【映画】「ペンタゴン・ペーパーズ」感想・レビュー・解説
これまで、なるべく決断をしないで生きてきた。あらゆる決断から逃げてきた。今も、決断からは逃げたいと思っているし、許されるならばこれからもずっと決断しないで生きていきたいと思う。
決断することは怖い。その決断が、自分にしか関係ないことであれば、僕はあまり怖さを感じないが、自分以外の誰かも関係してくるのであれば、一気に怖くなる。
正しい決断など、決断する前には絶対に分からない。決断してみなければ分からないし、時には決断してからずっと長い時を経てからじゃないと分からないこともあるだろう。自分の決断が誰にどんな影響を与えるのかも分からない。すべて、分からないまま決断を下すしかないのだ。
未来が分かっているのなら、決断など容易だ。しかし、そんなことはあり得ない。未来がどう動くか分からないからこそ決断に迷うのだ。自分の決断に、多くの人の人生が掛かっている―そういう立場にいる人は世の中にそれなりにいるだろう。政治家や社長、あるいはもう少し小さいレベルで見れば親や学校の先生もそういう立場にいる。
正しい決断をすることは難しい。決断をする前に正しさなど絶対に分からないからだ。しかし、正しくない決断、というのは、決断をする前に分かることがある。明らかにすべきでない決断、明らかに間違った決断、というものは存在しうる。未来の不確実さがもたらす過ちではなく、未来には関係なく現時点で明らかに踏み外しているという過ちは存在しうる。
そういう決断を目の前にした時、どう決断すべきか。
この映画で描かれているのは、正しい決断のためにすべてを失うかもしれない―そういう決断に追い込まれた女性の勇気なのだ。
内容に入ろうと思います。
舞台は、ベトナム戦争真っ只中の1971年。ワシントン・ポストの社主であるグラハムは、祖父・父・そして夫と受け継がれてきたこの会社を守るべく、夫の急逝に伴って社主を引き受けた。ずっと家族経営で続けてきた新聞社だったが、役員の意見を受け入れ、グラハムは株式公開に踏み切る決断をする。優秀な記者に投資をし、質で勝負することで収益性を上げる―彼女は投資家や銀行に向けてそうスピーチをする。
銀行との交渉はなかなかうまくまとまらないが、グラハムが気になったのが、趣意書のある一文だ。「株式公開から1週間以内に緊急事態が起こった場合、契約を解除できる」 役員の一人は、契約書の決まり文句だ、となだめようとするが、グラハムはデスクである“海賊”ベンのことを思い浮かべて不安を隠せずにいる。
ベンは、自分のボスであるグラハムにも遠慮なくズバズバ物を言う。社主として立てつつも、現場への口出しが多すぎると牽制している。ベンには、「報道の自由を守る方法は報道しかない」という信念があり、ニクソン大統領の次女の披露宴をぶち壊しにした“ポスト”の記者を長女の結婚式から締め出そうとする政府のやり方にも屈するつもりがない。
そんなある日、ニューヨーク・タイムズに衝撃的な記事が出た。ベトナム戦争を分析した「マクナマラ文書」を手に入れ、それを分析することで、政府が勝てないと分かっている戦争に若者を送り込んでいるという衝撃的な実態が明らかになったのだ。ベンはすぐに記者を集め、情報を取ってこいと命じる。そして自らはグラハムの元を訪れた。
マクナマラ長官は、グラハムの古い友人だ。だからベンはグラハムに、マクナマラ文書のコピーを入手するように迫ったのだ。しかし彼女はこれを拒絶する。
やがて株式公開に踏み切った彼女だったが、ほぼ同時に記者の一人がマクナマラ文書のほぼすべてを入手した。秘密保持のために自宅に記者を呼び文書の精査と記事の作成を始めたベン。そこに弁護士を呼び、対応を協議するが…。
というような話です。
これは良い映画だったなぁ。素晴らしかった。冒頭で「決断」についての話を書いたけど、本当によくこんな決断が出来たなと感じるような物語でした。実話をベースにしているんだろうけど、ホントに凄いな。
