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【本】ローレンス・クラウス「宇宙が始まる前には何があったのか?」感想・レビュー・解説

超面白かった!

本書は、アメリカでも屈指の物理学者であり、また一般向けの物理学の本も多数執筆している著者による、宇宙論の本である。

本書の原題の副題は「WHY THERE IS SOMETHING RATHER THAN NOTHING」であり、本書ではこれを「なぜ何もないのではなく、何かがあるのだろうか?」と訳している。まえがきで著者は、この不用意にこんな副題を付けたことを後悔している。何故なら、「WHY」と「NOTHING」が論争を引き起こすからだ。「WHY」型の質問をする場合、科学者は大抵「どのように(つまりHOW)」を問うているのだが、こと宇宙論の話になると、「第一原因」についての言及、つまり「神」の話題へと行き着いてしまうという。また、「NOTHING」という言葉は、物理に詳しくない人からは、「そこから何か生まれるのであれば、たとえ「何もない」としても「何かがある可能性」はあるのだし、それは無とは言えない」というような反論をされることがあるのだ、という。著者は、多くの宗教家や神学者とも議論を戦わせているようで、本書では、特に「NOTHING(無)」についての非常に慎重な定義が頻繁に登場する。科学と宗教では、問いの立て方や探求の仕方がどう変わるのか、あるいは、科学はその長い間の知見の蓄積により、問いそのものの意味が変化してきたのだ、ということなどを明らかにしながら、著者は、「我々が生きているこの宇宙がいかに無から生み出されたのか」ということを明らかにしていくのである。

僕自身、「宇宙は無から生まれた」という話は聞いたことがある。しかし、何故無から宇宙が生まれた、という結論に行き着いたのか、その過程についてはまったく知らなかった。本書はその背景を教えてくれる、という意味で非常に興味深かった。

まずは、ビッグバンの話から行こう。1929年に、ハッブルが宇宙は膨張しているということを発見し、そこから、宇宙は非常に小さなものが大爆発するように膨張して始まった、とするビッグバン説が生まれた。その実証にはなかなか時間が掛かったが、現在ではビッグバン説がほぼ正しいだろうと考えられている。

ビッグバン説を支える証拠の一つをもたらしたのは、WMAP(ウィルキンソン・マイクロ波異方性探査機)による「宇宙背景放射」の観測がある。「宇宙背景放射」を見るということは、生まれて間もない高温の宇宙の姿を見ることと同じであり、その観測結果から、ビッグバン説はほぼ裏付けられることになった。また、同じく「宇宙背景放射」から分かったことが、「宇宙は平坦である」ということだ。宇宙には、「開いた宇宙」「平坦な宇宙」「閉じた宇宙」の三つの可能性があり、そのどれであるかによって宇宙がどう終わるかも変わってくるのだが、「宇宙背景放射」の観測によって、「平坦な宇宙」であることが確実なものになったのだ。


しかし、同時に困った事態も判明した。既にテクノロジーは、銀河や銀河団の質量を測る、などというとんでもないことも出来るようになっている。そして、「開いた宇宙」「平坦な宇宙」「閉じた宇宙」のそれぞれにおいて、物資の質量がどれぐらい存在すればどういう宇宙になるのか、という理論が存在している。「宇宙背景放射」の観測によって、我々の宇宙は平坦だと判明したのだが、しかし一方で、銀河や銀河団の質量を測定すると、「平坦な宇宙」を作り出すのに必要な質量の30%程度しか存在しない、ということになってしまうのだ。

つまり、70%の質量(エネルギー)が行方不明、ということだ。

さてここで、時代を大きく遡って、アインシュタインに登場していただこう。アインシュタインは、相対性理論という、20世紀物理学の至宝を生み出したが、一つ困ったことがあった。アインシュタインが生きていた当時、「宇宙は静的なもの」である、つまり膨張も収縮もしないで止まっていると考えられていた。しかし、相対性理論は、「宇宙は膨張する」ということを導き出してしまった。宇宙が膨張しているのは、現在では当たり前のことだが、当時はそんなことはなかなか信じられなかったのだ。

そこでアインシュタインは、相対性理論の式の中に、「宇宙を静止させるための定数項」を組み込むことにした。アインシュタインはそれを「宇宙項」と呼んだ。この定数項を付け加えることは、「全空間に一定の大きさの力を組み込むこと」と同じだとアインシュタインは気づいた。つまり、空間そのもののそういう力(斥力)を組み込むことで、宇宙を膨張させようとする力と拮抗させ、宇宙を静止させられるのではないか、と考えたのだ。しかし、アインシュタインは後にその「宇宙項」を取り消し、「人生で最大のヘマ」と言ったという。

