【本】明石順平「ツーカとゼーキン 知りたくなかった日本の未来」感想・レビュー・解説
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さて、本書の感想を書くのは難しい。
というのも、僕は経済のことがさっぱり分からないからだ。
これから色々書くが、もし記述に何か違和感を覚える部分があったら、本書よりも僕の理解を疑ってほしい。僕がちゃんと理解できていない可能性がある。
本書は、通貨と税金に関する本だ。著者の最終的な結論、というか、読者に訴えたいことはシンプルだ。
【私が強調したいのは、「税は権力者に取られるもの」といいう認識を変えていかなければならないということです。「税は、みんなでお金を出し合って支え合うためにある」ものです。】
著者は、
【不都合な事実を隠して目先の人気を得ようとする軽率な行為は、絶対にしないでいただきたい】
と政治家や経済学者などを批判し、
【私のように悲観的な未来を語ると、猛烈にバッシングされる。でも私は完全に開き直っていますよ。「ありもしない幻想を振りまいて人々をぬか喜びさせるぐらいなら、厳しい現実を突きつけて思いっきり嫌われてやる」と開き直っています。それが私の役割ですし、長い目で見れば、多くの人の助けになると思っています】
著者は、【財政再建は不可能】と明言し、
【ここではっきり断言します。私は「財政あきらめ論者」です。日本の財政再建はもう絶対に不可能なので増税も緊縮も不要です。どこかの時点で円が大暴落して膨大な借金が事実上踏み倒されると私は思っています。そのどん底に落ちた後の日本の再生のために前著を書きました。そして、今回もそれは同じです】
と書いています。そしてそうなったら、日本国民は地獄の苦しみを味わうだろう、と。
怖いですねぇ。でもまあ、そうなんだろうなー、という気はします。
「日本の借金が1000兆円ある」という話をいつ聞いたのか覚えてないけど、初めて聞いた時に驚いたような気がします。そんなに借金があって、大丈夫なんだろうか?と。その後、ニュースなどでこの話題を見る度に、いろんな説明を聞いたような気がするけど、「なるほど」と思えたことはありませんでした。
本書は、十分に理解できているとは言えないけど、割と「なるほどなぁ」と思えたので、そういう意味で、僕の肌感覚としては信頼できる気がします。
まず僕が驚いたのは、「借金をすることで通貨が増える」という話です。凄く簡単に説明すると、「1000万円を借りる」というのは、「自分の預金通帳に1000万円が記録されること」である。この借金の分だけ「通貨」が増えている、というのだ。これを「預金通貨」と言うらしい。
よく分からないかもしれません。僕も、うーむ、と思わなくもないんだけど、本書には江戸時代の両替商の話が出てきて、この説明は割と分かりやすかった。当時は、金・銀・銭の三種の硬貨が使われていた。この両替をするのだけど、実際に硬貨を持ち歩いてやり取りするのは大変だ。だから両替商は、「振手形」という、硬貨との交換券を発行した。この「振手形」を見せれば、書かれているだけの硬貨を手に入れられるのだ。そしてこの「振手形」は、それ単体で紙幣のような使われ方もしていた。
さてここで重要なのは、両替商は実際に保有する硬貨の量以上に「振手形」を発行していた、ということだ。例えば、手元に100万円分の硬貨があるとして、「振手形」を500万円分発行するようなものだ。「振手形」を持っている全員が両替商にやってきて、硬貨の引き換えを望めば、もちろん破綻する。しかし「振手形」は、それ単体で紙幣のような使われ方をしていた。つまり、両替商に「振手形」を出して両替に来る人間はそう多くない。だから、保有している硬貨以上の「振手形」を発行しても問題ないのだ。誰もが、「この振手形を両替商に持っていけば硬貨と交換してもらえる」と思っていれば、なんの問題もない。
さてここで考えてみよう。両替商の手元には100万円分の硬貨しかない。しかし、彼が発行した「振手形」は500万円分ある。この差分の400万円は、(決して借金ではないが)余分に生み出された「通貨」と言える。
