【本】リサ・ランドール「ダークマターと恐竜絶滅」感想・レビュー・解説
いやはや、やはりメチャクチャ難しい!メチャクチャ面白いけど、メチャクチャ難しい。
難しいというのは、「僕が理解できているけど説明が難しい」という意味では全然なくて、「そもそも僕が理解できていないから説明も難しい」という意味だ。難しいので、無理そうなところはなんとなく読むしかないのだけど、それでも面白いのだからさすがである。
本書には様々に刺激的なことが書かれているが、僕が一番驚いた記述は、実はこれである。
『2010年3月に、古生物学、地球化学、気候モデル研究、地球物理学、堆積学の各分野の専門家41名が集まって、この20年以上のあいだに積み重ねられていた衝突―大量絶滅仮説のさまざまな証拠を検討した。その結論として、チクシュルーブ・クレーターをつくったのもK-Pg絶滅を生じさせたのも、確実に6600万年前の流星物質の衝突であり、そしてその最大の被害者が、かの偉大なる恐竜だったという見解に落ち着いた』
これは超短く要約すると、「恐竜が絶滅したのは隕石のせいだ」ということだ。
いや、驚いた。僕は、そんな結論、もっとずっと以前に出ているんだと思っていた。本書によると、その結論が最終的に下されたのが、今からたった8年前だという。もちろん、可能性としてはそれ以前から存在していたはずだから、話としてはもっと前から耳にしていただろうが、とはいえ、本書にはこんな記述もある。
『1973年には地球化学者のハロルド・ユーリーが、溶けた岩石からできるガラス質のテクタイトを根拠に、流星物質の衝突がK-Pg絶滅の原因だったと提唱したが、その時点でもまだ大半の科学者はユーリーの考えを無視した』
『しかしながら、そうした先見の明のある鋭い考えも、アルヴァレズの説が発表されるまでは基本的に無視されていた。宇宙からの飛来物の衝突が絶滅を引き起こすという考えは、1980年代になってもなお過激と見なされ、ちょっと頭がおかしいのではないかという第一印象さえ持たれかねなかった』
ほえ~、という感じだ。なんとなく今では常識みたいな扱いになってる考え方のはずなのに、今からたった30年ほど前には過激な説だったのだ。そもそも『宇宙から飛来した物体が地球にぶつかるなんていう奇妙な減少は、とても信じがたいことのように思えるものだ。実際、かつての科学界はそんな主張をまったく真実だとは思わなかった』『隕石が宇宙由来であるという考えがようやく正式に認められるにいたったきっかけは、1794年6月、シエナのアカデミーに不意にたくさんの石が落ちてきたことだった』と書かれている。宇宙から何かが地球にやってくる、という考えが受け入れられるようになったことが、そもそも最近のことのようだ。
さて本書は、まさにタイトルの通り「ダークマター」と「恐竜絶滅」の話だ。著者のリサ・ランドールは世界的に著名な物理学者であり、検証可能な物理モデルを構築することを生業とする素粒子物理学者だ。「ワープした余剰次元」という仮説を打ち立てたことで世界的に話題となり、第一線の研究者と見なされている。そんな著者が見出したテーマが、「ダークマター」と「恐竜絶滅」なのだ。
一見関係がなさそうな…と書こうとして、そもそも一般的には「ダークマター」というものが知られていないだろうから、関係がありそうかどうかも判断できないだろう。というわけでまず、ダークマターについて少し書こう。ダークマターという存在については、本書を読む前からざっくりとは知っていた。
科学は、色んな観測やら観察やらを駆使して、凄いことに気付いた。なんと、宇宙の全エネルギーの内、僕らが知っている物質(「通常の物質」と呼ぼう)が担っているのはわずか5%程度だというのだ。残りの95%は、正体不明なのである。そしてその正体不明の存在に、「ダークマター」と「ダークエネルギー」という名前がつけられている。
