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【本】山内喜美子「世界で一番売れている薬 遠藤章とスタチン創薬」感想・レビュー・解説

今、世界が最も待ち望んでいる発明は、新型コロナウイルス(COVID-19)への特効薬だろう。ライバル関係にある製薬会社が協力して全力で開発に挑んでいる、というニュースを見た。いつ出来るかは分からないが、いずれ出来ることは間違いないだろう。

さて。そもそも、「創薬」について僕らはあまり知らない。薬をどう作り出すのか。その過程でどんな展開が待ち受けるのか。もちろん、創薬と言っても様々なパターンがあるだろうが、その一つをつぶさに知っておくというのも、今の状況において必要な知識といえるかもしれない。

世界で一番売れている、と言われている薬がある。「スタチン」と総称される薬だ。「総称」と呼ぶのは、商品名は世界中で多様に存在するからだ。言ってみれば「スタチン」という呼び方は「風邪薬」みたいなものだ(違うけど)。風邪薬にも、「ルル」や「コンタック」や「ストナ」など様々な商品がある。同じように「スタチン」にも、ジェネリック医薬品も含めメチャクチャ種類がある。

「スタチン」というのはコレステロールの低下薬だ。体内のコレステロール合成に重要な役割を持つ「HMG-CoA還元酵素(レダクターゼ)」だけを阻害して、血液のコレステロール濃度を下げるコレステロール合成阻害剤だ。「スタチン」の登場によって劇的に状況が変わったため想像しにくいが、「スタチン」登場以前はこういう感じだったという。

【高コレステロール血症も、スタチンが発見される以前は、食事療法と、あまり効果のはっきりしない既存の薬剤に頼るしかなかった。中でも遺伝的にコレステロール値が異常に高い「家族性高コレステロール血症」の重症患者に対する治療法はほとんど皆無といってもよく、彼らは10代、20代の若い頃から動脈硬化の危険にさらされ、40歳まで生きることさえ難しい状況に置かれていた。遠藤の発見したスタチンは、その分野で初めてターゲットに直接迫る画期的な新薬だったのである】

他にも、スタチンの凄さは、本書に様々な形で書かれている。

【過去に行われた大規模臨床試験の結果、スタチンはLDLコレステロールを低下させることにより、心臓疾患や脳卒中の発症率をいずれも3割近く低下させた。つまり、3人に1人がスタチンによって命を救われたことになる。コレステロールを劇的に下げると同時に安全性の高いスタチンは、「世紀の薬」「奇跡の薬」と呼ばれている】

【これらスタチン製剤の恩恵を受けている人は世界で推定4000万人いるといわれ、2005年度の年間売上は全スタチン剤(先発品のみ)を併せて約242億ドル、日本円にして3兆円近くに上った】

【日本の製薬メーカーが独自に開発し、年間10億ドル以上売り上げる製品は数えるほどしかない。そのうちメバロチン(※これは商品名)は、発売初年度1989年の7か月間に国内で144億円を売り上げ、ピーク時の99年は1288億円(輸出分と合わせると1854億円)を記録した】

こういう数字ではなかなかイメージ出来ないが、スタチンによる、ある意味マイナスな影響についてこんなことが書かれている。

【スタチンを開発するまでの製薬会社は、はっきりした理論をベースに病気を治す意欲に燃えていたけれども、スタチンがあまりにも売れたから、そのパテント(※特許)切れに対する恐れがアメリカのビッグファーマにもあって、本当に患者サイドに立って病気を治すためか、自社が生き延びるための経営戦略的な開発なのか、非常に疑問を感じましたね】(大阪大学・松澤佑次)

薬は一定期間特許が認められるが、切れるとジェネリック医薬品に取って代わられる。だから莫大な収入が減ることになる。その減少分を補おうとして、本当に必要かは分からないけど稼げるだろう創薬が行われてしまっているのではないか、と指摘しているのだ。

とはいえ、そうなってしまうのも、多少は仕方ない。創薬というのは、バクチみたいなものだからだ。

【昭和32(1957)年入社だから、日本はやっと経済が上向き始めた頃。今のようにガツガツした時代じゃなく、研究にも自由な幅があったんです。逆に言えば、研究者が一所懸命にやったって薬なんてできるものじゃないという雰囲気。当時の良い薬はどれも欧米で開発されたもので、自分たちで新薬を作った経験はほとんどありませんでしたからね】(遠藤章)