これと同じことが銀行でも起こっている。銀行が預金者から預かっている総額が100億円だとする。しかし、この100億円を全員がすぐに引き出すわけではない。だから、手持ちの100億円を超える金額のお金を貸しても問題ない。預金者がみな、「銀行に行けば自分の預金は下ろせる」と信じている限りは。仮に銀行が、500億円のお金を貸し出しているとすれば、その差分の400万円の貸し出し(借り手からすれば借金)は、余分に生み出された「通貨」なのだ。
このようにして現代では、「借金が通貨を生み出す」のだという。
さてでは、「借金」とはなんだろう。本書には、
【借金というのは、現在の価値と将来の価値との交換だ】
と書いてある。例えば1000万円を借金する人がいて、この人は働いてお金を返すだろう。すると、「働いたことによって得られる価値(=将来の価値)」を「1000万円(=現在の価値)」と交換していることになる。
だから当然と言えば当然なのだけど、
【重要なのは、現実に貸したお金を上回る価値が、この世に生み出されるかどうかだ】
ということになる。まあそりゃあそうだ。
さて、日本の借金の大部分は「国債」だ。国が、「後で返すんで今お金ください」と言って発行するものだ。この国債には、「60年償還ルール」というものがある。これは、「元金をちょっとずつ返しながら、借金の借り換えをして、60年で返済するよ」というものだ。6000円の10年国債を発行したとする(利息の話は省く)。10年後、国はその内の1000円だけ返して、残りの5000円は借換債を発行して借り換える。さらに10年後に1000円返して、残る4000円を借り換える…ということを60年繰り返して完済するということだ。
これは当初、建設国債にだけ適応されていた。橋や道路を作る時に出すものだ。それらは大体60年ぐらい使えるだろうから、借金も60年掛けて返せばいい、という発想だった。しかしいつのまにかこのルールは、特例国債にまで適応されるようになった。特例国債というのは、公共事業以外に使われるもので、医療費や社会保障費になる。建設国債なら、橋や道路という「価値」が生み出されているからいいが、特例国債はそういう「価値」を生み出すものではない。もちろん、医療費や社会保障費は必要だ。それら「価値」を生み出すものではないものに、「借金」である「国債」を宛てなければいけない、というのがそもそも間違っているのだ。単純に、税収が足りないのだ。
【もしも1979年(※消費税が初めて導入されようとした年)から消費税を導入してこつこつ増税し、所得税や法人税の減税もせず、きちんと税収を確保してそれを社会保障や教育に回し、労働者も徹底して保護していれば、日本の現在、そして未来は違っていたと思います】
こんな感じで著者は、日本の財政再建は無理だ、という主張をする。
さて、本書では国債の話をもっと突っ込んで書いている。アベノミクスの三本の矢の内の最初の一本が「異次元の金融緩和」で、これは要するに、日銀が国債を買いまくる、というものだ。これには、以下のような2つの狙いがあったのだという。
・実質金利がマイナスになるので、お金を借りやすくなり、世の中にお金が大量に行き渡る。そうすると、インフレになり、景気が良くなる
・モノの値段が上がる前にみんな買おうとするので、消費も活性化する
しかし、これは大失敗だった。確かに市中にお金は流れたが、借りたい人がいなかったので、まったくうまくいかなかったという。
さて、今の日本の経済は、「日銀が国債の爆買を続ける」という異常事態によって維持されている。どういうことか。
仮に日銀が爆買を止めたとする。すると、国債の値段が暴落する。すると、ハイリスクハイリターンになるので、流通市場における利回り(金利)は上がる。そうすると、次に国債を発行する際の「表面利率」(何年後に何%プラスで返しますよ、という数値)は上げなければならない。何故なら、流通市場での国債の値段が下がり、利回りが上がっているのだから、皆流通市場で調達しようとする。流通市場と同額で売ろうとすると、国が目的とする調達金額に達しない。だから「表面利率」を上げることで、流通市場の国債と同等の価値にしなければならないのだ。
