【本】白河三兎「私を知らないで」感想・レビュー・解説
主人公は、銀行員の父親を持つ中学二年生の「僕」(黒田慎平)。定期的に父親が異動になるため、これまでずっと転勤族として生きてきた。季節はずれの転校生としてクラスに馴染まなければならなかった僕は、クラス内の力関係を見極めたり、当たり障りのない印象を残すテクニックを蓄積していき、どこに行ってもほどほどの、目立ち過ぎもせずかと言ってカーストが低すぎるところに落ち着くこともないまま、穏やかな学校生活を送ることが出来る術を身につけていた。
今回転校した学校はどうも女子の力が相当強いようで、僕がいるクラスではミータンと呼ばれるボス猿が仕切っていた。僕は、彼女の機嫌を損ねないように慎重に受け答えし、またミータンの取り巻きの一人であるアヤと付き合うことで自らの立ち位置の安定を図る。
いつものごとく順調に進み。このまま穏やかに学校生活に馴染めるはずだった。
そこに追い風が吹く。新たな転校生がやってきたのだ。
考え足らずの教師は、転校生同士仲良くって感じで転校生を同じクラスに押しこむが、それは逆効果でしかない。しかも、転校生である高野は、クラスのタブーに堂々と斬りこんでくる。もしかしたらこいつ、空気の読めないやつなのか?
クラスには、『キヨコ』と呼ばれている美貌の女子がいる。進藤ひかり。東京者であることを鼻にかける高野にしても、東京でもあんな子は滅多にお目にかかれないと評する恐ろしい美人だ。
しかし、キヨコのクラス内カーストは、最底だ。クラス全員から無視されている。
その理由に対して憤る高野に対し、公平に誰も助けないことを信条としている僕。僕は、何故か高野に引っ張られるようにして、渋谷に向かうキヨコの跡をつけることになったのだが…。
というような話です。
いやはや、これはいい作品だったなぁ。最初の期待値が低かったからかもしれないけど、凄く良かった。この作家の作品は初めて読んだけど、メフィスト賞受賞作品は気になってたんだよなぁ。これは、ちょっと他の作品も読んでみたくなる作家だ。
ストーリーで読ませる作品ではないと思う。ストーリーだけ取り出して内容紹介をしようとしたら、『色んな理由から辛い状況にあるキヨコを、主人公が助ける物語』ってことになっちゃうけど、でも読み終えた今、そんな内容紹介が出来る作品じゃないなと思う。
本書の主軸は、ストーリーそのものにはない。ストーリーがないわけではないし、最終的に色んなものが繋がっていく感じはなかなか巧いんだけど、でもやはりそこは主軸ではない。
主軸となるのは、『世界と自分との接点における摩擦に彼らがどう対処しているか』という、人間模様だ。
僕が『彼ら』と呼んだのは、主に三人。主人公の黒田慎平と、キヨコこと進藤ひかり、そしてもう一人の転校生である高野だ。
この三人は、三様のあり方で、世界との接点で闘い続ける。
高野は、『優しさ』から逃れられない不幸を背負いつつ、世界のと自分との接点に立つ。彼は、『正しさ』を見失うことが出来ない。『優しくあるべきだ』という考え方を捨てることが出来ない。自分の照れをうまく隠しつつ、それでもヒーローに憧れる。分かりやすいし、単純だ。単純であるが故に、時に鈍感だし、時に脆い。自分を覆うベールを何重にも積み重ねることがないから、表層が剥がれてしまえば心に傷を負う。しかし一方で、自分に何重ものベールがないお陰で、相手にもそれがないと楽観視出来る。高野の世界との闘い方は、黒田慎平や進藤ひかりと比べてしまうとものすごく下手くそに見えてしまうのだけど、でも高野のあり方は世間一般ととても近いところにあるのだろうと思う。ちょっとトリッキーなキャラに見せつつ、高野は世間一般を体現するキャラなんだろうと僕は思う。
一方で、黒田慎平とキヨコは、はっきり言って異常だ。そして、僕はそういう異常な人間が大好きだ。
キヨコについては、書きたいことが山ほどあるのだけど、でも進藤ひかりの生き様みたいなものが本書のメインみたいなところがあるから、なるべく具体的なことに触れないでおこうと思う。
キヨコの価値観は、とてもシンプルだ。しかしそれは、あまりにも他者と違いすぎる。
それは、キヨコの置かれてきた環境があまりにも他と違うからだ。キヨコは、中学生にして、恐ろしく過酷な環境下で生きている。それは、同世代の子どもたちがなかなか経験しないだろう悲惨さだ。
しかしその中でキヨコは、精一杯の努力をする。子どもにはそもそも選択肢は多くはないが、それでも多少なりとも選択の余地はあるはずだ。しかし、キヨコにそれはなかった。キヨコは、自らが託した想いを受け止めて、キヨコの未来を切り開いてくれた人の想いを汲んで、そしてそれはまさにキヨコの望みであるわけで、全力でその細い道を駆け抜ける。強い意志がなければ前進することなど不可能なほどの細く険しい道だ。そこをキヨコは、生活するために必要な価値観と、自分を守るための価値観を見事に擦り合わせることで乗り越えていく。
キヨコは、周りの環境に影響されない。クラスでどんな扱いを受けようと、近所でどんな陰口を叩かれようと、それはキヨコに影響しない。他者からの同情や施しも受け入れない。何でもするからと言ったクラスメートの女子にキヨコが言い放ったセリフは、なかなか驚愕に値する。
キヨコには、周囲の変化や状況に気を配っている余裕はなかったのだ。必死だった。必死で走り抜けた。どんな環境に置かれたら、こんなに強い女の子が生まれるだろう?