しかしである。アインシュタインの「宇宙項」は現在、「宇宙定数」という名前で復活しているのである。さすがアインシュタイン。ヘマさえも真理を言い当てている、とはさすがである。しかし、アインシュタインが考えたようなものとして現在扱われているわけではない。現在「宇宙定数」は、「空間そのものが持つエネルギー」であると理解されており、これが行方不明となっている70%のエネルギー(暗黒エネルギーと呼ばれている)の正体ではないか、と考えられているのだ。

では、「空間そのものが持つエネルギー」とは一体何か。その話をするためには、量子論に相対性理論の効果を組み込んだ天才・ディラックの話をしなければならない。量子論も相対性理論も、共に20世紀の至宝と言うべき超重要物理理論だが、しかしこの両者は恐ろしく折り合いが悪い。科学者は、この両者を融合させようと思っているのだが、あまりにも違いすぎてなかなかうまくいかないのだ。

ディラックは、そんな相容れない二つの理論をあれこれ考えて、量子論を相対性理論と矛盾しないものにしよう、と考えた。そしてある方程式にたどり着いた。その方程式によって、相対性理論と量子論を矛盾なく組み合わせることが出来たのだが、「電子とそっくりだけど符号が逆の新粒子」の存在しなければならない、ということになったのだ。


しかし、ディラックがそんな新粒子の予言をした2年後、実験家たちがまさにそのような粒子を発見した。それは「陽電子」と名付けられた。結果的にディラックは正しかった。ディラックは後に、「自分の理論は自分より賢かった」と語ったという。

これは電子に限らず、すべての物質に反対の電荷の物質が存在することが分かっている。それらは「反粒子」と呼ばれ、「反粒子」で出来た物質は「反物質」と呼ばれている。

さて、ここからである。伝説的な物理学者であるファインマンは、何故「反物質」などというものが存在するのかを分かりやすく説明した。そしてその説明が、「何もない空間が実は何もないわけじゃなかった」ことを示す結果にもなったのだ。

この説明は、図なしでは容易ではないので、詳細には触れないが、ここでもやはり相対性理論と量子論が関係してくる。量子論には、「ハイゼンベルグの不確定性原理」というルールがあるのだけど、このルールの特殊な状況を考えると、粒子が光よりも速い速度で動いても良い、ということが示唆される。相対性理論によれば、光より速い速度で動くものは存在しないはずなのだけど、存在するならばその粒子は時間を逆行しているかのように振る舞う、と示唆されるのだ。

この考え方を使うと、(図なしでは説明できないが)何もない空間に突然粒子が現れることが説明できるようになる。それらの粒子を科学者は「仮想粒子」と呼んでいる。

「仮想粒子」なんてものが本当に存在するのか?と思うだろう。当然だ。だって、何もないはずの空間に、突然粒子が現れるなんてことがあるはずがない、と誰もが思うだろう。しかし、「仮想粒子」は存在するのだ。

例えば、ある実験をした実験家は、測定された結果に僅かな誤差があることに気づいた。そしてあらゆる実験が繰り返された後、ようやく理解されたことは、「仮想粒子」の効果を組み込まなければ正確な測定が出来ない、ということだった。実際、「仮想粒子」の存在を前提にその効果を組み込んでみると、驚くほど精度の高い結果が得られた。それは科学のあらゆる分野の中で最も正確な予測であり、10億分の1以上という恐ろしい精度で理論値と一致するという。こうなると、「仮想粒子」の存在を認めざるを得ないだろう。

そして、まったく何もない空間であっても、「仮想粒子」が絶えず現れたり消えたりしているのだから、まったく何もない空間がエネルギーを持っていてもおかしくない、という結論になるのだ。

しかし、そう結論付けるには、科学者たちは思い込みを乗り越える必要があった。

そもそも、「仮想粒子」のエネルギーを直接的に測定することは難しいのだ。普通に計算しようとすると、数学や物理では忌み嫌われる「無限大」が出てきてしまうからだ。しかし科学者たちは、ずっとこう思い込んでいた。まったく何もない空間のエネルギーは、きっと0だろう、と。「仮想粒子」は実在するが、現れたり消えたりという効果をすべて組み合わせれば、プラスとマイナスがキレイに帳消しとなって、0になるはずだ、と。計算上は「無限大」になってしまうのだが、うまい方法を見つければ、空っぽの空間のエネルギーが0だと分かるはず、と思っていた。

しかし、著者ともう一人の物理学者がその状況を変えた。彼らは、宇宙が平坦であるためには、70%ほどのエネルギーが空間そのものに含まれていなければならない、と主張したのだ(ちなみに彼らがこの主張をしたのが1995年であり、これは「宇宙背景放射」を測定したWMAPの打ち上げ以前である)。

