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【本】ちきりん「ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法」感想・レビュー・解説

内容に入ろうと思います。


本書は、月間100万ページビュー以上のアクセス数を持つ「Chikirinの日記」を運営する、自称“おちゃらけ社会派ブロガー”であるちきりん氏が、自身のブログに書いたエントリーから選り抜き加筆修正しまとめたものです。


ちきりんの本、初めて読みましたけど、ちきりん素晴らしいなぁ!僕はとにかく、「考えている人」「考えていることを言葉で表現できる人」が好きなんだけど、ちきりんはさらにそこに「メッチャ頭がいい」という要素も加わる。「頭がいい」というのは、僕の中では、「思考によって本質にたどり着ける状態」を指す。ちきりんは、小難しい言葉なんか全然使わないで、「そうそう!まさにその通り!」と思わせてくれるような本質に行き着くような人で、とても好きだ。


まあ、「本質」だと思っているのは、僕の価値判断なわけで、ちきりんの書いていることを「本質的だ」と感じない人もきっといるのだろうけど。恐らく世の中にはきっと、ちきりんが書いていることが理解できない人もきっといるのだろう。

別にどっちの方がいいとかそういう話でもないんだけど、僕は、納得するかどうかはともかく、「ちきりんのような考え方」を認められる人、可能性の一つとして受けいれられる人が好きだ。っていうかそうじゃなくて、そう受け容れられない人とはたぶん、友達にはなれないだろうなぁ。


『あなたは人生をトコトン楽しんでいますか?仕事、趣味や遊び、家族や友人とのつきあいはもちろん、食べること、眠ること、ボーっとする時間まで含め、楽しみながらストレスなく快適に過ごしているでしょうか?
「人生を楽しく、ラクに過ごすためには、もうちょっとゆるく考えたほうがいいよね」―ちきりんがそう考えはじめたのは、失われた10年が20年になり、明らかに時代が変わりつつあるにもかかわらず、今までと同じように「とにかく頑張る式」のやり方を続けることが、あまりにも非生産的に思えたからです』

『日本社会には「社会のため全体のために、個を抑制し我慢すること」を美徳とする考えが蔓延しています。この本では、それらの社会が押しつけるガチガチの固定観念に縛られず、自由に楽しく自分らしく生きるためには、生活の様々な面でもう少し「ゆるく」、たとえばこんなふうに考えればいいのじゃないかな、とちきりんが感じたことをまとめています』

冒頭に、こんな風に書かれている。読む人が読めば(ちりきんが書く、「本質的だからこそちょっと尖っているように見えもする意見」を受け容れられる人が読めば)、とても有益な作品でしょう。本書を読むと、自分の人生をガチガチに縛り付けている様々な「固定観念」をあぶり出すことができることでしょう。

『形式的に自分を縛るもの、たとえば家族のために働く必要があるとか、介護や育児をしなければならないというわかりやすい縛りがあると、まるで自分はその縛りがなければ自由になれるかのような幻想に浸ることがでいます。高校生のちきりんが「経済力さえあれば自由になれる」と信じていたように、です。けれど、そういった「安直な言い訳」から開放されると、人は本当に自分を縛っているものと対峙することになります』

自分自身を縛り付けているのは自分自身の思考だ、というようなことに僕が気づいたのは、いつのことだっただろう。たぶん、大学を中退した後だろうなぁ。それに気づけたからと言って、僕の人生が劇的に変わった、なんてことはもちろんないのだけど、なんというか、慎重に生きていくことができるようになったように思う。


ちきりんが、こんなことを書いていて、恐ろしく共感してしまった。

『「うつ病になりやすい人の特徴」としてよく、「まじめで責任感が強い」「内省的」「心配性でネガティブな方向に考えがち」「几帳面」といった項目が挙げられますが、それを聞いているといつも「まさに自分の性格だなあ…」と感じます』

僕もです!自分で言うのもなんですが、僕もホントにそういう性格で、この厄介な性格にはまあ度々翻弄されてきました(僕自身も、僕の周りの人間も)。そしてさらに、ちきりんがこんなことを意識して生きていると書いているのを読んで、さらに共感しました。


『「自分だけは大丈夫」と思っている人が危ないと聞くこともありますが、ちきりんの場合はその反対で、「自分は気をつけないと病気になるかも」とずっと心配してきました。ある意味、「予防的な認知療法をやってきた」わけです。その結果、とりあえず今のところならずに済んでいるので、できればこのまま一生患わずに済ませたいものです』

僕も、ホントそうなんです。僕も、自分のメンタルが超絶弱いことを知っているので、凄く気をつけていました。僕の中で「ちゃんとしなくちゃいけない状況」に放り込まれると、その状況の内側で「できるだけちゃんとやらないと!完璧にしないと!」と思ってしまうので、とにかく「ちゃんとしなくちゃいけない状況」の中に入り込まないように頑張りました。

