【映画】「若おかみは小学生!」感想・レビュー・解説

いやー、ビックリした!
メチャクチャ良い映画だった!

普段ならまず見ない映画なんだけど、
ヤフーニュースで「大人がハマっている」という記事を見かけたので、
試しに見てみることにしたんですけど、
超良かったです!

後で理由を含めて書くつもりですけど、
この映画、子ども向けっぽく見せてるけど、実は大人向けだなと思いました。
っていうか、子どもは子どもで、大人と違った見方をして楽しめる作品かもしれないけど、
大人は大人で、大人だからこその楽しみ方が出来る作品だなと感じました。

とりあえず内容を紹介しましょう。
主人公の関織子(おっこ)は小学生。おばあちゃんが女将として切り盛りしている、花の湯温泉にある春の屋という旅館に家族で遊びに行った帰り、交通事故に巻き込まれて両親を亡くしてしまう。奇跡的に無傷だったおっこは、春の屋に引き取られることになった。
玄関先で蜘蛛やヤモリを見かけて奇声を上げるおっこ。そんなおっこが離れに用意してもらった自室へと向かうと、どこからか声がする。見上げると、天井に浮かんでいる少年が!なんと彼、幽霊らしく、しかも女将でありおばあちゃんである峰子さんの古くからの知り合いなんだという。おっこにしか見えないその少年の幽霊とともに、仲居さんや料理長に挨拶に行くと、誠というその少年からの問い掛けに素っ頓狂に答える内に、おっこは春の屋の若おかみを目指す、ということになってしまった。不服のあるおっこだったが、誠が驚く程に喜んでいる姿を見て、嫌とは言えなくなってしまう。
早速旅館の仕事を手伝うことになるおっこだったが、おっちょこちょいでドジばかりという始末。とはいえ、お客様に喜んでもらえることの嬉しさを感じる日々に、少しずつ若おかみとしての自覚が芽生えていくことになる。
転校先の小学校でクラスメイトになった秋野真月は、花の湯温泉を牽引してきた秋好温泉の跡取り娘で、同じく小学生ながら抜群のアイデアで、秋好温泉をもり立てるプランを実現していく。二人は事あるごとにぶつかりあうことになるのだけど、お互いに老舗の旅館を守っていくのだという気概だけは共通している。
両親を喪った悲しみを表に出さないようにしながら、誠や、次々に増えていく「目に見えない存在」たちと関わりながら、若おかみとしての修行をしていく…。
という話です。

ストーリーや設定は、非常にシンプルです。原作の小説が、元々小学生向けに書かれているものだし、映画も表向きは子ども向けに作られているから、そんなに複雑な設定が出てくるわけもありません。ただ、いくつかの要因が、この映画を「大人が鑑賞するに耐えうる作品」に仕立て上げていて、そのことが高評価に繋がっているんだろうな、という感じがします。

僕が感じる一番の要因は、「小学生が大人の世界で頑張っている」ということです。この設定が、非常に秀逸だなと感じました。


この映画はかなり、「どストレートなセリフ」で作られていると言っていいと思います。喜怒哀楽のすべてが、シンプルで分かりやすい感情表現で表されている、ということです。これも、原作が小学生向けだということで、当たり前と言えば当たり前ではあります。でも、ちょっと考えてみると、この「どストレートなセリフ」で作られている映画って、普通はちょっと受け入れがたくなっちゃうと思うんです。大人の世界では、色んな理由から喜怒哀楽を単純に表に出すことが出来なかったりするし、仕草とか表情とか、そういう部分の僅かな揺れみたいなもので感情を表したりします。「どストレートなセリフ」で作られている映画って、ラブコメみたいな作品だとよくありそうですけど、そういう作品は、大人からしたらちょっと引いちゃうというか、簡単には受け入れがたく感じられちゃうと思うんです。

でもこの映画は、主人公のこっこが「小学生」で、かつ「大人の世界」で働いているわけです。だから、「大人の世界」で起こる様々な事柄に対して、「小学生」的な反応を見せてもまったく不自然ではないんです。というか、「小学生」的な反応じゃない方が不自然だな、という感じなんですね。

この点が、僕は一番見事だと感じました。喜怒哀楽をシンプルに表現する「小学生」的な反応で、「大人の世界」の辛さやトラブルなんかに対峙していく、という展開が、大人だけの世界ではなかなか実現し得ないものだと大人の観客には分かるし、だからこそおっこの喜怒哀楽がシンプルにストレートに突き刺さってくるんだと思います。

で、まさにこの点が、この映画が「大人向け」だと感じられる理由なんです。というのも、こういう見方は、大人が小学生に対して抱く「小学生っぽさ」みたいな幻想をベースにしないと成り立たないからです。