僕は、そんなキヨコのあり方が凄く好きだ。たぶん、現実に近くにいたら、ほとんどの人から好かれはしないだろう。キヨコがクラスで除け者にされるのは、ある程度仕方ない部分があると僕も思う。けど、たぶん僕はその強さに惹かれるだろう。自分が彼女に近づけないことを理解しつつ、それでもその空気を常に意識してしまうだろうなと思う。
たぶん。キヨコは、弱くなることを恐れたのだと思う。誰かに頼れば頼るほど、誰かと寄り添えば寄り添うほど、自分が弱くなっていく。一人で立てなければキヨコは生きていけない。少なくとも、キヨコはそう信じていた。だからこそ、他者を拒絶した。所詮、自分以上に人生に真剣な人間は同学年にいるはずもないし、大人にだっていないかもしれない。近所の人間は、彼らにとっては『悪意のない噂』を振りまくばかり。だったら、近寄ったり助けを求めたりしても仕方がない。そうやって、心の上に何重にもベールを積み重ねていったのだろう。
そうやってキヨコは、中学二年生とは思えない価値観を身につけていった。そしてそれは、まだ幼さの残る中学二年生という『弱さ』をひたすら徹底的に覆い隠す鎧のようなものだった。キヨコは、『進藤ひかりという弱さ』を、『キヨコ』という鎧で覆い隠したのだ。時折、そんな『進藤ひかりという弱さ』が垣間見えて、それが凄く愛おしく感じられる。
しかし、何よりも僕を共感させるのが、主人公の黒田慎平だ。このキャラは凄い。たぶん、黒田慎平のような人間を拒絶したくなる人は多いだろう。こういう人がいるなんていう想定をしたくないという人もいるかもしれない。でも僕は、この黒田慎平というキャラにもの凄く共感するし、自分自身が黒田慎平ほどこういうキャラを徹底できていないズルさみたいなものに哀しくなったりもする。
黒田慎平について何かを書くことは難しい。それは、黒田慎平が『常に周辺の余白を探してそこにひっそりと佇もうとしている』キャラだからだ。人があまりいないところを狙って突き進み、そこに自分の立ち位置を確保するのだ。天邪鬼というのとはちょっと違う。目立つために人と違うことをするのが天邪鬼だとすれば、目立たないために人と違うことをしようとするというのが黒田慎平の処世術だ。普通人と違うことをしようとすれば目立つが、黒田慎平にとって『目立たない』というのは『干渉されない』と同義だ。つまり、そう振る舞うことで違和感を相手に与え結果目立つことになっても、その違和感が相手を遠ざけるのならそれで目的に適うのだ。黒田慎平は、『干渉されない』という最終的な目的を満たすために、決して『結果的に目立ってしまうこと』を厭わない。
だから、黒田慎平についてあれこれ書くのは難しいのだ。何故なら、どこに余白があるのかによって、常に自分の立ち位置が変わるからだ。そしてこれは、僕の処世術のやり方と同じでもある。僕も、常にその場の余白を見つけては、そこに自分を押し込めている。その方が楽だからだ。
高野は黒田慎平にこんな風に言う。
『人に干渉しないところとかそっくりだぜ。私は、僕は干渉しないから、その変わりそっちも私に、僕に感傷しないでくれ』
『干渉されたくない』という形で黒田慎平を捉える高野の視点は的確だ。この『干渉されたくない』という感覚の原点は、もちろん引越しを常に繰り返さなくてはならないという環境もあるのだけど、決してそれだけではない理由がある。
また別の場面で高野はこんなふうにも言う。
『そこが黒田の美点だ。後悔も言い訳もしないのは覚悟が半端ないからだ。』
黒田は、どんな酷いことをしたとしても後悔をしたことがない、という話を受けての反応だ。これも、僕は凄く分かる。
例えばいつも僕はこんな風に思う。バイト先で体調の悪いスタッフがいる。そのスタッフは割と仕事が多い。周りのスタッフは、「体調が悪いなら帰った方がいいよ」という。
しかし僕はこのセリフが腹立つのだ。自分が言われたわけではない場合でも。