「報道の自由」というのは、いつの時代でもどの国でも問題になることだろう。日本でも、メディアへの政権からの干渉があるとかないとかっていう話はよく出てくる。新聞や週刊誌などでも、ネタを取ってきても、様々な理由から載せられないと判断するケースもあるだろうと思う。
「マクナマラ文書」は、いわゆる「最高機密文書(ペンタゴン・ペーパーズ)」だ。だからこそ、それが新聞に載っていることが大問題になっている。何故それが機密なのかはとりあえず置いておくとして、機密である以上、流出させたり広めたりすれば罪に問われることになる。今回の件でも、この文書に関わった者の多くが、何らかの罪に問われる可能性を有している。そういう状況下での決断なのだ。
日本でも、情報を機密に出来るような法律(名前を忘れてしまった)が出来たはず。何故それが機密であるのかという理由さえ明らかにしなくていい、というような内容だったと思う。正直、そんな法律があれば、政権側のやりたい放題ではないか、と思う。
アメリカという国の潔いところは、どんな文書もある一定の年数(確か50年だったと思う)で公開されることだ。映画の中でも、ずっと機密なわけではない、国民の知る権利は当然大事だし、この文書も後世の研究のために公開されるべきだが、今じゃない、というような発言があった。
ここが日本と大きく違う点だと思う。日本の場合、情報公開を求めても、黒塗りのままほとんど何も情報が分からないというようなものしか出てこないことがある。しかも、アメリカのように期限がくれば公開するというのでもない。
この映画の舞台は1971年だ。今の話ではない。今のアメリカはどうだろう?トランプ大統領絡みのニュースを見ていると、大統領と敵対しても真実を報道しようという気概があるように思う。日本では今、外務省による文書書き換え問題が盛んに報じられている。確かあれは、朝日新聞の報道が端緒となったのだったと思う。
『古い時代は終わるべきだ。権力は見張られるべきだ。誰かがそれをやらなければならない』
全体はどうか分からないけど、少なくともまだ一部では、そういう気概が残っているのだと思いたいところだ。
この出来事に携わった者は多々いるだろうけど、この映画での主人公はやはりベンとグラハムだ。
ベンが語る、JFKとの話は、実に印象的だった。ここでは詳しく書かないけど、『友人か取材対象か、どちらかを選ばなければならない』とベンが語る場面は、記者という立場の難しさ、あるべき姿みたいなものを強く印象付けたと思う。またある意味では、この言葉が、グラハムの決断を後押ししたと言っても決して言い過ぎではないだろう。
『政府の顔色を見るというなら、もう“ポスト”は消滅したも同然だ』
ベンはゴリ押しに次ぐゴリ押しで記事をものにしようとするが、最後にそうではない一面を見ることが出来たのも良かったと思う。
グラハムは、非常に苦労を重ねてきた女性だ。その苦労が、映画の随所で描かれていく。
『社主が女性だと、投資家たちが動かない』
彼女は、望んで社主になったわけではない。誰からも優秀だと思われていた夫のフィルが死亡し、それ故に社主にならざるを得なかった。女性である、ということで色んな障害があったし、舐められるようなことも多かった。それでも彼女は“ポスト”が大好きだったし、この会社を守るために出来る限りのことをするつもりがある。
一方で彼女は、友人を大事にする人でもある。パーティーなどは頻繁に開かれるし、古くからの友人であるマクナマラ長官についても同様だ。渦中の人であっても、仕事と友人関係は別だと考えている。
しかし、ベンがマクナマラ文書を手に入れたことで、彼女は大きな決断を迫られることになる。それは彼女にしか出来ない決断だが、その決断によって多くの人の人生が左右される可能性がある。
彼女は困難な決断をする。その後、ある場面でグラハムはこんな風に声を掛けられるのだ。
『言うべきことではないですが…勝ってください』
凄く良い場面だった。
『報道が仕えるべきは国民だ。統治者ではない』
こういう発言が出来ることが、アメリカという国の強さだ、と僕は思う。