子どもにだって実際は色々あって、喜怒哀楽をシンプルに表に出せないことだっていっぱいあります。僕らも子どもだった頃、そういう時間を乗り越えてきたはずなんだけど、どうも大人になるとそういうことは忘れてしまう。なんとなく、「小学生は喜怒哀楽をシンプルに表に出せる存在だよね」なんていう幻想をいつの間にか持っちゃうわけなんです。で、そういう幻想ベースの視点でこの映画を見るからこそ、おっこの存在が不自然に見えないし、感情がストレートにバーンって入ってきて気持ちいいんですね。


だから子どもがこの映画を見たら、また別の見方になるだろうと思います。子ども自身は、大人が持っているようなそういう「小学生っぽさ」みたいな幻想は持ってないわけだから、おっこの素直な喜怒哀楽の表出がどう映るのかは分からないなぁ、と思います。

で、誠や他の「目に見えない存在」という設定も秀逸だったなと思います。何故なら、彼ら「目に見えない存在」は、「若おかみであるおっこ」の存在を不自然に見せない効果があるからです。

「小学生が若おかみになる」という設定は、正直なところちょっと無理があるように感じますよね。いくら両親を事故で亡くして、旅館をやっているおばあちゃんのところに引き取られたと言っても、ただそれだけでおっこが若おかみになることが正当化されるわけじゃないでしょう。実際におっこは、春の屋に着いた当初は、若おかみなんて目指すつもりはまったくなかったわけです。

けど、誠の存在がかなり大きくて、おっこは若おかみの道を目指すことになります。誠の「峰子ちゃんを助けてやってくれ」という強い想いに押されるようにして、おっこは旅館の手伝いをするようになるわけです。これが、誠の存在がなく、「おっこが最初からやる気満々で若おかみを目指していた」とか、あるいは「おっこが嫌々ながら無理やり若おかみをやらされた」とかいう設定だったら、全然違った物語になっていたでしょう。おっこが若おかみとしての道を歩んでいくことをごく自然に受け入れさせるために、誠の存在は非常に重要でした。

また「目に見えない存在」のもう一つの効果は、両親を喪ったばかりのおっこのメンタル面での支えになっている、ということです。おっこは、大好きだった両親を亡くし、馴染みのない土地に引っ越して新たな生活が始まります。転校した学校での雰囲気も悪くないですけど、すぐに夏休みになっちゃうこともあって、当初はクラスメイトたちとの関わりがメインにはなりません。旅館で働いているから、普段関わる人は大人ばかりです。そういう中で、誠を初めとした「目に見えない存在」が常に周りにいることで、おっこにメンタル的な支えがいるという状態になり、これもまたおっこが若おかみとして働くことを自然に見せているな、と感じました。

そんなわけで、「小学生が若おかみとして働く」とか「幽霊が出てくる」とか、ちょっと荒唐無稽な設定が出てくるんだけど、でも実はそれらの設定が実に見事にハマって、むしろ大人の鑑賞に耐えうる作品に仕上がっている、というのが僕の分析です。

そんなわけで、おっこのどストレートな感情表出にやられて、なんというか、ほぼずっと泣きっぱなしでした(笑)。最初の方から凄くいいんですけど、最後の最後は、ちょっとヤバかったですね。そう来るか!という展開と、その展開の中でおっこが急速に成長して、「若おかみであることの自覚」を一気に目覚めさせた感じは、そりゃあ泣きますわ、って感じでした。

旅館でのおっこの成長っぷりも色々面白いんだけど、秋野真月との絡みも面白いですね。真月は、いつもフリフリピンクのドレスを着ていて周りから浮いているんだけど、超努力家で、妥協を知らない感じ。小学生とはいえ、創業家の娘だからという理由でなくて、実力で様々な企画を立案して実行に移している。ある場面では、恐らく洋書だろう本を読んでたんだけど、そのタイトルが「Homo Deus」。これって、あの「サピエンス全史」の人の最新刊???とか思いながら見てました。もしそうだとしたら、それを原書で読めるって、相当の英語力だなぁ、とか。

そんな真月と事あるごとに対立してしまうおっこなんだけど、でもおっこは、何が一番大事かということをちゃんと理解している。おっこは若おかみとして働く中で、「お客さんに喜んでもらうのが何よりも大事なこと」と肌感覚で理解していて、そのためにやれることがあるなら自分のプライドや意地は捨てられる、というところがまた凄くいいなと思いました。

どうせ子ども向けの映画だろ、と思っちゃうような映画ですけど、予想を裏切る良作なので、是非見てみてください。

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