しかし、「表面利率」が上がると、当然だけど、利払費が増える。ということは、国の借金が増えるということだ。国の借金が増えれば増えるほど、日本の借金返済能力への信頼が下がる。だから、国債の人気が落ち、国債の値段が下がる…。
とここで、最初にループする。つまり、日銀が爆買を止めると、「国債の値段が下がる」→「金利が上がる」→「次回発行の国債の表面利率が上がる」→「利払費が増える」→「国の借金が増えることで返済能力への信頼が下がる」→「国債の値段が下がる」→…という無限ループに落ち込むことになるのだ。
ここで、「国債の値段が下がっても、最終的に日銀に直接引き取ってもらえばいい」という人がいるという。つまり、誰も国債を買ってくれない状況になっても、日銀が直接買ってくれればいいんだから問題ない、という主張だ。
しかしそもそも、国債を日銀が直接引き取ることは禁止されている。「ん?」と思った方もいるだろう。日本の国債を日銀が爆買してると言ったじゃないか、と。しかし日銀は、国から直接買ってるわけではない。流通市場に流れたものを買っているのだ。
もし国が国債を、強制的に日銀に買わせることが出来るとしよう。これはつまり、「通貨の発行量をいくらでも増やせる」ということだ。お金がなくなったら、国債を発行して日銀に買わせればいくらでも通貨が増やせる、ということになる。しかし、本書でも、日本や他国の様々な例を挙げて、「通貨の発行量が増えると、通貨の価値が下がり、急激な物価上昇になり、インフレを引き起こす」ことを示している。それはもう歴史的な事実なのだ。だから各国とも、国は通貨発行権を手放し、中央銀行に通貨発行権を与えている。現在の通貨制度は、「通貨が増えすぎない」ことを前提に作られているのだ。
しかし、法律のことは無視して、国債を直接日銀が買うとしよう。為替市場に参加している投資家たちは、「通貨発行量が増えると通貨の価値が下がりインフレになる」ということを理解しているから、日銀が国債を直接引き受けた瞬間、円の価値が下がることを予想して円が売られる。すると、加速度的に円安になる。すると、急激なインフレが引き起こされることになるのだ。
さて、そんな急激なインフレが起こっても、日銀が「売りオペ」をすればいい、という主張もあるらしい。「売りオペ」というのは、日銀が国債を売ることだ。平時であれば、「売りオペ」と「買いオペ」を適切なタイミングで行うことで、金利の操作ができる。しかし今は、日銀が国債の6割を保有するという「異常事態」だ。この状態で、日銀が国債を手放す「売りオペ」をやった瞬間、国債の価値が暴落する。そうすると、さっきの「国債の値段が無限に下がり続けるループ」に入り込むことになる。
というわけで、日銀が爆買を止めてもダメ、平時であれば有効な方法である「売りオペ」によって国債を手放すのもダメ、ということだ。だから日銀は、国債を買い続けるしかない。著者は日銀の今のやり方を、【人類史上最大規模の買いオペ】と呼んでいる。
さて、僕も聞いたことがある言説だけど、「日本には資産がたくさんあるんだから、借金の話をする時は、資産を引いた額を考えるべき」という主張もある。なるほどなぁ、と思ってたんだけど、本書を読んで考え直した。本書では、そう言われる時の「資産」がどういう内訳であるか詳細に検討し、どれも、「資産価値はあるが、売るわけにはいかないもの」であることを確認していく。確かに、高速道路とか堤防とか公園とかを「売って」、その後日本はどうなるんだろうなぁ、とか。
本書は、全体的にはすんなり理解できたとは言えないけど、データから逃げず、完全には理解できないながらも説得力を感じさせる論の進め方をしていると感じた。しかし、「日本の財政再建は無理」という結論は、真摯に受け止めなければいけませんね。
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