【映画】「ハリエット」感想・レビュー・解説

アメリカ、ミネソタ州で、白人警察官に首を押さえつけられて黒人男性が死亡した事件をきっかけとして、全米で抗議デモが広がっている。

正直なところ、こういう話を聞くとびっくりしてしまう。未だに、”黒人だから”なんていうだけの理由で、差別が存在しているのか、と。

もちろん、そう感じる僕自身にも、このブーメランは戻って来うる。日本にも、未だに様々な差別があるはずだからだ。被差別部落出身、原爆被害者、ハンセン病患者、福島第一原発事故の被爆者と言った日本独自のものから、男女差別やセクシャルに関する差別など世界共通のものまで、現在の日本にだって、様々な差別があるはずだ。そして、その同じ社会の中にいて、その一成員として、その現状に「あまり気づいていない」僕は、結果的に差別に加担している、と言えるかもしれない。

僕自身は、何かのカテゴリーに誰かを当てはめて差別するような感情は、たぶんないと思う。もちろん、「悪事を働いた」とか「自分の正義と異なる」という、非常に主観的なカテゴリーで他人を捉えて、マイナスの感情を抱くことはある。しかしそうではなくて、カテゴリーが先に存在していて、そのカテゴリーの中に含まれている人だから受け付けない、という判断をすることは、たぶんないはずだ。

でも、まだ僕は自分を疑う余地がある、と考える。それは、アメリカにおける奴隷の歴史に触れる機会がある度に、考えさせられることだ。

当時、アメリカ南部では、奴隷制度は「正しいこと」だった。現代に置き換えると、こんなイメージになるかもしれない。少し前、医学部の受験において、女性の合格者が不当に操作されていたことが明らかになった。明らかな男女差別だ。しかし、それが法律で「正しいもの」とされていたらどうか。つまり、明らかに女性の入学者数を少なくすることが「正しいこと」だと法律で認められていたら。そんなことあるはずないだろう、と思うかもしれないが、実際にかつて日本には「優生保護法」という法律が存在した。なんと、1996年までこの法律は存在していたのだ。この法律によって、「不良な子孫の出生を防止する」として、遺伝病を持つ人や知的障害のある人が強制的に不妊治療を受けさせられたのだ。しかし、これは法律で「正しい」と規定されたことだったのだ。当然、おかしいと感じる人はたくさんいただろうが、それでも、「正しい」と思う人が相当数いたからこそ、1948年から1996年までの長きに渡った存在し続けたのだ。

同じように、アメリカ南部では、奴隷制度は「正しいこと」だった。この映画の後半で、「逃亡奴隷法」という法律が制定される。この法律により、(それまではたぶん)州内でしか逃げた奴隷を追うことが出来なかったのが、全米のどの州でも可能となり、また警察に引き渡さなければならなくなったのだ。これはつまり、「逃げた奴隷を悪として罰する」ということであり、即ち、奴隷制度の正しさを法的にも裏付けている、と言っていいだろう。

問題は、大多数の人が「正しい」と感じていることは、問題として意識されにくい、ということだ。僕は今、自分の意識としては、差別的な感情はないと思っている。しかしおそらく、当時のアメリカ南部の人たちも、差別的な感情はないと思っていただろう。何故そう思うのかと言えば、奴隷を所有する白人の一人が奴隷(主人公)に向かってこんなことを言う場面があるからだ。

【気に入った奴隷は、気に入ったブタと同じだ】

我々は、ブタを殺して食べる。しかし、だからと言って、「ブタに対して酷い扱いをしてしまった」「自分はブタに差別感情を抱いている」と思う人は、ほとんどいないだろう。そして当時の南部の白人は、奴隷をブタと捉えるような見方をしていたのだろう。だから、彼ら自身、奴隷に対しては酷い態度を取っていても、「自分は差別感情のない、善良な人間だ」と思っていたとしてもおかしくはない。

もちろん僕は、それがどんな人間であれ、ブタのようだと思うことはない。しかし、そこまで極端ではないにせよ、自分の認識が、誰かの認識とズレていることによって、自分の意図しない形で「差別」が現出する可能性は常にある。

例えば、僕はあまりしないが、日本人男性は女性と食事をしたら、会計を自分で持つことは多いだろう。しかし、何かの本で読んだが、フランスで同じことをやると「女性差別だ」となる可能性があるという。女性を対等な立場として捉えていないからだ、という。同じくフランスでは「女性差別」だと判断され得るが、日本では当たり前に定着しているものに、「女性専用車両」がある。日本では、痴漢を減らす対策として一定の効果を挙げていると思うし、日本人女性が「女性専用車両」に対して「女性差別だ」と声を挙げているという話は聞いたことがない。しかしフランスではこれも、女性の扱いが男性と同じではない、という理由で差別と判定され得るという。フランスでは、痴漢を減らす対策を取るにせよ、男性と条件が同じであるという状態においてそれが達成されなければ納得されない、という。

これは文化による差という面が大きいが、同じことは日本人同士でも起こりうるだろう。つまり、「自分の中に差別感情がない」というだけでは、「差別がそこに発生していない」という状況は担保されないのだ。

