【本】宇宙は「もつれ」でできている 「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか(ルイーザ・ギルター)感想・レビュー・解説
超絶面白かった!
まずは、僕なりの言葉で「量子論」について説明をしてみよう。恐らく、間違った解釈・言葉の使い方をしている部分も多々あるだろうけど、あくまでも以下で書くのは「僕が理解している量子論を、僕が使える言葉の上限で可能な限り表現しようとしていること」だと思って欲しい。たぶん不正確な部分が多々あるので、正確な記述を期待しないでください。
量子論のスタートは、ある困った現象から始まった。それは、「古典的な波動理論では説明出来ない結果」だった。古典的な波動理論では、原子などを「粒子」として扱っている。しかし、原子などを「粒子」だと考えた場合にはあり得ない結果が出てしまったのだ。
この現象を説明するために「量子論」は生み出された。そしてその過程で、原子などの物質には「粒子」としての性質だけではなく、「波」としての性質もある、ということが判明した。有名なのは、アインシュタインが「光は光子という粒子でもある」と証明したことだ。アインシュタインはこの成果でノーベル賞を受賞している(有名な「相対性理論」で受賞したわけではない)。
ちなみに、この文章を書いている現時点においても、原子などが「粒子でもあり波でもある」という状態を具体的にイメージ出来る人は世界中に誰もいないので、何を言っているのか理解できなくても全然問題ない。
こんな風に生み出された量子論は、全体的にとてもうまくいった。発見のきっかけになった現象もうまく説明できたし、他にも様々な発見があり、量子論の創始者の一人であるボーアを始め、多くの物理学者が量子論は世界を記述する理論だと実感するようになって行った。
しかし、量子論には大きな大きな問題があった。それを明確に指摘したのが、あのアインシュタインである。しかし、その説明に入る前に、もう少し量子論を深掘りしよう。
量子論は「波動関数」と呼ばれる方程式で記述される。問題は、この波動関数を解いた結果が、現実の何と対応しているのか、イマイチ分からない、ということだ。波動関数を解いて出て来る解は、「粒子がそこにある確率」を示している、と解釈するしかなかったのだが、これは一体何を意味しているのか?
僕たちは、「物がそこにある」ということを理解できる。例えば、机の上に鉛筆が置いてあれば、「机の上に鉛筆がある」と認識できるし、当然、自分が机に背を向けて直接鉛筆を見ていなくても、「机の上に鉛筆がある」と主張できる。しかし、量子論によるとそうではない。量子論においては、「波動関数を解くこと」は「原子を観測すること」と同じようなものである。波動関数は、「原子がその場所で観測される確率」を示しており、つまりそれは、「観測する以前の原子の振る舞いについては何も分からない」と言っているのと同じことだ。
もう少し分かりやすく書こう。先程の鉛筆の例で言えば、量子論が言っていることは、「机を観測した時には、鉛筆がある場所に鉛筆が観測されるが、机を観測していない時には鉛筆が机の上のどこにあるのか(あるいはないのか)は確率的にしか分からない」ということだ。観測した時にあった場所をA点と呼ぶとすれば、机に背を向けた時にも鉛筆がA点にあるかは判然とせず、A点にある確率がどれぐらい、A点以外の場所にある確率がどのぐらい、という情報しか分からない、と言っているのだ。
アインシュタインは、「そんなバカな!」と言った。有名な、「神はサイコロを振らない」という言葉がそれだ。アインシュタインは、波動関数が観測していない状態について記述出来ないことは理解していたが、それは量子論が「不完全だからだ」と考えていた。普通に考えれば、物質は「観測」していようがしていなかろうが「実在」しているはずであり、それについて記述出来ない量子論には何かが足りないのだ、と考えていた(結局のところ、量子論を巡る混乱というのは、「観測」や「実在」をどう定義するか、という問題に行き着くことになる)。
しかし、ボーアはアインシュタインのその指摘をイマイチ理解できないでいた。ボーアというのは、かなり入り組んだ思想を交えながら話をする人だったようで、難解な用語を新しく生み出しながら、量子論の独自の解釈を貫いた。
