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【本】内館牧子「終わった人」感想・レビュー・解説

僕は昔から、暇つぶしのために生きている、と思っているし、機会があればそういう発言もしている。
「暇つぶしのために」というのは、なかなか意味不明な表現だろうけど、僕の感覚としてはピッタリくる。

僕には、特別やりたいことは何もない。
やってて面白いことはあるし、っていうか大体何をやっても楽しめる人間なんだけど、でも、心の奥底からそれをやりたくって仕方がない、みたいなものはない。美味しいものを食べるのも、綺麗な景色を見に旅行に行くのも、恋愛絡みの何かも、別にどうでもいい。

僕には、自分自身を支える芯みたいなものがない。いや、考え方や価値観の芯はある。ただ、自分の人生を貫くようなもの、自分の人生に意味を持たせるようなもの、そういうものはない。

自分にもない、と思う人もいるかもしれないけど、僕には子供を育てている人の多くが、「子供」という存在がそういう芯のようなものであるように見える。もちろん、虐待をする親なんかもいるわけだけど、子供が出来ると今までとまるで変わってしまう、なんていう話も結構耳にする。だから、そういう人の人生には、支えとなる芯があるのだと僕は思う。

僕には、それがない。いや、ないことを嘆いているわけではない。むしろ、意識的に持たないようにする意識もある。何故なら、そういう芯を持ってしまったら怖いからだ。だって、その芯がなくなってしまったら、その後どうやって生きていけばいいのか…。

そんな風に考えて、ずっと生きてきた。だから僕は、今も自分を支える芯がないし、これからも持つつもりもない。

芯を持つよりは、その時その時の現実にするりと合わせていく方が僕には合っていると思う。

本書の主人公は、東大を出て銀行に入りエリートコースを順調に進んでいたはずの男だ。彼にとって仕事は、彼の人生を燦然と輝かすものだった。しかし、そうであるが故に、仕事がなくなってしまうと、途端に人生が真っ暗になってしまう。そりゃあそうだ。仕事という唯一の光源を失ってしまったのだから、真っ暗になるのは当然だ。

僕は、それがいくら光輝くキラキラしたものであっても、自分の内側に絶対的な光源を持ちたくはない。それよりは、その時々で、目の前の現実からちょろっと光源を拝借する程度でいい。探せばいつだって、目の前の現実から何か自分にとって光源になりそうなものくらい見つけられるだろう。


僕は、家を欲しいと思ったことがない。家を持ってしまえば、その家に縛られるからだ。例えば、近所にゴミ屋敷が出来るかもしれないし、子供がいじめられて転校を検討しなくてはいけなくなるかもしれない。そういう時、持ち家があると動きづらい。まったく動けないわけではないだろうが、動きにくいのは確かだろう。

その点賃貸なら、何か困ったことがあっても、引っ越せばいい。その身軽さが素敵だ。色んな考え方があるのは知っていて、確かにお金的な面で見れば家を買ってしまう方が安く済むのかもしれないが、僕は賃貸を選択し、家を買うよりも多くのお金を使って、その身軽さを「買っている」という意識がある。

この考え方はそのまま、生き方全体にも当てはまる。何かはっきりとした、自分の人生はこれなんだ、というものを持ってしまえば、そこから動きづらくなる。それよりは、明確なものはないけど、その時その時で自分の人生を豊かにしてくれるかもしれないものを目の前の現実の中に見つけ出していく方が、結果的にはずっと穏やかでそれなりに楽しく生きていけるだろう。

『俳優でも作家でも映画監督でも芸術家でも何でも、世代交代と無縁でいられるヤツらは天才よ。それと同列に並ぼうったって、努力でどうにかなるもんじゃない』

そう、凡人は凡人らしく生きた方がいいだろう。

内容に入ろうと思います。
田代壮介は、東大を卒業し、大手であるたちばな銀行に就職、順調に出世していくも、49歳で子会社への出向を命じられ、51歳で転籍となった。完全に「終わった人」だ。そして今、退社の日を迎えた。本書の書き出しは、「定年って生前葬だな」である。
仕事一筋で生きてきた壮介には、仕事がなくなってしまうとやることが何もなくなってしまう。妻の千草は、43歳の時に突如ヘアメイクの専門学校に通い始め、今は美容師としてサロンで働いている。娘の道子は結婚して家を出ている。縁戚であるトシは、「トシ・アオヤマ」として有名なイラストレーターであり、同年代でありながら醸し出す雰囲気が若いし、定年とは無縁の人生だ。
ずっと家にいて、暇を持て余す壮介だったが、しかし色んなプライドから、ジジババが集う場所には行きたくないと思ってしまう。カルチャーセンターや図書館などは最悪だ。また仕事をしたいと思うが、華麗な経歴が逆に足枷にも成りうるし、そもそも今までの仕事とは比べ物にならないレベルの仕事しかないだろう。そもそも、あと数年は会社にいられたが、給料が大幅に減額され、さらに社内でロクな仕事もないのに若手に気を遣われるのが嫌で、延長はしなかったのだ。そんな自分が、ハローワークで手に入る程度の仕事をするわけにはいかない。