僕はこんな風に言いたい。じゃあ、あんたが仕事を全部引き受けるのか?と。
結局体調が悪くて早退したって、大量にある仕事を誰かがやってくれないのなら、体調が回復して戻ってきた時にしんどいだけだ。「体調が悪いなら帰った方がいいよ」というのは簡単だ。でもそこには、「後は自分が全部やっておくから」という意味も含まれていないといけない。そうじゃなきゃ意味がないのだ。
だから僕は、どれだけ体調が悪いスタッフがいても、そのスタッフが抱えている仕事を自分が引き受けることが出来ないなら、安易な声は掛けない。それで嫌われようがなんだろうが、それは仕方ないと思ってそうするのだ。
適切な例ではなかったかもしれないけど、でもそういうことだ。自分が関わるのであれば、責任も持たなくてはいけない。口だけで言うのは簡単だけど、それで終わらせてはいけない。そして、結局口だけで言うしかないなら、言わない方がいい。黒田慎平は、その辺りのことをとてもわきまえている。
黒田慎平が、初めから好きでもなかったアヤと別れるシーンは、ちょっと凄すぎる。あれはビビった。どんなことを言うのかはここでは書かないけど。個人的には、ああ言うことをサラッと言える人間に憧れる。その感覚は、きっと異常なんだろう。それは分かるけど、でもどうしても、黒田慎平のあり方に惹かれる。
かと思えば別の場面で、こんな風にも言う。
『命は軽いんだ。自分の命の重さを決めるのは他人だ。僕は高野の命を重くする一人だ。だから言える。高野がしたことは僕にとっては正しいことだった』
色んな黒田慎平が現れるが、しかし黒田慎平の中では矛盾はない。それが、僕には分かる。つまり、踏み出すためには覚悟がいるということだ。それは、覚悟さえ決めればいつでも踏み出せる、という意味だ。そして、出来るだけ覚悟を決めないように意識しているというだけのことなのだ。
黒田慎平の魅力を言葉で説明することはとても難しい。そもそも、本書を読んでも、黒田慎平にまったく魅力を感じられない人だっていることだろう。でも、まあそれは仕方がない。むしろ、黒田慎平に魅力を感じない方が正常なのだろうなとも思う。ただ僕は、真っ当さとか正常さみたいなものには、あまり惹かれない黒田慎平と同じだ。真っ当ではないもの、どこか外れてしまったものには、異常に関心を持つ。だから僕は、キヨコと黒田慎平に強く関心を持つ。なんというか、二人の関係はとても羨ましい。だって、あのキヨコが、黒田慎平の前では鎧を脱ぐのだ。こんな快感もないだろう。そんな感想を抱いている時点で、あぁ俺ってクソ野郎だなぁって思うけど。
三人に共通するのは、『自覚的であること』だ。自分の立ち位置に、周囲との相対的なポジションに、自らの黒さに。普通多くの中学生が、無意識の内に空気を読んで、その空気に従って行動するのに対して、三人は自覚的に空気を分析して、敢えてその空気から外れようとする。三人のそれぞれのあり方が狭い範囲でぶつかり合い、特殊な摩擦熱を発する様は、読んでいてとても面白いと思う。
デビュー作であるメフィスト賞受賞作「プールの底に眠る」が気になっていたのは、辻村深月が帯にコメントを寄せていたからだ。本書を読んで、なんとなく辻村深月を連想した。そして道尾秀介も。本書の印象を一言で書くとすれば、辻村深月と道尾秀介を足して2.5で割ったみたいな作品、となるだろうか。これは褒めているつもりだ。のうのうと生きているわけにはいかなかった、自覚的に前に進むしかなかった彼らが、中学生にとってはままならない現実の中で必死さを押し隠しつつ努力する物語。凄く雰囲気がいいし、キャラクターがとても立っている。他の作品を読んでみたくなるくらいには気になる作家になりました。是非読んでみてください。
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