彼らの主張は、狂気や異端であると受け取られた。それはそうだ。そもそも宇宙論には「宇宙定数問題」というものがあった。これは、「仮想粒子」の効果を考えると、空っぽの空間のエネルギーは、宇宙に存在することが分かっている物質すべてのエネルギーの10の120乗も大きい、となってしまう、という問題だ。科学者たちは、これは計算が間違っており、0になるはずだ、と考えていたのだが、著者らは、0ではないごく小さな大きさを持つはずだ、と主張したのだ。

これを主張した時、彼らもその主張そのものを信じていたわけではなかったという。彼らがしたかったことは、「空っぽの空間のエネルギーが0だと無条件に信じているのはおかしくない?」と訴えたかったのだ。だからこそ、実際に空っぽの空間が0ではないエネルギーを持つと分かった時、彼らが最も驚いたという。

さてこんな風にして、「仮想粒子」、そして「空っぽの空間のエネルギー」についての理解が深まったのだ。

さて、無から宇宙が生まれるまで、あともう一歩である。あとは、「インフレーション理論」の説明をすればいい。これは、宇宙の誕生初期に、指数関数的に宇宙が一気に膨張したとされる理論で、様々な証拠から、これが最も説得力のある理論だと考えられている。例えば、本書の記述を引用すれば、『大きなスケールで見た宇宙は、信じられないほど均一なのである』のだが(この「均一であること」と「宇宙が平坦であること」は、たぶん別々の話なのだけど、ちゃんと理解できているか自信はない)、これほど均一なのは、宇宙誕生初期に一気に空間が膨張したからと考えるしかないのだ。

さてこれで準備が整った。無から宇宙が生まれるメカニズムを、本書から引用すればこうなるのだ。

『空っぽの空間は、物質や放射がまったく存在しなくても、ゼロではないエネルギーを持つことができる。そして一般相対性理論の教えるところによれば、エネルギーを持つ空間は指数関数的に膨張する。結果として、ごく初期には極めて小さかった領域も、一瞬のうちに、今日の観測可能な宇宙全体を軽々と含むほどの大きさになったのだ』

これが、現在正しいと信じられている宇宙論である。

また本書には、こんな興味深い文章もある。

『量子重力は、宇宙は無から生じてもよいということを教えてくれるだけでなく(この場合の「無」は、空間も時間もないという意味であることを強調しておこう)、むしろ宇宙が生じずにはすまないということを示しているように見えるのである。「何もない」(空間も時間もない)状態は、不安定なのだ。』

(本書では、著者はより緻密な議論をしているのだが)まさにこの記述は、冒頭で触れた「なぜ何もないのではなく、何かがあるのだろうか?」の答えとして納得感があるのではないかと思う。何かがあるのは、何もない状態が不安定だからだ、というのは、凄く分かりやすい。さらに本書では、「マルチバース宇宙論」、つまり僕らが観測できない無数の宇宙が存在していて、実はそれぞれの宇宙で物理法則が異なっているのではないか、という理論の話をし、「空間や時間だけではなく、物理法則さえない「無」から宇宙が生まれた」ということが妥当な結論ではないか、と示唆している。宇宙ごとに物理法則が異なっているとすれば、宇宙が生まれた時にランダムに物理法則が割り当てられたと考える方が自然だ。つまり、物理法則さえない「無」から宇宙が生まれうる、ということなのだ。

いやはや、なんとも刺激的ではないか。

さらに本書には、今まで聞いたことのなかった非常に驚異的な話が載っている。それは、「空っぽの空間のエネルギーを測定できるのは、今がその唯一の時代だ」という話だ。「今」と言っても数千億年という長い期間なのだけど、永遠に膨張を続ける宇宙の観点からすると一瞬だ。本書ではその不可思議さを、こんな表現で表している。

『われわれはきわめて特殊な時代に生きている。…それは、われわれがきわめて特殊な時代に生きているということを、観測によって証明できる唯一の時代なのだ!』

例えば、2兆年後の天文学者のことを考える。すると彼らは、夜空に望遠鏡を向けても、何も見られないという。同じような理由から、2兆年後の天文学者は、ビッグバンの根拠となる現象を捉えることも出来なくなる。僕らが今生きている時代だけが唯一、ビッグバンの証拠も捉えることが出来るし、空っぽの空間のエネルギーも測定できるのだ。

これをどう捉えるか、という話から「人間原理」の話になっていく。「人間原理」は非常に説明が厄介なのでここでは深入りしないが、しかし、「人間原理」の考え方が宇宙論に組み込まれたことで、宇宙論はまた新しい領域へと踏み込んだといえるだろう。

非常に刺激的で、興奮に満ち溢れた一冊だ!


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長江貴士
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