【映画】「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2/Air/まごころを、君に」感想・レビュー・解説
今回この映画を観て、僕は、エヴァンゲリオンの旧劇場版と言われているものを観てないなぁと改めて思った。
まず、この映画がどう構成されているかを書こう。
この映画はまず、「DEATH(TRUE)2」と「Air/まごころを、君に」に分けられる。「DEATH(TRUE)2」は、TVシリーズからかなり抜粋して、いわば「エヴァンゲリオンの全体像の再構築」みたいな感じの作品。そして「Air/まごころを、君に」の方が、いわゆる「旧劇場版」と言われている二作を組み合わせたもの、ということになる(はず)。
「DEATH(TRUE)2」は、エヴァンゲリオンの世界全体のざっくりした設定を紹介しながら、「碇シンジ」「蒼龍アスカ・ラングレー」「綾波レイ」「渚カヲル」の4人についての紹介をしていくような再構成の仕方をしている。にわかファンである僕でも知っているような名場面を色々と取り入れながら、おおよそざっくりとTVシリーズの設定やキャラクターを概観できるような作りだ。
そして、TVシリーズは第壱話から第弐拾四話まであるのだけど、その後公開された劇場版(いわゆる「旧劇場版」)二作は、第弐拾五話と第弐拾六話という設定であるようだ。「鬼滅の刃」と同じで、TVシリーズの続きを映画でやる、という仕組みですね。
という情報は、あまり知らないまま観に行ったので、これは観終わった後でネットで調べたことですけど、要するにこれを観れば、ざっとTVシリーズと旧劇場版を観たということになる、というわけです。
僕は、TVシリーズもたぶん通して観たことがないし、今回、旧劇場版も観ていないことが判明したし、元々漫画版も読んでないので、エヴァンゲリオンについては全然知らない感じですけど、新劇場版を観ているので、なんとなく知っているつもりになっていることが多かったなと。
しかし、旧劇場版二作に相当する「Air/まごころを、君に」は、相当ヤベェ話だったなぁ。僕は、どうせ観ても分からないだろうと思って、今回はあらかじめ、旧劇場版がどういう展開をするのかというネタバレ(考察)をざっくりとネットで観てから行きました。それを観てたんで、まだ描写されていることがなんとなくわかりましたけど、これ、情報ないまま観てたらやっぱりなんのこっちゃ分からなかっただろうなぁ、と思いました。ああいうのって、何回繰り返し観てもいいんだけど、誰かからヒントをもらわずに自力で物語の骨子を理解できる人ってどれぐらいいるんだろう?そういう人になりたかった。
しかし、TVシリーズを断片的に観ていたから、確かに印象としてはあったけど、やっぱりエヴァンゲリオンって、メチャクチャ陰鬱なアニメだよなぁ。新劇場版だけ観てると、TVシリーズで感じていた陰鬱さみたいなのは結構薄れてて、個々のキャラクターの内面を掘り下げて鬱々とさせるより、エヴァンゲリオンという世界観と物語の展開で見せるアニメになってる感じするけど、TVシリーズと旧劇場版は、ホントに鬱々としてる。
そして、個人が鬱々しているその感じが、碇ゲンドウが目指している「人類補完計画」とリンクしていくっていうのもやっぱ凄いなと。
考察サイトを見ないと自力では分からなかったことだけど、「人類補完計画」というのはどうやら、「人類(だけじゃないかもだけど)を一つの生命体にする」ってことらしい。
アダムから生まれた使徒同士は争いをしないのに、リリスから生まれた人はお互いに争ってばかりいる。で、争ってしまうのは、他者と考えが違うからだ。
ここまでの理屈は凄くわかるんだけど、そこから理屈が一気に飛ぶ。他者と考えが違うから争いが起きるなら、他者の存在をなくす、つまり、みんなが一つになればいい、という発想が、エヴァンゲリオンの根幹にはある。
これはなかなかイカれてるよなぁ。まあ、理屈そのものは飛躍してないのかもだけど(確かに、他者の存在がなくなれば争いはなくなるし、一つの生命体になれば他者の存在はなくなるので)、とはいえ、それがナチュラルに思考として成立しうる世界はヤバい。まあ、この思考が成立しているのは、碇ゲンドウとその周辺(と言っても、冬月コウゾウと綾波レイぐらいか)ぐらいだろうから、どっちかと言えば、ヒトラーとかの方がヤバい存在なのかもしれないけど。
とにかく、「他者との争いをなくすために一つになる」というのが「人類補完計画」で、その目的を知ってる人も知らない人もいるんだけど、とりあえずみんなそのゴールに向かって頑張っている。
そして、「人類補完計画」を知らない(んだよな、たぶん)エヴァンゲリオンのパイロットたちは、「人類補完計画」の存在とは無関係に、個別に「他者の存在」に悩み、「他者から傷つけられること」「他者を傷つけてしまうこと」を恐れ、鬱々としていく。
だから、エヴァンゲリオンは、「エヴァンゲリオンのパイロットたちが他者の存在に関して鬱々としていく」流れと、「他者の存在をなくして一つの生命体になろうとする」流れが同時に進行していて、それが絡まり合って展開していく物語だということになる。でも、「人類補完計画」については、物語をかなり深く読み取って考察しないと理解できないから、それが分からない観客(僕もそう)は、「人類補完計画」の方の軸の展開についてはほぼついていけないまま、パイロット同士の鬱々とした話を追っていくことになる。
そして、エヴァンゲリオンの凄いのは、パイロットの鬱々話だけでも十分面白い、ということだ。とはいえ、これは人によるだろう。たぶん、エヴァンゲリオンを見て、「なんでこいつらみんなこんなにウダウダしてるの?意味分かんない」みたいに感じる人もいるだろう。僕自身は割と、生きていることとか他者との関係に鬱々しちゃう系の人(今はそうでもないけど、昔はそうだった)から、エヴァンゲリオンのこの鬱々した感じは凄く好き(というか、引き寄せられるとか、囚われるという表現の方が正しい)だけど、いわゆる「根明」と呼ばれる人には、全然理解できないんじゃないかな。
まあ、そういう分岐点はあるにせよ、主軸となる「人類補完計画」の話がまったく分からなくても、エヴァンゲリオンを面白がれるというのは、やっぱり凄いなぁと思う。
しかし、旧劇場版を観てなかった僕としては、ホント凄い展開で驚きました。もちろん、エヴァンゲリオンに関する考察サイトとか動画とかはちょいちょ見てるんで、静止画で見たことあるなぁみたいなシーンは結構あるんだけど、それってこういう展開だったんだとか、この人ここで死んじゃうんだとか、そういうのがかなり面白かったですね。
あと、旧劇場版は、テレビじゃ流せないでしょうね。だいぶグロいというか、はっちゃけてるというか、容赦ないというか、やっぱり、子供に向けたアニメって感じは全然ないですね。
さてこれで、「シン・エヴァンゲリオン」を観るための準備はすべて整ったかな。最近劇場公開されていた「序」「破」「Q」も観たし、今回のでTVシリーズと旧劇場版もざっとチェックできたので、あとはまた時々考察サイトなんかを見ながら、「シン・エヴァンゲリオン」の公開を待とうと思います。