量子論に対する当時の物理学者たちのスタンスはいくつかあったが、代表的なのが二つだ。一つはアインシュタインの「量子論は不完全であり、物質の実在について振る舞いを記述する何かが欠けているのだ」とする立場。もう一つが、ボーアを中心とする「コペンハーゲン解釈」と呼ばれるもので、「量子論というのは、観測する前の振る舞いについては何も語れないのであって、決して不完全なわけではない」という立場だ。
さて、アインシュタインは、自身が抱いていた量子論に対する違和感を明確にするために、ある思考実験を考えだした。これは後にEPR論文と呼ばれ、アインシュタインが指摘した量子の奇妙な振る舞いのことを、後にシュレディンガーが「もつれ」と呼んだ。そして、この「もつれ」を理解することこそ、量子物理学最大の難問だったのだ。
『もつれについて語ることは、量子物理学そのものについて語ることである。物理学者が初めてもつれの問題に直面したのは20世紀であった。それまで何世紀もの間、物理学は世界を完璧に理解しようとがむしゃらに進んできた。20世紀の初頭、量子論の気味悪さを疑うところからもつれの物語が始まった。その20世紀の夜明けは、我々にニュースをもたらした。物質と光の両方を探索すればするほど、謎が立ち現れたくるのだ、と。』
本書は、この「もつれ」という難問がどんな経緯を経て解き明かされていくのかを描いていく。この「もつれ」に触れる前に、量子論がいかに難しいかということを示す、量子論の創始者の一人であるボーアのこんな言葉を引用しておこう。
『もし量子論について考えているときに目がくらむことがないのなら、本当に理解できてはいないのだ』
さて、それでは「もつれ」について、僕なりに理解できていることについて触れようと思う。少し長いが、アインシュタインらが「EPRパラドックス」として提示した思考実験を、(正確さは欠くが)僕なりに分かりやすく(したつもり)の説明でチャレンジしてみよう。
二つのボールがある、と想像して欲しい。この二つのボールには、ある関係がある。それは、「どちらかが青色なら、もう片方は赤色だ」という関係である。
さて、僕らの一般的な感覚で言えば、ボールの色はあらかじめ決まっている。仮に青色のボールをA、赤色のボールをBと名付けよう。このボールは、僕らが観測していようがいまいが青色・赤色である。こう考えるのが、アインシュタインの立場である。
一方、ボーアのコペンハーゲン解釈では違う。二つのボールは、観測されるまで赤色なのか青色なのか決まっていない。僕らが観測して初めて色が決まる、というのだ。ここで重要なことは、この二つのボールには、「どちらかが青色なら、もう片方は赤色だ」という関係があるのだから、どちらか一方のボールの色を観測すれば、もう一方のボールの色も自動的に決まる、ということである。
さて、このボールを使ってこんな「実験」を考えてみる。二つのボールが空を猛スピードで飛んでいるとする。あまりにも早いので肉眼ではその色が分からない。特殊なカメラで撮影すると色が分かる、としよう。またこの二つのボールは、正反対の方向に飛んでいるので、二つのボールを同時にカメラに収めることは出来ない、ということにしよう。
さてこの状態で、片方のボールをカメラで撮影する。仮に青色だとしよう。そうすると、カメラで撮影していない方のボールの色は自動的に赤色、ということになる。
さて、これでEPRパラドックスについて説明する準備が整った。いや、もう一つ付け加えておかなければならないことがある。それは、アインシュタインが提唱した相対性理論についてだ。相対性理論は様々なことを主張する理論だが、その中でもかなり大事な主張が、「どんなものも、光より早く移動することは出来ない」というものだ。これは、量子論が議論されていた当時も、絶対的な原理原則として捉えられていた。
さて、これで今度こそ準備は万端。EPRパラドックスに進もう。
先程の「実験」は、アインシュタイン的な捉え方をすれば何の問題もない。二つのボールはあらかじめ色が決まっている。だから、観測したボールが青色であれば、もう片方はなんの問題もなく赤色である。