昔からそんなことを考えていたわけではないが、本を読んだり映画を観たりすることで、様々な立場の様々な価値観に触れることで、期せずして「差別」を生み出している可能性に気づくようになったし、それまで以上に自分の振る舞いに注意するようになった。

奴隷解放運動に限らずだが、差別が無くなる過程においては、どうしても、差別を受けている側が立ち上がり戦わなければならない。現在、アメリカで声を上げている黒人たちも、その歴史の始まりからずっと戦い続けていると言っていいだろう。人間の歴史には、おそらく差別は常につきまとっていただろうから、なくなることはないだろう。しかし、少しずつ、「差別はダサい」という感覚が広まればいいのに、といつも思っている。

内容に入ろうと思います。
この映画は、「ハリエット・タブマン」という、実在した女性奴隷解放運動家だ。2020年に発行される20ドル札で、アフリカ系アメリカ人として初めて米ドル紙幣にデザインされることが決まったことでも話題だ(しかし、トランプ大統領が就任して以降、状況は変わっているようで、まだ発行されていない)。
彼女は元々、奴隷だった両親から生まれ、自身も奴隷としてメリーランド州の農場で働いていた。彼女の「ハリエット・タブマン」という名前は、農場を抜け出した後に自らつけた名前であり、生まれた時の名はアラミンタ・ロス、通称ミンティだ。彼女は、ジョンという自由黒人と結婚しており、そのジョンと共に、ミンティの雇い主であるブローダスに話をするところから物語は始まる。それは、ブローダスの曽祖父が遺した遺言状に関するもので、ミンティの母は45歳で解放されると書かれていた(当時すでに50代後半だった)。この遺言状を元にミンティは、せめてジョンと自分との間の子供(まだ妊娠もしていなかったが、二人は子供を作る予定でいた)は奴隷の身分から解放してほしい、と訴えたのだ。しかし、その訴えはあっさり切り捨てられ、ジョンとミンティの望みは絶たれた。そしてその後、ミンティは自身が売りに出される気配を感じ取り、家族と離れ離れになるくらいならと、夫を置いて農場を逃げ出す(夫に迷惑は掛けたくないと思ったのだ)。160キロ北のペンシルベニア州にたどり着き、親しくしていた牧師経由で連絡がいっていた奴隷解放運動家であるウィリアム・スティルを頼った。スティルは、たった一人でここまでたどり着いた勇敢さに驚嘆し、他の逃亡奴隷と同じく、彼女に宿と仕事を提供した。この時からミンティは、ハリエットを名乗るようになる。
1年後、ハリエットは農場に残してきた家族を助けるようにスティルに訴えるが、個人の意見だけで組織を動かすわけにはいかず、また奴隷解放運動はどんどん危険になっている、と退けた。しかしハリエットは諦めず、たった一人で農場へと戻り、自分の家族を含む奴隷9人を救出して見せる。その手腕に驚かされたスティルは、彼女を「地下鉄道」の組織に引き入れる。「地下鉄道」というのは、奴隷解放運動の秘密組織であり、「車掌」と呼ばれる先導者が奴隷を救出していた。ハリエットはその後も、「車掌」として類まれな実績を
残し続けることになる。次々と奴隷を解放していく謎の人物に「モーセ」という名がつけられ、高額な懸賞金まで懸けられたが、ハリエットは一度も失敗することなく解放運動を続けた。
一方、元々ハリエットを所有していた一家は、自分のところの奴隷が次々といなくなることに狂乱していた。さらに、「モーセ」の正体がハリエットであると気づいた近隣の奴隷主が、賠償金を要求してくることに。彼らは一致団結して、「モーセ」ことハリエットを追い詰める決意をするが…。
というような話です。

物語として、予想外だったり「そんな!」と感じさせるようなことはなく、たぶんこういう展開をするんだろうという想定の範囲内の物語だったけど、しかしやはり、事実の重みを感じるという意味で見て良かったなと思います。とにかく、ハリエットの信念に貫かれている様は凄いと思う。自分の考えがどれだけ「正しい」と感じていても、あそこまで力強くそれを表に出し、訴えることが出来る強さみたいなものを感じました。

一番好きなシーンは、ハリエットが「地下鉄道」の面々に力説する場面。「地下鉄道」の面々は、いわゆる「自由黒人」と言われる人たちが多い。北部では、黒人は差別されず、白人と同じように生活が出来ている。奴隷であったことなどなく、生まれた時から自由黒人であり、奴隷としての辛い体験を経ていない人も多い。ハリエットは、そんな面々に対して、「奴隷の現実を知らないのよ」と訴える。ハリエットは、奴隷として生まれ、ずっと奴隷として過ごす中で、耐えきれないような現実を数多く目にしてきた。そして、その苦労や痛みを知っているからこそ、「◯◯だから無理だ」というような意見に耳を貸さず、自分が正しいと思うやり方で、正しいと思うことをやり抜くという力強さをみなぎらせることになる。

誰もがこんな風に生きていくのは無理だろうけど、奴隷として生まれながら英雄になった人物が存在していた、という事実をきちんと認識しておくことで、生きていく強さを少しは得られる、ということもあるかもしれません。

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長江貴士
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