【映画】「わたしは金正男を殺してない」感想・レビュー・解説
「金正男暗殺」の速報に触れた時は、驚いた記憶がある。
その後、全世界を揺るがす大ニュースになっていく。
そんな、日常の彼岸にありそうなまったくかけ離れた世界の話が、僕らの日常と連結されるという事実に、心底驚かされた。
たぶん誰もが、シティ・アイシャとドアン・ティ・フォンになりうる。
何故なら彼女たちは、「SNSで人気者になりたい」という、どこにでもいる女性だからだ。
事件は、2017年2月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港で起こった。白昼堂々、衆人環視の中、北朝鮮の最高指導者の金正恩の異母兄である金正男が暗殺された。暗殺の様子は、当然のごとく防犯カメラに映っており、容疑者はすぐに逮捕された。インドネシア人のシティ・アイシャと、ベトナム人のドアン・ティ・フォンだ。
日本国内の当時のニュースでは、結構報道がなされ、その中で、陰で操っている北朝鮮工作員の存在が早々に判明していたように思う。彼らはマレーシア国外に脱出したり、マレーシア国内の北朝鮮大使館に逃げ込んだ。そして、北朝鮮の”脅迫”により、結局なんのお咎めもないまま、実行犯以外の首謀者たちは全員”無罪放免”ということになった。
マレーシアは世界でも珍しく北朝鮮と友好的な国であるという。だから、北朝鮮と揉め事は起こしたくない。しかし、国内の国際空港で白昼堂々要人の暗殺が行われてしまったことは、世界的な恥だ。だから、一方で北朝鮮工作員は見逃しながら、生贄として実行犯の二人に罪を着せる以外に方法がなかった。
裁判の争点は、「自分たちの行為が殺人であることを認識していたか?」ということだ。事情を知らなければ、「当然彼女たちは知っていたはずだ」と思うだろう。なにせ、実際に人一人を暗殺しているのだから。殺害方法は、猛毒のVXガス。両手にその液体をつけ、金正男の両目を覆うという方法で殺害した後の防犯カメラの映像から、「濡れた手でどこにも触れようとしないのは、彼女たちが手に付着したものの危険性を知っていたからだ」という憶測もなされた。彼女たちはマレーシアの法律では、有罪になれば死刑を免れない。つまり、「無罪」か「死刑」かという選択肢しかなかったのだ。
という、世界的な大ニュースとなった金正男暗殺事件の背景を描き出すドキュメンタリー映画だ。
実は僕は、この映画を観る前に、彼女たちが「いかに騙されたのか」を描く、テレビのドキュメンタリーを見ていた(確かフジテレビの番組だった気がする)。なので、この映画で描かれていることは、知識としては知っていた。そういう意味で、この映画を観ることでの衝撃は少なかった。しかし、改めて、これほどの事件が、僕らの日常と地続きであることに驚かされた。
彼女たちは、「イタズラ動画を撮影して有名にならないか?」という誘いに乗っただけだった。何ヶ月も掛け、北朝鮮工作員たちは、「ニセ動画」の撮影を続け、彼女たちに「イタズラ動画の撮影」という事実を信じ込ませた。そして、彼女たちに何も告げず、イタズラ動画の撮影だと思わせたまま、犯行を遂げたのだ。
シティの方だったと思うけど、彼女は逮捕された時、友人とホテルの部屋にいた。施錠はしておらず、やってきた警察官に、「13日、どこにいた?」と聞かれ、普通に「空港」と答えた。「金正男をどうやって暗殺したんだ?」と問われて困惑したという。彼女は、イタズラを仕掛けた相手が亡くなったことも、それが金正男だったことも知らなかったのだ。
ドアンは、暗殺から2日後、再び空港にやってきた。髪型や格好は2日前と変わらないまま、またイタズラ動画の撮影をすると聞いていたので疑うことなく空港に来たのだ。そして、ボス(実は北朝鮮工作員)と連絡が取れず、諦めて帰ろうとタクシーに乗ろうとしたところで逮捕された。
