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【本】沢木耕太郎「キャパの十字架」感想・レビュー・解説
「ここに一枚の写真がある」
本書はその書き出しと共に、一枚の、世界的に有名なとある戦争写真が掲載されている。
「崩れ落ちる兵士」
という名前で検索してみてほしい。
本書ではこの写真について、
『それは写真機というものが発明されて以来、最も有名になった写真の一枚でもある。中でも、写真が報道の主要な手段となってから発達した、いわゆるフォト・ジャーナリズムというジャンルにおいては、これ以上繰り返し印刷された写真はないように思われる。』
と書かれている。それほど有名で、多くの人の感情を喚起し、歴史に刻まれることになった写真である。
これは、ロバート・キャパという、戦争写真家として数々の傑作を残したカメラマンによる、スペイン戦争時に、共和国軍兵士が的である反乱軍の銃弾に当たって倒れるところを撮影したとされている写真である。
本書は、この写真についての物語である。
この写真にはかねてより、多くの謎が指摘されていた。
例えば、事実に属することであれば、この写真はいつどこで撮られたのか、写っているのは誰なのか、この場には他に誰もいなかったのか、撃たれた写真であるというなら敵はどこから撃っているのか、というようなことである。
また、写真の解釈の問題であれば、この兵士は本当に撃たれた瞬間であるのか? もしそうだとするなら、カメラマンは敵に背を向けていることになるがそんなことが実際に戦場で可能だろうか? またそもそも、撃たれた瞬間をカメラに収めることなど、果たして可能なのか? というようなものである。
これらについてはこれまでも、キャパの自伝作家や研究者らが独自の調査・研究を続けているが、それらの真贋についてはっきりと明確な答えが出ているわけではない。
沢木耕太郎は、この問題に真剣に挑むことになった。
こう書いている。
『この「崩れ落ちる兵士」の真贋問題について、私はリチャード・ウィーランの「ロバート・キャパ」を手にするまで、まったく疑問を抱いていなかった。しかし、「ロバート・キャパ」を訳していく過程で小さな疑問が芽生え、やがてそれはみるみる大きなものになっていった』
そうやって、小さな疑問を抱いたのは相当に前、あとがきによれば20年以上も前のことだったという。
それから折りに触れ、沢木耕太郎はこの真贋問題を意識に上らせることになる。しかし、写真や伝記を読むだけではなかなかわからない。時々、写真が撮られた場所が判明したとか、写真に写っている人物の身元が判明したというようなニュースを見かけることになる。そういうニュースに触れる度に、現地に行って取材をしたいという想いに駆られたが、しかし仕事が立て込んでいてなかなか行くことも叶わなかった。しかし著者の中ではずっと疑問として燻っていた問題なのだ。
著者のこの写真に対する違和感については、こんな風に書かれている。
『かりに「真」だとしても、あのように見事に撃たれた瞬間を撮れるものだろうか。同時に、もし「贋」だとするなら、あのように見事に倒れることができるだろうか、と』
著者の出発点はここだ。つまり、写真の真贋だけではないのだ。真だとしても贋だとしても、どうにも受け入れがたい点がある。その疑問は解消され得るだろうか?というところがスタート地点である。
さてここで、なぜこの真贋問題が未だに未解決なのか、という話を書こう。というのも、この写真を撮ったロバート・キャパキャパは、この写真を撮った後ももちろん生きていて、誰だって話を状態にあったのだ。分からなければ、普通は本人に聞けばいい。
しかしロバート・キャパは生前、この写真について出来うる限り何も語ろうとしなかったという。キャパ自身がこの写真について言及した記録は実に少ない。ほとんどないと言っていいほどだ。もちろんその、「キャパ自身の沈黙」も、この写真の真贋問題の心象として、悪い方向に針が傾く要因の一つではあるのだけれども。
本書がどんな風に展開されていくのかをざっと書こう。
まず冒頭の方で、いくつか基本的なことが確認される。それは、『「崩れ落ちる兵士」という写真の評価』や『「崩れ落ちる兵士」の写真についてこれまで明らかにされた様々な情報』や『ロバート・キャパと、キャパと一緒に戦場を駆け回っていたゲルダ・タローという女性との関係性』や『「崩れ落ちる兵士」の写真の真贋問題についてこれまで展開されてきた議論』などである。これらが冒頭の方でコンパクトにまとめられている。
そしてそれから、実際に沢木耕太郎自身が現地へ取材に行ったり、取材の結果やあるいは写真を丹念に見続けた結果明らかになった新たな事実などについて記していく。
それはさながら、ミステリー小説を読んでいるかのようである。
本書で展開される謎解きは、一言で説明してしまうと、「半世紀以上前に起こった未解決の殺人事件を、その事件に関わった当事者が一人も存命でない状態で真相を暴こうとすること」に近い。
沢木耕太郎が扱うことが出来るのは、『キャパが残した数々の写真』と『キャパ自身やあるいは伝記作家が書いたキャパについての書物』、あとは写真が撮られたと思われる場所の現在の光景、ぐらいなものである。その当時のキャパやキャパが撮影した写真について生の情報を語れる存命者はいないし、それどころか、「崩れ落ちる兵士」の真贋問題に取り組み成果を残した人さえも亡くなっている人が多い。ほとんど、人物への取材によって明らかに出来る情報はない、と言っていいかもしれない(もちろん、まったくないわけではないが)。
そういう条件下において、沢木耕太郎は、緻密な取材と執念深い観察、そして大胆な着想などを組み合わせ、誰も想像しえなかった驚くべき地平まで読者を連れて行くことになる。