「ダークエネルギー」についてはここでは触れないが、これは基本的に物質ではない。しかし「ダークマター」は物質だ。しかし、僕らは「ダークマター」を見ることも観測することも触れることも出来ない。何故なら「ダークマター」は重力としか相互作用しない(とされている)からだ。僕らが何か物を見る時には、光(というか、何らかの電磁波)と相互作用してくれなければならない。しかし、光とは相互作用しない(とされている)ダークマターは、どんなことをしても見ることは出来ないのだ。重力以外には相互作用しない(とされている)ので、僕らのすぐ傍にダークマターが存在していたとしても、僕らには見ることも触れることも出来ないのだ。
ホントにそんな物質が存在するのだろうか?科学者は、色んな理由から(本書にその色んな理由が書かれているが、僕にはちゃんと理解できないので割愛)存在すると考えている。目には見えないが、ダークマターは確実に存在する、と考えられている。しかしその性質はほとんど分かっていない。
誤解されやすいのは、ダークマターをブラックホールと混同することだ。ブラックホールが見えない理由は、光をすべて吸収してしまうからであって、ダークマターとはまったく別物だ。
さて、そんな謎の物質である「ダークマター」と、6600万年前に隕石によって引き起こされた「恐竜絶滅」は、一見なんの関係もなさそうだが、著者はこの二つを結び付ける。
リサ・ランドールのデビュー作である「ワープする宇宙」は、最終的に著者の「ワープする余剰次元」という仮説が提示される作品だが、その前段階として、20世紀物理学が辿ってきた道筋を可能な限り分かりやすく噛み砕いて説明をした。本書も同じだ。本書でも著者は、最終的に「ダブルディスク・ダークマター(DDDM)理論」を提示するが、それを理解するためには、ダークマターやビッグバン、銀河系や太陽系の成り立ちなどを理解しなくてはいけないし、一方で、絶滅とはどういう状態を指すのか、いかにしてK-pg絶滅と隕石が結び付けられたのか、などと言った知識が必要だ。本書では、ここ50年ほどで急速に理解されるに至った、宇宙と古生物学に関する知見が、著者の好奇心と分かりやすい説明に乗せて非常に軽快に描かれていく(とはいえ、それらの説明も、決して容易ではない)。
本書全体を簡単に紹介するのは僕には不可能だが、著者が「DDDM理論」を考えつくに至った過程をざっと書くことは出来る。
まず著者と共同研究者らは、世界中の研究者が着目したある数値が気になったのだという。結果その数値は、後々間違いであると判明するのだが、著者らは、その数値がまだ正しいかもしれないと思われていた頃に、これが成り立つ可能性があるモデルを構築出来ないか、と考えた。何故ならその特異な数値は、もしかしたらダークマターが対消滅したことによって生じたものかもしれないと目されており、そうだとすればダークマターを捉えるのに非常に有効な発想が出来るのではないかと考えたからだ。
本書には、ダークマターの可能性として、現在挙げられている様々な仮説の内有力なものがいくつか挙げられている。「WIMP」「非対称ダークマター」「アクシオン」「ニュートリノ」など様々な可能性が考えられていたのだが、著者らはそれらの仮説から無意識に排除されている可能性があることに気付いた。
それは、「ダークマターは一種類ではないかもしれない」という可能性だ。
「通常の物質」は現在、標準モデルという非常に精緻な理論によって説明がつけられている。クォークという素粒子に様々な性質があり、それぞれのクォーク毎にどんな力と相互作用するのかしないのかということが決まっている。つまり、僕らの世界を構成する「通常の物質」は、決して一種類の素粒子から成り立っているのではなく、いくつもの性質を持つ素粒子から成り立っているのだ。
だとすればダークマターも、いくつかの性質を持つ複数のダークマター素粒子から成り立っているのではないか、と考えるのは妥当だろう。