しかし、コペンハーゲン解釈を採用すると、困った問題が起こる。コペンハーゲン解釈では、「観測するまではボールの色は決まっていない」としている。「観測できないが、色は決まっている」のではなく、「観測するまで、赤色でも青色でもない」と主張するのだ。さて、その状態で、カメラで撮影をする。撮影した方のボールが青色だった、ということは、「観測することで青色になった」ということを意味する。そして、撮影した方のボールが青色だと分かったのと同時に、撮影しなかった方のボールが赤色であると決定するのだ。
さて、ここでアインシュタインはこんな疑問を突きつけた。撮影しなかった方のボールは、どうやって相方のボールが青色だと「知った」のか、と。
意味が分かるだろうか?ここで大事なのが、相対性理論の原理原則である「どんなものも、光より早く移動することは出来ない」である。
例えば、この二つのボールが100兆光年離れている、としよう。光の速度で進んでも100兆年も掛かる距離だ。しかし、それだけ離れていても、片方のボールの色が青色だと決まれば、その瞬間に、もう片方のボールの色が赤色だと決まるのだ。光より早く進むものは存在しないのに、この二つのボールは、光の速度を遥かに越えて「通信」しているように見える。ボールは撮影するまで色が決まっていないのだから、片方のボールが青色と決まった、という情報がもう片方のボールに届かない限り(通信しない限り)、もう片方のボールは赤色になれないはずなのだ。そしてそれは、相対性理論の原理原則により不可能だ。しかし、量子論は、その不可能なことをやってのけているように思える。これは矛盾ではないだろうか?
そう言ってアインシュタインは、量子論の不完全さを指摘したのである。
EPRパラドックスで指摘された二つの量子(僕の例では二つのボール)が置かれている状況は、やがて「もつれ」と呼ばれるようになる。そしてまさにこの点こそが、量子論の不可思議さの真骨頂であり、また量子論が実用に活かされるポイントでもあったのだ。
さてここからは、本書で描かれている「もつれ」の物語のざっとした概略に触れていこう。
まず、量子論が生まれた。波動関数が生み出され、「観測するまで原子の振る舞いは記述できない」という奇妙な結果が得られた。アインシュタインはそのことを不服としてEPRパラドックスを突きつけた。これによって、後に「もつれ」と呼ばれることになる現象が捉えられたことになるが、しかしこの「もつれ」がすぐに物理学者たちを熱狂させたわけではない。
「もつれ」が物理学の表舞台に出てくるまでに、数多くの人間が関わったが、その中でも重要だったのがボームとベルの二人である。
ボームは、マンハッタン計画の中心人物だったオッペンハイマーの教え子であり、色々あって監視される立場に置かれてしまった。そんなボームは、EPR論文を読み、そこから刺激を受けてとある論文を書いた。これは、「隠れた変数理論」と呼ばれるものに関わる理論である。「隠れた変数理論」とは、アインシュタイン的な立場、つまり観測するかどうかに関係なく物質は実在する、という立場の一つであり、試みとしては、量子論に観測する以前の実在性を組み込むもの、と言っていいだろう。
ボームの書いた論文は、かつてド・ブロイが書いたものに近いものがあった。大雑把に言えば、「物質に粒子と波の両方の性質があるのではなく、「未だ観測されていない未知の波(ガイド波やパイロット波などと呼ばれた)」に粒子が乗っているのだ」というような解釈をするものだった。ボームはなんとかして、量子論を完璧なものにしたくて「隠れた変数理論」についての論文を書いた。
ちなみに、この「隠れた変数理論」については、フォン・ノイマンが「あり得ないと証明した」ことがあった。当時誰もが、「フォン・ノイマンが間違えるはずがない」と考え、その証明を受け入れていたが、アインシュタインら幾人かの人間が、フォン・ノイマンが置いている前提に誤りがあることを見抜いていた。しかし、何度かそういう発見がありながら、フォン・ノイマンの誤りは表沙汰になることがなかった。
さて、実際のところ「隠れた変数理論」は現在では否定されているが、その当時も「異端な考え」だと思われていたようだ。ボーアのコペンハーゲン解釈に異を唱えることは間違っている、というような風潮があったようだ。だからボームの論文も取り沙汰されることはなかった。
しかし、ボームの論文を読んだ無名の物理学者であったベルは感銘を受けた。彼もまた、「隠れた変数理論」を信じていた一人であり、『ボームは、ベルが夢見ていた理論に到達していた―それは、実験者の行為に関係なく実在する実体に関する理論でありながら、量子力学と同一の結果をもたらすものであった』と捉えたのだ。