【新薬の種を見つける道程は「宝くじを買うようなもの」と遠藤は表現したが、宝くじなら一定の確率で必ず当たりくじがある。薬の種は6000株調べようと1万株調べようと、一つも見つからないことだってある。確率はゼロかもしれないのだ。それでも遠藤は、自身が決めた2年の期限内で目的の物質を見つけ、意外にさらりと「幸運だった」の一言で片付けた】

遠藤が最初に入社した三共(現在の第一三共)も、独自の薬の開発経験はなかった。そのことが、遠藤の人生を翻弄することになる。

さて、その創薬の話に移る前に、何故そんな奇跡の薬を開発した「遠藤章」という名前を、我々が知らないのか、ということに触れよう。我々は、野口英世など、物凄い業績を持つ偉人のことを知っているものだ。遠藤章も、数限りない人命を救う大発明を行った人物だ。日本人初の全米発明家殿堂入りも果たしている(彼の他に日本人で殿堂入りしているのは、青色発光ダイオードを開発した中村修二のみ)。また、コレステロールの研究でノーベル生理学医学賞を受賞したマイケル・S・ブラウンとジョセフ・L・ゴールドスタインの二人は常々、「遠藤が作った薬がなければこの業績はなかった」と言っている。

【70年代初め、彼らは肝臓の細胞表面にはLDLコレステロールを調節するレセプターがあり、高コレステロール血症はそのLDLレセプターの欠損に因るという仮説を立てた。その理論は、同時期に遠藤が世界で初めて発見したHMG-CoA還元酵素阻害剤を使った実験によって実証された。両博士はそのことを公言し、遠藤への称賛を惜しまなかった】

しかし僕らは、遠藤章のことを知らない。

【メルクのロバスタチン(※商品名)が先に製剤として出たから、スタチンを世界で最初に手がけたのが三共だということは本当の専門家しか知らない。メルクのアルバーツが最初の開発者だと勘違いされているんですよ】(大阪大学・松澤佑次)

そう、そこには、創薬の裏に隠されたすったもんだの物語がある。

スタチンという物質(遠藤は三共内で「ML-236B」と呼んでいた)は、青カビから発見された。彼は元々貧しい農家で、土やキノコと触れていた。また幼い頃、ペニシリンやストレプトマイシンなどの抗生物質の発見物語を本で読んでいて、それらも微生物から発見されたものだ。だから彼は、【自然の中にはきっと、コレステロール合成を阻害する物質を作るものもいるに違いない】と予測し、探し始めた。

さて、ここで触れておくべきは、遠藤は当初から、「コレステロール合成の阻害」を目標にしていたことだ。これは、当時の日本人の感覚からはかけ離れていた。何故なら当時日本では、まだ「コレステロール」という存在がほとんど注目されていなかったからだ。現在もそうだが、欧米と比較すれば、日本人のコレステロール値は全体的には低い方だ。実は、「ML-236B」が発見され、臨床試験も進んでいるというタイミングでさえ、【そもそも『コレステロールを阻害して薬になるもんか』という声が、当時は社内外ともにありました】という状況だった。

では何故遠藤は、

【日本人がコレステロール低下剤どころか、まだコレステロールという言葉すら気にも留めていなかった時代に、遠藤はコレステロールを下げる薬の必要性に気づいていた】

のか。それは、社内で評価されたことで、2年間の海外留学が許されたからだ。その際アメリカに行き、アメリカ人がコレステロールの摂取量に気を使っている現実や、高コレステロールが原因と思しき死亡が多い現実を目の当たりにしていたのだ。

