【映画】「Ryuichi Sakamoto:CODA」感想・レビュー・解説

印象的だったのは、ピアノという楽器について語ったこの言葉だ。

『ピアノって、工業技術によって作られているんですよね。木を鋳型に嵌めて成型したり、弦だって全部合わせれば2トンぐらいの力が掛かってる。そのピアノを人間が自然だと思うように調律している。でもそれは、人間にとっては自然でも、自然にとっては不自然な状態で、そういうものに対する違和感みたいなものが自分の中にあるんでしょうね』

冒頭で、3.11の津波で水を被ってしまった、宮城農業高等学校のピアノが登場する。そしてそのピアノは、津波によってバーンと自然に戻されたから、だからこそ今の自分にはあの津波ピアノの音は良い風に聞こえるのだ、という発言もしている。

映画全編を通じて、音楽や音というものに対する探究心の強さみたいなものを感じさせられた。見慣れぬ楽器を扱ってみたり、雨の音を録音してみたり、バケツを頭から被った状態で雨に打たれたりする。時には北極に行き、そこで太古の昔の雪が溶けて流れる音を「釣る」こともしている。

かつて僕は「すばらしき映画音楽たち」という映画を見たことがある。映画音楽に携わる人間は、古今東西ありとあらゆる楽器、あるいは日常的なものが発する音などを組み合わせながら、映画にピッタリ合う独特の音を生み出していく。

坂本龍一も、映画音楽を手がけている。「映画音楽は制約があるから不自由だ。でも、その不自由さが刺激にもなる」と語っている。ガンを患っていることが判明し、作曲活動を一旦休止している時、「レヴェナント」の監督から音楽を頼まれ断りきれなかったという話も出てくる。

映画音楽では、相当苦労した経験があるようだ。「ラストエンペラー」という映画では、当初役者としてのオファーだった。しかし役者として現地に行った後、突然作曲を頼まれたという。また、その後NYで仕事をし、ホテルを出ようとしたまさにそのタイミングでレセプションから電話があり、同じ監督から曲を作ってくれと言われたという。1週間で45曲作り、ロンドンに着いた翌日にレコーディングだったとか。

別の映画では、今からまさにオーケストラの収録をする、というその直前に監督から、このイントロは好きじゃないから直してくれと言われて、オーケストラに30分待ってもらって書き直したという。


1992年頃から、環境問題などに注目するようになったという。「ミュージシャンやアーティストは、いわば炭鉱のカナリアみたいなものですからね」と、何がどうマズイのか分からないが何かしなければならない感覚をそう表現した。それまでは政治的・社会的問題について曲を作ることを意識的に封印してきたというが、次第にそういう活動もするようになっていく。

そして、3.11を経て、原発の再稼働には明確に反対している。

個人的には、この映画にはもう少し真っ直ぐな核みたいなものがあるのかな、と思っていた。それこそ僕は、冒頭で登場した「津波ピアノ」がメインになるのだと勝手に思っていた。しかしこの映画からは、「坂本龍一という人物を切り取る」以上のテーマ性を僕は感じることが出来なかった。見る人が見れば、何か核となるものを掴めるのかもしれないが、僕には、これまでの坂本龍一の活動の断面図の積分、というような印象しかなかった。

坂本龍一自身の言葉は、一つ一つ興味深いものが多かったし、坂本龍一が関係する過去の様々な映像(坂本龍一が映画音楽を手掛けた、その映画本編の映像も挿入される)も面白いと思った。けど、映画全体としては、うーんちょっとなぁ、という印象を抱いてしまった。

もちろん、天才(と軽々しく称していいのかは分からないが)を捉えるのは難しい。それに「音楽」という、「映像」というメディアでは捉えられない(そもそも音楽は目では見えないので)芸術を生み出す者の有り様を、映像で切り取るというのはそもそも無謀なのかもしれないとも思う。あるいは、僕自身が音楽というものをそこまでちゃんと受け取れる人間でもないので、映画自体の問題ではなく僕のレベルの低さの問題ということもあるだろう(実際ネットでの評判は良い)。

やはり印象に残ったのは、65歳(だったと思う)にして、未だに創作し続けようという意欲を保ち続けている、その力強さだ。

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