてメッセージを発しているとも言えるわけで、実にファンキーだなと思う。この話もまた、「自身の見せ方を調整する」みたいな部分とも絡んでくるだろう。
飛躍 齋藤飛鳥の飛躍のきっかけは、外部からもたらされた。
ただ、わたしが腐らずにいられたのは、アンダーライブもそうだけど、他にも突然とんでもないお仕事が来ることがあって ―それはファッション誌『CUTiE』や、ANNA SUIの広告ビジュアル(2015年)といったモデル活動ですか。 そうそう。そういう嬉しいことがちょこちょこあったのも大きかったです。それで、選抜に続けて入れるようになってからも基本的にはずっと三列目だけれど、それでも真ん中あたりに置いてもらった時はセンターの抜けで映れたりもするから、そんなことでも嬉しくて(笑)。そのうち三列目から二列目に上がりましたけど、自分としてはそこで一旦満足していたというか……そこからさらに売れるには、つまり二列目から一列目に行くには、何か爆発的なきっかけがないと無理だと思っていたし、当時は握手会の人気も今よりシビアに見られていたので、難しいだろうなと思っていました。そんな時期での突然のセンターだったので、わたしにはまだ荷が重いし、とにかくびっくりしましたね
「SWITCH 2024年12月」 この頃の出来事については、乃木坂46合同会社代表・今野義雄も「驚きだった」と語っている。
我々の世界では時に、運が必要だったりするじゃないですか。飛鳥の場合、そのタイミングは2015年ごろでした。専属モデルの制度を採用していなかった雑誌『CUTiE』から、飛鳥を専属モデルで起用してみたいという話が来たんです。当時、乃木坂46内でもファッション雑誌の専属モデルをしていたのは白石麻衣、西野七瀬、橋本奈々未、松村沙友理くらいしかいなかった。そんな時期にいただいたオファーだったので、電話で飛鳥に「今から話すことは、お前の人生にとって大事なターニングポイントになるから心して聞け」という感じで伝えた記憶があります。 ツキがまわってくるときっていうのは、本当に次々にいろんなことがやってくるものです。同じころ、グループとしてもさまざまなファッションブランドとの関わりを模索していた折に、ANNA SUIから飛鳥に指名があってアジア圏のビジュアルモデルに採用されたんです。いよいよ、ファッションの世界も含めて齋藤飛鳥が大きな注目を浴びるようになって、女の子の間でもちょっとしたカリスマ感が出始めました。 そのあたりではもう、飛鳥にシングル表題曲のセンターを担ってもらうタイミングを虎視眈々とうかがっていました。実はとんでもない才能の人がいますよと、世間に問うてみたかった。結果的に、当時の彼女にはあまり似つかわしくないかもしれない、夏楽曲での初センターをやることになりましたが、彼女がやるからこそ逆におもしろい気はしていましたね。白石や西野らを中心に、乃木坂46のブランディングはひとつでき上がっていましたが、彼女たちのようなお姉さん的な雰囲気とも違う、少女が持っているミステリアスさやファッション性を提案できるんじゃないかという想いがありました。
「Quick Japan Vol.175」 今野義雄 乃木坂46合同会社代表 今野義雄の証言から、マネジメント側で齋藤飛鳥を積極的に押し出していたわけではないことが理解できるし、だから本当に『CUTiE』や「ANNA SUI」に見つけてもらった、という感じだったのだと思う。以前、齋藤飛鳥はこの時のことについて、
その頃は、実力や人気ではなくて「CUTiE」のおかげで選抜に入ることができたと勝手に思っていたので、ファンの方に「アンダーのフロントのほうがよかったんじゃないの?」と言われても「いやいや、『CUTiE』さんが用意してくれた席なんだから」と心のなかで呟いていました。
「ENTAME 2016年9月号」 と語っていたことがある。まさに彼女の飛躍には欠かせないターニングポイントだったと言っていいと思う。