そんなわけでバクチに打ち勝って「ML-236B」を発見した遠藤だったが、ここからが大変だった。何が起きたのか、ざっと箇条書きで書いてみよう。

●「ML-236B」はラットのコレステロール値を下げなかった(後の研究で、ラットには効かないことが分かったが、当時は、ラットに効くなら人間にも効く、が常識だった)
●後にノーベル賞を受賞する海外研究者から実験に使わせてくれと依頼が来るが、先に海外研究者に渡すと国内の研究者から不満が出る、という理由で断った
●遠藤がいたのは社内の”外様”の研究室だったが、中央研究室がやっかみ、遠藤外しが画策される
●アメリカの製薬会社との契約条項に不備があると指摘したものの、社内で誰も「ML-236B」に期待していなかったため、契約条項が修正されないまま契約が行われ、そのために結果的に多大な損害を被ることになった
●「先願主義」の日本と「先発明主義」のアメリカというルールの差が不幸を生んだ
●毒性試験のガイドラインが明確に定められていなかったために、不必要な長期試験が行われることになり、そのせいで、通常の使用とは逸脱する形で試験が継続され、それによって現れた(とされる)副作用が悪い捉えられ方をした。

これらの問題すべてをひっくるめると、こう結論付けられる。

【三共はそれまで自社で一から新薬を開発したことがなかったから、やはり一番の原因は開発経験の差ではないでしょうか】(三共・浜野潔)

とはいえ、創薬の難しさを語る、こんな証言もある。

【リスクとベネフィットが正常に議論できて情報公開される時代ならいいけど、当時は少しでも問題があったら発表しない、秘密のうちに葬るという風潮でした。だから、リスクが疑われたら止めるのは当然の結論だったと思います。あの頃、サッカリン(人工甘味料)の発ガン性問題が起こって大騒ぎになった。僕らは同じような状況に仲間をさらすわけにはいかないと思い、プロジェクトを中止する決心をしたんです】(三共・中村和男)

「コレステロール阻害剤」については、世界でも疑問視する声が当時あり、遠藤は招かれて講演をしても、反応が芳しくないという経験を何度かすることになる。紆余曲折を経て、「ML-236B」の製造は中止に追い込まれたが、そこからの復活の裏には、ある日本人医師の論文の存在があった。それは、金沢大学の馬渕宏の論文だった。実は、この論文が掲載される前に、三共が「ML-236B」の開発の中止を決めたのだ。しかし、三共の開発チームにいた中村が、【アメリカにいたので治験が中止になったのは知らなかったということにして、そのまま出してください】と背中を押したことで、日の目を見た論文だった。これは発表されるや、世界中の新聞で報じられ、馬渕は日本よりも海外で有名になった。この論文が一つのきっかけとなり、コレステロール阻害剤の有効性に注目が集まるようになったのだ。

コロナウイルスの治療薬がいつ誰によってどのように生み出されるか分からない。しかし、一つ明らかなことは、創薬の道のりは険しい、ということだ。

【薬って、アイデアを出す人、見つける人、開発する人、それを臨床試験で確認する人、そういう人たちの集大成なんです。もちろん、青カビの中から見つけるという泥臭い大変な仕事をやった人の貢献度が一番高いのは間違いない。でも、そこにはいろんな研究者がいて、プレイヤーは1人じゃない。いざ開発となると、この分野で世界のトップと方を並べるオーガナイザーの先生(医師)たちのネットワークがあったり、三共の中でも僕みたいな一兵卒がいて、それを泳がせていた上司の開発部長がいたり。遠藤さんが辞めた後は、若い研究員たちが努力してプラバスタチン(※商品名)を見つけた。薬の開発は、いろいろな意味でプロジェクトなんですよ】(三共・中村和男)

また、コロナウイルスの治療薬の開発に関連して、日本の厚労省の新薬認可の遅さに触れる報道があった。一概に批判も出来ない。「サリドマイド」という薬が引き起こした薬害事件のトラウマが未だに残っているのだ、という。

最後に、遠藤のこんな文章を引用して終わろう。

【今の時代、お金が大事といいますが、人が本当に生きる喜びや価値を見出せるのは、使命感を持って世の中のためになることをやった時。私は、日本の会社や日本のためというより、世界中で必要とされているからやろうと考えて挑戦してきました。地球全体が舞台でした。国境なんてもともと人間が作ったもので、あってないようなものですからね。若い人たちにも、金儲けより人生観や価値観を大切に、世の中のために働くことが大事と伝えていく。それが私に残された仕事だと考えています】

コロナウイルスと真正面から闘うすべての者たちが力を結集して治療薬の研究を進めているであろう現在。これを機に、創薬の世界がまた大きく変わることを期待しよう。


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長江貴士
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