【映画】「タイトル、拒絶」感想・レビュー・解説

カジュアルに、ポップに壊れてる感じの映画で、結構面白かった。あとやっぱり、伊藤沙莉は”絶妙”って感じがする。


登場人物の一人が、こんなことを言う場面がある。

【こんなところで働いてる以上、全員、社会不適合者ですよ】

舞台は、デリヘルの待機所だ。

それがどんな仕事であろうと、誇りや使命みたいなものを持って働いている人は必ずいるし、だから、全体として大きく括るような捉え方は適切ではないけど、とはいえやはり、「ここで働いてるってことは社会不適合者だ」というセリフには考えさせられるものがある。なんとなく、昔ベストセラーになった、村上龍の「14歳からのハローワーク」という本のある記述を思い出した。小説家でもある村上龍は、「作家」の項目に、「作家は人に残された最後の職業で、本当になろうと思えばいつでもなれるので、とりあえず今はほかのことに目を向けたほうがいいですよ」と書いた。それに続く文章を読めば、別に「作家」という職業を卑下しているわけではないということが分かるが、この言葉だけシンプルに捉えると、悪口に聞こえる。先程の、「全員、社会不適合者」にも、似たような雰囲気を感じた。

映画に登場する人物は皆、「ここじゃなきゃ生きていけない人」のように見えた。実際のデリヘルの現場がどうなのかは知らない。映画では誇張されているのかもしれないし、あるいは、リアルがあまりにハードなので逆に穏やかに描いているかもしれない。それは分からないけど、この映画では皆、デリヘルの待機所が「居場所」としてギリギリ成立している人たちに見えた。

前に、漫画家の高橋留美子にインタビューをしたエッセイみたいなものをネットで見かけたことがある。高橋留美子は、「漫画を描く以上に面白いことなんかない」と断言する人物で、とにかく漫画を描くことが好きだそうだ。そこでインタビューアーが、「じゃあ、『漫画』というものが世の中に存在しない世界に生まれていたら、何をしていたと思いますか?」と聞くと、「それでもきっと、漫画を描いていたでしょうね」と答えた。高橋留美子のこの返答を受けてインタビューアーは、「特異な才能を持つ人物は、それが受け入れられる環境があって初めて評価される」としみじみ感じたそうだ。例えば、お尻を叩いて美しい音を出すことが凄く評価される世界でチャンピオンになった人が、我々の世界にきても、ただの変な人と思われるだけだ。同じように、『漫画』というものが世の中に存在しない世界で漫画を描き続ける人は、ただの変人だと思われるだけだろう。

あるいは、今の時代の天才的なプログラマーとして活躍している人が、もし江戸時代に生まれていたら、何も出来ないクズだったかもしれない。そういうことは、いくらでもあるだろうなぁ。

デリヘルの世界で働く人(嬢もスタッフ)も、今の世の中ではなかなか評価されにくいが、別の評価軸がある世界ではヒーローになるかもしれない。でも、そんなことを言ってても仕方ない。現に自分がいる世界はここなのだし、この、「今の自分が全然評価されていない感満載の世界」でなんとかやっていくしかない。

みたいなことって、結局、誰にでも当てはまることだよな、と思う。むしろ、「こんなところで働いてる時点で社会不適合者だ」と自覚できるデリヘルの人たちの方が、問題を正確に捉えているかもしれない。世の中は、この映画で記述されるシンプルなルールの中に大体の人が放り込まれているんだけど、「自分はまだ大丈夫」とか「自分だけは違う」ってどうしても思いたい。僕も思いたい。でもまあ、そうもいかない。

Youtuberという職業は、ほんの少し前に登場し、今では当たり前の存在になっている。先駆者たちは、本当に凄いと思う。なにせ、今まで存在しなかった、存在しうるとも思えなかった職業を、成立させてしまっているのだから。しかし彼らも、「Youtuberになろう」と思っていたわけじゃないだろう。先駆者たちがYoutubeを始めた時点ではまだ、「Youtuber」という職業は存在しなかったからだ。彼らはたぶん、「自分がやりたい」と思ったことを続けていただけで、結果的に時代が追いついて人気者になり、職業として成立させてしまった。