しかしそんな風にしてセンターへと駆け上がっていった齋藤飛鳥は、「相当しんどい思いをさせられた」と語っている。
―初めてのセンターは自身にとってどんな経験となったのか。センターから見える景色を前にして、自分はここに立ちたかったんだ、といった感慨はありましたか? ああ、当時はそこまでは思えませんでしたね。二列目、三列目にいた時は、どうやったら前に行けるかなって考えてはいたけれど、いざ前に出させられるとやっぱり心細いし、それまでは前に誰かがいる状態で踊るのが普通だったから、なんで一番前でやらなきゃいけないんだろうって。それに当時のフロントメンバーもわたしにはちょっと眩しすぎたというか。橋本(奈々未)、白石(麻衣)、西野(七瀬)、生田(絵梨花)という、人気もあるうえにそれぞれ強い武器を持っているようなメンバーだったので、”いや、無理でしょ”って。”何を考えてこんな配置にしたんだろう”とか、”せめてもうちょっと準備させてよ”みたいな気持ちの方が強くて。まあ……しんどかったですね。
「SWITCH 2024年12月」 私個人としては、『裸足でSummer』のツアーが人生で一番つらかったから。当時10代で、急にセンターになって。正直「なんでこんなに全てを背負わせるんだろう?」って夏の間ずっと思っていたから……。
「乃木坂46新聞2022」 今は違うんですけど、あの頃(※『裸足でSummer』でセンターになった時期)の私はどこか完璧主義なところがあって、「実力をつけてから前に行きたい」と思っていたから、知らない間に握手会の列が伸びて、センターになっていたことが怖かったというか、なにか大きなきっかけがあったわけでもないので、自信を持てるものがない状態で前に立っていると感じていたんです。しかも、今よりネガティブだったので、「この勢いはいつ止まってしまうんだろう」と心配でした
「日経エンタテインメント 2021年2月号」 現在視点から振り返ってみれば、まさに絶妙なタイミングでセンターを任され、それを機に「乃木坂46に無くてはならない存在」になっていったわけだが、当時の本人の感覚としては、「勘弁してよ」みたいな感じだったというわけだ。まあこの辺りのことは、グループ在籍時からインタビューなどでも語っていたし、また、ある意味では「センター経験者が通らなければならない道」でもあるわけで、齋藤飛鳥に限ったことではないとも言えるのだが。
さて、そんな風にして「飛ぶ鳥を落とす勢い」で突き進んでいった彼女は、「絶対的存在」というような立ち位置を確立していくことになる。
その後、飛鳥はグループにいた多くのスターたちの卒業を見届ける立場になって、絶対的女王じゃないですけれど、類まれなるセンターとしての佇まいを身につけていく。同時に、後輩たちから少し神格化されていたところもあり、彼女にとっては孤独との戦いみたいなものも始まる時期だったのかな。そのあたりから、楽屋では飛鳥がひとりでいることも多くなっていた印象があります。もっとも、新しい世代の子たちと一緒にグループを維持して、さらに発展させていくという責任感は強く持っていたと思いますね。
「Quick Japan Vol.175」 今野義雄 乃木坂46合同会社代表 彼の認識通り、齋藤飛鳥は「世代交代」を強く意識するようになっていったという。というのも、「3・4期生のセンターを見てどう感じるのか」と問われた彼女が、こんな風に答える場面があるからだ。
だからその後わたしがフロントをやらせてもらうようになってからは、新しい子がセンターになった時は、とにかく理解してほしい、応援してほしいと周りに呼びかける役割を勝手にやっていました。世代交代というと大げさですけど、乃木坂というグループは”プチ世代交代”をずっと続けてきたグループだから、遠藤が初めてセンターに立った時も、ここで世代交代することはこれからの乃木坂にとって絶対にいいことだから、みんな信じてくださいって、ファンの人、周りの人に伝えて理解してもらう。そんなことを一生懸命やってました。
