【映画】「バケモン」感想・レビュー・解説
いやー、これは面白いわ!すげぇな、笑福亭鶴瓶。
いや、鶴瓶が「ヤバい奴」だってのは、なんとなく知ってはいたんだけど。
まずはこの映画に関する情報を。映画の入場料は、すべて上映館に提供する、という。
https://news.yahoo.co.jp/articles/13bac506f49af50d3f4a786d02f12d3080b539db
僕は、別にこの情報を知ってこの映画を観に行くと決めたわけではないけど、「映画館を応援したい」という方は、普段映画を観る以上に映画館には恩恵の大きい映画だと思うので、積極的に観に行くといいと思う。
取材ノート34冊。撮影時間6000時間。撮影期間17年。「俺が死ぬまで公開するな」と言われていたが、「映画館に恩返しするなら今しかない」と公開を決定したという。なかなかこんなドキュメンタリー映画もないだろう。
僕は基本的に、変人や異常な人間にしか興味が持てない。しかも、「見てそうと分かる人」よりは、「深堀りしないとそうと分からない人」が好きだ。鶴瓶というのは、まさにそういう人間だろう。
人の良さそうな顔で常に笑っている印象で、誰とでも壁を作らずコミュニケーションを取る。映画の中でも、寒空の中で待っていたファンを楽屋に案内し、女子大生だというそのファンは感激して泣いていた。そんな場面でも飄々としている。
タモリは鶴瓶を「自閉症」ではなく「自開症」と呼んだそうだ。面白いことを言う。まさに絶妙だろう。そんなタモリも、この映画に登場する。鶴瓶が完成させた「山名屋浦里」という落語の創生に関わっている。タモリが「ブラタモリ」で吉原に行くとなった時に調べていたら、「山名屋浦里」の元になった実話を発見した。それを鶴瓶に紹介したのだが、そこにはタモリの思惑があった。
鶴瓶は昔から「鶴瓶噺」という、2時間以上ぶっ通しで身近な出来事について喋り倒す会をやっている。日毎に喋る内容を変えるそうだ。木梨憲武からは、「喋るネタを探すために、運転手をつけずに敢えてタクシーに乗っている」と茶化され、立川志の輔からは、「どれだけの話術・記憶力なんですか」「いい加減(鶴瓶は)何人いるのか教えてくださいよ」と言われる。鶴瓶自身も、「こんなこと、他の人はできないだろうし、やらんやろな」と語っている。
これを鶴瓶やタモリは「素話」と呼んでいる。落語との対比で、「台本がない、日常話」という意味だろう。そしてタモリは、「山名屋浦里」を「素話ができる人間じゃないとやれないと思う」と言って鶴瓶に紹介したのだ。鶴瓶自身もそれは理解しているようで、「やっぱ鋭いな、あの人」と言っていた。
ちなみに、「鶴瓶噺」の中で「山名屋浦里」のエピソードを話すくだりで「来いって言ってるのにタモリは全然落語に来ない」という話をしているのだが、映画の中でそのオチが見事である。あと、V6の三宅健が楽屋で鶴瓶に感想を話していた。
全然話は飛んだが、そんなわけで僕は変人が好きなのだが、鶴瓶も変わった人が好きみたいだ。しかし、僕とはちょっとタイプが違う。鶴瓶は、「誰もスポットライトを当てないような人」が好きだという。これは「地味だから当たらない」のではなく、「ヤバすぎて当てられない」という意味だ。ヤクザのおっさんや「キチガイ」の人である。
ちなみにこの映画では冒頭に注意書きが表示され、「差別的な表現が出てくるが、鶴瓶を的確に表現するためにそのまま使っています」と説明がある。それがこの「キチガイ」の部分だろう。映像を見れば分かるが、鶴瓶が言う「キチガイ」には愛がある。恐らく電車内だろうが、そういう人が鶴瓶の近くに乗っていたそうで、鶴瓶は積極的に話しかけたりしていたそうだ。「普通の人がいじろうと思えないような人をいじるのが好きやねん」と言っていた。
なかなかヤバい。
同じ場面だったか別の場面だったか忘れたが、「キチガイ」についてまた触れる場面があり、そこでは、「キチガイの枠に入れたったらええねん。その中には自分も入るしな」みたいなことを言っていた。これもまた、「キチガイ」という言葉を「排除の言葉」ではなく「仲間の言葉」として使っていると感じた。
ちなみに「キチガイ」という言葉はもう一箇所出てくる。落語のイベントで立川談春と出演し、その打ち上げ会場でのこと。談春が、師匠・立川談志が話していたこととしてこう言ったという。
【(笑福亭)松鶴(※鶴瓶の師匠)と鶴瓶には、何かキチガイじみたものを感じ、畏怖の念を抱いていた】
天才落語家・立川談志にそう言わしめた鶴瓶は、やはり「バケモン」だろう。
鶴瓶は1972年に松鶴に弟子入りしたが、落語を教えてもらうことはなかったという。上方落語の四天王と呼ばれた破天荒で豪放磊落な松鶴が得意としたのが、古典落語の名作と呼ばれる「らくだ」である。
この映画では、この「らくだ」が主軸となっていく。
映画の撮影は、2004年から始まった。50歳から改めて本格的に落語を始めたという鶴瓶は、師匠が得意としていた「らくご」をやると決めた。この映画の監督は当初、カメラをバッグの中に隠し、無許可のまま撮影を開始した。鶴瓶に、「らくごを撮りたい」と言うと、「いいけど、俺が死ぬまで世に出すなよ」と言われたという。
鶴瓶にとって「らくだ」は、ライフワークの一つとなった。彼は毎月、松鶴の墓と、その隣にある、「らくご」を完成させた「三代目桂文吾」の墓にお参りをしている。このお参りの話も、鶴瓶にかかれば笑い話になってしまう。そして後半には、まさかの展開が待っているのだが、ここでは触れない。