人から過度の期待をされすぎないように注意してもいたし、頑張ればやれるかもしれないけど失敗したら誰かに迷惑が掛かりそうなことにはなるべく手を出さないようにしてきました(自分一人だけがダメージを食うのは全然いいんですけどねぇ)。僕は、「適当に」ということがなかなか出来ないので、とにかくそういう「ちゃんとしなきゃ」と思うような状況・環境に取り込まれないように気をつけてきたつもりです。

『まじめな人は、いったん高い目標を立てると最後まで頑張ってしまいます。適当に済ませることができず、「できなくてもいいや、仕方がない」と思えません。「なんとかしてやり遂げないといけない」と自分を追い込んでしまうのです。
そうなることが目に見えているので、ちきりんは最初から「頑張らなくてもできそうなこと」を目標にします』

『「大丈夫かな」と思ってやりはじめたことでも、「あっ、これはかなりの努力をしないと無理だ」とわかった時点でやめます。「お前ならできるはず」などと、おだてられてやる気になったりしないよう気をつけています』

ホントにそうなんです。もうこれについては、声を大にして言いたい。一旦「ちゃんとしなくちゃいけない状況」に放り込まれると、もうダメなんですよね。だから、そういうところから逃げる。できるだけ最初から入り込まないようにする。そんなことをしていると、ダメ人間っぽく扱われるんですけど、まあそれはもうしょうがないんです。諦めてます。自分をきちんと守ることの方が、よっぽど大事。


『たいていの人にとって「成長」とはスキルが向上したり、知識が増えたり、判断力に磨きがかかったりすることを意味するのでしょうが、私にとっての成長とは「できるだけ鈍感になること」「あまり考えこまないようになること」であり、振り返ればそのための「性格改造」こそが成長の目的であり軌跡であったと思います』

ホントそうなんです。さっきから「ホントそうなんです」しか言ってないような気がするけど、でもホントにそうなんですよ。たぶん僕とちきりんでは、能力面で圧倒的な差はあるだろうからそのまま比べても仕方ないんだけど、でもこの部分でドンピシャ共感できたのは、なんかとても嬉しかったです。


本書には共感ポイントが山ほどあるんで、何について書いたらいいか悩むほどですけど、まずは仕事柄こんな話から。「欲望ってなんだっけ?」って話です。

『けれど最近は、「自分はニセモノの欲望を押しつけられているのではないか」と感じることがあります。企業はよく「隠れたニーズを掘り起こす」といういい方をしますが、実際には潜在的な欲望が発掘されているのではなく、たいしてほしくもなかったモノを、マーケティングや広告、もしくは「売れている」「みんなが熱狂している」という話に惑わされて「ほしいような気持ち」にさせられていると感じるのです。しかも今はご丁寧に、クレジットカードからキャッシングまで用意されており、なんでもごく簡単に手に入ります。


けれど、欲望とは「モノ」のことではなく、「何かを心からほしくなる気持ち」のことです。私たちは、モノを簡単に手に入れる代わりに、「欲望」を取り上げられてしまっているとはいえないでしょうか。』

これは、僕がずっと持っている問題意識でもあります。普段自分が「モノ」を売っていて感じることでもあります。よく、「お客さんが欲しいと思っているものを置くのが商売だ」というような言い方があります。もちろん、それは圧倒的に正しいでしょう。ただ、こういうことが言われる時、その「欲しい」という気持ちがどこから生まれるのかについて議論になることはないように思います。


僕は、「売る側」の人間として、どうしてもそこが気になってしまう。もちろん、「そんなこと」を考えていたら、生き残っていけないわけです。だからきっと、僕が言っていることは、甘々なクソ野郎の意見ってことになるはずです。でも、僕はそれが気になってしまうんですよねぇ。


『最近ちきりんは、「外から押しつけられる過剰な欲望を排して、自分のピュアな欲望を取り戻したい」と強く思うようになりました。物欲を捨てて専任のように暮らしたいわけではありません。そうではなく「自分のオリジナルな欲望」と「つくられて付着させられているニセモノの欲望」を区別したいのです。そうしないと、ほしいモノをすべて手に入れておきながら、なぜか家の中には不要なモノが溢れているように感じるという、矛盾した状況から逃げだせません』

「売る側」としてぶっちゃければ、当然の話だけど、「みんなが同じものを買ってくれる」方が効率がいい。色んなものを作らなくていいし、それを切らさないようにしさえすればいいんだから簡単だ。だから、「売る側」は、それが実現できるような仕掛けを様々に考えて実行する。でも、なんとなく、そういうことにもう、うんざりなんだよなぁ。

『世の中で多くの人がやっていることをやらないと、「なぜ?」と聞かれます。定職についていないと「なぜ?」、40歳で結婚していないと「なぜ?」、結婚5年めで子どもがいなくて「なぜ?」と問われる人も多いでしょう。
この「なぜ?」は、正確にいえば「なぜ多くの人がやっていることを、あなたはやらないのか?」という質問です。ですが質問者はたいてい思考停止状態なので、その質問の裏側に、「なぜみんなと同じことをする必要があるのか?」という問いも成り立ちうると気がついていません』