「SWITCH 2024年12月」 またそれに伴って、彼女自身の乃木坂46に対する見方も少しずつ変わっていったそうだ。
それから、以前から乃木坂46のことを俯瞰してきた私ですが、今までは遠くの空の上から見ているぐらいだったのが、今はみんなと同じ地面に立って、ちょっと離れているぐらいのところから見ている感覚に変わりました。距離はあるかもしれませんが、目線の高さは一緒だし、ちゃんと自分が当事者である自覚が高まってきたのも大きな変化かもしれません。
「日経エンタテインメント 2022年2月号」 齋藤飛鳥に関しては、3期生の山下美月が「乃木坂46加入後、3年間くらいは言葉を交わさなかった」と語っていたり、あるいは同期の生田絵梨花が、「高山一実と食べ物屋さんの話で盛り上がっていたら、飛鳥が『私も行こうかな』って言い出して驚愕した」というエピソードをラジオで披露するなど、「メンバーとさえあまりコミュニケーションを取らない」ことで有名である。しかし、1期生の数が減り、「乃木坂46の新しい形」が模索されていた時期に「絶対的存在」になっていた彼女は、やはり自分の役割に自覚的にならざるを得なかったのだろう。はっきりと「当事者意識」を持つようなっていったのである。
ただ彼女は、山下美月とのやり取りの中で、「まあ、見えなくしただけだけどね、壁をね(笑い)」とも発言しており、やはりなかなかの食わせ者だなとも思う。
さて、そんな齋藤飛鳥は当然(?)後輩からも人気である。そのことが伝わる話をいくつか引用しておこう。
賀喜 飛鳥さんは後輩からものすごい人気なので……フフフ。 飛鳥 何笑ってるの?(笑い) 賀喜 本当に人気なので(笑い) 飛鳥 いやいや、ないないない。人気はないけど(笑い)。 賀喜 だから、「私が話し掛けたり、周りにいたりしてもいいんですか?」って確認しに行きました。 飛鳥 あはは。あれ、謎だったよね(笑い)。ビックリした。賀喜が急に立ち止まって、「飛鳥さん……」って。超深刻な顔をしてて。眉毛がハの時で、何ならうるうるしていて。「え、どうしたん!?」って。 賀喜 (笑い) 飛鳥 賀喜が1対1で泣くと、私も泣いちゃうんですよ。賀喜のうるうるに弱くて。「ヤバい、これは私も泣くかもしれん……!」と思っていたら、出てきた言葉が「私も飛鳥さんの近くにいてもいいですか?」って。えっ、て思って。「何の話?」って(笑い) 賀喜 やっぱり確認をとらないと。許可をとらなきゃって思って(笑い) 飛鳥 だから許可しました(笑い)
「乃木坂46新聞2022」 ―飛鳥さんはよく自分では「優しくないです」とおっしゃいますが、後輩に優しいところを“バラされる”ことも増えてきました 賀喜 優しいです(笑い) 遠藤 優しいですね(笑い)。それにやっぱり、追いつこうとはしているんですけど、絶対追いつけないというか……。それぐらいすごい人です。 齋藤 いや~なんか、恐ろしいですよね(笑い)。だって、数年前とか、こんなことを私が後輩から言われるって、考えられなかったじゃないですか
「乃木坂46新聞 2021結成10周年記念号」 山下 飛鳥さんはすべてわかってらっしゃると思います。普段から私に限らず、後輩が泣いてたら駆けつけて、「何泣いてんの?」みたいにからかいつつ面倒を見てくれる先輩なので、心強いです 齋藤 別にいいことは言ってませんけど(笑)。山下は自信があるように振る舞えて、みんなが「大丈夫」と思っている分、ちょっと気にかけてあげたい気持ちはあります
「乃木坂46×プレイボーイ2020-2021」 3・4期生からすれば、同じグループにはいるものの「雲の上の存在」みたいに見えていたのではないかと思うし、そんな風に感じている後輩に対して「壁が無くなった(ように見える)」みたいなところまで関係性を再構築できるのもまた、「最適解」を追求し続けてきた齋藤飛鳥だからこそという感じがする。
このようにして齋藤飛鳥は、卒業までの「アイドル人生」を走り抜けていったのだ。
「乃木坂46を卒業する」という決断 では、齋藤飛鳥はいかにして「卒業」という決断に至ったのだろうか?
