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【本】ヘンリー・ペトロスキー「フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論」感想・レビュー・解説

ここ数年以内の話だけど、黒澤明監督の「七人の侍」という映画を観た。映画館で観たのだけど、事前知識がゼロの状態で観に行ったので、まさか上映時間が4時間近くあって、途中で休憩が挟まるとは思ってもみなかった。

それぐらい、「七人の侍」について何もしらないまま「七人の侍」を観たのだけど、唯一知っていたことが「名作だ」ということだ。それがどう「名作」なのかは知らないけど、とにかく「七人の侍」は凄い、という印象だけはあった。そんな印象だけで、なんとなく観ることにしたのだ。

結果的に、「七人の侍」の何が凄かったのか、観終わった時点ではよく分からなかった。

映画を観てすぐ調べたのかどうか覚えていないけど、「七人の侍」の何が凄いのかをネットで調べた。すると、現代の映画の「当たり前」を生み出したから、ということのようだった。具体的にどういう部分を指してそういう主張がなされていたのか覚えていないけど、とにかく、「映画と言えばこういうもの」という常識を「七人の侍」が作り上げた、と書かれていた記憶がある。

それで、なるほど、と思った。僕が「七人の侍」を観てその凄さが分からなかったのは、「七人の侍」が生み出した「凄さ」が、今の映画の「当たり前」になっているからなのだ、と。だから、僕が「七人の侍」の凄さに気づかなかったことが、むしろ「七人の侍」の凄さを強調している、ということになるだろう。

本書で扱われているような日用品にも、同じようなことが言えるだろう。本書では、「フォークやナイフ」「安全ピン」「ゼムクリップ」「ファスナー」「アルミ缶」「ポストイット」「ホチキス」など、僕らが日常的に使っている「モノ」がどうしてその形になったのか、という考察をする。

【われわれの知覚が、人工物に多大な影響をおよぼしているとすれば、それらがどうして今のような形になったのか、と不思議に思うのは無理もない。なぜ、あるテクノロジーの産物は一つの特定な形をとり、別の形ではないのか?大量生産される品物の、ユニークな、もしくはあまりユニークでないデザインは、どんな過程を経て決まるのか?何か単一のメカニズムのようなものがあり、それによって異なる文化の道具が独自の携帯へと進化し、しかも基本的に同じ機能を持つようになるのだろうか?たとえば、西洋のナイフとフォークは、東洋の箸と同じ原理で説明できるのだろうか?押して切る西洋の鋸の形で、引いて切る東洋の鋸の形は、同じ理屈で説明できるのだろうか?かならずしも形が機能にしたがうとはかぎらないのならば、いったいどんなメカニズムで、われわれの人工的な世界の形は決まるのか?】

最後に「かならずしも形が機能にしたがうとはかぎらないのならば」とあるが、本書では「形が機能にしたがう」を否定する。デザインの世界でよく言われているものだが、様々な実例を挙げて「そうではない」と伝える一冊だ。

では著者が主張する本質とは何か。それは、「形は失敗にしたがう」である。

どんなモノでも、すべての人の需要を満たすような機能はない。それは、最初に発明されたものがうまく需要を捉えきれていなかったり、改良のためにはかなりのコストを投じなければいけなかったり、あるいは、ベストな改良がみんなが慣れ親しんだ形に収まらないから断念されることもあるが、とにかく、どんなモノにも、それに対する不満や不適合がある。そしてその不満や不適合を解消するように、モノの形は進化していく、というのだ。

本書を通じて僕が感じていたことは、なんだか当たり前のことを言っているなぁ、ということだ。とはいえこれは、上述した「七人の侍」の例の如く、僕がデザインの世界の常識を知らないかもしれない。本書は親本が1995年に発売されているが、その時点のデザインの世界の常識が「形は機能にしたがう」一辺倒だったかもしれない。そして、そのデザインの世界にはびこる「当たり前」を打ち砕くために本書が書かれたのかもしれない。もしそうだとすれば、「形は失敗にしたがう」という、僕からすれば当たり前に感じられてしまう言説を、実は本書が一般に広める一端を担っていた、ということかもしれない。そうだとすれば、まさに「七人の侍」と同じ現象だろう。