著者らはその前提で思考を進めることで、「ダークディスク」という、これまで誰も想定しなかった構造物が銀河系に存在しうることに気がついた。このダークディスクが存在するかどうかは、観測可能であり、なんと著者らが論文を発表した数ヶ月後に、「DDDM」の正否が判定可能な、まったく別の目的で行われる実験がスタートするという超幸運があった。まだ結果は出ていないみたいだが、「DDDM」が正しいかどうかは、もうしばらくすれば観測によって判断される。
さて、ここまでのところ、まだ「恐竜絶滅」と結びついていない。その通り、著者らは最初から「恐竜絶滅」のことを考えていたわけではない。「DDDM」の原型となるアイデアを話すためにとあるディスカッションに参加した際、主催者が彼女に、「もしかしたらそのDDDMが恐竜絶滅のきっかけになったかもしれない」と聞いたことがきっかけだったという。その時まで彼女は、その方面に関する具体的なことはまったく知らなかったが、地球上の生物の絶滅にはある一定の周期があるように観察される、という見方が存在していたのだ。その周期は、彗星や小惑星によってしか説明し得ないが、しかし、既存のどんなモデルでも、生物の絶滅の周期をうまく説明できていなかった。
著者らはそれらの論文を精査することで、状況をきちんと把握した。つまり、「生物の絶滅に周期があるという見方が間違っている」か、あるいは「まだ誰も捉えることが出来ていない現象によって生物の絶滅の周期を説明できる」ということだ。そして著者らが構築した「DDDM」は、その候補になり得そうだった。
そこで著者らは、「DDDM」と「恐竜絶滅」の可能性を検討し、その結果、「DDDM」が生物の絶滅の周期を説明しうる、という結論に達したのだ。後は観測によって、「DDDM」の正否が判定されるのを待つだけだ。
実際には本書は、もっともっと刺激的なことがたくさん書かれた本なのだけど、僕がそれなりに説明できそうなのはこの程度のことしかない。内容が結構高度で、ついていくのがやっとという感じだった。
最後に。意外だと感じた記述についてもう少し触れて終わりにしよう。それは「絶滅」という考えについてである。
『絶滅という概念は比較的新しい。フランスの博物学者で、のちに貴族にもなったジョルジュ・キュヴィエが、完全にこの惑星から消えてしまっている種があるという証拠に気づいたのが、ようやく1800年代初めのことだ。キュヴィエ以前にも、過去の動物の骨が発見されてはいたが、発見者は決まってそれらを現存する種と結びつけようとした。もちろん当時としては、まずそう考えるのが常識だったのだろう。たしかにマンモスとマストドンとゾウは別のものだが、それほど大きく違っているわけでもないのだから、最初はそれらを混同してもおかしくないし、少なくともそれらの化石を結びつけたくなるに違いない。これを解きほぐしたのがキュヴィエであって、彼の研究により、マストドンとマンモスは現在生きているどんな動物の直径祖先でもないことが実証された。キュヴィエは引き続き、ほかの多くの絶滅種も特定した。
だが、絶滅の概念はいまでこそしっかり確立しているが、種全体が消滅して二度と戻ってこないという考えは、最初は多くの抵抗にあった。』
冒頭で書いた「恐竜絶滅」も同じだが、その時代において進歩的な考え方は、後に正しいと認められるかもしれないが、やはり最初は大きな抵抗に遭うようだ。そう考えると、現在否定されている仮説や理論も、いつ肯定されるか分からない、ということにもなる。科学という学問は、間違いを間違いと認め、現実と照らし合わせて正しいものを最終的には選び取っていく、というところがいいなと思う。
そして絶滅に関してはもう一つ、非常に意外な記述があった。
『現在、多くの科学者は、現在まさに第六の大量絶滅が進行しつつあると考えている。しかも今回の絶滅は、もともと人間が引き起こしたものなのだ。(中略)推定は確定ではないが、現在のペースではことによると平均の何百倍も速い』
そうなのか、と思う。隕石の衝突による絶滅、というのは、まあ仕方ない感じもする。避けようがない。しかし、僕ら人間がいることによって他の種が大量に絶滅の危機に瀕している、というのは、あまり穏やかな話ではない。そういう加害者の一人ではいたくない、と思うところである。