―そうやってグループとしても少しずつ変化していく中で、自分はいつ乃木坂を去るのか、去らないのか。そうしたことはどのあたりから考え始めましたか。 最初はいつぐらいだったんだろうな。でも、五期生が入ってくるよりも全然前からぼんやりとは考えていたはずです。それで、同期の卒業が結構続いて、コロナ禍もあって、それが明けた後くらいに白石もいなくなって。やっぱり一期生がだんだん減っていくにつれて、さすがに自分も卒業のことを考えるようになっていきましたね。まあでも、わたしはあまり人生に対して欲がないので、辞めてって言われたら辞めるし、辞めないでって言われたら別に辞めないし、どっちでもいいかな、ぐらいのテンションでした。うーん、大きなきっかけは特になかったと思うんですけど、一期生の残りが一桁になって、さらにそこから減ったくらいの頃に、なんだか卒業が急に近くに感じて。わたしもそろそろ卒業しないとな、と思ったのが最初かもしれません。
「SWITCH 2024年12月」 実際、最初に『そろそろ辞めようかな』みたいな話をした時は引き留めていただいて、自分も別に焦ってるわけじゃないし、やりたいこともなかったから、『ま、いっか』って思いながら続けて。でもそうやって『まだいてね。まだ辞めないでね』と言われているうちに、やっぱりわたしはあまりのじゃくなもので、だんだん『もうよくない?』って気持ちになっていって……というのはウソですけど(笑)。
「SWITCH 2024年12月」 こんな感じで彼女は、別に「積極的に辞めよう」みたいに考えていたわけではなかったようだ。確かに、卒業していった1期生は、年齢のことも踏まえつつ卒業を決断したみたいな側面もあったとは思うのだが、齋藤飛鳥は「絶対的存在」になった時点でもまだ20代前半と若かった。1期生ではあるが、加入が12歳と早かったためである。だから正直なところ、まだまだ乃木坂46にいることも出来たと思うし、事務所からの「まだ辞めないでね」も恐らく本心だっただろうし、もうしばらく乃木坂46を続けるという選択肢もあったはずだと思う。
しかし、そういう中で彼女が「卒業」を決断した背景には、こんな理由があったそうだ。
わたし、もともと三期生がすごく好きだったんです。『三期生、いいなあ』って思ってずっと見てたんだけど、いつの間にかその次の四期生が入ってきて、そのうちになんかちょっとわたしに懐いてくるような子も出てきて(笑)。そうこうしているうちに五期生の話も出てきて。そうなった時に、わたしの好きな三期生の時代をちゃんと見れていない気がするなって思ったんです。もっと三期生であふれた選抜とか、三、四期生の選抜を見てから五期に行きたいなって。でもそれをするには……あ、自分じゃん、と思って。一期生のわたしがまだここにいるからじゃん、って(笑)。そういう意識から、だんだん卒業をリアルなものとして捉えるようになっていった感じですね。
「SWITCH 2024年12月」 何となく「後付け感」もあるのだが、しかし「確かにな」と感じさせる絶妙な理由でもあり、仮に「後付け」だとしても凄く上手いなと思う。またそれとは別に、「1期生が抜けて、定期的にセンターをやらせてもらえるようになった状況」に対して、「その時にわたしが一番恐れていたのは、飽きられてしまうことでした。わたしに対して飽きられるのも怖いし、わたしがグループの前面にいることで乃木坂が飽きられてしまうのも怖かった」とも語っていて、こちらもまた本心なのだろうなという感じがした。
そんな彼女にインタビューアーが、「乃木坂を辞めるということはアイドルを辞めるということと同じことですか?」と質問するのだが、これに対して齋藤飛鳥はこんな風に答えている。