これも、ホントそうだよなぁ。僕は、こういう環境が窮屈なんです。「なぜそれをやらないの?」にきちんと理由を提示出来なくては変な顔をされるような社会は、生きづらい。別にええがな。

まあ僕自身は幸いに、そういう「なぜ?」と聞かれるような環境は周りにほとんどないのでいいのだけど(可能な限り、そういう環境を避けて生きてきた、という言い方の方が正確か)、「多くの人がやっていることをやらないことはおかしい」と思っている人がいる(というか、多くの人がそう)という状況に、なんだかうんざりします。


結婚についても、こんな風に書いています。

『まず理解しがたいのは、他のことに関しては「多様な生き方が認められるべきだ」と主張する(一見)リベラルな人まで、こと結婚や子供を持つことに関しては「結婚してあたりまえ」「子供がほしくないなんておかしい。こんなにかわいいのに」などと、恥ずかしげもなく、「特定の生き方」を押しつけてくることです』

ホントねぇ。そんなん、どっちでもいいじゃん、と思います、僕も。僕なんか、こんな邪推さえしちゃいます。「(俺たちは、結婚や子育てっていう「墓場」を経験しているんだから)お前にも同じ思いを味あわせてやりたい」と。いや、やっぱり僕の周りには、僕にそういうことをウダウダ言ってくる人はいないんでいいんですけど、やっぱり不思議ですよねぇ。

ラクに生きていくための秘訣として、こんなことを書いています。

『ちきりんは高すぎる目標を持たないようにいつも気をつけています。今までの人生のおいて、達成が不可能に思えるような高い目標を掲げたことがありません。それどころか、「達成が困難そうなこと」や「多大な努力が必要と思えること」も目標にはしてきませんでした。そんな高いところを目指すより、少し手を延ばせば届く範囲のことで人生を楽しめばいいと思っているからです』

『ちきりんは、日本人は他の国の人より全体的に「諦めるのが遅いのではないか?」と感じています。そしてそれが不幸の元だと思っています。多くの人は、もっと早めにいろいろ諦めたほうが楽に生きられるはずです』

『「朝から運動して一汗流し、午後から映画を見に行って、夕食は◯◯会で大いに飲み大いに笑って、夜はベストセラー本を読む」という日曜日が、「昼頃に起きてラーメンを食ってボーっとしている間に暗くなり、夕方からテレビを見ながらビールを飲んでいたら、また眠くなって寝てしまった」という日曜日より、「充実した日曜日である」と感じる人は、みんな何かに洗脳されています』

さて、引用し続けるだけの感想になっちゃうけど、まあいいか。生活全般については、こんなことも書いています。

『今や公務員や一流企業の社員であっても、35年先まで安定して給与が上がっていくとはいいがたい時代です。最長でも10年程度のローンで払える範囲のものしか買わない、というまっとうな判断に戻るべきときではないでしょうか。』

『資本主義社会の根底に「私有財産制」はあるように、これまで「豊かになる」とは「より多くを所有すること」でした。
でも世の中は今、より所有しない時代へ向かっています。豊かさとモノの所有量は乖離しはじめ。「豊かな人ほど持たない」といえる状況も起こりつつあります』

ビジネスに関係することだと、こういうことも書いています。

『本当はわざわざ特別な会に行かなくても、日常で会う人と積極的に話していれば、世界はどんどん広がります。人脈をつくるために、日常以外の特別なイベントが必要なわけではありません。
本当は人脈が多いことより、本人が魅力的であるほうがよほど意味があるはずです。魅力的な人の周りには自然に人が集まるので、人脈なんて簡単につくれるからです。「自分が知っている人が多い」状態ではなく、「自分を知っている人が多い」状態のほうが効率がよいですよね』

『そう考えれば、不興で新卒採用の氷河期が再来するのは必ずしも悪いことばかりではありません。「就職先がなかったから仕方なく選んだ道」が将来、「この道を選んでおいて本当によかった」と思える結果につながるかもしれないのですから』

『「成長したい!」という人に「成長して、何がやりたいの?」と聞くと、「えっ?」と怪訝な顔をされることがあります。「成長して◯◯ができるようになりたい」ということがあって初めて、成長することは意味を持つのです』

いかがでしょうか?僕は割と、「常識」とか「固定観念」にすぐ疑問を感じて、「これはおかしい!」と思ってしまう人間なんで(というと、なんか凄い人っぽいけど、ただ、自分の目に入る「常識」や「固定観念」について突っ込んでいるだけです。目に見えないものには突っ込めない)、ここで書かれているような考え方に近い思考もしていたりするのだけど、だからこそ「そうですよね!」と嬉しくなるような話が多かった。そうではない人にとっては、「なるほど!そんなこと考えてもみなかったけどなるほどです!」か、「うーん、それはどうかなぁ」のどっちかの反応になるのかもしれないですけど。

僕としては、ホントに読んで良かったなと思える作品でした。こんな感じの思考を基本軸に、もっと気楽に、適当に、穏やかに生きていけるように、頑張ろうと思います(僕の場合、頑張らないとそういう生き方は出来ないのです)。みなさんも是非読んでみて下さい!


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長江貴士
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