【映画】「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」感想・レビュー・解説
日本ではよく、周庭さんが取り上げられる。日本で報道を見ている限り、香港民主化運動の象徴的存在は周庭さんに思える。もちろん、周庭さんも素晴らしい活動家だと思う(ちょうど昨日、周庭さんの出所が報じられた)。しかし香港には、民主化運動に関してさらに象徴的な存在がいるのだということを、この映画で知った。
デニス・ホー。韓国ポップスのスターだ。彼女は、2014年の「雨傘運動」で中心街を占拠した学生たちを支持、自ら先頭に立ってデモに加わり、最終的に逮捕された。
これによって彼女が失ったものはとても大きかった。
2003年以降、香港のスターたちは、その収益の大半を中国本土から得ていた。デニスも同じだ。本格的に中国に進出すると、世界的企業とのタイアップも増え、彼女いわく「楽にお金が稼げた」のだ。
しかし、北京の意向に端を発する「雨傘運動」に関わったことで、中国での活動ができなくなる。収入の9割が失われたそうだ。彼女をCMに起用した世界的企業「ランコム」は、ライブのスポンサーになっていたのだが、中国の”圧力”によってスポンサーを下りてしまう。この一件は香港においても、「世界的企業が中国の”圧力”に屈してしまうのだ」と大きな衝撃を与えた。
彼女は2016年に、大企業ではなく小口のスポンサーを多数募り、香港でライブを行った。50程度を見込んでいたスポンサーの数は、最終的に300になり、大手スポンサーについてもらった場合よりも多くお金が集まったという。
しかしこのライブ以降、彼女は香港でのライブを断念している。開ける見込みがないのだそうだ。
そこで彼女は、第二の故郷であるモントリオールに拠点を移す。実は彼女の両親も、そこにいる。
香港の返還は、1984年に合意され、1997年に行われた。香港市民は落胆し、その日降った雨を見た市民は、「天が香港のために泣いている」と口にしたそうだ。
中国への返還が合意された時、香港では「直接選挙を求める運動」が行われた。その後すぐ、天安門事件が起こる。香港市民は、行方を見守った。共産党は、どう出るのか。結果はご存知の通り、軍がなりふり構わず市民を射殺し、弾圧した。
それを目にした香港市民は、香港でも同じことが起こると危惧した。そこで、香港返還を前に、香港に住み続けるか、それとも移住するかの選択を強いられることになった。
デニスの両親は、移住を選んだ。それが、カナダのモントリオールだったのだ。
デニスは、
【モントリオールでの生活がなければ、今の私はない。個人を尊重し、価値観を高め合うことをここで学んだ】
と言っている。彼女の人生には、民主活動家として立ち上がるためのいくつものターニングポイントが存在するが、モントリオールでの生活はその一つだったと言える。
その後彼女は、歌手を目指した。当時香港で人気だったアニタ・ムイに心酔していた。彼女は、香港ポップスの先駆けと呼べるスターであり、デニスはいろいろあった結果、アニタの弟子としてツアーなどで経験を積むことになった。
アニタは、香港のスターであり、当時としては珍しく、社会活動に力を入れるアーティストでもあった。そんなアニタの姿を見ていたこともきっかけの一つだ。
その後、名実ともに香港のスターとなったデニスは、アニタのように社会活動に従事しようとするもなかなかうまく行かず、モヤモヤを抱え、鬱のような状態に陥ってしまった。
そんな時に知ったのが、ジェリー・チェンというアーティストだ。彼は珍しく、社会問題を歌詞にして歌っていた。そして、同性愛者であることを公の場で公言していた。
彼女は、恋や自分自身のことばかり歌っていてもいいのだろうか? と考えた。そしてそんな折、彼女に最後のひと押しをさせる出来事が起こった。香港の議会に提出されていた、同性愛に関する法案が否決されたのだ。それを受けて、彼女は立ち上がるしかないと決めた。
デニス自身も公表したのだ。同性愛者であると。
デニスの告白は、香港のゲイ・コミュニティに大きな力を与えることになった。そして、この告白をある種のきっかけとして、「香港のために、人々の先頭に立つ」という役割に、それまで以上に自覚的になっていくのだ。
そんな風にして、2014年の「雨傘運動」に繋がっていく。
外国に住む我々は、断片的な情報しか知らない。「雨傘運動」から始まる、香港の民主化運動は、基本的に「逃亡犯条例改正に反対するもの」として報じられることが多い。元々2014年の「雨傘運動」は、中国が香港の選挙への介入を強めたことをきっかけとして始まったのだが、その後、「逃亡犯条例の改正案」によってさらに大きな抗議へとなっていく。
しかしデニスは、香港人が立ち上がった理由は、そういう直接的なきっかけへの反対のためではない、と語る。
香港は、「一国二制度」と呼ばれる、香港だけは別ルールで運用されるという決まりの中で存続してきた。1997年の返還から、少なくとも50年はそれが守られるはずだった。しかし中国はこの約束を破り、香港に中国のルールを適用しようとする。
中国の、法や人権を無視するやり方にこそ香港人は反対しているのだと、デニスは国連の場で何度も訴えた。
僕の個人的な意見では、まずは当然、香港は香港人自身のために中国からの介入に抵抗し、独立した存在であってほしいと思う。そして同時に、存在感を強める中国という国を、その内側から食い破り、僅かでもいいからダメージを与え、世界中に「中国と闘い得る」と示してほしいと思う。
本当は、香港にそんなことを背負わせてはいけない。日本も含め、世界各国がむしろ協力して香港を救い出さなければならないはずだ。
しかし、どうもそういう流れにはなっていかない。おそらく、経済の理屈だろう。中国と対立して大きな市場を失うのは得策ではない、という判断なのだろうと思う。しかし、そのような判断を続けることで、中国は、中国という国そのものが核兵器のようなアンタッチャブルな存在として、世界の中で一層ややこしい存在として立ち上がってくることになるだろう。
中国に生まれ育ってしまえば、情報が制約されている以上、中国という国の本性を知ることはなかなか難しいだろう。確か中国の検索サイトでは、「天安門事件」が検索で引っかからないそうだ。凄い国だと思う。
デニスは、毎年7月に香港で行われるデモに参加している。その理由は、香港だけが唯一、中国国内で大規模なデモや行進が行える場所だからだ、という。
僕たちは、ニュースで取り上げられる時にしかなかなか関心を向けない。しかし、今もまさに香港では闘いが継続している。
映画を見ながら、デニスのように、まさに今立たなければならないという状況に置かれた時に、迷いなく立ち上がれる人間でありたい、と感じた。
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