そうやってベルは、「趣味として」量子論に関わるようになったが(深入りするとマズイ、と考えていたようだ)、やがてベルは「ベルの不等式」と呼ばれる画期的なアイデアにたどり着く。「ベルの不等式」を簡単に説明するのは難しいけど(そもそも僕がちゃんと理解していない)、大雑把に言えば、「二つの粒子の関係性がある制限以内なら古典的な振る舞いをするが、その制限を超えると量子論が予言する奇妙な振る舞いが現れる」というものだった。別の言い方をすれば、もし二つの粒子の関係性がある制限以内であれば「隠れた変数理論」で説明をつけることが出来るが、制限を超えるなら「隠れた変数理論」は諦めて量子論が予言する奇妙な振る舞いを受け入れなければならない、ということだ。
「ベルの不等式」は、『21世紀初めまでにベルの論文が物理学に激変をもたらしたのは間違いない』とまで言われ、またベルの論文によって正当な評価を与えられたEPR論文は、『同論文は世界を揺るがしたアインシュタインの輝かしいすべての業績のなあでもずば抜けて引用回数の多い論文となり、また20世紀後半の物理学の主要誌「フィジカル・レビュー」で最も多く引用された論文となったのである』。
さて、ここでようやく実験物理学者の出番となった。物理学者は大きく「理論物理学者」と「実験物理学者」に分かれる。理論を考える者と、実験をする者だ。それまで「もつれ」の議論というのは思考実験によって展開されていた。実際に実験を行えるような状況が生まれえなかったのだ。しかし「ベルの不等式」がその状況を変えた。ベルの示した不等式を見た実験物理学者たちは、「これは実験によって証明できる」と考え、それぞれが独自の実験を計画し検証に乗り出した。そしてついに、「ベルの不等式」が破られる(制限を超える)ことが実験によって示され、アインシュタイン的な立場ではなく(つまり「隠れた変数理論」ではなく)、コペンハーゲン解釈が正しかったことが証明されたのだ。
さて、「もつれ」の物語はまだ終わらない。アインシュタインの指摘によって見出され、ベルが証明の可能性を見出し、実験物理学者たちが証明してみせた「もつれ」は、それまではずっと学問上の対象でしかなかった。量子論が「十分な理論」であるのか、あるいは「不十分な理論」であるのかを議論するための要素の一つでしかなかった。しかし「もつれ」は今、実用化への模索が進められている。
それが「量子コンピュータ」である。量子コンピュータの基本的な原理は、まさに「もつれ」を利用したものである。実用に足る量子コンピュータはまだ作成されていないが、原理を実証するような実験室レベルのものは既に生み出されており、量子コンピュータにおけるアルゴリズムも既に作られている。
もし量子コンピュータが実現すれば、僕らの生活に直結することになる。僕らが生きている世界で使われている様々なセキュリティ(何かにログインする時のパスワードみたいなものを想像して欲しい)は、RSA暗号と呼ばれるものである。これは、「因数分解には、コンピュータの力を借りても膨大な時間が掛かる」という特性を利用した暗号であり、普通のコンピュータではまず破られることがない。しかし、もし量子コンピュータが登場すれば、このRSA暗号は一瞬で解読出来てしまう。それぐらい、量子コンピュータは信じがたい計算能力を持っているのだ。
インターネットがこれほどまでに広がった現代、RSA暗号の恩恵を受けていない人の方が少ないと言っていいだろう(銀行口座の暗証番号もたぶんRSA暗号で出来ている)。そのRSAを一瞬で破る量子コンピュータの登場は、社会を激変させるだろう。しかも、今この瞬間にも、量子コンピュータが開発され、誰かがRSA暗号を破っているかもしれない。量子コンピュータは、「暗号を破った」という痕跡を残さずに暗号を解読できるので、仮に解読されていたとしても気づけないのである。
創始者ボーアがその存在を意識できず、気づいたアインシュタインでさえも捉え間違えた「もつれ」が今、物理の理論という枠組みを超えて僕らの実生活を脅かそうとしている。本書はそういう、壮大な物語なのである。
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