しかしさすがに暇過ぎて、ようやく壮介は、プライドが邪魔して出来なかったことを、なんだかんだ理由をつけて始めてみることにしたが…。
というような話です。

これは面白い作品だったなぁ。老後とかって、もうすぐ35歳になる僕にはまだまだ先の話なんだけど、それでも人生の終着の一つの在り方を見せられたことで、今どう生きるかという視点に影響が出るなぁ、と感じました。

僕は少し前に、「老後破産 長寿という悪夢」という本を読んだ。NHKスペシャルの内容を書籍化したもので、年金もちゃんともらい、貯金をある程度持っていても、ちょっとしたことで簡単に経済的に行き詰まってしまう、という、現代のお年寄りの現状を切り取った作品だ。

この「老後破産」は、お金の面から老後を描いた作品だ。お金の話は、とても重要だ。働かなくなることで年金以外の定期収入がなくなれば、お金とどう関わっていくのかは真剣に考えざるを得ない。

しかし、本書「終わった人」を読んで理解できるのは、問題は決してお金だけではない、ということだ。

本書の主人公は、お金的な面で言えば恐ろしく恵まれている。日本全体の中では、かなり上位の方に属する、富裕層と呼んでいい人種だと思う。通常であれば、そういう主人公は、読者の感覚とはかけ離れているために、共感されにくい面もあるだろう。しかし、本書の場合はちょっと例外だ。本書では、壮介はお金には困っていない、という設定にすることで、純粋に「老後という時間」の苦しさに焦点を当てることが出来ている。もし本書にお金の問題も絡んでくるとしたら(いや、本書にしても、まったく絡んでこないわけではないのだけど)、「お金がないからこうなのであって、それってお金があれば解決するんじゃないの?」という疑問を拭えないだろう。しかし本書の場合、お金の問題をほぼ排除することで、老後の問題をより純粋に描き出しているように感じられる。まずその点が面白い。

冒頭で僕が書いたように、壮介の場合、「仕事」というものにすべての比重を傾けすぎたために老後がしんどくなってしまった。これからすぐに老後を迎える、という世代にもそういう人はきっと多いだろう。仕事をがむしゃらにやることが良いのか悪いのか一概には言えないけど、本書を読むと、老後ということまで視野に入れて仕事や生き方を選ぶ、という発想はアリだよなぁ、と思う。そういう意味で本書は、大学生や働く若者にも読んで欲しいと思う。

また本書は、女性が書いているが故の視点や描写の鋭さみたいなものがかなり光る作品だと思う。主人公は男だが、普通男だったら気づかないだろう感覚まで本書では描かれている。わかりやすく伝えられる例は、銀座のクラブのママが言った「スーツって息をしてるの」という発言ぐらいだが、妻とのやり取りや、途中から登場する浜田久里という女性との関係の描写なんかは、まさに女性の嗅覚や観察眼みたいなものが光る描写が多いと思う。老後という、派手なことが起こりにくい状況を舞台にしている以上、物語を動的に動かしていくことはなかなか難しい(まあ本書では、そういう動きも結構あるのだけど)。けど、女性的な視点で心理描写を濃厚に描き出すことによって、本書は静的な動きが映える作品に仕上がっていると思う。その点もとてもいい。

物語は、壮介を中心に、様々な人間関係が描かれていき、それぞれにおいて様々なドラマがある、なんていう雑な紹介をするしかないぐらい色々描かれるんだけど、その中でもやはり印象的なのは、壮介の高校時代の同級生たちとの話だ。

壮介は、高校時代から神童的な扱いで、東大を出て大手銀行に入るという、まさに地方からのし上がっていくような道を進んできた。そのことに壮介自身も自負があったし、それ故、出向や転籍などの話も出来ないでいた。ずっと、「たちばな銀行」のエリートコースを進んでいると思われたかったのだ。

しかし、色んな関わりがある中で、壮介の気持ちは様々に動いていく。特に、高校時代目立つわけではなかった同級生が、今時分なりの生き方を見つけて、これからも静かに輝き続けていくだろう姿を見ることで、壮介の心は揺れていく。もちろん、もう過去には戻れないし、壮介は自分が辿ってきた道を否定したいわけでもないのだけど、定年を境に「終わった人」になってしまった現状を鑑みて、別の生き方もあったのではないかと思ってしまうのだ。

人生の良し悪しは、どこか一部だけ切り取って判断できるものではなくて、まだ自分が経験していない未来に何が起こるかなんて誰にも分からないのだから、考えても意味がない。良いことも辛いこともそれなりにあって、人生の早い段階で良いことを使い切っちゃう人もいるだろうし、遅咲きの人もいるだろう。そんな風に思えるから、僕は自分の生き方を誰かと比べようと思わない。僕は僕なりに、僕の価値観に沿って、自分の人生がまあまあ悪くはないなと思えている。それで十分だ。

なるべく50歳ぐらいで死にたいと思っているのだけど、まあそう簡単には行かないだろう。僕にも、「老後」と呼ばれる時間がやってくる可能性は十分にある。嫌だな、と思いつつ、昔から僕は、明確な芯を持たないようにする、という意識を持つことで、ちょっとずつ準備をしているつもりだ。


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長江貴士
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