歌舞伎座で「らくだ」をやったり、13年間「らくだ」を封印したり、時代ごとに少しずつ中身が変わっていたりと、この「らくだ」を通した鶴瓶の変化というものが、この作品の中核として存在する。
そしてこのことが、「笑福亭鶴瓶」という人間の多面性・複雑性をより露わにする。
テレビで見ているだけの印象だと、「おもしろいおっちゃん」ぐらいでしかないだろう。しかし、落語など芸事に向かう鶴瓶は真剣そのものだ。その真剣さが、あまり僕自身の頭の中にない一面だったので、若干困惑させられる。
「らくだ」に関してはいろんな話が出てくるが、印象的だったのは、2020年に13年ぶりに「らくだ」をやった際の楽屋での場面。直近の公演で、「酒に飲まれて次第に変貌していく紙屑屋」がまさに酒を飲んでダメになっていく場面で、「あのなぁ、あー、そうだな」みたいな、話の筋とは全然関係のない、意味のないセリフを言う場面が映し出される。それについて鶴瓶が、
【あれは、ああ言おうみたいに考えてたわけじゃなくて、勝手に出てきたんだよなぁ。松鶴が言ってたのかと思ってテープを聞き直したんやけど、言うてないわ。だからあれは、俺が言うたんやな】
と、元から言おうと思っていたわけではなく、その場の雰囲気の中で出てきたものだと語っていた。そしてさらにそれに続けて、
【でも、あれを言おうと思って言ったらダメなんやな。意味のない言葉なんやもん。言おうと思って言うんやったら意味ないわ】
みたいなことを言っていて、奥深いなぁ、と感じた。
確かにそうなのだ。その紙屑屋のセリフは、「酔っ払って酩酊し始めている」ことを示すサインみたいなもので、言っている内容にはなんの意味もない。でも、「あらかじめ用意して、これを言おうと待ち構えている」という感じになってしまうと、元々の目的である「酔っ払って酩酊し始めている」というサインとして機能しなくなってしまう。そこが難しい、という話なのだ。
別に鶴瓶を甘くみていたわけではないのだが、センスとかそういうことだけではなしに、ちゃんと言語化している人なのだなと感じさせられた。
同じことは、別の場面でも感じた。
鶴瓶は、3年の時間を掛けて、慶応大学の大学院で落語をやったことがある。
そもそもの目的は、「落語をやっている上部にモニターを設置し、そこにセリフの英訳を流す。日本語があまり分からない留学生に見せて、笑いを取れるか」というものだった。そして、その試みは大成功に終わる。留学生は、爆笑するのだ。
しかし鶴瓶は、さらなる挑戦を行う。なんと、英訳なしの日本語だけで同じ留学生相手に落語をやるというのだ。演目は「錦木検校」。専門家によると、演出が難しく、笑いの少ない演目だという。
事前に、演目の舞台設定などは英語で説明をしたが、この落語にも関わっている監督は当初、オチに至る流れを映像として用意していたという。しかし鶴瓶にぶち切られた。
【たとえ一人にしか通じなくても、その一人に向かってやりたいんや。通じるか笑わせられるか、その一番面白いところを、奪うつもりか】
このエピソード自体も非常に面白い。いずれにしても鶴瓶は、この演目を留学生相手にやりきるわけだが、別の公演で同じ演目をやった際に、監督が「なぜ錦木検校を選んだのか?」と聞く場面がある。それに対して鶴瓶は、真面目にこんな風に答える。
【芸能ってのは、それぞれの時代に対して何を言うかみたいなことを考えるのが面白い。今の時代で言うと格差社会で、そういうのが何かないか探している時に、これやなと】
テレビで見ているだけではなかなか見えない、鶴瓶の「真剣さ」みたいなものが垣間見える場面が多くあった。
他にも興味深い話は多い。高校時代の同級生がエピソードを語っていたり、鶴瓶が生まれ育った生家の周辺での聞き込みでは鶴瓶の父母の話ばかり出てきたり。またこの映画では、「らくだ」という演目がなぜ生まれたのかについても、専門家にインタビューしたり、古い資料を当たったりして深堀りしていく。盛りだくさんである。
映画の中では、「鶴瓶噺」や落語の一場面を切り取っているだけなのだが、それでも思わず笑ってしまうシーンが多い。前後の流れが分からないのに、その瞬間だけ切り取っても面白いなんて凄いもんだと思う。
客席全体が爆笑したのは、「鶴瓶噺」のある場面。鶴瓶は昔から「鶴瓶噺」を毎年続けてきたが、50歳になって落語もやるようになってからは、毎年「鶴瓶噺」と「落語」をやってきた。だから、お客さんの中には、「落語だと思ってきたら鶴瓶噺だった」みたいなことも結構あるのだという。そんな話をした後で、客席いじりをし始めた鶴瓶に起こった衝撃の展開には、映画を観ている観客全員が笑ったんじゃないかと思うほど爆笑させられた。
とにかく面白かった。これを観て、「鶴瓶話」か落語か聞いてみたいなぁ、とも思った。
そういえばある場面で、「(桂)米朝師匠が昔言ってたんや。芸人は、末期は哀れやぞ、と」みたいに話す場面があった。米一粒も釘一本も作らず、役に立たないから、ということらしい。まあ鶴瓶はきっと、「それならそれで面白い」と思ってそうな気がするが。そんな「異常さ」を滲ませる、「バケモン」である。
いいなと思ったら応援しよう!
![長江貴士](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/12969232/profile_aebc92569e1ed9ae4331a52c61547100.jpg?width=600&crop=1:1,smart)