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僕はEXIT兼近大樹のことを、なぜ許されるべきと感じるのか?「更生」について考える

お笑い芸人・EXITの兼近大樹の周辺が慌ただしい。「今世間を騒がせている犯罪者と、かつて知り合いだったから」というのがその理由のようだ。正直、あまりネットの記事を読んでいるわけではないが、テレビ番組を降板したり、スポンサーが降りたりという状況にまでなっているみたいである。

さて、そんな兼近大樹の騒動から僕は「更生」について考えてみたいと思う。

先に書いておくと、僕は別に「EXITというコンビ」にも「兼近大樹という人間」にもさほど興味があるわけではない。テレビで時々、ひな壇に座っている姿を見るくらいだ。ただ、この記事を書いている現時点においても、「全体的には好印象」という感覚を持っている。「メチャクチャ関わりたいと思っているわけではないが、近くにいたら仲良くなれそうな気がすると感じる程度には関心がある」と言っていいだろう。

さて、僕が感じるのは、「果たして今の社会で『更生』という考え方が成り立つのだろうか」ということだ。また、「犯罪者の更生なんて糞食らえだ」と思っている人たちが、今兼近大樹を攻撃しているとするのなら、本当にそんなスタンスは真っ当と言えるのか。その辺りについて考えてみたいと思う。

僕は、兼近大樹の過去のことを別に詳しく知っているわけではない。なんとなく、「周りに悪い奴らしかいない環境で育ち、それが当たり前みたいな感じで犯罪に手を染めてしまっていたが、何かのきっかけで変わろうと決意し、その環境から離れて芸人になった」ぐらいのことを知っている程度だ。

もちろん、「犯罪」が行われたということは、そこには「被害者」がいることになる。ただこの記事では、直接被害を被った人やその周辺の人たちが「犯罪者の更生」をどう捉えるかは扱わない。刑事事件の「被害者」の立場に立ったことがないし、そういう経験が仮にあったとしても、「『被害者』がどう考えるべきか」は、やはり個々の被害者に委ねられるべきだと思うからだ。

問題は、直接の被害者でもないのに声を挙げる者たちである。彼らは一体どんな理屈で、「過去に罪を犯した人間を許してはならない」と攻撃し続けているのだろうか?

僕は、そういう人たちが「マイナスがあるからダメだ」と主張しているように聞こえてしまう。「こういうマイナスがある。だからダメだ」ですべての議論を終わらせているように感じられるのだ。もちろん、「犯罪に手を染めた」という過去が「マイナス」であることは間違いないだろう。しかし、そういう人にだって「プラスの面」もあるはずだ。「プラスとマイナスをトータルで判断して、マイナスの方が大きいからダメ」と判断しているのなら何の問題もないと私は思う。しかし、単に「マイナスがあるからダメ」と言っているのであれば、ちょっとそれは理解できない主張に聞こえてしまう。

僕は別に、「兼近大樹にはプラスの面もあるのだから許してあげよう」などと言いたいわけではない。というのも、「何をどのぐらいプラスと判断するか」は個々の判断でいいと思っているからだ。

僕自身は、兼近大樹の「かつて罪を犯してしまったことをオープンにしながら、彼にしか出来ない形で、『生まれ育った環境の不幸さ』や『「犯罪者」という過去を背負って生きることの困難さ』みたいなものを発信していること」はとても評価できると感じている。また、兼近大樹を「『更生』の理想」と捉える人が世の中にいるのであれば、そういう人たちにとっての希望にもなっているだろう。そういう存在として、僕は、兼近大樹のことは評価しているし、彼の過去を補って余るあるプラスを社会にもたらす存在だとも感じている。

しかし、別にそう感じない人がいてもいい。「兼近大樹の生き方にプラスの面もあるかもしれないが、マイナスを補うほどではない」とか、「『犯罪者でも芸人になれる』みたいなモデルケースとして受け取られる可能性があるのだし、それはとてもプラスとは思えない」みたいに思っても全然いい。大事なことは、「『プラスがあるか』に着目しているかどうか」だ。

僕が許容できないのは、「プラスがあるかどうかなんか関係ない。マイナスがあるからとにかくダメなんだ」という主張である。そういう主張は、ちょっと意味が分からないと感じてしまう。

「プラスがあるかどうかなんか関係ない。マイナスがあるからとにかくダメなんだ」みたいな主張が当たり前のようにまかり通ってしまえば、とても「更生」など実現できないだろう。「どれだけ大きなマイナスを背負っても、プラスの面もきちんと評価され、マイナスと相殺してくれる」と思えばこそ、大きなマイナスを背負った人間でも再起しようという気になれるはずだ。しかし、「プラスの有無なんかどうでもいい。お前にはマイナスがあるからダメなんだ」と言われたら、もうどうにもしようがない。

そんな社会は嫌だな、と思う。

「マイナス」というのは、決して「犯罪」に限らない。そして人は、様々な理由から、思いもかけないような「マイナス」を背負ってしまい得る。そういう想像力をまったく持たず、「お前にはマイナスがあるからダメだ」と主張するのはいかがなものかと感じてしまう。誰だって、「明日は我が身」と考えておくべきだ。

こんな風に、僕はやっぱり「兼近大樹本人」よりも、「彼を叩く人間」の方に違和感を覚えてしまう。繰り返すが、兼近大樹が犯した罪の直接の被害者やその周辺の人が「絶対に許せない」と主張するのは当然だと感じる。あるいは、「マイナスとプラスを総合して、マイナスの方が大きいからダメだ」と言っているのなら別にいいとも思う。しかし、「マイナスがあるからダメだ」という攻撃は、理解できない。

兼近大樹には頑張ってほしいと思う。彼のような存在には、「『犯罪』は決して個人だけの問題ではない」と社会に強く訴える力があると感じるし、そのことは社会全体にとってプラスになり得ると思えるからだ。また、上手く説明できないが、兼近大樹自身の振る舞いから、「自分は日の当たる場所を歩いていい人間ではない」みたいな雰囲気を感じる。それでも、芸能界という「日の当たる場所」に居続けるのには、彼なりの「使命」を果たそうという意思が強いのではないかと思えてしまう。

間違いなく、「兼近大樹にしか出来ないこと」があると思う。そしてそれは、少なくとも僕の価値観では、「社会にとってプラスになる」と考えている。だから、どうにか踏ん張ってほしいものだと思う。

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