別に彼らが努力していないだとか、運が良かったと言いたいわけではないのだけど、本当に、この差って紙一重だな、と思う。Youtuberが職業として成立しえない世界だって、十分に想像可能だ。そして、今僕が、そしてあなたが夢中になっていることが、1年後に脚光を浴びている可能性だって、全然ゼロじゃない。

世の中の誰もが、いつでも底辺になりうるし、いつでもヒーローになりうる。僕らはいつだって、ヒーローの物語が好きだ。その気になれば、24時間365日、ヒーローの物語だけを消費し続けることが出来るぐらい、世の中にはそういう話が溢れているだろう。けど、こういう社会であるが故に、逆の極側である底辺もまた根深く存在してしまう。「漫画家になる」というように、自らの意思で厳しい競争に参加したのであれば、ヒーローになれないばかりか、底辺を這いずり回ることになる結果もある程度仕方ないと思えるかもしれないが、大半の人は、競争にエントリーした記憶はないはずだ。

それが辛いところだよなぁ、と日々感じる。

内容に入ろうと思います。
ごくありきたりな人生を歩んできたものの、就活が上手く行かず、デリヘルの面接に足を運んだカノウ。彼女は、初めてホテルで男性の相手をするという段になって怖気づき、おっさんを蹴飛ばしてホテルから逃げてきた。で、そのデリヘルの雑用係として働いている。店長のヤマシタは、嬢もスタッフも碌な扱いをせず、オーナーの顔色ばかり伺っている。待機所では古参の嬢が馬鹿騒ぎして周囲をイラつかせ、隅に小さく丸まってノートに何か書いている嬢がいたりと、日々なかなかのカオス。一番人気のマヒルは、周囲で何が起こっても動ずる様子もなく、いつもヘラヘラと笑っている。運転手の男は、酔って手を出してしまった嬢から交際を迫られ、マヒルは店長のヤマシタと禁じられている本番を行っている。
誰もが少しずつ「何かの境界線」を踏み越えているように見えつつ、どうにかこうにかデリヘル全体としては成り立っているような感じのする日々の中、どうしようもない毎日をくぐり抜けるようにして過ごしている人々を描き出す。
というような話です。

最初こそ、みんなそれなりにマトモそうに見えるんだけど、物語の展開と共に、彼らがナチュラルに狂っている感じが表出してきて、何が起こるのか分からない雰囲気が良かったなと思います。誰の行動も予測不能で、物語の展開と共に、「お前もかー」と感じつつ観ていました。一般的な社会では表に出てこないのかもしれない部分が、「セックスワーカー」という現場を描くことで、当たり前のように表出してくる感じが面白いなぁ、と思いました。

映画の構成としては、デリヘルの待機所での場面を幹として、様々な枝葉が伸びていくような感じでした。枝葉の部分は、割と個々で完結していて、「デリヘルの待機所を核に据えたオムニバス映画」みたいな印象です。個人的に印象的だなと思うのは、運転手の男が交際を迫られる話と、マヒルが妹と喋っている話です。

運転手の男の話は、パッと見は「暴力的な男」と「それでも好きだという女」という構図なんですけど、それだけではない雰囲気があって、この二人の関係性は、もうちょっと見たいという感じがしました。

マヒルが妹と喋ってる場面は、ホントにただそれだけの場面なんだけど、普通っぽい会話だからこそ、マヒルのヤバさが滲み出てくる感じがあって良かったです。個人的に、マヒル役の女の子の演技が、もうちょいハマってると良かったなぁ、という感じがしました。勝手な印象だけど、「イメージしているマヒル像」に演技が届いていない感じがしました。だから僕的には、この映画に出てくる「マヒル」は、ちょっとリアリティがなかったように感じられてしまいました。僕の感覚ではこれは、キャラクターの造形の問題というより、演技の問題かなぁ、という気がしたので、もうちょっとハマった感じのマヒルを観てみたい感じがしました。

あと、映画の中ではほとんど存在感を出さない人物なんだけど、待機所の隅でノートに何か書いてる女性は、瞬間的なインパクトが良かったです。個人的には、映画に登場する人物の中で、なんだかんだ一番「境界線を超えている人」なのかもしれない、と思いました。

しかし、伊藤沙莉は、絶妙に良かった。

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