うーん、アイドルを辞めることと乃木坂を辞めることは別物なんですけど、わたしのなかではアイドルを辞めることより、乃木坂を辞めることのほうが人生で大きなことだと思っていました。約十一年いて、前半はめっちゃしんどい時もあったけど、たぶんわたしの人生、これから何年生きるかわからないけど、これより楽しいことはないし、これより大事なものはないから。乃木坂を卒業するということは、なんだろうな……わたしの第一の人生の終わりというか。(中略) ―アイドルに未練はないですか。 ああ、ないです。もう十分(笑) ―アイドルをやり切った、と。 大満足だし、やっぱり楽しかったから。アイドルというものが。それを楽しくなくなるまではやりたくないし。それに、アイドルが楽しかったのは、わたしがアイドルという活動が好きだったからなのか、乃木坂が好きだったからなのか、わからないまま終わった方がわたし的に綺麗に終われるから。そんなにアイドルの奥の奥まで掴めなくてもいいかなって思っていたので、もう満足だなって。あとは卒業コンサートがすごく大きくて。東京ドームという場所で、自分の名前の付いた、本当に素敵なライブをしてもらえた。この景色が見られたら、もう思い残すことはないなって
「SWITCH 2024年12月」 また、『My Way』『僕が一番欲しかったもの』『Simple』の3曲を「好きな音楽」として挙げたそのまとめとして、こんな風にも言っていた。
自分でもきれい事って思うようなことも、ここ数年でまっすぐ受け取れるようになったというか。「きれい事でもいいじゃん」と思えるようになりました。丸くなったと言われれば、それまでなんですけど。やっぱり乃木坂46として生きているときは、プレッシャーや責任っていう言葉に表せられないような何かがずっと自分の中にあった。それは私だけじゃなくて、ほかのメンバーもそうだと思うんですけど。その一方で、乃木坂46に守られている感覚もありました。自分の意思がどうであっても仕事をいただけるし、生活もさせてもらえるし、いろんな人と関われるし。そういう環境に置いてもらっていたんだな、と今となっては思います。でも卒業した今は、生き方や仕事の仕方ひとつ取っても自分で選択するしかない。自分がどうなりたいかを考えないと生きていけない。だから今までよりも幸せについて考えるようになって、自分だけの豊かさを追求することが幸せな人生っていうわけじゃないよな、というところにたどり着いたのかもしれないです。
「Quick Japan Vol.175」 「『乃木坂46という大きな”経由地”』があったお陰で今の自分がある」という実感を強く持っているのだろうし、彼女がよく口にする「人間として真っ当に生きる」ことも、「乃木坂46」のお陰で実践出来ていると考えているのだと思う。彼女にとっては本当に必要不可欠な存在であり、そしてその中で「第一の人生の終わり」と言い切れるほどやり切ったと実感出来ているのだろう。
さらに、アイドルの世界をも描き出す『推しの子』と関わったことで、改めて「アイドル」という存在に対して想いを馳せる機会があったのだそうだ。
―最後に、この【推しの子】への出演を通して齋藤さんが得た一番大きなものはなんでしょうか。 齋藤 ……なんだろう。演じ終えた今も、やっぱり星野アイちゃんというのはわからない人だったなと思うんです。でも十年以上、”齋藤飛鳥というアイドル”をやってきて、今こうして俳優として”星野アイというアイドル”を演じさせてもらって、どちらも経験した身としては……アイドルってすげえな、って(笑)。星野アイを通してアイドルという職業に対するリスペクトもより深まったし。わたしは十一年ぐらい乃木坂46としてアイドル活動をしてきましたけど、自分がアイドルとして正解だと思ったことが一回もなくて。それこそアイのような王道アイドルになれなくて、いろいろなキャラをやってみたけど全部駄目で、最終的にここに至り、そのまま長年走ってきて……というタイプだったので。ずっと自分は邪道だと思っていたというか。 スミス 邪道なの? 齋藤 邪道ですね(笑)。だから自分はアイドルとしての真っ直ぐな道から逸れてここまで来たとずっと思っていたけど、今回星野アイを演じて、アイみたいなアイドルも正解だったし、齋藤飛鳥みたいなアイドルも正解だったし、そのどちらでもない世の中のアイドルも全部正解なんだって。何かそこをこう、まるっと認めてもらえたというか、許してもらえたみたいな気持ちにちょっとなったので。それはたぶん、単にアイを演じただけじゃなく、わたしがグループを卒業したタイミングで演じられたことも大きくて。自分の人生における大きな節目でそんな経験ができたことは本当に良かったと思うし、それがこの作品でわたしが得られたものなのかなと思います。