本書全体の主張は、なんだか当たり前に感じられてしまったが、個別のエピソードは非常に面白い。例えば、本書の日本語タイトルにもある「フォーク」についてはかなり詳しく描かれるが、なんと「フォーク」というものが世の中に存在しなかった時、欧米人は両手にナイフを持ち、ナイフに突き刺した食べ物を口に入れて食事をしていた、という。なかなかビックリな話だが、【これが主流の時代には、飛びきり垢ぬけたスタイルと考えられていた】という。

フォークはつまり、「一方のナイフの代わり」として登場し、一方のナイフがフォークに置き換わることでもう一方のナイフの形態も変わっていく。今までは、突き刺すためにナイフの先は尖っている必要があったが、突き刺す役割はフォークが担うことになったので、ナイフの先は丸くなったのだ。このように、その時点時点での現状に対する不満足が、モノの形を変えるためのきっかけになるのだ。

「3M」という文具メーカーの話も面白い。この会社の元々の名前(というか、今も変わらないかもだけど)は、「ミネソタ・マイニング・アンド・マニュファクチャリング」であり、ここから「3M」という名称が生まれたのだ。「マイニング(掘る)」とあるように、元々はコランダム(金剛砂)を採掘するための会社として設立されたが、うまく行かず、創業してすぐに紙やすりを製造し始めた。良い紙やすりを作るために、耐水紙を開発する必要があり、その新製品を自動車工場に持っていった時に、研究所の若い技師がある光景を目にする。当時、自動車の車体を2色に塗るのが流行りだったが、色の境界をくっきり出すには、初めに塗った部分を何かで遮蔽(マスキング)する必要があった。その需要を発見した技師が、いわゆる「マスキングテープ」を開発したのだ。

また同じく「3M」の別の技術者は、教会からある発明を生み出す。日曜日に教会で賛美歌を歌っていた彼は、賛美歌集の該当ページに紙切れ(しおり)を挟み、歌う箇所がすぐ分かるようにしていたが、時々そのしおりが落ちてしまっていた。なんとかずり落ちないしおりを作れないか…と考えた時に思い出したのが、「3M」の研究員が数年前にたまたま作り出した、強力なのにすぐはがれる接着剤のことだった。あれを使えば、賛美歌集の紙を傷めずに、しかも落ちないしおりを作れるのでは?と考えて生まれたのが「ポストイット」である。社内の反応は悪かったし、発売当初は売れなかったが、事務職員が「ポストイット」の存在を知るや、たちまち様々な用途が発見され、必需品となったのだ。

ファスナーの話も面白い。ファスナーのことを「ジッパー」とも呼ぶが、元々これは靴の名前だった。ファスナーというのは、ボタンの代わりに発明されたものだが、当初は性能があまり良くなく、また当時のファッション業界が保守的だったこともあって、服にはまったく採用されなかった。そんな折、グッドリッチという会社がファスナーを大量に注文してきた。結果的にその会社は、そのファスナーをブーツに取り付け、社内の事務員に試しに履かせて、その耐久性を実験していた。ついにその靴が発売されるとなったが、靴の名前をどうするか議論になった。英語には、19世紀後半から使われるようになった、「ものが素早く動く時のかすかな音」を表現する「ジップ」という単語があり、ファスナーを素早く締める時の様子からこの靴の名前は「ジッパー」と決まり、商標登録された。しかし、世間はそんな商標登録とは関係なく、ファスナーのことを「ジッパー」と呼ぶようになった、という。

というように、日用品がどのように生まれ進化していったのかという個別のエピソードは面白かった。

欠点としては、デザインについて語るのに、図解が少ない、ということだろうか。訳者があとがきで、

【翻訳に際しては、難しい問題に直面した。それぞれのモノの特定の部位を指すわかりやすい日本語が見つからなかったのである】と書いているが、確かにこの点が問題だった。本書では、日用品の細かな変化を追っていくので、フォークやファスナーなどのさらに細部について言及することになる。そうなると、もはやその言葉が何を指しているのか理解するのが困難で、よく分からない箇所は結構あった。もう少し図を多くしてくれるとありがたかったな、と思う。


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