これは本当にスリリングだ。
「崩れ落ちる兵士」の謎解きがどんな風に展開していくのかをここで書くことは出来ない。それは是非とも本書を読んで、驚きとともにその凄さを味わって欲しいと思う。観察と着想の組み合わせだけで、これほどまでに深い探索が出来るものなのかと感心してしまった。
一つだけ書いておこう。沢木耕太郎は、「崩れ落ちる兵士」の写真の真贋問題に取り組んでいた。それはつまり、あの写真が本当に撃たれた兵士を撮影したものなのか、あるいはそうではないのか、という問題だ。しかし、取材と観察を続けていく中で、様々な事実や着想にたどり着き、その延長線上に著者は、これまで誰も気づかなかった新たな謎が存在することを示した。これまで議論されていたこととは、まったく違う角度の問題が、様々な事実を明らかにすることで浮かび上がってきたのだ。
そして沢木耕太郎は、その新たな謎にも取り組んでいくことになる。
その執念深さは、凄いとしか言いようがない。
冒頭で、沢木耕太郎以外の人たちが、「崩れ落ちる兵士」の写真の真贋問題についてこれまでどんな展開がされてきたのか簡潔にまとめられている、と先ほど書いた。そこで触れられる議論は、やはりどこか甘いものがある。物的証拠がないまま、恐らくこうであっただろうという強引な推測で結論を出しているものや、キャパの名声に傷をつけたくなくて、結論を灰色のまま放置しているものなど、どこか緻密さに欠ける議論が多い。沢木耕太郎の探索において、この人がいなかったら正しい方向に進めなかったという、スペインのススペレギ教授の研究は、非常に論理的で緻密であり、本書で紹介されている真贋問題研究では、このススペレギ教授のものが唯一まともに見えた。
沢木耕太郎は、出来うる限り物証を追い求める。「こうだったのではないか」という憶測をいくら重ねても、説得力はない。沢木耕太郎は、「こうだったのではないか」という憶測をどうやって確証まで高めることが出来るか、それを徹底的に追求する。
もちろん、どうしてもそれが果たせない部分もある。どうしても、憶測だけで諦めるしかない事柄もある。しかし著者は、「崩れ落ちる兵士」の真贋問題に直接関わらないように思える写真や本なども丁寧に調べ、そこから非常に深い着想を閃き、検証し、そうやってあらゆる事柄を立証しようとしていく。その執念深さは恐ろしいものがある。
最終的に著者が辿り着く結論は、誰もが驚くようなものだろう。世界中の人はそもそも問題文を読み違えていたのだ、と指摘しているようなものだからだ。可能な限り確証が与えられたその議論は、僕には非常に論理的な緻密なものに思える。
しかし、何度も繰り返すのだけど、写真の観察だけから、よくもまあここまでの結論までたどり着くことが出来たものだと思う。ただ漫然と写真を見ているだけでは決して辿りつけなかっただろう。著者は、四六時中その写真を眺めては、何かないかと観察することをくり返したのだという。著者が自らの結論にたどり着くきっかけになった「<ルガール>の誌面の「突撃する兵士」」という写真がある。この写真を眺めていた著者は、ある仮説にたどり着き、戦慄する。
そして、その仮説の正しさをどうにか確かめようと奔走するのだけど、その著者が写真を見ていてたどり着いいた仮説というのが凄い。確かに言われて見れば、そう見えるかもしれない。いや、そうではないな。本書を最後まで読んだからこそ、今ではそんな風に見える。しかし、本書の中でその着想が初めて現れた時は、ンな無茶苦茶な、と思った。それはさすがに、我田引水というか、希望的観測というか、祈りみたいなものではないのかという気がしてしまった。
しかし著者は、様々な立証を積み上げていく中で、その閃きを確証まで高めてしまう。いや、ホントにスリリングだなと思いました。
あとがきには、こんな一文がある。
『ここに掲載したキャパの写真はすべて「マグナム」から借りている。その際、マグナムの日本支社から、「マグナムは必ずしも沢木氏の本の内容を認めているわけではない」との一文を入れてほしいという申し入れがあった。私は「喜んで」と応じた。』
「マグナム」というのは、ロバート・キャパなど四人の写真家で立ち上げた国際写真家集団であり、恐らく現在はその写真家たちの写真を管理する団体なんだと思う。「マグナム」としてはやはり、ロバート・キャパの名声を貶めるかもしれない著作に賛同しているという印象を取られたくないと考えたのだろう。
最後に、あとがきに書かれている沢木耕太郎のこの言葉を書いて終わろうと思う。
『たぶん、これを読んでくれた方には理解してもらえるように思えるが、私のしようとしたこと、したかったことは、キャパの虚像を剥ぐというようなことではなかった。
ただ、本当のことを知りたかっただけなのだ。「崩れ落ちる兵士」は本当に撃たれているのか、本当に死んでいるのか。その問いがさらに大きな、別の謎を生み出すことになるなどとは、まったく思ってもいないことだった。
いまでも、「崩れ落ちる兵士」にまつわる謎のひとつに答えが出たいまでも、私のキャパに対する親愛の情は変わらない。それは、伝記的事実から受けるキャパの印象が、どこか私に似ているように思えるからかもしれない。』
たった一枚の写真、しかもそれは世界で最も有名な写真のいくつかに数えられるだろうと思うけど、そのたった一枚の写真を巡る壮大な物語は、誰しもが予想しえない驚くべき展開を見せる。非常にスリリングだ。まさかこれほどまでにスリリングな展開を見せるとは思ってもみなかった。是非読んでみて欲しい。
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