「SWITCH 2024年12月」 なんというのか本当に、卒業後に「星野アイ」を演じる機会を得たという点も含め、「アイドルとして出来すぎたストーリー」という感じもしてしまうわけだが、きっと彼女が「優しい神様」に見守られているということなのだろう。
それでは最後に、卒業直後の心境にいくつか触れて、この長い長い記事を終えたいと思う。
―卒業コンサートを除けば、個人としての日々が始まっていました。どのように仕事をしていくのかは、もう見えていましたか? いや、特に何もなかったですね。事務所の方と話をするときも、「乃木坂を卒業する」ということだけを決めて去ったので。その先に、じゃあ女優さんとしてがんばるためにとか、音楽活動をひとりでやってみようとかの計画も特に何もなかったですし。本当に、流れに身を任せて生きていましたね。 ―表舞台に立つ仕事から離れる選択肢も、視野にはあったのでしょうか。 そうですね。それを改めて、ここで文章としてファンの人に伝える必要があるのかどうかはわからないですけど、選択肢としてはありましたね。
「Quick Japan Vol.175」 ―その卒業コンサートは昨年五月に東京ドームで開催され、乃木坂46の齋藤飛鳥としての本当に最後の舞台となりましたが、コンサートを終えた後、気力やモチベーションを失ってしまうようなことはありませんでしたか。 うん、それは特になかったです。もともと別に……なんだろうな、わたしは本当に乃木坂をやってきただけで、それ以降の人生の目標みたいなものも特になかったし、なりたいものもなかったので、そもそも失うモチベーションがないというか。乃木坂としてやり終えたという燃え尽き感はあるけど、わたしの人生としては、乃木坂が終わったから乃木坂がなくなっただけで、やる気が出ないなあ、とか、毎日楽しくないなあ、とかは一切なかったです。ありがたいことに本当に清々しく、美しく終わらせていただいたので、もうそれだけでじゅうぶんという気持ちでしたね
「SWITCH 2024年12月」 ―その一方で、寂しさを感じることはありませんか。 絶対に寂しくなると思ったんですけど、意外と大丈夫でしたね。たぶん自分の気持ち的にもアイドルは十分やりきったし、もっとメンバーと関係を深めようと思えばいくらでも深められたと思うけど、自分としては満足だったので。ああ、明日からみんなに会えないのか、みたいな寂しさは……最初はあったかもしれないけど、意外とすぐにクリアして。みんな変わらずがんばってるなあ、という気持ちになりました。
「SWITCH 2024年12月」 やはり僕にとって齋藤飛鳥は、「表に出る人」の中では圧倒的に、そして自分の周りにいる人間を含めても相当興味深い人間で(身近にいる人間の方が、コミュニケーションを取ることで関係性をより深められるから、僕にとっての関心度合いは高くなる)、だからこそ、まだまだアンダーメンバーが定位置だった頃に、雑誌に載った僅かな文面だけから「この子、絶対に面白い!」と判断して推し始めた自分の”眼力”を褒めてあげたいなと思う。今回のように雑誌で大特集が組まれるのが次いつになるのか分からないが、折を見て彼女の発言を拾い集めながら、彼女の人生の軌跡が少しでも垣間見れたらなと願っている。
「バケモノ」「才能の塊」である彼女が10年後20年後どうなっているのか、あるいはどうもなっていないのか。いずれにしても興味深い存在であることに変わりはないし、また繰り返しになるが、長生きしなくてもいいから、生きている間は表に出続けていてほしいなとも思う。
本信光理が言っていたように、「齋藤飛鳥のような人が世の中でちゃんと生きている」というだけで、僕にとってもある種の「救い」であるように感じるし、そういう稀有な存在を知れたことが何よりも喜ばしい。
さて、これで本当に終わりである。最後まで読んでくれた方がいるのなら、とてもありがたい。引用を含め、なんと6万3000字を超える記事になってしまった。これまで、4万字を超える記事は数本書いたことがあるが、6万字超えは初めてである。いやはや、本当に疲れた。楽しかったけど。