もちろん、彼女たちとまったく同じ手口に引っかかるかどうかは分からない。日本では、「イタズラ動画で有名になろう」という誘いは、そんなに魅力的には聞こえないように思う(ただ、彼女たちは生活が苦しく、過分な報酬がもらえる、という部分に食いついている部分もあった)。しかし、手口の問題ではない。僕らだって、日常のどこかに、「要人を暗殺してしまうことになるかもしれない」という入り口の扉が開いているということなのだ。北朝鮮工作員は、金正男が空港にやってくる日時を正確に捕らえていた。もし金正男が頻繁に日本に来ていたとしたら(まあ、密入国問題があったから、実際にはそれはありえないわけだけど)、日本人が実行犯として“スカウト”されていた可能性は十分にあるだろう。全然、他人事じゃない。
物理的には、彼女たちが金正男を殺したことは間違いないが、彼女たちを殺人犯と呼ぶのは正しくなく思える。しかし、世の中は厳しい。ドアンはベトナムに帰ってきた後、激しいバッシングにさらされたという。内容は様々だが、「注目を浴びていることを楽しんでいる」という批判だったり、「本当は暗殺だと知っててやったんだろう」という疑惑を投げつけたりするものだ。もちろん、真相は分からないが、しかし、彼女たちの立ち位置に、いつ自分が立つことになるか分からない、という想像力を手放してはいけないと思う。
またこの映画は、「あまりにも大きすぎる悪事は裁かれない」ということも如実に示している。「一人殺せば犯罪者、千人殺せば英雄」みたいな言葉があるが、似たところがある。この事件は、恐らく誰もが、北朝鮮に仕業だと思っているだろう。もっと言えば、金正恩の仕業だ、と。しかし結果的に金正恩は一切咎を受けなかった。この映画には、ワシントンポストの北京支局長であるアンナ・ファイフィールドという女性記者が出てくるが、彼女は今回の事件について「完全犯罪と言っていい」と表現している。金正恩は、安定した政権運営の支障になるかもしれない兄を排除したばかりでなく、「私はどこまでも残酷になれる」というメッセージを、非常に特異な形で全世界に向けて発信したのだ。「凄い」とは表現したくないけど、凄いことをやってのけたものだと思う。
マレーシアの司法や政府は、日本のそれと引き写しであるように感じられた。日本でも、山口敬之氏が伊藤詩織氏に性的暴行を行ったという疑惑に対して政府の介入があったのではないかと疑われているが、マレーシアの司法や政府も政治的な判断をしている、という風に、ベナン・ニュースの記者であるハディ・アズミは感じていた。マレーシアは報道の自由が低く、国内のメディアは政府の傘下にあるために批判的な報道がしにくいらしいが、彼は地元メディアではないから自由に発信が出来たという。彼は、「金正男暗殺の責任を、彼女たち2人に被せるのはおかしい」という、誰が聞いても真っ当だと思える発言をする。しかし、マレーシアでは、2人をスケープゴートにしようという動きが随所に見られることになる。これも結局、マレーシアだけの問題ではない。国際問題になるような大きな事件の場合、公正な裁きが実現するのかどうかというのは、無視できない問題だと感じます。
この映画を見て初めて知ったのは、裁判の顛末です。「無罪」か「死刑」かしかないと思っていたのだけど、なるほどそういう方向で終結したのか、という感じだった。弁護人の一人は、「完全なハッピーエンドではない」というような表現をしていたけど、彼女たちが置かれることになった異様な状況においては、結果的に悪くない結末となったということは言えるだろう。
映画の中では、実際のニュース映像も多く使われていたのが、そのほとんどが日本の番組のものだった。生前の金正男の映像をきちんと押さえていたのは日本のメディアだけだったのか、あるいは日本のメディアから借りやすかったのか分からないけど、そういう意味でも「近さ」を感じる映画でした。